*無法投区/寝覚月

〜賜物や山鳥茸の濃紫〜

*船岡山のポルチーニ=葱男

* 或る秋の一日、友人のKちゃんが珍しい「秋の味覚」を土産に、家に遊びにきてくれた。 Kちゃんはアウトドア−の達人で、自然界のこと、特に山のこととなるとなんでも知っているすごい野生人だ。
一口に山男と言ってもいろんなタイプがあるのだろうが、彼の場合は少し変わっている。
ふつうの「山好き」は例えばハイキングや山菜採り、茸狩りなどを楽しむのがせいぜいだが、彼が本当に好きなこと、本気で知りたいことは、まるでかの名僧「空海」のように(彼が多くの奇蹟をもたらすことのできた一つの要素でもあるのだが)山の鉱脈や地層の状態を掌握すること、特に「水晶」や「雲母」などの珍しい鉱石を発掘するのが大好きなのである。
彼の家の居間兼応接間は日本中の山々から掘り出された珍しい石のコレクションがその大半を占めていて、それはそれは壮観な景色である。まるで学校の理科室みたい、デパートの宝飾売り場に置かれているような大きな硝子ケースがいくつも整然と並んでいて、いろんな天然の原石が綺麗な真綿に包まれ、その学名や採掘地、採掘した日時などが明記されて小さな箱に恭しく収められている。

とは言ってもKちゃんも人の子である、美味しいものが食べたいのは当然の欲望で、鉱脈を探りに山へ入ったとしても、やはり山菜や茸の植生にも興味は向くのだろう、こちらの領域の知識も私から見ればその道の達人には違いない。
これまでにも彼の案内で幾度か山に入り、春なら「たらの芽」や「うど」「こごみ」「クレソン」「こしあぶら」などの山菜採り、秋なら「舞茸」「なめこ」などの秘密の群生地(彼等はそれを自分の「城」と呼び、普通はだれにもその場所を教えないらしい。)に連れて行ってもらった。もっと言うなら、彼は「松茸」の自生している山も知っているらしい。が、さすがにその場所は私には教えてくれない。

そんな山猿の生まれ変わりのような彼が今年ハマったのが「日本のポルチーニ」と呼ばれている茸、ムラサキヤマドリダケである。
ヤマドリダケの部類はみなイグチ科の茸に属し、中でもムラサキヤマドリダケはナラやブナ、樫などの団栗のできる広葉樹林に自生する「食用のキノコ」。食べることができて美味しい茸が数多ある中でも、このムラサキヤマドリダケのは香りにしても味にしても茸マニアには垂涎の逸品、特級品であるらしい。 私はその晩、Kちゃんが持ってきてくれた「ムラサキヤマドリダケ」に「ハーブウインナー」を合わせて、シンプルなパスタにして食べてみた。
それは10年前、はじめてフィレンツェで食べたイタリアの「ポルチーニ茸」の味を思い起こさせてくれる、素晴らしい香りの茸だった。
*

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* そして翌日の朝早く、京都市内のお姉さんのところに泊まっていたKちゃんが、またしても茸の山盛りになった籠を抱えて現われた。
「これは今日の朝採りのムラサキヤマドリダケとヤマドリダケモドキ、モドキのほうは香りは少し落ちるけど、さっとゆがいて刺身で喰っても旨いよ」という。

「へえ〜、こんな街の真ん中でも美味いキノコの採れる場所があるんだ?」と聞くとKちゃんは「どんぐりがたくさん落ちているような森や神社があれば結構、どこにでも生えてるよ、そうだな、この辺りだと『船岡山』にあるかも。」と言ってそそくさと帰って行った。
その夜も私は「日本産のポルチ−ニ」を味わうことになった。Kちゃんの進言に従い、さっと湯通しして、刺身醤油とワサビで食べた。この茸の食感が本当、マジにやばかった。
まるで鳥貝のような、木耳を十分に蒸して柔らかくしたような、鯨のベーコンのような、フカヒレのような、これまでに食べたことないたまらない歯ごたえで生まれて初めての食感だった。

「船岡山」は「岡は船岡」と『枕草子』にも歌われた歴史ある小高い岡で標高が111m、その中腹には建勲神社があり、頂上からは京都市内が全望できる。また、東側の高台からは比叡山から大文字に連なる山並が綺麗に見渡せる広場があり、我が家から歩いて10分ほどのところにある小高い丘の公園である。
美味い茸の食感の虜となった私はその二日後、意を決して朝5時に起床、軍手と小さな籠を携えて早々と船岡山に向かった。

「船岡山」には以前からなんども早朝散歩に来ており、周囲が2kmほどのその公園の中のことなら大概の散策コースは熟知していた。一般の散歩コースから少し林の中に入ると、ほとんで人の通らないような「けもの道」のような場所があることも知っていた。事実、季節になると多くの茸が自生しているのを毎年見ていた。けれどもまさか、その中に日本の「ポルチーニ」が自生しているかもしれないなんて、今まで考えたこともなかった。私はまだ半信半疑のまま、目星をつけていた人目につかないような神社の杜の奥深くに分け入ってみた。

すると、なんと、3メートルも小道を下ったところに、昨日の、料理する前に眺めた「ムラサキヤマドリダケ」にそっくりの茸が二ョキっと生えていたのである。

* それから小一時間、私が見つけたそれらしい(ムラサキヤマドリダケかヤマドリダケモドキ)の数、じつに10本。時期が終盤にかかっていて少し笠が開きすぎているものが多かったが、私は収穫物を手に喜々揚々として自宅にもどった。

家に帰ってネットで詳しく調べたところ、ひとつ、大きな疑問点が見つかった。それは茸にはつきものの「毒キノコ」のことである。
ムラサキヤマドリダケとヤマドリダケモドキにはそれによく似た「ドクヤマドリ」という種類のキノコが存在している。毒か毒でないかを見分ける最大のポイントはキノコの柄の部分に表れる「編目模様」である。これがあれば美味しい逸品のキノコ、なければ「毒キノコ」の可能性が否めない。いろんな写真をよく見てみても、素人が撮り集めたものもあり、どこからが編み目でどこからが筋状の模様なのか、毒なのか大丈夫なのかはっきりとしない。いろんな小さな模様が美味しいほうにも毒のほうにも見受けられる。私はそれを食することを保留して、一旦、天日乾燥させることにした。イタリアで買って帰った「乾燥ポルチーニ」のことを思いだしたからである。
ところが次の日、思惑に反して庭に干していた何本かのキノコの笠の中から小さなたくさんの虫が湧いて出て来ていた。あとでKちゃんに聞くとキノコにはよくあることだそうだ。とくに時期を過ぎたおおぶりのものには虫がはいっている事がよくあるらしい。
私は昨日のキノコはすべて諦めて、もういちどあらためて山(岡)に上る決心をした。

それにはふたつの理由があった。ネットでよく調べてみると「ドクヤマドリ」は主に富士山の裾野やそれ以北の針葉樹林に自生し、関西方面の広葉樹林にはほとんで見られないということ。そしてもうひとつが、笠が濃い紫色をしていて柄にはっきりとした「編目模様」があればそれは間違いなく「ムラサキヤマドリダケ」である、とキノコ学者が太鼓判を押していたからである。 私はその2点、濃い紫色をしていて柄にはっきりとした「編目模様」があるキノコだけを採集することに決めてふたたび岡に登った。
1時間歩き廻った挙句、私が見つけることができたのは柄に「編目模様」はあるものの、笠が褐色で細く小さなキノコが1本だけだった。大きなモドキに似たキノコはたくさんあったが、それも時期を過ぎて半分腐りかけているようなものばかりだった。2〜3日でもう、「マドリダケ」の季節は過ぎようとしているようだった。

*

私は諦めて、朝の比叡山の美しい姿を眺めてから、いつもの石段をとぼとぼと下り始めた。 と、その時、だれもが散歩している広い石段の脇に飄然として紫色のキノコが生えているではありませんか!私は一瞬呆気にとられたまま、茫然としてそのキノコを眺めていた。近づくと、それは紛れもなく、Kちゃんがくれた、そしてネットで散々眺めまわした「ムラサキヤマドリダケ」であった。綺麗な濃紫の柄にくっきりと編目模様が見て取れたのだ。

* *

その夜、私は至福の表情でそのポルチーニのオムレツをいただいた。ワインはマルケ州のモンテプルチアーノとサンジョベーゼ種混合の赤である。
私の秋はこの晩餐をもって確かに始まったのである。


*秋夕焼スカイツリーへ川渡る=資料官

●スカイツリーふと見上げれば秋高し
●星月夜眼下を走る電車たち
●浅草にそれぞれの秋見つけたり

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1: 2013年9月27日
スカイツリー

9月27日(金),社内旅行で初めて東京スカイツリーに上った。開業したのが昨年の5月22日だったからおおよそ1年半たってからである。部単位での投票の結果行き先は東京スカイツリーに決まったが,総勢10名の小さな部なので全員が参加。あらかじめネットで購入した展望デッキへの入場券の指定時間が18時から18時30分だったので,この日は気合を入れて仕事を定時に終わらせ,あたふたと地下鉄と東武電車を乗り継いで「とうきょうスカイツリー駅」(24年3月17日業平橋駅改称)の到着。なんとホームには立派な屋根ができていて,ここからスカイツリーを見上げることができなくなっていた。当日券購入の長い列を尻目にするすると300mの展望デッキに上がり,さらに待つことなく展望回廊450mまで上がると,そこは金曜の夜にもかかわらず混んではいなかった。展望デッキまで2,500円,展望回廊まで行くとさらに1,000円という料金設定ゆえにここまでは大勢は来ないのだろうかと思いつつ,ぐるっと回るスロープを上り最高到達点(451.2m)に向かう。東京タワーや隅田川の橋,浅草や錦糸町の雑踏などなど450mからの夜景は時間を忘れるほどの美しさ。明かりが見えない暗いところは上野の森か,でも皇居は少々わかりずらい。この日は台風一過,朝から雪のない真っ黒な富士山が綺麗に見えたので,夕方の富士山のシルエットを期待していたが,彼岸も過ぎれば東京の日没はとても早く(17時半頃),残念ながら富士山の姿はわからなかった。昼間だったら怖くてじっと真下を見ることはできなかっただろうが,暗くなってしまえば余り気にはならず,ガラスの床の上にもしばらく立つことができた。しばし展望回廊からの夜景を堪能した後,いったん地上まで降りて隣のソラマチの31Fのレストランで懇親会となった。展望回廊450mから下ってくると31Fなんて下界のような気がしたけど,ここからの夜景も実に見事だった。特に,真下を東武電車が走っており,その先を見ると地上に飛び出す地下鉄半蔵門線(の先の東武電車)と都営浅草線(の先の京成電車)まで見えていて,それだけでも退屈しない。

*

2:スカイツリーから浅草方面の夜景



*3 *

3:展望回廊へのエレベーター内部から真上

4:ソラカラポイント最高到達点451.2m

おおよそ2時間の懇親会終了後はまた「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)から東武電車に乗って浅草に戻った。隅田川の河岸からスカイツリーとアサヒビールの例のオブジェを眺めてから,雷門前ホテル宿泊組(希望者6人)と別れ,メトロ銀座線,JR上野駅から山手線経由で帰宅した。思えば夜の浅草も久し振り,暑くもなくさわやかな花金の夜を楽しんだ。

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5: 2013年9月27日
隅田川浅草川からスカイツリーとアサヒビールの???のスカイツリー

●駅の名の業平が消ゆ業平忌   鈴木鷹夫

*6 *

6:2010年9月11日
東武鉄道 業平橋駅
まだ屋根もなく工事中のスカイツリーをホームから見上げることができた

7:2010年9月11日
工事中のスカイツリー
東武業平橋−浅草間を走るスペーシア
終着駅浅草も間近


【編集後記】

十月は自分の誕生月ということもあって、何かしら思いを乗せることのできる月である。
「十」に見えるのクロスの形象は十字架や十字路を想起させる。罪人として磔にされたキリストや見せしめのために罪人を「さらし首」にした「辻まわし」の「辻」が、やがて「道」という文字に変わっていったように、『〜道』と呼ばれる作法の会派には組織論的な「聖と俗」が、互いに相反する「正と負」のエネルギーがいつも複雑に交錯している。

さて、私達、個々のメンバーがそれぞれに志す「俳句道」とは果たしてどのようなものであるだろうか?

十月の日矢の速さを惜しみけり 葱

 (文責 葱男)


■風信

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水音さんと葱男さん、「俳句界10月号」の兼題「音」でおおきな文字が並びました。^^;
●鵜篝の消えて残れり川の音 (大高霧海 秀作)
●かなぶんの強しいくども激突音  (大高霧海、田中陽 秀作)


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