*無法投区/神迎月

〜ロリータもフェアリーも棲む枯野かな〜


*デザイン・フェスタ/32th in 東京ビッグサイト=葱男

先日の11月6、7日に行なわれた”デザイン・フェスタ/vol.32”にハンドメイドフェルトのブースを出店した。

京都の「手づくり市」で知り合った作家さんからのお誘いもあり、若干58才の「ものづくり人」としては、東京の若いクリエーター達がどんなものを創りだしているのかも少し興味があって参加することにしたのだ。
「東京ビッグサイト」という、巨大なスペースを借り、現代日本のど真ん中では一体、どんなイベントが行なわれているのだろうかと、楽しみ、楽しみ。

京都からはちょっとハードなスケジュールだったが2ブース分の商品と大道具を積んで車で東京入りである。
このイベントに誘ってくれた若き絵付け職人、subiki awa食器店の御主人(といっても30才のうら若き乙女だが)とアトリエ「セレネッラの咲くころ」のフェルト作家(分葱さん)と私の3人、ETCの恩恵を借りて土日の高速料金、京都からお台場まで片道2140円の旅である。
東京まで往復のガソリン代を精算すると、燃費の悪い私のボロ車(日産ADワゴン)でも10、000円を切った。 合算しても交通費はひとりあたり(ビッグサイト2日間の駐車料金4200円を足して)6000円、東京までの新幹線代と比較しただけでもこれは大変な経費節減である。

開幕当日の早朝6時にビッグサイトの西門に到着、レインボウブリッジを渡るときにはこれかる始まる未知なる時間を想像して少し身震いした。

6日朝、無事、搬入を終えて、開場まで少し時間があったので、「ゆりかもめ」の「国際会議場駅」のまわりを散策してみる。
「お台場」と呼ばれているこのあたり、メガポリスの美しいウォーターフロントを堪能する。
圧倒的な建造物、機能的な交通網やシステム構造をもつ都会を、まるで蟻の行列のように小さな人間が右往左往しながら行き来している。アートイベント・デザイン・フェスタの当日、同じ西館で行なわれていたのは大規模な就活イベントであり、黒づくめのスーツに身を包んだ若者がどっと押し寄せてきて、同じモノレールの駅から吐き出されてくる世紀末アートファッションに耽溺した若者たちと一体になる。
嗚呼、これぞ東京。

これぞ東京、ビッグサイトの威容もイベントの嗜好にもわずか1時間ほどで慣れてしまい、都会の埋め立て地に現われた夢の本質は、「はりぼて型」のちゃちなサブカルチャーにすぎなかった。アートイベント「デザイン・フェスタ」に展示されている作品や商品には初体験の刺戟だけに購買意欲を操作するものばかりで、その需要層の年令は甚だしく低い中高生や二十歳代前半の婦女子である。
あらゆるバリエーションの文化に鈍感になってしまった若者の嗜好はどんどん爛熟して頽廃に向かっていて、まるで江戸時代の町民文化か19世紀末の巴里のようだ。もはや、髑髏や蜘蛛の巣や龍虎や鉄条網や幽霊やコウモリや蜥蜴や蠍や蛇ぐらいでは追いつかない。「剥製動物標本室」なるブースではホルマリン漬けにされた本物のねずみや小動物の死骸を商いしている。
売りに出された小動物の「死」には命の尊厳としての重みはない。秋葉系の天使やフェアリー(妖精)やロリータ(童女)ファッションにもそもそもの純潔性が見えない。商売をして儲けているのは彼等クリエーターではなく、イベントを企画、主催するプロモーターだけのようにも思える。
結局、イメージに踊らされた芸術家や職人の卵は高い経費を払って自己表現の場を借りるだけなのだろうか?

●狐塚売りに出されし死と病



いよいよ日本にもヨーロッパ並の特級のスノビズム(虚飾主義)が開花したようだ。
物質と情報の氾濫が文化を頽廃に極めさせる時期にさしかかったのだろう。
「極陽は極まって極陰に転ず」。
白と黒の鯰がお互いのしっぽをくわえて永遠にぐるぐると回っている姿が幻のように浮かんだ。巨大な怪物「東京ビッグサイト」は、まるで東京湾の主であるかのようにそこに棲息しているのだった。


*南無妙法蓮華経 佐渡のみち=資料官

思い立って十月の三連休は佐渡へ渡った。「海は荒海♪♪・・・」とか「あらうみや・・・」と詠まれているので,天気が悪ければ大荒れの日本海を渡るものだと危惧していたが,運悪く三連休の前半は雨の予報。昔,青函連絡船で津軽海峡に出たとたん大揺れで大変つらかったことを思い出し,気持ちは暗くなっていた。幸いなことに,三連休前半関東甲信越の太平洋側は大荒れだったが,北の方日本海側は雨もさほど降らず,天候も比較的に穏やかに推移した。往路は直江津港から佐渡南側の小木港へフェリーで2時間50分,復路は表玄関両津港からジェットフォイルで新潟港まで65分の船の旅を堪能できた。さらに,佐渡には鉄道がないので心からのんびりすることができた。

●あらうみを越ゆれば佐渡よ秋も暮

1 2 3

1:佐渡の真野湾の海岸線。モアイ像のような人面岩

2:幕府直轄天領相川に建てられた佐渡奉行所跡。佐渡金山はさらに山の中

3:「日本の渚100選」にも選ばれた景勝地「尖閣湾」
映画、NHKドラマ「君の名は」の舞台にもなった
「忘却とは 忘れ去ることなり 忘れ得ずして 忘却を誓う 心の悲しさよ」
菊田一夫真筆の文学碑

●秋の暮ゆらりゆらりとたらい舟
●秋の虹大佐渡小佐渡跨ぎける
●真野御陵旅人濡らす秋時雨
●金山の栄華の跡や薄紅葉

佐渡のことは何も知らなかったので,司馬遼太郎の「街道をゆく 羽州街道 佐渡のみち」と梅原猛の「日本の霊性−越後・佐渡を歩く」を斜め読みしてから出かけた。佐渡は古くから重罪人遠流の島,承久の乱で流罪となった順徳天皇だけでなく,日蓮,親鸞,観阿弥などがこの地に送られている。特に,49歳で流罪となった日蓮はこの地においても排斥されながらも法華経の大思想を完成させ,「開目抄 上下2巻」や「観心本尊抄」を為している。島のあちらこちらに日蓮のゆかりの寺があり,今回は最初に配所させられた塚原山根本寺(三昧堂)を参拝した。今でこそ落ち着いた寺となっているが,死人の捨て場に立てられた三昧堂はかなり粗末な建物だったとの説明を受けた。




日蓮聖人とゆかりの深い塚原山根本寺(こんぽんじ)
全国日蓮宗十大霊所だとか1271年秋から1272年春までここで過ごした

森鴎外の山椒大夫のラストシーンの場所でもある。中西君の一人芝居の「山椒大夫」の厨子王が母親と再会する,「安寿恋しや,ほうやれほ 厨子王恋しや,ほうやれほ」の場面を思い出した。佐渡の裏側,日本海に面した鹿ノ浦という寂しい場所だそうだが,死んだはずの安寿の墓がいくつか存在したり,安寿と母が再会した伝説の達者という地名があったり,佐渡は安寿と厨子王の物語でもゆかりの場所が多い。
太宰治はその短編「佐渡」の中で佐渡を大陸の影と言った。佐渡の面積は855k?と,東京都24区の1.4倍,佐賀県のおおよそ3分の1の大きさであり,沖縄本島に次いで日本第二の島である。島には標高1172mの金北山を有し,この大佐渡は背振山地と大きく違わない陣容である。九州で言えば,佐賀県の背振山地を含む真ん中あたりを切り取ったようなイメージであろうか。大佐渡と小佐渡にはさまれた島の真ん中には穀倉国仲平野が広がっており,佐渡は大陸ということが十分理解できる。新潟の北に位置しており,寒冷地の印象を受けるが佐渡の北側を対馬海流が流れており気候は温暖である。一見房総半島に似ているかもしれない。
朱鷺のすむ島佐渡であるが,佐渡トキ保護センターのケージの中に飼われている朱鷺を窓越しに見るのはさほど面白いものでもないし,自然界を羽ばたく朱鷺の姿はよほどのことがない限り見ることはできない。やはり,佐渡の魅力は朱鷺ではなく,歴史風景と海岸線だと思う。


5 6 7

5:佐渡スカイラインから加茂湖

6:両津港遠望 佐渡の海

7:佐渡トキ保護センターの繁殖ケージの朱鷺


遠流の島佐渡からさらに異国に拉致されたことも事実である。曽我ひとみさんは家族ともども北から帰還できたが,まだ母親は行方不明のままである。だんなのジェンキンスさんは順徳天皇の真野御陵のそばの佐渡歴史伝説館の売店で「太鼓番」というせんべいを売っていた。売上代金の一部は拉致被害者救済のために寄付されると書かれていた。このせんべい結構いける。
下のお嬢さんのブリンダさんは地元の造り酒屋・尾畑酒造の試飲コーナーで働いていた。このコーナー色々なお酒の試飲ができるので,ついついどれもこれもと飲ませていただいた。結構美味しかったので,ついつい自宅あてに「真野鶴」蔵元直送「おけさ鶴3本セット」を注文した。この中には,大吟醸「真野鶴の舞」が2本入っているが,この大吟醸はエールフランス・ファーストクラス機内酒に使われているそうな。くしくも今回の旅行でお二人の姿に接したが,ご一家のご多幸をお祈りする次第である。


8 9

8:佐渡歴史伝説館売店のジェンキンス氏

9:ジェットフォイルで佐渡両津港から新潟港への向かう。途中で先行したフェリーを追い越す。フェリーは150分,ジェットフォイルは65分かかる


両津港のターミナルで新潟行きのジェットフォイルを待っている時に,東京の従兄弟から伯母が逝去したとの連絡を受けた。母の姉,89歳の大往生であった。帰京後さっそく通夜と告別式に参列した。4年前,伯母の家の雛祭りに招かれた時の句を「丘ふみ游俳倶楽部」に投句したことがある。大正の古雛を筆頭に数多くの人形を飾ったにぎやかな雛祭りだった。伯母の葬儀は日蓮宗により執り行われたが,伯母の訃報に接したのが日蓮が流罪となって法華経を完成させた佐渡であったことも何かの縁を感じた。「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」,「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」,佐渡の風景を思い出しながら伯母を送った。

●正座して広き座敷の雛の客
●古雛やをばのお口は達者なり     丘ふみ游俳倶楽部*第二十号より




平成18年の雛祭り風景


●逝く秋や南無南無南無とをば送る


かごんま日記:"THESE ARE THE DAYS OF OUR LIVES"= スライトリ・マッド



2010年10月26日(火)

* おかあさんとてもきれいねのちのつき

Sometimes I get to feelin'
I was back in the old days - long ago
When we were kids, when we were young
Things seemed so perfect - you know ?
The days were endless, we were crazy - we were young
The sun was always shinin' - we just lived for fun
Sometimes it seems like lately - I just don't know
The rest of my life's been - just a show
Those were the days of our lives
The bad things in life were so few
Those days are all gone now but one thing is true
When I look and I find I still love you

今日母が亡くなった。脳内出血。享年86歳。2年くらい前から認知症の症状が出始め色々不自由をきたしていたが、周囲の助けを借りながら、住み慣れた福岡市南区屋形原の自宅でビーグル犬と暮らしていた。2,3週間前に買い物に出かけ転んで顎のところを少し切って血が出て、通りかかったご近所のおばさんから鹿児島まで連絡をもらったこともあった。幸い大事には到らなかったが。お向かいの奥さんもいい方で俳句をやられる。話していたら砂太先生とご一緒の句会だとか・・。電気がついているか?門扉が朝開いているか?な どいつも気にかけてくれていた。同じ敷地内の別棟に甥っ子が住んでいたので心強かったも思う。週1回ヘルパーさんが来てくれ、若久に住む次兄が毎日お弁当を運んで様子を見ていた。「一人はさびしか〜」と言いつつ、ボケていながらも、母なりに子どもたちに迷 惑をかけまいと頑張ってくれていた。毎朝9〜10時ごろに電話して他愛もない話をしたり母の愚痴を聞いたり私の愚痴を聞いてもらったりが日課。10時に出なかった。正午過ぎにかけても出なかったので心配になっていた矢先。しかしときどき電話に出ないこともあったので様子を見ることに。午後、次兄より電話がかかってきた。母が倒れ大楠の日赤病院に救急車で搬送されたとのこと。意識不明の危篤状態。身内に知らせてくださいと。えっ!うそだ!気が動転して、うろうろおろおろしながら、あちこちキャンセルや連絡を入れ、 家族は遅れて新幹線で来ることになった。あわてて数日滞在できる荷物をまとめ車のトランクに。母に食べさせてやろうと、好きだった柿をむいてタッパーに入れ、みかんも。途中東京に送る急ぎの宅急便をクロネコで出して隼人東インターから乗った。

*母おらぬ家にただいま冬近し

You can't turn back the clock, you can't turn back the tide
Ain't that a shame ?
Ooh, I'd like to go back one time on a roller coaster ride
When life was just a game
No use in sitting and thinkin' on what you did
When you can lay back and enjoy it through your kids
Sometimes it seems like lately - I just don't know
Better sit back and go - with the flow
'Cos these are the days of our lives
They've flown in the swiftness of time
These days are all gone now but some things remain
When I look and I find - no change
Those were the days of our lives yeah
The bad things in life were so few
Those days are all gone now but one thing's still true
When I look and I find, I still love you
I still love you

高速を1人で飛ばしたが、間に合わなかった。脳内出血で苦しみはなかったと先生の言葉。車におかあさんコーラスの九州大会のCDが入ったままで、つけたら母をテーマにした曲があった。涙雨の寒い日。親なんていつまでも生きてくれてるものと考えていたから、こういうふうに突然自分の身に降りかかってみないと親のありがたみがわからない。温泉に連れて行きたかった。美味しいものを食べさせたかった。きれいな景色をいっしょに見たかった。私が育った家の鍵を開け、ただいまと言うが返事がない。物忘れをカバーしよ うと、実家の壁やあちこちに母のメモしたものがセロテープで貼られている。『H20年2月25日午前10時過ぎ、美幸さんが女の子を出産した。一花(いちか)ちゃん。午後1時頃幸一君の車で6本松近くの産婦人科へ見舞いに行った。2560g位の小さい可愛 い赤ちゃんだった。その足で友愛病院へ行き、その報告をして家路に着いた。おめでとう。3月1日(土)に家に帰る予定。』(原文まま)と変色したメモ紙があった。六本松が6になっている。物忘れが出てきていたころ。走り書きだが端正な字。母は書道の先生だった。いつもやさしくおおらかな母で、私はあまり怒られた記憶がない。美幸ちゃん、幸一君は、私の姪と甥っ子。父親である長兄(タモリと同学年)は4年前に重篤な脳梗塞を起こし、現在済生会病院に入院中。今も意識が戻らないままだ。友愛病院に入っているときタモリがお見舞いに来てくれたらしい。母の葬儀が終わって、済生会病院へ行った。大きな窓からアクロスの緑の壁が見える。兄に話しかけるとうっすら目を開けるように瞬きをしたりするのだ。呼吸の仕方も違っている。明らかに何かを感じた。「しげみっちゃんくさ、話が聞こえるけん、お母さんが亡くなったことは話さん方がいいと思って・・」と淳子義姉さんの話。「美幸ちゃんに2番目の赤ちゃんが生まれるよ。幸一君ももうすぐ結婚するよ、だけん兄さん元気でおってね!」と細くなった兄の手と足をさすってきた。実家の裏庭に柿の木があって、たくさん実をつけていた。柿の種から芽吹いたと母が言っていた。母の残した木。真っ赤な実の色。忘れないよおかあさん。寝たきりであろうが、病気であろうが、認知症であろうが、家族はそういう人を抱えていると大変である、しかし、家族にとってはかけがえのない命。ヒトは生きてるだけで絶対貴い。

"THESE ARE THE DAYS OF OUR LIVES" by Queen (1991) より引用




■編集後記

デザインフェスタ、7日の夜8時に搬出を終えて東京ビッグサイトを出発、静岡あたりまでは快調に車を飛ばしたのたが、そこからが睡魔との戦いだった!(>_<;)

帰路500キロ、ノンストップなら6時間のところ、朝の7時にやっと京都に着きました、ああ、無事で良かった!!(^0^)

デザイン・フェスタに来て下さった皆様、どうもありがとうございました。
今年の「角川俳句賞」を受賞した「望月周」さんとも初めて御会いすることができた。
時間があればもっともっとゆっくりとお話がしたかったのだが残念無念!


日本全国の若いクリエーターの中に交じって、若干58才! いろいろと興味深いブースがたくさん出店されてをり、いろんな意味で楽しませていただきました。
彼等が創りだしたものが現代の日本のすべてを語り尽くしているようでした。
それはそれでいろいろと思うところがあるけれど、総体としてはやっぱり面白かった!

●神渡すべては空から降ってくる

どんなにおかしな世界でも世界はひとつ、これっきり。 スライトリ・マッドさんではないけれど、ヒトは生きてるだけで絶対貴い!!!

(文責 葱男)


■消息

水音:ねんりんピックの俳句交流会/選者特選賞(今井千鶴子選)
●曲水に萩をこぼせる驟雨かな  山下水音

葱男:『俳句界』11月号/「めーる一行詩」【秀逸】
●ロリータもフェアリーも居る虫の籠  中島葱男

スライトリ・マッド:『俳句界』11月号/「めーる一行詩」【秀逸】
●振り向きて菱採りの舟傾きぬ  島小みかん

夏海:『俳句界』10月号/「めーる一行詩」【佳作】
●山峡に案山子ひしめく田一枚  とりごえ夏海


■句友のページ
俳人・金子敦の小部屋俳句と主夫の間で♪<なを>の部屋空とぶ猫俳句魂海渡の海馬向後崎ふみ(十月桜)の気まぐれ歳時記俳句と写真で綴る日記「日々好日」nemurinn主義


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