*無法投区/花残月

〜川の水呑みて花見を酔ひにけり〜


*ジャストナウポップチェリーズブロッサム=葱男



満開の面白桜・俳句

●天才に少し離れて花見かな  柿本多映

傑作です。笑えます。何の「天才」かは知らねども、天才だって花見くらいはするだろう。ただ「秀才」ならばまだしも、なにしろ敵は天才なのだからして、花を見て何を思っているのか、わかったものじゃない。近くにいると、とんでもない感想を吐かれたりするかもしれない。いやその前に、彼が何を思っているのかが気になって、せっかくの呑気な花見の雰囲気が壊れてしまいそうだ。ここは一番、危うきに近寄らずで行こう。「少し離れて」、いわば敬遠しながらの花見の図である。でもやはり気になって、ときどき盗み見をすると、かの天才は面白くも何ともないような顔をしながら、しきりに顎をなでている。そんなところまで、想像させられてしまう。掲句を読んで突然思い出したが、一茶に「花の陰あかの他人はなかりけり」という句があった。花見の場では、知らない人同士でも、なんとなく親しみを覚えあう。誰かの句に、花幕越しに三味線を貸し借りするというのがあったけれど、みな上機嫌なので、「あかの他人」との交流もうまくいくのだ。そんな人情の機微を正面から捉えた句だが、このときに一茶は迂闊にも「あかの他人」ではない「天才」の存在を忘れていた。ついでに、花見客の財布をねらっている巾着切りのことも(笑)。掲句は「俳句研究」(2001年4月号)に載っていた松浦敬親の小文で知った。松浦さんは「取合わせと空間構成の妙。桜の花も天才も爆発的な存在で、出会えば日常性が破られる。『少し離れて』で、気品が漂う」と書いている。となると、この天才は岡本太郎みたいな人なのかしらん(笑)。(清水哲男)

●奇術にして仁術の俳パッとさくら  原子公平

さくら賛歌であると同時に俳句賛歌でもある。俳句には元来、その短さゆえに「奇術」のようなところがあり、たったの十七文字が悠に百万言に勝ったりする。小さなシルクハットから、鳩がパッパッと何羽も飛び立ったり、万国旗がゾロゾロと出てきたりするように、信じられない現実を突きつけてくる。しかも、上質の「俳」は読者の心を癒し、励まし、喜ばすなど、その「仁術」的効果もはかりしれない。「さくら」とて、同じこと。「奇術」のようにあれよという間に咲き、「仁術」のように人の心を浮き立たせる。このとき「さくら」は、天然の俳人なのだ。自然詠のかたちをとりながら、句自体が一つの俳論になっているのもユニーク。長年のキャリアがあってこその、これは作者の「奇術」である。原子さんは、最近車イスの人になられたと仄聞した。「俳句研究」誌に連載されている[わたしの昭和俳句]は、近来まれに見る面白い読み物だ。私的俳壇史だが、社会的な時代背景の提示にあたっての、素材の適切な取捨選択ぶりには唸ってしまう。そのことによって、登場人物がみな輝いている。これほどに読ませる俳壇史が、これまでに書かれたことがあったろうか。俳句に興味のない人までをも、引き込んでしまう書き振りだ。これまた「奇術」にして「仁術」と言うべきか。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)

●生娘やつひに軽みの夕桜  加藤郁乎

男女のことなどまだ何も知らない「生娘」が、夕桜の下でついつい少しばかり浮かれてしまっている様子に、作者はかなり強い色気を感じている。微笑ましい気持ちだけで見ているのではない。「つひに」という副詞が、実によくそのことを物語っている。江戸の浮世絵を見ているような気分にもさせられる。ということは、おそらく実景ではないだろう。男の女に対する気ままな願望が、それこそ夕桜に触発されて、ひょいと口をついて出てきたのである。「つひに軽みの」という表現にこめられた時間性が、この句の空想であることを裏づけている。もしも事実を詠んだのだとすれば、作者はずいぶんとヤボな男におちぶれてしまう。こういう句は好きずきで、なんとなく「江戸趣味」なところを嫌う読者もいると思う。ただし、上手い句であることだけは否定できないだろうが……。同じ作者の句「君はいまひと味ちがふ花疲れ」も、同じような意味で、かなり好き嫌いの別れそうな作品だ。桜も、なにかと人騒がせな花ではある。『江戸櫻』(1988)所収。(清水哲男)

●さびしくはないか桜の夜の乳房  鈴木節子

今年もまた花見やら桜祭りやらと何かと気ぜわしい季節となった。満開をやや過ぎた頃の桜が一途に散る様子が好きなので、風の強い日を選んで神田川の桜並木を歩く。毎年恒例の勝手気ままな個人的行事だが、散った花びらが神田川の川面を埋め、それがまるでどこまでも続く桃色の龍のような姿となっていることに気づいてから、この龍と会うのは、たったひとりの時でしかいけないような気がしている。梶井基次郎の『櫻の木の下には』や、坂口安吾の『桜の森の満開の下』を引くまでもなく、満開の桜には単なる樹木の花を越えた禍々しいまでの美しさがある。桜や蛍など、はかないと分かっている美しいものを見た夜は、誰もが心もとない不安にかられるのだろう。女の身であれば、我が身の中心を確かめるように乳房に手をやってみる。しかし、そんな夜は、確かにこの手がわが身に触れているのに、そこにあたたかい自分の肉体を見つけることができないのだ。指から砂がこぼれてしまうような不安に耐えかね、寝返りを繰り返せば、乳房は右に溢れ、左に溢れ、まるで胸に空いた大きな穴を塞ごうとしているかのように波を打つ。咲き満ちていることの充足と恐怖が、女に寝返りを打たせている。『春の刻』(2006)所収。(土肥あき子)


*春たけなわ金沢三昧=資料官

●乗り換えの越後湯沢や残る雪
●残雪にどっぷり越後湯沢かな
●トンネルに入るごと春眠むさぼりつ



東京から金沢に向かうルートは,上越新幹線越後湯沢乗換えほくほく線(第三セクターの私鉄)・北陸本線富山経由と東海道新幹線米原乗換え北陸本線福井経由の両ルート。最近は越後湯沢経由ほくほく線回りをよく使う。あの国境の長いトンネルを抜けるとそこは越後湯沢,ここでほくほく線特急スーパーはくたかへ乗り換える。3月とはいへ,まだまだ駅の構内にはたっぷりと残雪が,周囲の山々もまだまだ雪山。
越後湯沢を出ると,しばし上越線を走り六日町からほくほく線に入る。十日町付近で信濃川を渡る。ここはまだまだ雪国。長いトンネルを経るごと雪は減り,日本海側に達する頃にはもう雪はない。  春眠暁を覚えず,トンネルに入るたびにまぶたが閉じるその繰り返し・・・・

●風光る雪吊りわかれのシルエット
●雪吊りの兼六園も水ぬるむ





金沢といへば兼六園。兼六園の梅は見ごろとの水音情報に心を躍らせながら広坂を登る。ここは日本三庭園の一つ。若い頃,出張で金沢に泊まると,早起きして兼六園ベンチで買い込んでいた弁当やおにぎりを食べた思いであり。(ホテルの朝食高くって・・・・)
春の観光シーズン,庭園内をあまり若くないガイドの声が高らかに響く。しばし足を止め説明を聞かせていただく,なるほどあれが唐先松,あれが根上松かと・・・・・。あと2〜3日で雪吊りも手仕舞いになるというから,まさにラストチャンス。春の日を浴びた雪吊りがクリスマスイルミネーションのように輝いていました。   兼六園はまさに梅見ごろ。さわやかな青空のもと,梅林にはいい梅の香が漂っていました。雪吊りと梅の花の出会いはわずかの期間,春のバトンタッチの瞬間でした。園内の曲水や滝の水音に耳をすませながら,ゆっくりゆっくりと時間が経つのを忘れて庭園内を散策した。

●白梅の盛りなりけり兼六園
●兼六園春の水音流れけり



●茶屋街のさくらの下の水迅み
●茶屋街の桜芽吹きて水迅し

五木寛之の小説にも登場する浅野川の清流,そばにはひがし茶屋街とか主計町(かぞえちょう)茶屋街などがあります。ちょうど川っぷちの桜も芽吹き始め,さぞかし桜の季節も良いのだろうと。遠くの山並みにはまだ雪がしっかり残っているのでした。





●飴屋までたどり着きたり春夕べ
●春めくも支店の消えし香林坊

30年奉職した某金融機関の金沢支店(勤務経験なし,出張でたびたび)は香林坊の大和百貨店の隣にありましたが,店舗集約で北陸地方は富山に支店を設置して金沢は昨年7月に廃止となりました。香林坊を通り抜けると,看板をはずした建物に店舗閉鎖と富山支店開設の案内が張られていたのです。東急ホテルも近いし,片町(金沢の中州のようなところ)も近いし本当に良い場所だったのに残念残念。
 4年前の出張の折,同じくお仕事で金沢に来ていた濱地さんと待ち合わせしたのもこの辺りだった。それから柿木畠の「いたる」本店でお酒を飲んだのですが,この「いたる」は結構流行っていた。

●春風や海鮮丼に長い列

 水音さんがいろいろな店を教えてくれたので,2箇所ご推奨の店に出かけた。近江町市場「井ノ弥」の海鮮丼は行列覚悟でと言われていたので,11時開店の5分前に出かけたらすでに4名お並びでしたが,開店と同時に着席余裕の昼食でした。確かに11時半過ぎると急にお客が増え始めた。百聞は一見にしかず,見事な盛を写真で堪能願います。それにしても水音さん,きめ細やかな情報提供大変ありがとうございました。金沢に根を下ろして13年,いろいろお詳しい。
 告 近江町市場の「井ノ弥」の海鮮丼には11時半前に出かけるべし!!!!!!



●梅の香や尾山神社の色ガラス

時間があったので,楼門のステンドグラスが有名な尾山神社を参拝。ここには藩祖前田利家公がまつられており,金沢では誰もがお参りに出向く場所とか。境内の紅梅が2本咲き誇っていた。利家公と松島奈々子がNHK大河ドラマで主演を勤めて有名になったまつの像が境内にあります。




かごんま日記:" THE RIVER OF DREAMS "= スライトリ・マッド

2008年3月30日(日)

*雨しとど図書館司書の花日記

In the middle of the night
I go walking in my sleep
From the mountains of faith
To the river so deep
I must be lookin' for something
Something sacred I lost
But the river is wide
And it's too hard to cross
even though I know the river is wide
I walk down every evening and stand on the shore
I try to cross to the opposite side
So I can finally find what I've been looking for

雨の中、返却期限の迫った本を返しに県立図書館に。鹿児島ではちょうど桜が2分咲きの頃。温かいだけでは、桜は咲いてくれないんだ。今年も暖冬のせいで、開花は福岡や関東より遅かった。県立図書館には淡墨桜が2本ある。かの有名な岐阜の根尾村より平成2年に贈られたもの。返却がてら「今年の淡墨桜は?」とカウンターの司書さんに尋ねてみると、「あのですね」とおもむろにノートが取り出され。3月4日に蕾が10個、7日に20個に増え。22日に待ちに待った1輪が開花。25日(私の誕生日だ)には、これまでの最高記録20輪が開いたとのこと。ちなみに去年は18輪だったと言う。「木が若いのと土にまだ慣れてないせいか、ここの淡墨はまだあまり花がつかないのですよ」とのお話。


*松の芯木曽三川の薩摩義士

In the middle of the night
I go walking in my sleep
Through the valley of fear
To a river so deep
I've been searching for something
Taken out of my soul
Something I'd never lose
Something somebody stole
I don't know why I go walking at night
But now I'm tired and I don't want to walk anymore
I hope it doesn't take the rest of my life
Until I find what it is I've been looking for

鹿児島の国道3号線と10号線の交差したところに甲突川を渡る平田橋があり、橋を渡って、10号線をまっすぐ西に行くと鶴丸高校とぶつかる。東に進むと城山よりのところに平田公園がある。平田靭負(ゆきえ)に因んだ橋と公園。平田靭負は、薩摩藩の家老。当時、薩摩は、幕府から岐阜を流れる木曽、長良、揖斐川の3つの下流地帯が、毎年大洪水を起こすため、その氾濫を防ぐよう命ぜられた。外様の雄藩であった薩摩に対する苛政は、始祖家康の遺訓でもあったそう。参勤交代制や数々の圧政は、幕府が諸藩の力を削ぎ、財政力を弱めるためにやった政策というから、まさにアンビリーバブル。しかし理不尽な要求にも耐えねばならなかったのだ。江戸時代中期の宝暦3年(1753年)、薩摩藩は、300里も離れた木曽三川治水御手伝普請のため、平田靭負を総奉行に命じ、約1000名の薩摩藩士を、1年数ヶ月の難工事に送り込む。が、幕府の重圧、役人の横暴、農民の妨害、嫌がらせなど記録を読むとひどい、むごい!義憤のあまり切腹した者50余、赤痢により150余が倒れ、病死者30余。かかった費用約40万両(現在のお金だと約300億!)。工事が終わったとき、藩士たちは薩摩から松の苗を取り寄せ、自分たちが築いた千間堤に植樹したという。「御普請所、御めでたく成就、御検分滞りなく相済み・・・(中略)まずは頂上の儀に存じ奉り候」。平田靱負はそう国元に書き送ると、多大な藩費を使い、多くの犠牲者を出した、全ての責任を負うと、自害し、52歳の生涯を閉じたとある。自分の利益しか頭にない今の政治家にはこんな気持ちわかんないだろうな?


*淡墨の二十三輪さくら咲く

In the middle of the night
I go walking in my sleep
Through the jungle of doubt
To the river so deep
I know I'm searching for something
Something so undefined
That it can only be seen
By the eyes of the blind
In the middle of the night

I'm not sure about a life after this
God knows I've never been a spiritual man
Baptized by the fire, I wade into the river
That is runnin' to the promised land

In the middle of the night
I go walking in my sleep
Through the desert of truth
To the river so deep
We all end in the ocean
We all start in the streams
We're all carried along
By the river of dreams
In the middle of the night

今日現在、23輪が開花したそう。最高記録を更新中であるが。山桜の種類なので普通の桜より時期が早く。雨が降ったので多分今日が見納め。傘をさし、一人しばらく淡墨桜の前に立つ。幹も枝もほっそりとしていて、まだまだ成長過程にある若い桜のようだ。桜の前で偶然にも今年初めてのほーほけきょうも聞き感激する!あれが鶯かあ?!いつの日か、岐阜の山中にひっそりと幻想的に咲く淡墨桜のように、白く咲き満ちた花が淡墨色に変わっていく様子を見てみたいものだ。

"THE RIVER OF DREAMS" by Billy Joel (1993)より引用


■編集後記

ただ今、「丘ふみ50号記念句集」出版に向けて準備を始めようとしているところです。
賛同者は現在のところ11名。
賛同者が増えればそれだけページ数(つまりは企画コーナーの充実に繋がる)も表紙のグレードも発行部数も増えて行きます。
OBの方々にも自薦10句と短文の掲載をお願いいたしますが、現在部員の方はなるだけ参加下さいますようお願い申し上げます。(勿論原稿のみの参加も可です。)
資料官殿及び、喋九厘さん等、掲載したい写真資料などがありましたら、どしどし御提案下さい。
まだ表紙の装丁も写真でいくか、何で行くか、今のところ白紙の状態です。
企画の内容等、詳しくは「丘ふみメール」及び「談話室」にて提案して行きますのでどうぞよろしく。
尚、記念句集は50号が発刊される10月に合わせて上辞したいと考えております。
(文責 中島)


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