*無法投区/初霜月

〜チャルメラは異国の町に冬の虹〜


*星野ジャパン五輪出場記念=葱男



●狐鳴きいちど死にたる球を討つ (新井一塁手・7回表)

●痛打浴び目を覚ましけり尾白鷲 (ダルビッシュ投手・6回裏)

●狩人の木を刈り森を守りけり(宮本主将・7回表)

●凍蜂の一閃の針みごと刺す (星野監督・7回表)

●神遊び直球だけを投じけり (藤川投手・8回裏)

●冬の蝶舞ふは火消しの纏かな (上原投手・9回裏)


日の丸のもとに集った24人の選手達は今、長い戦いをようやく終えて、次の北京までは一旦それぞれのフランチャイズに帰った。
試合後、星野監督は「今のメンバーが来年もしっかりケガなく、いい成績を残して、みんなで行きたいね。」とコメントを残した。

先日行われた北京五輪出場最終予選、野球の素晴らしさをあらためて実感した対韓国、台湾戦だった。
本来は大空の下、原野で行われた「野球」競技も、現在では空調が整備された近代的な屋根付きドームで行われ、以前なら自然環境がもたらす突発的なアクシデントにみまわれたものが、現代ベースボールではその影響を大幅に回避できるようになった。
そのぶん一方では野球本来の姿であったはずの、「勝負の神様」の気まぐれな心を正しく読み取り味方の側に呼び込む霊的な能力や、勝利に対する真剣でガムシャラな情熱といったものが試合に反映されることは少なくなったかもしれない。
現代ベースボールに於いては「勝ち負けは選手個々人の技術、能力の総和である。」という考え方が大勢を占めているようにも見える。

ところで今回、大会の会場となった台湾の野球場は天候に左右される野外球場であった為、グラウンドの不整備という問題も重なって、プレイ上、多くの偶発的なアクシデントにみまわれることになった。
寒さ、イレギュラーバウンド、風の影響等が通常のグラウンドでは予測できない結果を導くことも多かったと思う。
このような時に一番必要なものは「何が起こってもおかしくない」状況に対する不動の精神力と勝利を追い求める純粋な情熱である。
その点、日本選手は次々に起こる偶発的なアクシデントに対しても不屈の闘志を堅持することによって、勝負の綾を自分達の側に呼び込む力があった。
選手達は審判の不安定で不正確な判定にも相手チームのアンフェアなメンバー変更にも、土のグラウンドのトリッキーなイレギュラーバウンドにも冷静さを見失わず、自分達のプレイのみに全神経と魂を注いだ。

今回の代表選手24人が一丸となって戦えたのは、やはり星野監督の力(決断力、統率力)が大きかっただろう。
彼には熱い闘争心と、静かな不動心、選手に対する深い愛情と信頼が備わっていた。
監督胴上げのシーン、すべての選手、コーチ、スタッフの思いが輪の中心にある監督に向かい、天に届けとばかり心をひとつにした光景がその事実を如実に物語っていたと思う。

おめでとうございます、全日本代表の皆さん!

●神等去出や原野に主星のぼりけり






*晩秋みちのく紅葉三昧=資料官

東北新幹線ができて東北は東京から近くなった。名古屋・大阪への時間とほとんど変わらず,東京駅から1本で向かうことができる。仕事の都合で立冬直後の訪問となったが,遅れ勝ちの紅葉には程よく,予報の雨もさほどひどくはなく,ゆっくり徘徊することができた。今回は出張ついでではない純粋な遊びの世界であります。 

●山寺の一段ごとに冬に入る
●はーはあと紅葉の山をともにして
仙山線山寺駅下車,ホームから見上げると立石寺(山寺)の建物が山の上に見える。境内で名物の力こんにゃく(串に玉こんにゃくが3個)を食べて力をつけて約千段の石段に挑む。日頃の不摂生がこたえます。立冬過ぎたみちのく結構厚着して行ったのですが一段上がるごとに冷気が体にひんやりと・・・。冬という極楽へ足を踏み入れたのでありました。







●紅葉から六輛電車現われり
五大堂からの展望は息を呑むほど。秋から冬に移ろう周囲の山の姿が目の前に展開される。眼下には仙山線の線路と山寺駅が見え,時刻表で電車の通過時間を確認。遅れることなく,一時間に一本の快速電車が紅葉の中から軽快に飛び出してきた。鉄橋を渡るリズミカルな音が山の上にも伝わってくる。
私のカメラは紅葉よりも電車を追いかける。



●山寺をふと振り向けば柿すだれ
下山して山寺駅に向かう道すがら,ふと山寺を振り返ると近くの家の軒に柿すだれ。

●青葉城はや黄昏て秋時雨
明るいうちに仙台市に戻りループル仙台という循環する観光バスで青葉城址へ向かう。雨はやまず傘をさして伊達政宗の像をチラッと見て戻る。早くも16時台には薄暗くなってきた。

●朝寒の瑞巌寺の間独り占め
仙台の筑肥線のような仙石線に乗って松島海岸へ。8時開門の瑞巌寺には7時台に到着して開門を待つが,観光客が姿を見せず静寂そのもの。広い境内や建物の中を独り占めして参拝した。瑞巌寺の杉並木を抜けて松島観光の遊覧船に向かう。この頃から観光客が姿を見せるが,まだ雨はあがらず。



ああ松島や松島や

●着ぶくれのこけし工人の笑顔かな
伝統こけしの産地の鳴子温泉は東北本線小牛田駅から陸羽東線に乗り換えて約一時間のところ。昭和47年にシャベ栗さんや濱地さんと北海道旅行の行き帰りに出かけた思い出のライン。当時はまだまだ蒸気機関車が健在であった。
その時お邪魔したこけし工人の方々はまだお元気でして,快く迎えてくれた。35年前にトラックに乗せてくれたお礼に送った蒸気機関車のパネルをまだ飾っていてくれていたのには驚いた。その写真はこの9月に門司港での鉄道写真展において出品した一つであった。



陸奥は遥かなれども夢にまでこころの山々こころのこけし  深沢要

●新蕎麦や小雨まじりの湯のかおり
●栗団子抱えてひざの温もりぬ


かごんま日記:"The Rain Must Fall"= スライトリ・マッド

2007年11月20日(火)

*ボンジュール地球の裏へ冬の旅
I can see it in your stars
Life is so exciting
Acting so bizarre
Your world is so inviting
Playing really cool
And looking so mysterious - honey
Your every day is full of sunshine
But into every life a little rain must fall
No problem
Uh, be cool now

今朝の新聞に、パリのセーブル美術館で始まる「薩摩焼パリ伝統美展」の開幕にあわせ、鹿児島空港から全日空のチャーター便で321人が出発したとの記事が載っていた。関係者と一般ツアー客だ。顔ぶれをみると鹿児島経済同友会代表幹事、県知事、市長、県議会議長、京セラ名誉会長などおエライ方々がずらり。京セラの会長、稲盛さんは家の近くの西田小出身だ。
なんでも予算が1億2千万円とのこと。不景気な世の中でも、あるところにはあるのね。日仏間の作品の輸送費、保険料、貸出料等など。国宝級の作品となると額が違う。17世紀〜19世紀に作られた国内の薩摩焼の名品121点、ヨーロッパに現存する薩摩焼25点、日本のジャポニズムに影響を受けたヨーロッパの陶磁器約40点などが集められるそうだ。

*手に取りし籠目の透かし白障子
Anyone who imagines
They can blind you with science
Bully you all over
With property and finance
But you have position
To call the shots and name the price - honey
You found success and recognition
But into every life a little rain must fall
Flow John

伝統美展は、薩摩焼が初出品された第2回パリ万博(1867年)から今年が140年目にあたることを記念して、11月20日から2008年2月18日まで仏国立陶磁器美術館(セーブル美術館)で開催される。薩摩焼の歴史は、400年前に遡る。全国制覇を果たした秀吉が大兵を朝鮮に送り込み、当時桃山の爛熟期の茶道ブームで茶器への関心も高いものがあったという。秀吉の死によって戦役が終り、従軍の諸将は帰国にあたり、その文化を持ち帰ろうとし。長州、九州の大名たちは競って陶工を連れ戻り、それぞれの地で、窯を築かせたという。その結果、薩摩焼、萩焼、有田焼、上野焼、高取焼が生まれたわけだ。薩摩藩の場合、島津義弘に連れ帰られた朝鮮陶工たちが鹿児島前之浜に20余名、東市来神之川に10余名、串木野島平に43名、加世田小湊に数名が渡来したと伝えられている。当時としては破格の待遇で手厚い保護を受けたというが、慣れぬ異国の地に根付くまでは、やはり艱難辛苦があっただろう。薩摩焼を改めて眺めてみると多種多様性があることに気付く。古薩摩、白薩摩、黒薩摩、錦手、金襴手などいろいろ。前に、指宿の南楓山窯の籠目透彫という陶芸作品を見たことがあるが、その繊細さ、優美さに驚いたものだ。絶滅危惧種並みの技術かも。

*冬羽織コマンタレヴとご挨拶
You lead a fairy tale existence
But into every life a little rain must fall
Be cool, ha, kiss kiss

セーブル美術館では歓迎のレセプションが開かれ、一般ツアー客も参加したとのこと。実行委員会のおじさまたちの写真に、ほおと目が行く。羽織と着物だ。大島紬を着てちゃっかり宣伝も兼ねているようだが。しかし、着物はどこに出しても恥ずかしくない優れた日本の文化であると実感。あのおじさまたち、ご自分で着たのかなあ?いいなあ!焼酎、お茶、かるかん、黒糖のサービスをしたり大島紬の着姿体験コーナーなど、鹿児島のPRもしっかりと。頑張れジャポネ!

*"The Rain Must Fall" by QUEEN (1989)より引用


■編集後記

先日送られて来た「めじろ遊俳クラブNo84」の名物コーナー「二六斎の佳味佳味俳俳!」より、とても感動した一文(風央子さんの句に寄せられた鑑賞)を見つけたので、今回の後記とさせて頂きます。
其処には漠然として今まで捉えられなかった、私の道標とするべき俳句観が述べられています。

ちなみに「お刀自」とは祖母様ぐらいの意味で、風央子さんの句は、同じ「め組」の会員の渡辺茉莉花さん(私が東京個展の際に会場をお借りした「スペイン料理文化アカデミー」のオーナーで、スペイン食文化研究家)の、先日亡くなられたお母様の別邸に於いて初めて「め組句会」が開かれた時に出句されたものです。

 『〜中略〜 何かしらのえにしによって集い句会を行う。
その時、その場所、その人への思いを句にしたためる。それがあいさつ句。「存問」というが、それは「お元気でしたか」という心づかいの意。この句はあいさつ句として良く整った句。句形に無理がなく、いい過ぎにならずによく抑制が効いている。
秋雨の季語の本意、本情があますところなく活かされている。語の選択も適切だ。何よりも一句全体に静謐さがある。
選句や自分の句の評価、あるいは月一のイベントへの関心ばかりが先にあると、俳人としての最も大事なことを忘れてしまう。句の優劣や集いへのエネルギーの前に、何のために俳句を作るか、ということを忘れてはいけない。
私達は俳句を通して、命あるすべての物への礼を学んでいるはずだし、自分以外はみな師という事を学んでいるはず。
風央子さんのこの句は、私達によいお手本を示しているのではないか。この句、風央子さんに短冊に墨していただき、渡辺栄子さんの遺影に献句していただきたいものだ。 (二六斎) 』

秋雨やお刀自の留守を灯しけり  風央子


(文責 中島)


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