*無法投区/太郎月*

〜冬惜しむ旅のをちこち草紙かな〜


*土底浜=喋九厘

●しんしんと冬の漁り火土底浜

土底浜(どそこはま)は、信越本線の直江津から新潟に向かって三つ目にある駅です。
近くには谷浜や上下浜の駅名も見えます。

夜明け前、波の音だけの浜に白い雪がしんしんと降り積もります。
冬には珍しい穏やかな波間に漁り火がポツポツと瞬いています。
冬さなかの日本海本線を、山陰、北陸、羽越本線と辿り、冬列車は北上します。
ああ、でも暖冬…

九州も暖かい冬でした。
平成筑豊鉄道の市場駅近く。自給の為の畑でしょうか?暖かい晴天に葱が青々と育っています。
真っ直ぐに天に伸びた葱たちは、まるで青空を支えているようです。
真ん丸の葱坊主は風に揺れ、天をくすぐります。

●葱坊主天をくすぐる冬日かな


*如意ケ獄に登る=葱男

1月14日、晴れ。
暖かい空気に誘われ、日頃の運動不足を一気に解消せむとにわかに思い立って、ひとり吟行に出かけることにした。目的地は大文字山。
玄関を出ると、それまでの曇り空が一転して、見事に冬晴れとなった。
大文字登山道のある銀閣寺道駅へと向かうバスは時を待たずしてやって来る。大変に幸先良し。

銀閣寺の参道でペットボトルのお茶ときんつば二種(芋と黒豆)を買い、いよいよ山道に入る。

途中、路のすぐ傍を、山の水が幾筋もの小さな滝のようになって流れ下っている。
●福水や阿弥陀の籤を下りをり

山路には丸木で作られた簡単な階段が続く。
●冬山路櫻の階に松の階

40分ほどで頂上に着く。
●日脚伸ぶ元健脚の如意ケ獄

大文字焼きの点火台から市井を見下ろすと、折しも高校駅伝のレースの模様が、眼下、白川今出川のあたりに伺えた。
持参したきんつばとお茶でしばしの仙人気分を満喫。
遠く南に霞んで、大阪は北新地のビル群が蜃気楼のように見えている。
冬日和の暖かい午後である。

下りは鹿ケ谷山荘側のけもの道を選んで急な坂を10分ほどで駆け降りた。

霊鑑寺から哲学の道へと続く、東山高台の集落に出る。
●雨降りぬ雨雲遠き冬田道

加茂川に出て河岸を北へ上る。
●千鳥翔ぶ川原結ぶ石として

途中、橋の下にはホームレスの小屋がある。
●クリスマスリース古びし橋の小屋

結局、3時間かけて、自宅のある大宮鞍馬口まで歩いてしまった。
●鼻水や如意ケ獄から大徳寺


*「湯島の白梅」から「ああ上野駅」=資料官

●早咲きの湯島の梅にいい予感
学問の神様菅原道真公を祭る湯島天神には早咲きの梅が2本。松明けの頃にほころび始め,1月半ばセンター入試の頃は思わず見上げるほど白い花をつける。たまたま通りかかった日,全農愛媛の絣のお姉さんが「受験生の皆さん!いい予感です!」と言いながら,「いよかん」を配っているところに遭遇。お守り袋の中に天神様に供えられた「いよかん」が1個入っていました。
2月8日から湯島天神ではうめ祭りが始まりますが,今年で50回目だそうです。

♪♪湯島の白梅♪♪  作詩 佐伯孝夫 作曲 清水保雄
  湯島通れば 想い出す
  お蔦主税の 心意気
  知るや白梅 玉垣に
  残る二人の 影法師

梅


●ああ上野駅から八分寒牡丹
1月17日歌手井沢八郎逝去,享年69歳。昭和39年の「ああ上野駅」が有名です。
集団就職のようなつらい経験とは違いますが,上野駅にはいろいろな思い出があります。
昭和44年10月の高校の修学旅行で夕方の東京見物自由行動で最初に向ったのが上野駅。たしか小林茂幸君と上野駅に東北線・常磐線・高崎線の特急急行を見に一目散。駅のホームを駈けずり回わり,九州では見ることが出来ない急行佐渡や特急ときなどに興奮した記憶があります。
もう一つ,昭和50年春,某金融機関に就職が決まり配属されたのはなんと札幌支店。入社後の東京での研修を終わり札幌に赴任するために,夕方17時ごろ上野駅から,特急はつかりで出発したのが私の「ああ上野駅」でしょうか。深夜に青森駅に到着,青函連絡船に乗って早朝函館着,連絡の特急おおぞらで札幌に着いたのは翌日9時ごろだったと思います。特急列車で出かけたのに,先輩からは何で飛行機で来んのかと言われました。

♪♪ああ上野駅♪♪ 作詞 関口義明 作曲 荒井英一 唄  井沢八郎 
1 どこかに故郷の 香りをのせて
  入る列車の なつかしさ
  上野は俺らの 心の駅だ
  くじけちゃならない 人生が
  あの日ここから 始まった

上野駅


●久々の夫唱婦随や冬ぼたん
●長椅子にじっと座りて冬ぼたん
●身を屈めカメラ向けたり寒牡丹
上野寛永寺横の東照宮は1月から2月に「冬ぼたん展」を開催中。冬ざれた上野の山は白黒の世界ですが,ここだけはあでやかな寒牡丹が藁苞の傘をまとい咲き誇っていた。それぞれの寒牡丹には俳句の木札が添えられてあり,思わず見とれてしまう。ところどころに赤い絨毯の長椅子があり火鉢が一個づつ置かれているので,ゆっくりゆっくり,椅子に腰掛けつつ,花と句を眺めながら,至福の時を過ごすことが出来ました。

「純白は誇りの極み寒牡丹」  鈴木真砂女
「踏み込みし足跡一つ寒牡丹」 山崎ひさお


ぼたん園

●藁苞(わらづと)をあふれて開く寒牡丹
●五重塔見上げて咲くや寒牡丹
●墨色の鐘の響きや寒牡丹


牡丹


●うす紅の夢のまた夢冬牡丹


かごんま日記:「春風」 = スライトリ・マッド

2007年1月18日(木)

そこのつばきにこがくれて
なにをのぞくや、はるのかぜ。
しのぶとすれど、みじろぎに
あかいつばきのはながちる。
きみのこころをきわめんと、
じっともだしてあるみにもにるか、
すなおなはるのかぜかぜ、
あかいえまいがさきにたつ。

*君想ふ紅き咲まいの春隣
今年は暖冬気味で雪をまだ見ていない。風は冷たいが晴れ。今日は午前中着付けのクラスを終え、午後からコーラスだ。自転車の後輪がパンクしていたので、i-Podを聴きながらママチャリを押して行く。平田橋のたもとのトミハラに自転車を預け、急ぎ足で中央公民館へ向かう。1月から新しい曲に入った。よく知られている曲でなく、まだみんなが歌っていない歌に挑戦しようということになった。先週たくさんの曲をピアノの仲さんが弾いてくれ、候補の曲をピックアップした。決まったのは、歌人与謝野晶子の詩に新進気鋭の作曲家寺嶋陸也さんが曲をつけたもの。音取りが始まる。詩集『宇宙と私』からとった「歌はどうして作る」、「山の動く日」、「春風」の三曲。詩も音も難しい。「山の動く日」なんぞ不協和音で始まり、リズムも相当変。みんな怪訝そうな顔。しかし出来上がったらすごくいいものになるかもしれない。

*春近しサカキカズラの実の絹毛
帰りに県立博物館の横を通っていると、入館無料の文字が目に入る。無料、セールの文字に弱い私。一度も入ったことがない。今日は時間に余裕があるので入ってみる。3階建ての古い建物、築数十年は行っている。1階は「冬の使者〜かごしまの水鳥」の展示があった。鶴、鴨、鴫の剥製や写真、かわいいバード・カービングなど様々。へえ、これが百合鴎ね。赤い嘴に足。夏と冬は、色が微妙に変化するそうだ。周りに取り残されたような古い建物に反して中身は結構充実している。鹿児島は霧島山系から南の島まで含むので、動植物の分布も豊富だ。たくさんの昆虫や蝶の標本、魚に鳥に鹿児島特産黒豚くんも。見学者は私のほかは2、3人だ。なんだか申し訳ない感じ。1階の奥に鹿児島の植物のコーナーがあり・・。すると私の目に飛び込んできたものがある。空飛ぶ種子としてサカキカズラの実が展示されていた。風が運ぶ遺伝子だ。そうそう、これこれ!名前が知りたかったの!!実に美しい!!!毎朝散歩する神社の境内やバス通りまで落ちていた。毎日拾ってきては硝子の器に入れ、眺めていたもの。名前がわかってうれしい。

*笑ひ声顔より大き大根引
世界一大きいとギネスにも載っている桜島大根も展示されていた!思わず両手でペチペチと触ってしまう。15キロというから普通の大きさか。ギネスに登録された2003年の最高記録は、31キロ、胴回り119センチというから、お化けダイコだ。ちなみにかごんまでは、大根をダイコと呼ぶ。去年は雨が少なかったため、小ぶりの島大根が多いようだ。桜島大根を収穫したあとの桜島の小学生たちの写真があったが、抱えた大根は顔よりも大きく、笑い声が聞こえてきそうな一枚だった。

*島大根託せし目利き棒の音
形はかぶに似ている。縮れた葉っぱはイソギンチャクのように広がり、濃い緑色。ビタミンCやジアスターゼなどの消化酵素が豊富。
柔らかく甘味があり煮込んでも荷崩れしないそうだ。あんなに大きな大根の中はどうなっているのだろう?よく大根にスが通ると言うが、当たり外れがあるのだろうか?一個大体3000円以上はするし、外れだったらたまらないなあと思っていたら、桜島大根鑑定師がいるとのこと。棒で軽く叩いて、その音で中身が詰まっているとか、空洞があるとかわかるらしい。そういえば城山ストアで空洞のある島大根ということで500円で売られていたのを見たこともあった。スーパーではくし型に切り売りしているのもある。
元が大きいので、切っても充分食べ応えがある。かごんまの友人から桜島大根と白菜をいれてシチューにすると美味しいよと聞いた。よし明日は島大根入りシチューだ。

*「 春風 」作曲者:寺嶋 陸也 作詞者:与謝野 晶子 (2005年7月に初演) より引用


■編集後記
 ついに「丘ふみ游俳倶楽部」も30号を数えることになった。
なんだか、感慨ひとしほである。
近頃は句作が楽しくて楽しくて、一日に何句もできる事が多い。(駄作ばかりだが・・・)
これもひとえに、なんとかかんとか3年間俳句を続けて来たことの賜物であろうか?
たとえ駄作にしても五・七・五がどんどん湧き上がってくるのはそれなりに楽しいものである。

しかし、そのうちすぐにまた、大きな壁にぶち当たるだろうということは、先輩方の経験話から察するにすこぶる明瞭である。
大学の時から40数年、毎日俳句を詠んでおられる「百鳥」の大先輩が仰るのだから間違いない。

一緒にお酒を呑むと、先輩(原田暹氏)はいつもいかにも嬉しそうにこう仰る。 「まだ俳句が分かりません。分からないから面白い。もしもこれがこんなもんだと分かったのなら、今まで俳句を続けてこなかっただろうと思います。分からないから飽きるという事がない。」

最近思うのだが、誰にでもまったく句が作れなくなる時が来る。
しかし、それはよく考えてみると、自分の俳句に対する鑑賞力が上がったからであって、いままで満足してていたものがつまらない句に見えてしまうから、作れなくなってしまうのだ。
だからそれは、考えてみると逆に俳句のステージがワンランクアップしたという事でもある。

近頃つくづく思うのは、俳句とは句を作るという事ではなく、つまりは鑑賞力の事なのかもしれない。

無法投区

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