*無法投区/葉月*

〜水澄みて争いの星真青なり〜


*みちのく一人旅=資料官

盛岡に向かう新幹線に昼過ぎ乗車しました
つかの間の昼寝を堪能し目覚める頃は稲穂が揺れる田んぼの中をひたすら走る
盆も終わり,台風も一つ二つ通り過ぎれば,さぞかし涼しいかと期待するも
まだまだ夏が居座る盛岡の街
さすが朝晩は涼しく,早朝の不来方城を歩くとたいへん涼しい
南部富士こと岩手山が彼方に良く見える

●不来方城寝呆けた顔に秋の風

●城跡の芙蓉の彼方南部富士

●北上川夏の終わりの流れかな

●朝日さす石割桜や残暑かな

●岩手山よりあらはれてこまち着


*秋の蝶句=五六二三齋

前回、夏の蝶を題材に無法投区部門に寄稿しました。その後、採った蝶題材の句です 。現在97種まで到達!あと一息で100種達成です。

ゴマシジミ
瑠璃色の表面にゴマのような黒い斑点のある蝶です。8月11日に久住の地蔵原でよ うやく採集しました。この蝶の幼虫は体から甘い蜜を出します。クシケアリの親はそ の甘い蜜の虜になってしまい、幼虫を自分の巣に連れて行きます。そこで、何と、ゴ マシジミの幼虫はクシケアリの子を食べてしまうのです。甘い誘いに乗ってはダメだ というお話!
●蟻の子や親のはまりし甘き罠

シルビアシジミ
小さな瑠璃色をしたシジミチョウです。シルビア色からきています。8月27日佐賀 県呼子の名護屋城の陣跡で採りました。今は陣跡は草に覆われて、主人はこの蝶だけ でした。
●シルビアの秋蝶主人(あるじ)館跡


*伝聞の伝聞で終わらせてはならない60年前の悲劇=久郎兎

●炎天に 脊振越しの きのこ雲
福岡市雑餉隈(その頃は筑紫郡)からも長崎の原爆のきのこ雲が見えたそうです。高さは10キロくらいになったと言われているので、そうかも知れない。広島のあとだから、噂は次々に恐怖を生んでいったのではないかなあ。うちの祖母さんは、渡辺鉄工所があるけん、次は福岡バイと噂になっとった、と言ってた。

●あの朝は 川さえ凪ぎし T字橋
広島の爆撃目標はT字の相生橋でした。実験としての原爆投下は成功なのでありましょう。雲もなく爆発情況もビデオに収められています。森元先生の被爆の話は聞いたことがありますが、小川先生も広島の江波にいたということを聞いています。お元気にお暮らしでありましょうか。

●浦上の 何故にの鐘の音 聞こえぬか
長崎は爆撃目標地点をはずしたかに思われますが、その時、目標地点の長崎県庁付近は雲に覆われていました。当初の目標の小倉も雲だったように仕方ないと考えたのか、少し北に位置する晴れていた浦上に投下となったようです。現在の平和祈念像がある高台は刑務所あと。有無を言わさぬ熱攻撃。

冷静なる実験であったんだな、という思いを強くさせられたのは、原爆のビデオフィルムです。最初の実験のロスアラモスのは地上のみ、広島は距離をおいて飛行機から真横に、長崎は上空斜め45度からきのこ雲の丸いのがはっきりと見とれます。それもカラーフィルムで。投下は目視であったし、雲に邪魔されると映像的にもダメであったのでしょう。個人的な考えだけど、京都が投下目標都市になったのは、街が碁盤の目だったからではないかなあ。被害調査にはもってこいという単純な理由と考えられなくもない。


*かごんま日記:“IS THIS THE WORLD WE CREATED? ”=スライトリ・マッド

8月26日
●秋風や船あかあかと夜すべる
午後7時前、南埠頭よりフェリー屋久島に乗船。と言っても屋久島に向かうのではない。屋久島までは片道4時間もかかる距離だ。今日中に帰って来れない。今日は夏の間だけ運航している2時間の錦江湾納涼クルージング!7時ぴったりに汽笛が鳴り出航。5階建ての大きなフェリー。ビールの入ったケースや幕の内弁当の包みを持ったサラリーマンやOLたちや、肩を寄せ合う若いカップル、夏休みの最後の週末を楽しみに来た家族連れなど、さまざまな人たちでいっぱい。30分もすると太陽が隠れ、夜の世界が降りてくる。だんだん空と海の境目がわからなくなってくる。遠くを通るフェリーにも煌々と灯りがともされ夜の海をすべるように走っている。デッキに立っていると、潮風がシャツの下をくぐり抜け、おへそやわきの下をくすぐられる感じで気持ちいい。

●星月夜赤子の如く島眠る
北は姶良、国分方面、少し暗い。南は喜入の石油基地か。ナトリウム灯のオレンジ色が遠くの水平線上に一列に並んでいる。西には鹿児島中央駅の観覧車のネオンが点滅しながら廻っているのが見える。煌々と光る街のネオン。山の手まで色とりどりの光が広がり、巨大なクリスマスツリーのイルミネーションのよう。東側には、真っ暗な島影が。桜島だ。存在感のある島だが、今はぐっすり眠っている。桟橋付近と海の近くを通る道路の街燈だけが光っている。天空にはベガ、デネブ、アルタイルだろうか?三角形を作って光る。桜島が真っ暗なのには驚いた。

●秋の海波の模様のリフレイン
60万都市に隣接する海にしては比較的きれいと言われる錦江湾。小学校唱歌の「我は海の子」の舞台となったのもここ鹿児島の海だ。約270頭のイルカが生息していると言われ、運がいい日にはイルカが泳いでいるのが見られる。今日は残念ながら見なかったが、こんなにうるさいエンジン音を水中に放ち、ごみを船から落としたのでは、さぞや魚たちも迷惑ではないか。海の表面は風が作る無数のさざなみでおおわれ、その下の世界を窺い知ることは出来ない。ふと北埠頭にあるかごしま水族館の黒潮大水槽を思い浮かべる。

●ふるさとやジンベイザメの夢の秋
日本でその大きさベスト5に入るという大水槽に、ジンベイザメが泳ぐ。ジンベイザメはレッドデータブックの絶滅危惧種II類だ。
大人になると全長20メートルにもなるという巨大生物。数年に一度、大きくなってくると水槽に入りきらないので、ジンベイザメが海に帰される。気持ち良さそうに泳いでいるが、君はふるさとの海を覚えているのだろうか?この黒潮大水槽の前に立つと敬虔な気持ちに襲われる。あくまでも魚たちが主役だ。ジンベイザメ、カツオ、マグロ、エイ、名前を知らない小さな魚たち。水槽の奥に海神(わだつみ)がひそんでいるようだ。海の底にいるような感じで、照明を落とした暗いベンチに座り、じっと魚たちを眺めていると、心が静まって落ち着いてくる。私の前世は魚?泳げないけど。

●原爆忌宇宙に浮かぶ蒼き地球(ほし)
目には見えないところにも世界があるのだ!この海面の下にも豊かな生き物たちの世界が広がっているように。またこの平和なニッポンから離れてみたとき、どんな世界があるのかと、デッキの上で考えてみた。今月の遊俳の締め切りが近づいてきたせいもある。60年前に日本は終戦を迎えた。正義の名の下に、非道なことをして多くの人々を苦しめ、また逆に落とされた原爆で今も苦しむ人々がいて・・。そして今日も地球のどこかで毎日戦争に慄き、飢えや病気で死んでいく人たちがいる。非力な自分に何も特別な行動など出来そうにないが、見えないものを想像し感知し考えることは出来るのではないか。そんなこともふと考えた一夜だった。

Just look at all those hungry mouths we have to feed
Take a look at all the suffering we breed
So many lonely faces scattered all around
Searching for what they need
Is this the world we created?
What did we do it for?
Is this the world we invaded
Against the law?
So it seems in the end
Is this what we're all living for today?
The world that we created

You know that every day a helpless child is born
Who needs some loving care inside a happy home
Somewhere a wealthy man is sitting on his throne
Waiting for life to go by

Is this the world we created?
We made it on our own
Is this the world we devastated
Right to the bone?
If there's a God in the sky looking down
What can he think of what we've done
To the world that He created?

*“IS THIS THE WORLD WE CREATED?” by QUEEN(1984)より引用


*戦争と平和/極私的鑑賞=月下村

●遺伝子に玉音の声蓮の花
太平洋戦争(第二次世界大戦)に敗れた時、多くの日本人の心情はどうであったのか?
「神の国」ニッポンがまさか戦さに敗れるとは思ってもいなかったのか?他国の支配に屈するぐらいならば、自決する道を選ぶほうが自然な感情であったのか?屈辱的な仕打ちには耐えられないという、その民族的誇りは、戦中の軍国主義の偏った教育から生まれたものであっただろうが、にも拘わらず、天皇ヒロヒトの声に皆が屈辱に耐え忍ぶことを選んだのは何故だろう?戦後のマッカーサーの駐留植民地統治の下で「リンゴの唄」に希望の光を見出せたのは、「まだ生きられる」という最も単純明解な予見に対する喜びからだったのではないか?。まだ人間宣言をさせられる前、現人神であった天皇の玉の声がラジオから響いた。「耐えがたきを耐え、忍びがたきをしのび〜」。どんな屈辱にも耐えて「生きろ!」と、天皇は宣った。
この言葉の不可侵なる神聖さが、戦後の民主主義教育によって、自分の遺伝子に組み込まれている事を私は感じる。 「誇り」と「命」を天秤に懸けるという教育はこれまでに受けた記憶がない。

●海刻む父の戒名終戦日
海逝かば水漬く屍、山逝かば草生す屍。
戒名は、その後に生き残ったものが死者にたむける、彼の人が、ひとときこの世界に存念した事の証しと意味を与えるものである。
祈涅槃/哀國院海音静聞居士  by 幻月下村信士。

●終戦の焦土に逢ひし父母はるか
焦土の上にも夢があり希望があり戀があり、芸術があった。生まれて来た存在の全ては、父母の思い描いた夢や芸術という、形なき抽象こそが造り出した具象にほかならないとも言える。

●戦争の大罪問ふや花木槿
韓国の国花は木槿である。底紅のおもてにうすきあすなゐろ=月下村。「あすなゐろ」という言葉が「明日な色」の造語であったとしても、木槿の花の底の紅の由縁を省みずに大罪を問う事は冷静さが足りないのではないか?罪は罪であって、大きい小さいは、チャップリンの有名な「独裁者」の台詞を持ち出すまでもない。「原爆を使う事を阻止できるかどうかという問題は、私という個人的な人間の範疇を越えている。」というアインシュタインの考えを、歴史はどう裁くことができるだろう?

●特攻機オブジェの如く敗戦忌
特攻隊の個人個人について、彼等の行為をどう評価するにも私にはその資格がない。
モスリムの自爆をテロリズムだと非難する事は可能だろう。その論拠は学生運動華やかなりし頃の、革命的マルクス主義や中核の学生達を思い起こせば済む事かもしれない。ただ、戦場における自爆は「日露戦争・肉弾三銃士」の欄間が重要有形文化財に指定された、京都の「船岡山温泉」に見られるがごとく曖昧である。
オブジェとは喚起するものであって惹起するものではないというのが職人の正当な考え方だ。

●敗戦を天災のごと語る人
終戦が敗北によって災いに転化するものだとすれば、戦いに勝った側に災いはなかったのだろうか?
今現在のアメリカを見ていると、完全な勝利もありえないし、勝利は人災であり、敗北であるかのようでもある。
敗戦を人災ではなく、天災のごとくに語る老人がいるとすれば、彼の間違いを指摘する事において、残念ながら私は明確な論証を持っていない。
天が人に与えたものには幸いも災いも同時に含まれている、と感じているからだ。
ただ、多民族、多宗教の人間達が綴る、千年続くエルサレムの悲劇と、翻ってカイラス山の深き信仰を比較すれば、災いの人となりが解明できるのかもしれない。

●靖国や戦争責任隠れをり
A級戦犯を祀っている神社というものが靖国神社である。
東京裁判で犯罪者となった罪人をその社に祀り、彼等をも鎮魂するのである。
戦争を美化する為にその神社はあるのだろうか?それとも、あまねく人の魂を鎮めるためにそれはあるのだろうか?
朱に塗り込められた鳥居はこの世とあの世との結界でもあるだろうが、京都の五山の送り火、鳥居型の108の火種の数はまた、人間の煩悩の数でもある。

●夕陽背にグラウンドゼロの赤とんぼ
グラウンドゼロという単語が原爆の爆心地を表す英語表現だと聞いた。
ゼロという概念を考えたインド人は数学に革命的進歩をもたらしたが、現在のIT産業の土台をインドの数学者達が多く支えている事にも深い感慨がある。ゼロという概念には無気味さと空しさがある。漢字の「無」という文字の象形が、神の前で羽飾りを付けて無心に踊っている巫女の姿を描いているのとは対照的である。
死ぬ前に一度でいいから「母なる存在に負われて」夕焼けの赤とんぼを見てみたいものだ。

●わが心平和になりての世界平和
結局、私の心の中にだけ、私の「平和」も私の「戦争」もあるのである。
問題の本質は其処に隠れているのではないか?
たとえば、オードリー・ヘップバーンや黒柳徹子さんが抱いている『心の平和』というものを想像してみる。

■編集後記
戦後60年が経つ。自分の歳を引くと7年、丘ふみ同級生は、戦後すぐに生まれたのだという事が思いしらされる。今回は、おおかたの批判を浴びる事も覚悟の上で、「戦争」に対する自分なりの正直な感じ方(とても思想とか哲学といった、信念のあるものではないが)を『戦争と平和/極私的鑑賞』で述べてみた。
皆さんの反論や意見をお待ちしています。
言論の自由は保証されているはずのこの国だが、「自由に意見を戦わすことの苦手な国民である。」といのが正直なところだろう。「和を以って貴しとなす」という聖徳太子以来の考え方の人がほとんどかもしれない。それが良い事なのか、悪い事なのかは分らない。おそらく、その両方だろうと思う。しかし、そんな日本も今、根底から変わろうとしている。 だから、「古き良き日本を守ろう」などと考えているわけではない。「自分の考えが正しい」などと思ったことはまったくない。大学の哲学科で唯一学んだのがそうであった。「語り得ぬ事については沈黙しなければならない。」(ウィトゲンシュタイン『純粋論理学論考』)
(中島、文責。)

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