*無法投区/皐月・水無月*

〜旅は道づれ 世は情け、だろ!!〜


●初運転 カビ臭き風クーラーの掃除の後のシャワーさわやか=前鰤

(エアコンよりシャ ワーの方が気持ちいい)

*「青葉」とは昔北上(きたかみ)走りけりなんちって!=喋九厘

今から33年前の1972年3月。
山陽新幹線岡山開業の時から、東北は杜の都、青葉城恋唄?の仙台から秋田を結ぶ定期特急「あおば」が誕生しました。
東北本線を北上し、北上から北上線を経由してかまくらの横手に、奥羽本線で秋田へのコースを走っていました。
この特急も東北新幹線の開業を待たずに廃止されています。
また、今年10月のダイヤ改正で、ブルートレインの「彗星」「出雲」「日本海」が廃止されると言うウワサです。

湿気で意識が朦朧とする中、お騒がせの蒸気機関車シリーズに続きまして、 消えて行った名特急の本を作るのもいいなと考えるこの頃です。
神聖なる場所での仕事のハナシ、申し訳ありません。
この夏は新たな出会いを求め、部長のように豪勢には参りませんが、 質素に青春18きっぷの旅を挙行する所存です。

*お帰り!ちゅん部長!=五六二三斎

ちゅん部長のイタリア滞在中に作った句をご披露して、本場の 句に花を添えたいと思います。

●山櫻桃(ゆすらうめ)飛行機はゆく夕日追い
(部長ご夫妻出発の日に、夕日を見ながら詠みました。ヨーロッパ行きの飛行機は夕日 を追って飛んで行きます。)
●いまだ見ぬローマの街や青時雨
(旅立たれて、1週間くらいの頃の句です。)
●イタリアと京都の出会い風青し
(滞在3週間目の頃の句です。)

*葱男の南イタリア吟行=月下村

●一瞬を点描するや芥子の赤=MATERA
●キリストの高き円窓(まどい)に光る夏=LECCE
●幻世の遺跡に沈む夏の夕=NAPOL
●窓の外ヴィーノに死せり五月尽=SORRENTO
●ボナセラを橄欖に告ぐ鐘の韻=ASSISI
●蛍火の昇りて天に北斗星=AREZZO
●夏の霧ピエタの肩を濡らす世に=ROMA

*かごんま日記:" ALL DEAD,ALL DEAD "=スライトリ・マッド

6月28日

* 甲突の川渡り行く夏の蝶
奄美・沖縄は昨日、梅雨明けを宣言。今年の梅雨は空梅雨か。鹿児島の諺に「かわながれが、ねや、ながしゃ、あがらん」というのがある。川流れは、洪水による溺死。『なが』とは、長雨すなわち梅雨。洪水で死者が出るくらい大雨が降らなければ、梅雨はあがらないという意味だ。近くを流れている甲突川。河口までの長さ約25キロに及ぶ二級河川。
甲を突くという勇ましい響きのごとく、昔から暴れ川として知られている。雨が多い日には、水が茶色に変わり、水かさを増し、濁流となって流れる。しかし最近の甲突川は川底がのぞいている。圧倒的に今年は雨が少ない。両岸に雑草が茂り、蝶がひらひらと浅い川を横切っていた。

* 月独り夏のゆふぐれ星を待つ
昔、甲突川に架かる橋に、五つの石橋があった。幕末の天保の改革に成功した薩摩藩は威信を賭けて、インフラ整備の一環として弘化2年(1845年)の新上(しんかん)橋を皮切りに、西田橋、高麗橋、武之橋、玉江橋の順に毎年1つずつ石橋を架けたという。西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎、島津斉彬、竜馬とお竜、平野国臣、ジョン万次郎もみんな渡ったというこれらの石橋!石と石の間にこぼれた雑草の種が芽吹き、花を咲かせ蝶やトンボも止まった。そして名も無き恋人たちもこの石橋の上で愛を交わしてきたのだ。先日の雨の日、橋の上ではカラフルな傘の花が咲き、そして携帯を見ながら微笑む若者たちが歩いていた。空中を飛び交う愛の電波が見えた。

* 梅雨空や恋のメールの翔けめぐる
石橋は、橋のどこかの石を1つでも取ると橋全体が壊れるという言い伝えがあったらしいがその作りは堅牢で、阪神大震災級の大正2年大地震(M7.1)にも崩壊しなかったというから、近世土木技術の粋を集めた傑作であったのだろう。
すごい話だ。しかし残念なことに、1993年8月6日の豪雨で、5つのうち、2つが流失した。あとの3つの石橋も時代にそぐわない橋であるからという理由で、1994〜96年の間に全て解体・撤去された。石橋はほとんど太鼓橋型で、交通機関の発達や交通量の増大に伴い、明治時代の頃、既にフラットにするなど改修が迫られていたという。今はどの橋も、流されない、ぴかぴかしたきれいな橋にとって代わったが、どこにでもあるような橋で、あまり魅力が感じられない。残された写真を見ると、心奪われる感じがするのは、過去に対する単なる郷愁だろうか?木に命があるように、石にも命や感情があるのだとしたら、石橋の石たちはどのような思いを抱いたことだろう?

* 夏河や石橋五つ今はなく
All Dead All Dead
At the rainbow's end
And still I hear her own sweet song
All Dead All Dead
Take me back again
You know my little friend's
All Dead
And gone
All Dead and gone

Her ways are always with me
I wander all the while
But please you must forgive me

I am old but still a child

All Dead All Dead
But I should not grieve
In time it comes to everyone
All Dead All Dead
But in hope I breathe
Of course I don't believe
You're dead And gone
All Dead
And gone

* "ALL DEAD, ALL DEAD" by QUEEN (1977) より引用

●包丁で 十五の因果 先送り=久郎兎

アメリカでは銃、日本では包丁がその主役になっているようだが、身近であるだけに痛ましい限り。今回、東京の板橋の事件が発端で、類似の事件が表沙汰になっているが、死に至らない事件は、多いはず。重傷であっても親は警察に訴えないであろうから。うちも「包丁で刺し殺っそぉ」との脅しはしょっちゅうだが、包丁の先っぽが恐くて親はできん。いざその事態になると、身近にあるのが包丁なのか。ノミやかなづちでと言うのはあまり聞いたことがない。だから主婦のみなさん、手間ではあるが、キッチンの奥の奥に仕舞ってください。お願いします。僕らが育ったころの少し前は、「脱貧乏」だったと思う。そのために、みんな頑張ったはず。祖父母、父母には曲がりなりにも敬いの気持ちがあった。で、僕らから以後は「世間体」というのがあって、大学までは行かなければ、と。父母はそのための協力者に、父母もそれを願った。うちの中2の娘に、中卒だったら、結婚式では、花嫁さんは○○中学校を優秀な成績で卒業されて・・・と言われるんだ。というと、「はずかしいぃ」との返事。でも今はそれをいってくれる仲人さんもいないんだよ、というと安心した顔。でもその恥ずかしいという気持ちが生活を支えてきたところもあったと思う。で、今は「勝ち組、負け組」。勝つ方法に法則はなく、勝ち組にはなれないと感じた子供は好き放題なことをやって、父母は単なる金づるに落ちてしまった。僕らの高校生ぐらいの時の事件で、やむを得ず暴力をふるう父親を殺してしまった、というのがあった。尊属殺人の罪に問われるには余りにもかわいそう、というのがあったのを記憶している。決して昔には逆戻りしたくはないが、なんでもありの拝金主義の世の中で親子のあり方をもう一度考えなくては先々暗いね。でないと、子供を持つ気もなくなってしまう。身内でお互いに罪人ってのは、いただけないし。
2005.06.30

■編集後記
イタリアに一月も旅してどうなんだ、と問われれば、俳句に関しては何の進歩もありませんでした。
発見は多くあったはずなのに、それを佳句に繋げられないところが悔しい。旅の高揚感に酔って、非常に自己満足的な句が多かったかもしれません。
まあ、俳句作るためにイタリアまで出かけた、という訳でもないのですが、俳句でもヨンジャーレ、スケッチでもカイチャーレ、あとは写真でもトッターレでは満足のいく作品はできません。
次号で12回。これで来年の福岡個展のテーマが全部揃います。今から1年、今度はこれまでに一席になったみんなの12句との真剣なコラボが仕事です。

03/MAY/2005(中島、文責。)
無法投区

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