九徳のご主人、鳥政のおやじさん、東寿司、さとや、いずれに尋ねても
まはらじゃわがねじゃでした。
ただし今回は、青森市郊外の「会心」(言うことなしだから言及しません)の他に、
おいしいところを再発見しました。
弘前の「高砂」は一時期、ふつうの蕎麦だっきゃの、になったと思われました。
(詳細レポートさぼり)替わってお兄ちゃんの蕎麦は、機械打ちだけどその分 ねちねちせず、口当たり良く、天ぷらも若者向き衣さくさく、中身はジューシー。博多や関東では食べたことないです。四半世紀前のおいしさを忘れさせられました。
黒石のこみせ通なる雁木造りの商店街に寄って、古道具やを冷かしたことがあります。まさに冷やかしとはこのことで、なーも買わず、よく聞けたもんです。眼鏡をかけた上品な店主に、「お昼なんですけど、近くにおいしいお蕎麦やさんかなんかありませーん?」本当に親身になっておなかすいたんだべかって。車で近くということで、浅瀬石の「ひさお庵」を奨めてくれました。
値段は「会心」より少し高め。手打ちだから、水を切るのに時間がかかるらしく、待たされるのは覚悟。天ぷらもそばも少しべたーっとしています。蕎麦自体は蕎麦っこたっぷり練ってある独特の味。野菜はおいしいし、ツユもきっぱりとしてよかったけど、 魚や海老が冷凍と思われます。
青森のお蕎麦やさんは、車でなければ一杯やりながらがよいのですが、 そうでなくとも、庭や店内の設へにゆったり目をやりながら、豊かな 食事の時間を持てたと納得。どうぞこの夏は青森へ。
*2006年の蝶集め(1)=五六二三斎
2006年の蝶集めシーズンが始まった。昨年は、一昨年までに採集した蝶=67種類から、一挙に117種類にまで増えた。しかし、今年はなかなか新しい蝶は増えない。九州の蝶では珍種しか残っていないこともある。昨年、頑張り過ぎたせいもあるが、6月の土日に雨となることが多かったせいもある。今年、もらった蝶も含めて新種を紹介する。
エゾスジグロチョウ
4月8日(土)に山口県阿東郡の銅(あかがね)鉱山で採集。九州ではなかなかお目にかかれない。スジグロチョウと似ている。モンシロチョウに黒い筋を適度に入れた感じ。
ギフチョウ
4月8日(土)に上記の現場で採り逃がした。2週間後に、同好のM氏が採集。M氏から頂いた。
アゲハチョウを小さく可憐にした蝶。4月8日の当日は15人くらいのマニア(すべておじさん)が同所に集合していた。
●春の蝶舞へば歓喜の声響く
ヒメギフチョウ
6月に神戸のK氏より送られてきた。本種は、関東甲信越より北に分布。前種と住み分けをしている。前種よりやや小型。東北の同好の方の飼育品。
ウスバシロチョウ
同じく、神戸のK氏より頂く。翅が透き通っている。シロチョウ科の仲間ではなく、アゲハチョウ科。氷河期の遺物と言われる。
●透き通る氷河期の翅梅雨の星
フジミドリシジミ
昨年、神戸のK氏を案内して、フジミドリシジミの卵を探しに、九千部山に行った(報告済)。その時、同好のI氏が育てた卵が成虫になったものを頂いた。♂は緑色をしているが、♀であったために、茶色である。
リュウキュウヒメジャノメ
同好のM氏が4月に沖縄に採集旅行に出かけて頂いた。ジャノメチョウは、暗い木陰に生息。
ウラジロミドリシジミ
同好のT氏の案内で、6月18日(日)に日田の山中で初めて採集。T氏は、丘20回生であることが判明した。T氏は、丘の生物部所属。五里さんと同じクラブだが、入れ代わりのために、よく知らない人か?♀を1頭だけ採集。茶色である。
●ナラガシワ高き梢に梅雨の蝶
* 九州そうつく=喋九厘
梅雨の6月、快晴のがばい佐賀と長崎さるく博を、そうついて来ました。
佐賀平野の麦は収穫され、麦ワラ焼きの煙が一帯を覆い、街を呑み込みます。霞んだ夏至の落日が、真西にゆっくりと沈んで行きます。
今頃はもう早苗の水田に変身です。
長崎のブラブラさるくは坂本龍馬のコースを歩きました。
紫陽花の風頭公園、坂本龍馬像の頂きから、長崎の坂道をゆっくりと下るコースです。
長崎さるく博は、特別なパビリオンなどない、歩く博覧会です。
ご存じ長崎の見所に、穴場も含め、地元ガイドが案内してくれます。
10月まで開催なので、一度足を運ばれてはいかがですか?
添付携帯写真は、さるく博期間限定の出島のレストランで出されるメニュー、トルコライスです。
サフランライスにスパゲティ、トンカツの三点セットが特徴です。
眼鏡橋近くの長崎市電の車両がお店の、キッチンせいじのトルコライスが本家で有名です。
こちらはトンカツじゃなくハンバーグでした。
写真手前はミルクセーキですが、液状じゃなくシャーベット状のフラッペとなっております。
長崎のミルクセーキはすべて、こうだそうです。長崎のみとの説明でした。
但し、これと同じミルクセーキか他の飲みものだったか?どこかで見かけたような?
最近は物忘れに自信を持ってます。日本のどこかだったか、海外か?
どなたか、ご存じの方いらっしゃいましたら、教えて下さいな。
スイスのバーゼルでだったような?しかし、ヨーロッパを放浪したのは、もう四半世紀以上前の事。記憶もおぼろ、こうやって曖昧な思い出が増えて行くのでしょう。
世界最高所、5072メートルを走り、チベット自治区ラサまでの青蔵鉄道が全通開業しました。
まだ、私の記録は鉄道最高所3000メートル級。これでも碧い空は半端じゃありませんでした。
新開通の1200キロの区間は4000メートル以上の標高が続くと言いますから、さぞかしの景色でしょう。
いつの日か訪ねてみたいものです。
日本では、長野県のJR小海線、野辺山駅が標高1345メートルで最高所一番です。
脈絡ない話で申し訳ありません。
*六月の雨=資料官
六月の雨には、六月の花咲く
花の姿は変わるけれど
変わらぬ誓いを信じながら
幾つ春を数えても
幾つ秋を数えても
二人で居たい
●丸ビルまで歩いて八分梅雨晴間
(梅雨の合い間の晴れの日はまぶしい。地下鉄乗らず,地下街歩かず,少々暑くとも外を歩く。)
●新幹線ホームに並びビール干す
(熱海へ向かう週末。待ちきれず東京駅で缶ビールを開ける。勤務中の方御免なさいでした。)
●熱海過ぐ下りのぞみのテールライト
(熱海でこだまから降りると後方から待ち構えたようにのぞみ号が通過していく。熱海には追い越し線がないのでのぞみもゆるりゆるりと。)
●はっとしてのぞみの窓の雪解富士
(夏となれば東京から富士山を望むことは難しくなるが,静岡県に入れば新幹線の窓から夏の富士を見ることが出来る。雨上がりの富士は美しい。)
●驟雨去る伊豆急リゾート下田行き
(伊東から伊豆急下田に向かう伊豆急行。夏のエメラルドの海は美しい。海を向きのシートのあるリゾート号は人気の電車。晴れた日には伊豆大島も見える。)
●子つばめや熱海の坂の上の駅
(坂の上にある伊東線来宮〈きのみや〉駅はつばめが住む駅。朝から駅舎の中をつばめの飛び交う姿あり。)
●箱根登山電車の窓の七変化
●あぢさゐもスイッチバックのすれ違ひ
(小田原から箱根強羅に向かう箱根登山鉄道は老舗の登山電車。急勾配を幾度かスイッチバックしながら箱根の山登り。沿線にはあぢさゐの花が植えられてシーズンはライトアップされた幻想的な姿を電車から見ることが出来る。)
●新型の白 ロマンスカーのソーダ水
(箱根からの帰りの定番は小田急ロマンスカー。昨年白いロマンスカー新車が登場。ソーダー水を注文して窓横に置くとすれ違うロマンスカーがソーダ水の中を通る。)
Yumimgの真似かしら
「ソーダ水の中を貨物船が通る 小さなアワも恋のように消えていった」
●をとこ一人ロマンスカーのアイスティー
(変なオジサン展望席に陣取りすれ違う電車を眺めてご満悦)
●六月の雨に姿の変はる花
(なんということもなく小椋佳のまねごと。即興でこういう詩が書ける小椋佳はすばらしい。)
●ネクタイを外せど夏至の深曇り
(クルールビズやっても梅雨のじめじめ蒸し暑い曇りの日は鬱陶しい。しとしとでも肌寒い小雨の中を傘をさして歩く方が心地良いのは緑が生き生きと見えるからだろう。)
* かごんま日記:「われは海の子 」 = スライトリ・マッド
2006年6月23日
われは海の子白浪の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ
「われは海の子」の作詞者は北欧文学者の宮原晃一郎(1882−1945)。彼が10歳まで住んでいた故郷鹿児島の天保山公園の海岸から見える桜島を思い浮かべて作詞したと言われている。国道10号線沿いの祇園之洲公園に「われは海の子」の歌碑が建っている。祇園之洲はザビエル上陸の地でもあるところ。
あいにく今日は雨。用を済ませたあと、傘をさし、防波堤に行ってみる。雨と潮の香りが混じる。海に落ちる無数の雨。天と海とがつながっている。打ち寄せる波と雨の音。フェリーのスクリュー音。晴れている日は山肌が見えるくらい近い桜島だが今日は少し遠くに。フランシスコ・ザビエルが450年前にここを歩いたのか・・。海に来ると心が落ち着く。魚が今日は見えないな。石橋公園が隣接していて、足を伸ばしてみる。江戸末期に造られ甲突川に架かっていたアーチ型の西田橋が13年前の水害のため、取り壊されたが、復元されて残っていた。祇園之洲は島津の別邸、磯の仙巌園にも近く、良いロケーションだ。
*夏の河転調の音を運び来る
6月24日
24、25日の2日間、佐賀市文化会館ホールで全日本おかあさんコーラス九州支部大会が開催され、24日に参加した。82のグループがハーモニーを奏でた。私が昨年から所属している鹿児島のめぐみコーラスは35年前、めぐみ幼稚園の歌の好きなお母さんたちが、起ち上げたグループ。ママさんと言っても女性であればOK。独身の方もいる。男性のいない父兄参観と一緒かな。総勢39名の平均年齢はかなり高いが、皆さんいつまでも音楽を愛し、心は乙女、お茶目、お洒落で、すてき。
毎回発声を指導してくれるYさんは、アマチュアとは言え、かごんまでは知る人ぞ知るオペラの歌い手だ。ハイC(ツェー)もお手の物。「宇宙から息を吸って〜!イエ〜ィ!」と非常にユニークな指導法。もののけ姫の主題歌を歌ったカウンターテナー米良美一もTVで同じことを言っていた。同じ先生に師事してあるようだ。今春のNHKの芸術劇場にYさんご夫妻が出演していたが、ご主人も本業の傍らオペラに出演したりCDを作るほどのセミプロ級。
練習に入る前、身体をほぐす体操を教えてくれるNさんはジャズダンスのインストラクターもしており、娘婿がウィーン・フィルの第一バイオリン奏者。着物でニューイヤーコンサートに行き、あちらのTVに映ったという女性。去年出席した忘年会で、私が彼女の体操を、ふざけてやったら殊の外受けた。以来親しい。メンバーのほとんどは前泊して佐賀入りしていたが、Nさんと私は朝の早い新幹線で向かう。鳥栖でハウステンボス行きのソニックに乗り換え、佐賀までずっとおしゃべり。昼前に到着。最終リハーサル、本番は2時過ぎからだ。佐賀は曇りときどき晴れ。
*弁財天夏の空より微笑みぬ
今回歌ったのは、金子みすゞの詩に小林秀雄氏が曲をつけたもの。「水と影」「光の籠」「さびしいとき」の3曲。みすゞは、山口県の仙崎に生まれ、海を眺めて育った。6年間詩を書いて投稿し、その才能を西條八十に見出されたが、夫の愛と理解を得られず、26歳という若さで自死の道を選ぶ。「光の籠」に出てくる『小鳥』とは、みすゞの姿。二短調のメロディが第3連でテンポがピュ・モッソ(突然速く)に変わる。同時にハ短調へと転調。ドラマチックな展開部。「やぶれるの」「ひろげたら」が畳み掛けるように繰り返される。何度歌っても、ここに来ると必ずゾゾゾと鳥肌が立ち、泣きたくなるような箇所なのだ。クライマックスの終りは焦燥感を表すのかピアノの不協和音。そしてイ短調に移り、静かにゆっくりと「心やさしい小鳥なの」で締めくくる。小さく歌うのだが、決してやさしい感じではない。強い気持ち、ピリピリとした緊張感、やるせないかなしみが込められている。
私はいまね、小鳥なの
夏の木のかげ、光の籠に
みえない誰かに飼はれてて
知ってゐるだけ唄うたふ
私はかはいい小鳥なの
光の籠はやぶれるの
ぱっと翅さへひろげたら
だけど私は、おとなしく
籠に飼はれて唄つてる
心やさしい小鳥なの
*早苗田に入日ゆるりと佐賀平野
無事に3曲歌い終え、笑顔で記念写真を撮り、バスに乗り込む。安堵感!ジャザで仲良しのUさんは隣で既に眠っている。窓の向こうは水を満々とたたえた水田が拡がる。田植えの時期だ。クリーク、一本足のサギ、もうすぐ日も暮れる。私も少し疲れて眠る。宮原のICで休憩を取り高菜ラーメンの夕飯。バスでは座席を移動し、わいわい、おしゃべりしたり、さながら修学旅行の気分。TVが出て来て綾小路公麿ライブを映し始めた。鹿児島の末吉町出身だそう。人を小バカにしたような物言いがいやだなあ!と今まで見たこともなかったが、みんなで見ると涙が出るほど可笑しい。大爆笑の1時間半。9時すぎに鹿児島中央駅西口に到着。「お疲れさま〜いい一日でしたね!」を言い合って解散。
合唱は上手く行ったが、あー、みすゞの詩は暗いなー。おかげで気分もブルーだ。おまけに風邪気味でしんどい。しかし歩いて帰る。夜シベリアン・ハスキーを連れて散歩中か、横断歩道の手前で、べたーっと座り込んでいる犬とおじさん。犬は歩きたくない様子。飼い主のおじさんが、怒りもせず、タバコを吸いながら、気長に待ってる光景が微笑ましかった。
* 「われは海の子」 宮原晃一郎 (1908)
* 「光の籠」 金子みすゞ (1925) より引用
*父の日に寄せて=砂太
私は或る県立高校の保健体育の教員である。五年前に父を亡くした。八十八歳であった。職業柄、毎日若者達と向かい合って生活しているが、中でも保健の授業については、季節や行事の話を織りこんで五分から七分、教科書とは関係のない、プライベートな教養の時間とでもいえるような一刻を持つようにしている。今日は六月の第三週、月曜日である。今週は父の話をしようと思う。
時田則雄氏は、「父の前世あるいは樹木」といい、塚本邦雄氏は、「ひたすらにして父の子我は」と歌った。私は今、「あなたの八十八年とは何」と父に問いかけたいと思う。父は生前「道のおじさん」と呼ばれていた。正しい職業名は道路工手。県道の修理や改善を行う仕事である。それ以前、戦前から終戦にかけては朝鮮の京畿道京城府警察の柔道の教官であった。「粉糠三合あれば養子には行くな」。といわれた時代の、白川家にはいった婿養子である。子供を五人もうけ、戦後の混乱期をその腕一本で凌いでやっと父の仕事は終わった。丁度七十歳の時である。子供達はそれぞれ独立し、家を新築しての萬萬歳の退職である。父の機嫌も良かった。しかし私は今、父が本当に満足していたのか。男子一生の仕事として満ち足りた気持ちでその一生を終えたのか。
それを知りたいと思う。父の内面にはどのような想念が渦を巻いていたのであろう。
一人の老年期にさしかかろうとする男としてそれを知りたいとつくづく思う。このような文章を書いたり、腰折れの短歌を作ったりするのは、多分に父の資質を受けていると感じる私にとって、父の内面は心引かれる覗き眼鏡のようなものである。父とは、子供とは、どうあって欲しく又、どのようになろうと努めるのか・・・。
父の日の前に、生徒達に前出の二首の短歌と、私の駄作を披露して、父の話をするのは父に対する追憶と、感謝と、愛惜の表れであろう。佐々木幸綱氏の秀作に「父として幼き者は見上げ居り願はくば金色の獅子とうつれよ」という一首があるが、私の幼い日、私の目に映った父ははたして金色であったろうか、又現在、心の中に居る父は一体何色といえば良いのか・・・。
追記
前出の二首は
生えているように夕べの野良に立つ 父の前世あるいは樹木 時田則雄
秋盡の若狭は潮の紺青の ひたすらにして父の子われは 塚本邦雄
である。
■編集後記
今回から試みに写真を添付してみた。
どうでしょう?
誌面がちょっとばらついた感じがするかもしれませんが、やはり、視覚イメージから入るほうが文章の内容もより伝わりやすいかもしれません。
もう少し頑張れば、ちっとはましなレイアウトがつくれるかもしれませんが、それは次回からの課題、という事で・・・。
これを機会に皆さんからの写真投稿も受け付けます。
C部門<無法写真館>です。
容量が大きければこちらで調整しますので、およそ1MBまでぐらいのjpgファイルにして投稿して下さい。
規制はありません。成人向けも可です。(こんな事書くから、また顰蹙買うんだなあ・・・(>_<))
(中島、文責。)
無法投区
創刊号
第二号
第三号
第四号
第五号
第六号
第七号
第八号
第九号
第十号
第十一号
第十二号
第十三号
第十四号
第十五号
第十六号
第十七号
第十八号
第十九号
第二十号
第二十一号
第二十二号