*無法投区/皐月*
〜血を吐いて一行を詠む時鳥〜
*花束=砂太
五月の第二日曜日、夜も遅く、夫婦それぞれ寝室にはいっていた。午後十時三十分頃であったろうか。突然、来客のブザーが鳴った。この時間なのにと思いながら二人共玄関に出たが、何と花屋からの届物であった。
赤いカーネーションが十五本
ピンクのカーネーションが十五本
そして添えるように蘭の花数本
の花束である。私が妻に贈った覚えはなく、娘からのものか、とも考えたが、実体は妻の一番下の妹からのものであった。
「まあ、幸ちゃんからですよ」
といわれて、何となく、
「ほうー、可愛いことするなあー」
と答えたのだが、ふと、或ることを思い出してうなずいた。実は、妻と妹は母親が違う。そして、どちらも少女といわれる時代に母を失っているのだ。
「お前を、お母さんと呼びたくなったんだろうよ」
と話したが、何となく可愛くて、少しばかり可哀相でならなかった。早速、電話をして礼をいったが、そのことについてはふれず終いになった。そして再度、花束に添えられたメッセージを読み返してみると、最後に小さく、「お母様へ」と書かれていた。
一昨年の母の日の思い出である。
*不忍の池=喋九厘
●不忍の刻を重ねて薄暑かな
●不忍の命を重ね菖蒲池
5月中旬お池の周りは新緑でも、菖蒲はようやく新しい茎が伸び始め、まだ花芽もこれからの情景です。
たびたびですが、俳句は難しいですね。
菖蒲も冬は根だけが土中に残され、季節が巡りますとまた艶やかな花弁を誇ります。
舞鶴城址などお堀の蓮や睡蓮もそう。桜や紅葉だって冬の枯木から時を追い、変身を続けます。
人とは?生きるとは?
なんちゃって。まっ、いいか!
新聞の花菖蒲便りによりますと、九州各地の菖蒲の名所も南から順に、鹿児島、熊本、佐賀は満開とか。
福岡も6月1日現在三分咲きだそうで、これが発刊の頃には見頃を迎えましょう。
太宰府天満宮の菖蒲池は他所からやや遅れ、6月10日過ぎに見頃らしいです。
心字池周辺の紫陽花との競演を同時に楽しめます。
戒壇院境内の菩提樹の花も6月10日頃、見頃を迎える予定です。
最後になりましたが、御礼と御詫びです。
「高千穂鉄道」本、たくさんの方に応援いただき、誠にありがとうございました。
携帯同報に限りがある為、返信も出さず大変申し訳ありません。
この場をお借りして、多数の御厚情を御礼申し上げます。
*猫売り=月下村
猫はいらんかえ〜
かわいくてさびしんぼうの猫の子はいらんかえ〜
(ふるい猫がございましたら あたらしい猫と交換いたします)
あたらしくてかわいい猫はいらんかえ〜
猫鳴こね屋根の上(へ)の閨(ねや)猫鳴こね
古いものは
猫だろうが 葱だろうが 文体だろうが お払い箱
新しいものは
猫だろうと 携帯だろうと 独立国だろうと 吃驚箱
びっくりくりくりくりっくり
バンジョーを弾きながら
猫売りが唄う声が聞こえる
誰にも止められない 哀しい改革の声が聞こえる
誰にもやめられない 寂しい発展の歌が聞こえる
猫泣こね屋根の上の閨猫泣こね
そのまま死んで この街の 空の 下
*五月連休博多入り=資料官
●のぞみからひかりに乗換え風薫る
(新大阪駅 急がない旅は新大阪駅でのぞみからレイルスターひかりに乗り換える。わずかな時間だが,新大阪駅で関西の薫風に触れ,階段の上り下り。やや広めのシートが心地良い。)
●衣替へ車中に響くそれがくさ
(博多駅 新幹線を降りて博多駅から鹿児島本線の各駅停車に乗り込む。目をつぶっていても,やはりここは博多。少々しゃーしかバッテン,しょんなかタイ。)
●なんということもなく今五月かな
(博多駅前 博多駅前はいつもの「てっ平」で小柳,田中政之,栗原,白水,高木の諸氏と歓談。毎度のこととはいへ,美味しい刺身を満喫しつつ,ワイワイガヤガヤ,博多の夜はふけたのでした。その白水,またしても東京転勤が決まり,丘ふみ23また一段と東京シフト。この頃帰郷していたひまはしも福岡の何処かで酒を飲んでいたという後日談あり。)
●目に若葉東宝満西背振
●焼き餅を食べ大宰府の楠若葉
(太宰府天満宮 父と九州国立博物館の「うるま ちゅら島」を見学。帰りに駅前の喫茶でコーヒーを飲みたがる父を先に行かせて,久し振りの天満宮を参拝。三つの橋を渡って本殿に向って歩くと,楠の若葉がきらきらと眼に優しく映る。池の上には藤の花,その向こうには宝満山。)
●繁二郎の馬も駆けたり薔薇の中
●ふと窓の外にさかりのカキツバタ
●白日傘差す母のかを若く見へ
●薔薇園のベンチでふかすタバコかな
(久留米市石橋文化センター 坂本繁二郎展を見たいと言う父と,馬よりも薔薇の花が見たい母を連れて久留米市へ。美術館の裏の池にはかきつばたがまさに盛り。繁二郎の馬や牛の絵もさながら優しい雲や月が心に残りました。)
●筑後路や線路の左右麦青し
(西鉄大牟田線 小郡−宮の陣間 久留米に向かう西鉄急行電車の外は一面の麦畑。遠くには九千部の山並みが見える。筑後川の鉄橋を渡れば久留米も近い。)
●五月晴れ津屋崎駅を折り返へす
●香椎から香椎へ向かふ風五月
(西鉄宮地嶽線 この線はあと一年で新宮から先が廃止になるとか。最後に乗ったのは何時頃であったろうかと思い返しつつ,香椎から津屋崎に向かう。終点近くなるとひたすら松林の中を横に激しく揺れながら走る。JR香椎からまもなく高架に移る西鉄香椎駅の間は松本清張「点と線」の世界。)
●帰省して新茶みやげに持たされる
(大野城市自宅 たまたまのもらい物の新茶を土産に持たされた。)
●どんたくを避けて博多の雨降らむ
(雨がつきものの博多どんたく。今年は五月晴れのもとで繰り広げられ,連休終わりの6日から天気下り坂となった。まずまずの大型連休。されどどんたくは見に行かず,太宰府や久留米の方を徘徊しておりました。)
* かごんま日記:" THE MIRACLE" = スライトリ・マッド
2006年5月12日
*まどろみの甘さうっとり今年麦
Every drop of rain that falls in Sahara Desert says it all
It's a miracle
All God's creations great and small
The Golden Gate and the Taj Mahal
That's a miracle
Test tube babies being born
Mothers,fathers dead and gone
It's a miracle
近くに住むミセス・ママレードこと宅間のおばちゃんは、お料理上手だ。料理教室の先生もしている。着付け教室の仲間でもあり、よき先輩。「五月は忙しい月なのよ」と彼女。「何がですか?」と私。「味噌を仕込むし、梅仕事もあるの。貴女もやってみたい?」の言葉に私のスイッチが入る。初めての手作り味噌に挑戦!
朝、15キロの丸麦を洗って3時間水に浸した後、1時間アルミの蒸し器で蒸す。蒸しあがると、9枚のもろぶた(昔ついたモチを並べたりした木製の平べったいもの)に蒸した丸麦を広げる。40℃ぐらいまで冷まし、麹菌をまぶす。麹菌とは、緑色のカビなのだ!あと、日に干していたおふとんを(発酵を促すため、本当の布団でビックリ〜もちろん味噌用だが)かけ、寝かす。麦とカビがひそひそおしゃべりしているようだ。あのお家、菌やら真っ黒くろすけやら、不思議なもんがきっと住んでいるに違いない。明日は大豆!大豆6キロを洗ってバケツ3つに入れふやかす。
We're having a miracle on earth
Mother nature does it all for us
Open hearts and surgery
Sunday mornings with a cup of tea
Super powers always fighting
But Mona Lisa just keeps on smiling
It's a miracle it's a miracle it's a miracle
*蒸籠の大豆のまじめ夏始め
一晩水につけた大豆を3時間せいろ蒸しに。飴色に変わった三段重ねの蒸籠だ。蒸籠の下に熱を効率よく伝えるための「へわ」と呼ばれる、大きなドーナツ状のワラでできたものをはさむ。大豆を蒸す甘い香りが通りの角まで漂う。ふたを開けると湯気の中から出番を待つかのように、つやつや光る大豆の粒たち。大豆に性格があるとしたら、健気、まじめとでも言おうか。熱いうちに、餅つき器を使ってペースト状にしていく。3キロの塩と混ぜながら、大きなお団子にして、寝かす。麦は発酵を始め白っぽく変身していく。おふとんかぶって発熱中なのだ。温度を測ると48℃。明日はいよいよ大豆と麦のランデブゥ。
*麦味噌や母の面差し瓶の中
The one thing we're all waiting for is peace on earth - an end to war
It's a miracle we need - the miracle
The miracle we're all waiting for today
If every leaf on every tree could tell a story that would be a miracle
If every child on every street had clothes to wear and food to eat
That's a miracle
If all God's people could be free to live in perfect harmony
It's a miracle
*グラマンや十四の夏に逃げ惑ふ
宅間氏は、14歳のとき、目の前で母親と弟を、昭和20年6月の鹿児島の大空襲で亡くしたそうだ。飲まず食わずで壕で10日間過ごした後、2ヶ月の赤んぼうだった妹を連れ、田舎の叔父さんを頼り世話になったらしい。別の親戚では断られ、助けてくれた親戚の家族には今でも感謝の気持ちを忘れたことがないと彼は言う。
宅間氏は南日本新聞の声の欄に次のように投書しておられる。
「当時内地では、7と8のつく日は、必ず爆弾、焼い弾、機銃攻撃を受けた。特にグラマン機による100メートル真向かいから撃ってくる機銃掃射は恐怖だった。頭上にあるグラマン機のパイロットの不適な笑いを見たときに、完全に制空権を奪われたと思った。アメリカの攻撃はなすがままだった。爆弾で亡くなった当時小学5年生だった弟が、日本の敗戦を予言したことを思い出す。そして広島、長崎で原爆が投下され、多くの犠牲者を出し、8月15日、玉音放送を、涙の中で聞き、そっと母と弟の冥福を祈った。」
*首夏弐十四度と記し味噌に封
The one thing we're all waiting for
Is peace on earth and an end to war
It's a miracle we need - the miracle
The miracle peace on earth and end to war today
That time will come one day you'll see when we can all be friends
発酵して真っ白になった丸麦と塩入り大豆ペーストを餅つき機を使って混ぜる。3時間かけて、味噌瓶に 詰めていった。 空気が入ると黴びるのでギュッギュッと押し込んでいく。瓶の縁を焼酎で消毒し、ぴっちり味噌の表面にプラスチックシートをかけ、塩をのせる。黴びさせないためだ。呼吸できるよう紙のふたをした。ふたに「手造り味噌、H18.5.13、首夏、曇天、24℃、材料:丸麦、国産大豆、天塩、麹、製造者:照子、英子」と墨で記した。2ヶ月熟成させると手造り味噌の出来上がりだ。小さな瓶をもらった。うれしいな!
" THE MIRACLE " by Queen (1989) より引用
■編集後記
小山二六斎先生が主宰する「めじろ遊俳倶楽部」の今月号(66号)に面白い記事を見つけた。
「バッサリ句評」でも少し触れられていた角川春樹氏の読売新聞紙上の一文「解き放て 俳句の呪縛」である。
以下抜粋
『今、私は「俳句」という子規以来の言葉の呪縛から解き放たれ、独立した。「魂の一行詩」という名称を提唱するのも、俳壇外のより多くの人々にアピールするためである。この運動は短詩型の「異種格闘技戦」であるから、詩、短歌、俳句、川柳、それぞれの出身かたがたに是非、「魂の一行詩」のステージに上がられることを望む。』
そして氏の一句
●花あればこの世に詩歌立ち上がる (一行詩人)
また、二六斎先生がその「魂の一行詩」なるものの例を示すようにして採りあげられた川崎展宏の新句集『冬』からは、こんな句が引用されている。
●山茶花のさざんくわと咲きこぼれたる
●千悔万悔憎(にっく)き酒を熱燗に
●痩身の少女鼓(つづみ)のやうに咳(せ)く
●迎への日待つ死のありぬ冬至粥
●仰ぐとは祷(いの)ることなり冬の雁(かり)
結社誌の句会に出席してみて思うのは、習い事としての作句技術を教えんがために、個人のオリジナリティーを圧殺しかねないケースがある事である。
予定調和として高得点を稼ぐことができるようになっても他人を感動させられないならば、それはカラオケで点数を競っている我々庶民の、ストレス解消の姿であって、決してアーティストとしての歌唄いではない、ということだろう。
(中島、文責。)
無法投区
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