*無法投区/霜月*

〜花は葉にたったひとりの老ひ支度〜


●老いて今 八割過去の道すがら 少なき未来になお夢を見る=前鰤

*「過去と未来」鑑賞=月下村

●来世では鯨か冬の金魚かな
●老いて今 八割過去の初冬かな
●現在(いま)は過去今は秋過ぐ心字池
●来し方の吾を吾とて抱締めつ
「花は葉にたったひとりの老ひ支度」とは私の連歌会の同人でもある歌人「弥生 直」女史の句である。
私達は家族というものを持ちながらも究極、たったひとりで老ひ支度をしなければならない。
来世にはチベットで五体倒地の修行をしているのか、ただ一匹の尺取り虫に生まれ変わるのか知らないが、老いて今、あとどのくらい残っているのか分らない寿命を生ききるのは大変に困難な事である。
心が冬の池のように凍てつく事だってあるだろう。しかし、此れから先に起こる事のすべては来し方の由来から必然に導かれる行く末であって、何もかも私個人の霊魂に起因しているのだ。
直さんのように美しい「花」としてこの世界から離れられるとは到底思えないが、苦々しくも改悛の味わいも奥歯に噛み締めながら、魂の純白だけは心に秘めて、少しでも温かい過去と未来の過客となりたいものである。
●葱葱と過ぎ去る白きぬくきもの
●過客なり北山を越す冬の月

*『夢だけは四季ふる里を駆け巡り…』年末ご挨拶=喋九厘

●木枯らしの境に鬼太郎ゲゲゲのゲ
●雲海の切れ目にチラリ夜神楽舞

日向、備中備前、石見出雲に安芸と、晩秋の11月を延べ8日間にあわただしく、車で走りに走って3000キロ余。 来たる次なる日々が過去へと過ぎ去って行きました。 毎度下手な句への言い訳でした…

この一年ありがとうございました。 師走乗り切り、少し早めながら、良いお年を!

●未だ来ぬ新しき年いかように?


*蝶の卵探し=五六二三斎

 11月12日に、某薬品会社研究所時代の同僚だったK氏とフジミドリシジミの卵を探しに九千部山に行きました。K氏とは、8月に阿蘇の兜山というゴマシジミの採れる現場で25年ぶりに再会しました。K氏が蝶採りの趣味があるなんて同僚時代に知らなかったのですが、現場で「えーっ!どうして?」とお互いに嬌声が出ました。
現在、神戸在住のK氏ですが、蝶暦36年!京都大学蝶類研究部の部長もしていたと聞きました。九州のフジミドリシジミを飼育したいとのことで、私に会う用事をつくって?(化学薬品会社の研究所勤務)九州に出張してきました。
 11月12日は福岡の私の同好の友人の銀行部長も同行しました。総勢4人で朝から晩までブナの木の新芽に産みつけられたフジミドリシジミの卵を探しました。福岡の長老のF氏から10個とれたら立派と言われていました。結局、20個見つけました。初めて蝶の卵採りを教えてもらいました。いやー、蝶採りって奥が深いですね。

●少年の夢追ふ五十路(いそじ)ブナ枯葉
●夢のまた向こうに夢や冬の蝶
●少年の夢やブナ林駆けぬ冬


*未来にはマリー・ゴールドてふ我が名=入鈴

 よく行く農家野菜直売店で、今の時期マリー・ゴールドという 花がサービスで配られます。あまり関心のもたれない花の ようで、もって行く人は少ない。私は只って大好きですので、必ず いただいて帰ります。最初は好きな花ではありませんでした。 春菊に似たつきんとした香、けばい橙々、黄色もあるがその黄色 の花のおかげで、ほっとするくらいのオレンジの迫力です。 直径8センチくらいのボンボン型の菊の花。

 八百屋さんとのおつきあいは、かれこれ8年になります。
その花は晩秋にお目見えし、今年のように霜が遅いと12月まで 店先のポリバケツにサービスと張られ、置かれています。
だんだん好きになってきました、この花のことが。
無農薬に近い栽培だから、時々虫が顔を出したり。
 ある日のこと、名前をしみじみ口に出してみました。おめでたい名じゃありませんか。ダヴィンチコードの影響あり?
なんかとてもありがたくなるような、元気いっぱいの名前でしょう?
それで、俳句を作って、おまけに短歌まで。聴いてやって下さい。
マリー・ゴールド賛歌。

 ●未来にはマリー・ゴールドてふ我が名

 ●未来にてわが名にあらむマリー・ゴールド 思ひ廻らし電車待つ


*みちのく一人旅 その二=資料官

●岩間からあふれて懸崖菊見かな
●見る人も紅葉もいろいろありにけり
●くりでんの最後の走り雁渡る

宮城県北部東北本線石越駅から栗駒山方面にむけて走るローカル私鉄くりはら田園鉄道(通称くりでん)は来春廃止が決定。この11月に仙台まで出かけたついでに乗りに行って来ました。まさに,シャベ栗鉄道,名前が実に良い。おしゃべり高校生を乗せて,稲刈りが終わった田んぼの中をコトコトのどかに走る一両編成のテ゛ィーセ゛ルカーでした。)
【参考】宮城県北部,登米市と栗原市を結ぶ25.8Kmの路線「くりはら田園鉄道」(通称くりでん)は大正7年12月15日「栗原軌道株式会社」として発足以来,地域住民の足として,また細倉鉱山の貨物輸送そして栗駒国定公園への観光などで重要な役割を果たしてきました。
 しかし,年々減り続ける乗客数,細倉鉱山の廃鉱などにより欠損補助金助成が打ち切られ廃線の危機に陥ります。が,平成5年12月15日より経営を第三セクターに移管。電化を廃止し平成7年4月1日より「くりはら田園鉄道株式会社」に商号を変更し現在に至っています。 【注】某HPから

●くりでんの赤いライトや始発駅
●くりでんやススキかきわけ山登る
●くりでんを鴉見送る秋の暮れ
●タブレット抱えて走る秋の駅
(列車が交換するときは懐かしいタブレットの交換が行われる。タブレットを抱えた駅員がホームを小走りで駆け抜ける。)
●みちのくや暦どおりの冬来る
(みちのく仙台で立冬を迎えた。折からの寒波到来でみちのくはまさに暦どおりの冬となる。)
●七ツ森西から順にしぐれけり
(仙台市北部の大和町には七ツ森という低い山が七つ並んでいる。寒冷前線の通過で急に暗くなりにわか雨が通り抜けた。)
●月さえて寂しき駅前歩み行く
●青葉通り朝一番の秋時雨
(出張先から朝帰り,仙台駅に歩いて向かう。傘も持たずに運の悪いこと。)
●ぼんやりと車窓に残る秋の虹
(仙台発8時55分の東北新幹線はやて4号の人となりました。ぼんやりとしぐれ模様のみちのくの山並みを眺める。なかなか消えない秋の虹が時速270kmの新幹線と併走していた。10時半には東京着。)
以 上


*かごんま日記:" WE ARE THE CHAMPIONS " = スライトリ・マッド

11月3日
*祭りの音金木犀と雨の香や
今日は文化の日。おはら祭りの日だ。着付けを習っている私の好きな池田先生が、日舞の先生でもあり、おはら節も教えてくれるというので、誘われ、夜の練習会にしばらく参加した。ふだん身体を動かすことは大好きだが、どちらかというと洋物系の動きが好きで、それ以外は興味も縁も無かった。しかし、池田先生のよしみで、鹿児島に来て4年目にして初めて、和物にも挑戦することに。せっかく着付けもやっているのだからと、浴衣を着ての練習。浴衣も自分で着れる!おはら節も踊れる!ようになった。楽しい。今日は博多へ行く日なので、残念ながら本番のおはら節のパレードには参加しない。あいにくのお天気で小雨が降っている。金木犀の甘い香りと雨の匂いが混じった中を、宣伝カーからの浮き立つようなメロディが流れてくる。ひどい降りにならなければよいが。荷物をまとめタクシーを呼び鹿児島中央駅へ。目指すはヤフードーム!

*行く秋や思ひはひとし舞台待ち
11:48鹿児島中央駅発、14:08博多着の新幹線つばめに乗車。駅で買ったエンコ弁当(おにぎり2つとおかずが少し)を食べたら眠くなる。i-Podシャッフルでクィーンとドリカムを聴きながらうつらうつら。今日の午後5時からドームであるクィーンのコンサートに向かっている。クィーンは70〜80年代に活躍した英国の人気ロックバンド。ボーカルのFreddieが87年頃エイズを発症し、亡くなったのが1991年11月24日。1986年の夏のイギリス、ネブワースが最後のコンサート。以来コンサート活動は92年の追悼コンサートまで停止していた。今年の春から、ギターのBrian May, ドラムの Roger Taylor に、ボーカルとしてPaul Rogers ( BAD COMPANY や FREEのボーカリスト)を迎え"RETURN of THE CHAMPIONS" と銘打った世界ツアーを敢行。ベースのJohn Deacon は業界から引退したそう。彼はいつも控えめだったが、いい曲をたくさん作った。ほんまの顔を見られず非常に残念。来日公演は20年ぶり。
博多駅からヤフードーム直行のバスに乗車。一目でわかるクィーンファン。圧倒的に中年族が多い。3時過ぎにドーム入り口に着くと、すでに行列が。パンフレットなどを買い求め、早めに会場に。近くに座った人たちとすぐに仲良しになる。私と同年輩らしき女性2人と1人で来ていた中2の男の子。彼はピアノとギターをやっているという山口のロック少年。外で待っている親御さんに連れて来てもらったとのこと。彼が生まれる前のロック音楽シーンを驚くほどよく知っていた。受け答えもはきはきして、言葉づかいが礼儀正しい子。ポール・マッカートニーのファンでクィーンもリアルタイムで聞いていたという長崎の女性。京都の宇治から来ていたピアノ教師の女性。名古屋のチケットが取れずに博多まで来たのだそう。4人でそれぞれのクィーン熱を語り、胸を高鳴らせながら、ステージが始まるのを待つ。

*冬近しドームを溶かすロックかな
全曲素晴らしかったが、心に残った曲を6つ。
♪SAY IT'S NOT TRUE;
エイズ撲滅を願って作られた歌。Roger がドラムを離れ、ハンドマイクで歌う。彼の声はハスキーだが、昔聖歌隊で歌っていたことがあり、高音もよく出る味のある声。ハンドマイクで歌うのは、Freddie がいた時代にはなかったこと。何だか新鮮な感じ。きれいで悲しい曲。ふとFreddie を思い出す。しみじみとする。
♪LOVE OF MY LIFE;
アコースティックギターを弾きながらBrian が歌うラブバラード。アンセムの1つ、みんなで合唱するのだ。本当にぐっとこみ上げて来る歌。Freddie だったら、最後に I still love you. のつぶやきが入るのにな〜などと考える。
♪LAST HORIZON;
Brian のギターインストゥルメンタル。Brian が階段を駆け上って巨大スクリーンに映る一日の空をバックに、それはそれは美しいメロディラインを奏でる。雲や風や星の空の世界にBrian が溶け込んでいる。まるでミューズの神様が降りてきたよ う。Brian は常に笑顔を絶やさず、優しく繊細で頭がよい。話し方に品性を感じる。ヘアスタイルは30年前と全く変わらず!
♪THESE ARE THE DAYS OF OUR LIVES;
ドラマーの Roger がここでも前に出て歌う。いたずらっぽいクリクリした目は昔のまま。ストレートで竹を割ったような性格。冗談も大好き。昔ふざけてメンバーで女装したPV を製作したが、一番似合っていたのがハンサムガイの彼!ドラムソロの場面でも正確なリズムを刻む。スティック捌きは衰えを感じさせない。スクリーンに30年前の日本公演のときに訪れた日本庭園での野点のシーンが映る。若き日の4人。歌詞と過去のシーンがマッチして思わず涙。けん玉に興じる無精ひげののびたFreddie が何てキュート! カメラがFreddie の手にパンする。長くきれいな指。あの指でピアノを弾いていたんだ。ああ、私はあのスタインウェイになりたかった。
♪RADIO GA GA;
ビデオクリップで見た光景が目の前で起こっている。鳥肌が立った。昔はその映像がファシズム的だと揶揄されたそうだが、これは Freddieが作り上げたスタイル。彼は1人で10万人の気持ちをつかみ、動かした人物だった。みんな、いっしょに楽しもうという気持ちにさせてくれるのだ。たかがロック、されどロック。阿波踊りではないけれど、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃ、そん、そん!
♪BOHEMIAN RHAPSODY;
巨大スクリーン映像のFreddie ボーカル + 生演奏。86年のウェンブリーコンサートでピアノを弾く彼が、"Mama, just killed a man〜"と歌い出す。彼が生きて歌っているような錯覚に陥る。無造作にハサミで切ったべティ・ブ―プのTシャツを着ているFreddie。まるでいたずら少年だ。Freddie の作った曲であるが、クラシックの交響楽のように5つの楽章に構成され、わずか6分にまとめられているというすごさ。オペラコーラスの後ガラリとハードロックに転換するパートで、スモークとともにPaul が登場。ゾクゾクするハイライトシーンだ。彼はFreddie とはやっぱり違うが、彼は彼で、抜群の歌唱力を持っているし、男性的ですてきだった。この曲はやはりロック史上に残る名作だろう。

*秋の夜半笑顔に会えし在りし日の
私はクィーンのメンバーの中では Freddie Mercury が一番好きだ。高い音楽性。知性に裏打ちされたユーモア精神。芸術全般に対する造詣の深さ。ステージに立つと彼自身がアートそのもの。ユニークな生き方をしてきた彼ではあったけれど、世界中の多くの人々にロックという手段で夢や勇気、生きる希望を与えてきた。私のように、彼の死後クィーンファンになった人も少なくない。過去が現在へと続きそして未来へとつながる。私はきっと死ぬまで Freddie が好きだろう。今回のツアーでは現在 Brian 58歳、Roger 56歳、Paul 55歳と、まさにおじさまバンド。しかし、今もなお、クィーンサウンドは健在で、年月を経た分の余裕や重厚さが加わり、いまだにファンを魅了してくれる。大満足の一夜だった。45歳のまま年をとらない Freddie は天国に咲く、千と一本の黄色い水仙の花に囲まれながら、茶目っ気たっぷりのとびきりの笑顔で、またときにはふっと孤独な翳をのぞかせ、歌っているんじゃないだろうか。

I've paid my dues
Time after time
I've done my sentence
But committed no crime
And bad mistakes
I've made a few
I've had my share of sand
Kicked in my face
But I've come through
And I need to go on and on and on and on

We are the champions - my friend
And we'll keep on fighting till the end
We are the champions
We are the champions
No time for losers
'Cause we are the champions of the world

*"WE ARE THE CHAMPIONS" by QUEEN(1977) より引用


■編集後記
●寒苺神籠る山の登山口
砂太先生、僕はこの一句だと睨みました。

初冬の忘年会シーズンを迎えて、私も五六二三斎殿ではないがたびたび「火宅の人」となっている。
胃薬飲み飲みの宴会だが、どうせ、入院でもさせられない限りはやめられないのが酒呑みということなのだろう。 友人達と座を囲んで、様々な話し(それこそ、俳句や絵や映画、音楽と何によらず)実利のない無駄話をする時間が生きている上で一番の至福の時である。
新年には五六二三斎殿とふたり、ふたたび東京に乗り込んで、二六斎と対決して参ります。しかし、こちらも去年までのふたりとはちと違うぞよ!ふたりで天、地、人独占!なんて初夢が正夢になったりして・・なんて、世の中そんなに甘いもんじゃおまへん!
(中島、文責。)

無法投区

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