*無法投区/七夕月*

〜ラヂオからいつちにいさんしい金魚玉〜


*砂太の現代俳句選

「空飛ぶマンタ」:杜 アトム
一、森の扉 平成七年〜十一年
二、孔雀の夜会 平成十二年〜十四年
三、空飛ぶマンタ 平成十五年〜十七年
です。
今回も一、二、三、それぞれ三句づつを紹介します。
 
一、 
落雷の跡のやどり木芽吹きたる
たくましき芽吹きよ赤き荒野より
神の座と崇(あが)むる巌(いわ)や地虫出づ
二、
金閣寺鶯宿梅(おうしゅくばい)の風に酔ふ
みくじ読むあぶり餅屋の春火鉢
暁闇の海胆割る刃先光らする
三、
まんさくの花弁の金糸日に紡ぐ
ストレスのつぼに鍼打つ余寒かな
風ほのと甘き匂ひや地虫出づ


*猫の尻尾=砂太

 昔という程遠い日のことではないが、昭和二十七年頃の話である。福岡県北部の田舎の中学に通学していた私はバレー部に籍を置いていた。夏の合宿のる夜、焼酎を飲んでうとうとしている顧問のK先生に、「明日の御菜は何にしますか?」と聞くと、「猫の尻尾に南瓜の葉っぱ」と大声が返って来た。当時は終戦の混乱が影を残し、喰い物の少ない時代であった。とはいっても、とても喰い物とはいえない「猫の尻尾に南瓜の葉っぱ」には参ってしまったが、部員一同何となく、暖かくて安堵感みたいなものに包まれて、眠ってしまった。
 現在、中学教育の中でこのことを考えると、とうてい許されそうもない事柄が多く見られる。
一、顧問教師が合宿中に酒を飲む。
一、合宿中の食事の計画がない。
一、生徒の質問に真面目に答えていない。
等々出歩。現在のように「べからず集」型の教育が幅を利かせている(生徒にも教師にも)現場では、とんでもない先生だと言わざるを得ないのかも知れない。
 実は私は現場の教員である。五十七歳、残り少ない現場の時間をK先生のように自由でおおらかで楽しいものにしたい、と願っているのだが、そうもいかないようだ。
 偏差値、暴力、偏向、校則、交通、聖職、実に様々な言葉が、それぞれの力で私達に向かって来る。おおらか等という文字は私達の生活にそぐわないかも知れない。と思いながら、今年の夏も又、柔道部の合宿練習を行った。多くの教え子達が指導に駆け付けてくれた。終了後、慰労の会(焼鳥屋で一杯)も行われた。楽しい会であった。これで良いのかも知れないとも思う。
 それにしても、「猫の尻尾に南瓜の葉っぱ」は懐かしい。思い出すだけで心が暖かくなる。当時の悪餓鬼共が集まると、すぐ口に出るのがこの言葉である。私達にとってそれは、念仏みたいなものかもしれない。そうなると、さしずめK先生は、仏様ということになる。ありがたいことである。


*秋の作品展=葱男

表
 
●月月に訪ねてみたき俳句町

9月1日の博多を皮きりに二年振りの個展がスタートする。
今はその最終準備段階でおおわらわだ。
10月は地元京都、11月は東京でみなさんとお目にかかりたい。
どうぞよろしく。<(__)>

DM葉書の最終稿が上がった。 シンプルに、螢草の単衣の付け下げの主袖(右後袖)の部分をレイアウトした。
句はわが「丘ふみ游俳倶楽部」の顧問、白川砂太先生が今月の天位に採ってくださった螢句である。
俳句がテーマの閑静な個展にふさわしい、儚げな感じに仕上がったと思うのだけど、どうでしょう?

一月から十二月までの天位十二句のうちまだ作品化していないお題が五つある。ひゃ〜〜、あとひとつき、う〜〜ん、締め切りが近付かないと頑張れない私、(>_<)
毎回、同じパターンである。


*8月のかを見てやふやく梅雨明けぬ=資料官

●七月や京も博多も街動く
(7月,博多は祇園山笠,京は祇園祭りと街中が動く。梅雨が明けても良い時期であるが,今年は八月の声を聞くまでじめじめした鬱陶しさが続いた。)

●関西で一杯飲まんか鱧の皮
(是非一度は,「関西一杯飲もう会」に参加したいと思いつつ,毎度新大阪を通り過ぎる。今年の秋の丘23の同窓会総会は東京で開催されるらしいがどうなりますやら。)

●ゆふいんの森緑蔭に憩う様
(博多駅のホームに緑の特急「ゆふいんの森」号が進入するとちょっとリッチな気分に。緑蔭で憩うような雰囲気の車内で昼の居眠りを堪能する。列車はいつの間にか久大線を走る。)
電車


●七夕の願ひあふれる駅に立つ
(博多からおおよそ一時間で日田駅到着。降りる人は少々,重たいかばんを抱えてやけに急な階段を上がると,ホーム一面七夕の飾りが,幼稚園児の書いた短冊が風に揺れていた。)

●炎昼の駅前ひとりバスを待つ
(大雨を覚悟して出かけたものの,到着の日から36℃を越す猛暑に見舞われた。くらくらするような暑さと人影のない駅前広場。)

●天領の日田の街ゆく夏帽子
(天領の面影を今に残す日田市豆田町界隈。こんな猛暑の中でも散策する旅行者はちらほら。日が傾き少しはしのぎやすくなってきた。)
日田


●車窓より姿変えゆく雲の峰
(栗原に呼び出されて,博多と佐賀と日田の中間地点久留米でお酒を飲むことにした。仕事が終わり久大線の一両テ゛ィーセ゛ルカーに乗って久留米に向かう。久大線は大分県内では山の中をひたすら走り,福岡県では開けた田園地帯を走る。車窓の入道雲も山並みも姿を変えてゆく。)
雲


●待たされて久留米駅前夏暮れる
(JR久留米駅前の安い飲み屋を知っている奴がなかなか来ない。まだ外は暑いし喉はカラカラ。日も傾き始めてきた駅前で4人が最後の1人を待つ。リレーつばめ号が到着。)

●ほろ酔いの真夏の夢か久大線
(一両編成のテ゛ィーセ゛ルカーにまた乗り込んで日田に戻る。わずか一両ゆえ満員のテ゛ィーセ゛ルカーであったが,浮羽郡に入るとようやく席が空いた。筑後川を渡り大分県に入ったときには乗客はわずか7名。夜明けで1名,光岡で3名下車し,終点日田まで乗っていたのは3名でした。駅前で久留米ラーメンを食べてホテルに戻る。)

●炎昼やそこのコンビニまで遠し
(ついに最終日は最高気温36.9℃となりました。事務所の道路の向こうのコンビニに行くことすら勇気がいる暑さでした。)

●夏空の筑紫平野の広きかな
(西鉄高速バスで福岡へ向かう。筑後平野の真ん中を走り抜ける時,北に宝満,東に古処山,南は耳納連山,はるか西には背振・天山と広いなあ。)

●全国紙表に日田の暑さかな
(東京に帰って新聞を見たら,一面に日田市最高気温36.9℃とか。むむ)


* おんふるーる=入鈴

オンフルール1
■ おんふるーる夏

救急車、同じペンポンという音。異国での急病は迷惑千万。その地で働く場所を得てるならまだしも。
ただの老後女性のお元気感謝旅なのだ。救いといえば、二人とも少しフランス語を解せるということ。直美はフランス料理の専門誌の編集に携わっていたことがある。しかしそれも30年前の話。
 迂闊だった。食べること、ホテルの部屋の交渉、レンタカーの手続きまではうまく運んだ。そして、医療英語なら大丈夫と心得ていた雪子が、突然の嘔吐と下痢である。フランス人の救急スタッフの英語に対しては、ラングレ ル フランセ メランジェOK?有無を言わさず症状をまくしたて、なんとか乗り切った。
 病室の窓からは海が見えない。名前を知らない広葉樹が生い茂り、海の湿気とは違う風が入ってくる。点滴を終え廊下を歩いて、部屋へ戻る途中噴水をかこんだ広場が見えた。この季節になると、夜8時はまだ明るく、お年寄り達が屈託ない様子で、会話に夢中である。眺めているだけでも気が紛れる。
 九時過ぎすっかり暗くなって、窓際に腰をおろすと、噴水広場のレストランのテラスからであろう、グラスの触れ合う音まで聞こえてくる。
「いいのかもしれない、、、こういうことで終わりというのも。」
 雪子が思ったその時、スーッと光の筋のようなものが、左のよろい戸を掠めた。
そして昆虫の羽音を確かに聞いたような気がした。下のほうからまた、その光の筋はフワフワと上がってきて噴水のほうへ。あのテラスの連中に仲間入りしたいのだろうか。
 「佐和さん、いいかもしれないね。こういうの。」雪子はいつの間にか話しかけていた。ここにもどこにも、もうとっくに佐和はいない。

 おんふるーる遠き蛍や老婦人


オンフルール2
■オンフルール初秋

 救急車が停まっていた。人だかりに入っていこうとする佐和を、直美と雪子は止めようと腕を引っぱる。
「私なんだか知らんふりできなくってさ。」
雪子はそれについて何も言わなかったが、心の中で(なんだか偽善ぽいよ。こんな遠いフランスまで来て、交通事故にあったフランス人に何がしてやれんの?所詮私達は旅行者にすぎないんだよ。何にこれ以上踏み込めるというのか。) 十分、顔には出ていた。
 今夜のホテル探しがうまくいっていないため、少しいらいらしている直美は、「もう一軒当たってみよう。」と モードを切り換えた。
 「ヴザヴェデシャンブル?」佐和と直美は、何回やっても断られている。雪子の語学力では、宿の人のフランス語がよくわからない。佐和は雪子に「交代してよ。」と不機嫌そうだ。
 この街に着いたのは、まだ人通りのほとんどない早朝だった。静かな旧港、同じ塗料で同じように色褪せた舟と建物。雪子はモーパッサンかフローベールの短編に出てきそうな雰囲気を、くんくんかぎまわりたかった。ほかの二人は、 ミシュランガイドに顔をうずめている。一人で街を歩いてきていいかと聞くと、すぐに却下された。 お昼を食べワインで少しのんびりし過ぎて、三人とも油断をしてしまった。今夜の宿を確保するには遅すぎた。 暗くなる前に北へ向かうバスに乗って、大きな港町ル・アーブルで宿をとるのがよいと、サンデイカのきびきびした中年の婦人がすすめる。
 雪子と佐和の間に、ゴロゴロしたものが溜まり始めた頃、直美の山の手言葉が、即断と行動をつぎからつぎへと促す。もっともル・アーヴルの小さなホテルに落ち着くと、ゴロゴロは自然消滅した。
 雪子はバスタブにゆっくりつかりながら、鼻歌を歌っていたらしい。
出てくると、佐和と直美がからかった。翌朝の早いバスで、一人だけキャブールへ行くと言い出した彼女に、気を使っているのかもしれない。二人はエトルタに一緒に行こうと誘ったが、彼女はプルーストを感じたいとか、わけのわからないことを言った。
 24歳、22歳と21歳、40年前の彼女達は、群れても群れなくてもけっこう堂々としていた。
翌朝一人でそうっと起きたつもりの雪子に、佐和は「ほんとに一緒に行こうよ」と呼び止める。

 まだ薄暗い街へ出て、バスターミナルのベンチに座ってみると、少しかたくなだったかと、佐和の声が雪子の耳に残った。


*かごんま日記:" IT'S A BEAUTIFUL DAY "= スライトリ・マッド

2006年7月27日

It's a beautiful day
The sun is shining
I feel good
And no-one's gonna stop me now, oh yeah

*梅漬ける過去と未来の溶け混ざる
今夏は、初めての梅干造りに挑戦した。麦味噌に続くスローフード第二弾だ。私にはミセス・ママレードことご近所のおばちゃん先生がいる。彼女に手取り足取り教えてもらいながら、メモし、携帯で写真を撮り、記録して行った。梅はすべて知り合いのお宅から頂いたもの。傷の無いきれいな黄熟した梅を梅干用に。少し傷のある梅もシロップ用に使える。6月1日に梅仕事開始。梅干し用に5キロの梅、梅酢漬け3キロ、梅シロップ2キロ。梅シロップに入れたグラニュー糖が溶けていく様のなんときれいなこと。しばらく飽きずに眺める。まるで過去と未来が溶けて混ざっていくよう。

*紫蘇を揉む傷の在り処や塩沁みて
梅を塩漬けにし、重石を載せておくと、約2週間後、透明な梅酢があがってくる。カビも来ず、澄んだきれいな白梅酢ができた。葉先が縮れているちりめん紫蘇を手に入れ、洗って、葉っぱをちぎる。ギュギュっと塩で揉む。指に怪我をしていたのだろう、ひりひりと沁みた。紫蘇は、色素と防腐の作用があり、梅に自然の赤の色をつけ、保存性を高めることができる優れもの。揉んだ紫蘇に透明な梅酢を入れると真っ赤に発色。感動の一瞬。手も服も染まる。が楽しい作業。梅漬けした保存瓶に赤紫蘇を入れ、涼しい場所に置き、梅雨明けを待つ。
梅雨とは、文字通り梅の収穫の頃の長雨。かごんまには「梅雨しゃ 雨七日 風七日 日七日」という諺があり、「ながしゃ、あめなんか、かぜなんか、ひなんか」と方言読みをする。雨ばかりではなく風の日も天気のいい日も有るという意味。実際5月26日に梅雨入りして以来、しばらくは、晴れや曇りの日が多かった。しかし今年の梅雨は長引いた。例年13日頃に梅雨明けするのだが、なかなか雨があがらなかった。そしてとうとう、7月22日、記録的豪雨に見舞われ、北薩地方では、人命を奪う痛ましい被害が出てしまう。哀悼。

*土用二郎光と露のめぐみかな
鹿児島では、7月26日にようやく長い梅雨が明けた。土用干しは中国の五行説に由来する。宇宙の間には五行(木、火、土、金、水)に象徴される五気の働きによって、万物が生じ変化するものとして、あらゆる事象を、行、季節、方位、色によって配当したそうだ。それぞれの季節の終りの18日間を土の支配する日とし、土用と呼ぶのだそう。したがって各季節に土用があるが、普通は夏の土用を指すらしい。梅雨の後で、陽射しが強いので、衣類や道具などの虫干しをするのが土用干し。梅を干すのも土用干し。土用入りの日を土用太郎。二日目が土用二郎。三日目が土用三郎。三日三晩、笊に並べ、太陽熱と夜露に交互に当てて、美味しい梅干が出来上がる。塩分10パーセントのヘルシー梅干し。パチパチパチの大成功!

It's a beautiful day
I feel good, I feel right
And no-one, no-one's gonna stop me now
Mama

Sometimes I feel so sad, so sad, so bad
But no-one's gonna stop me now, no-one
It's hopeless - so hopeless to even try

*" IT'S A BEAUTIFUL DAY " by Queen (1995) より引用


 


■編集後記
写真を添付するようになってから、喋九厘さん、入鈴さんと、C部門も徐々に華やかな顔ぶれが増えて参りました。砂太先生もますます頑張って下さっています。
無法投区は皆さんが自由に使っていただけるスペースです。俳句では表現しきれないところをどんな表現形態でも結構ですから、どんどん発表して下さい。 多くの皆さんの投稿をお待ちしております。

(中島、文責。)

無法投区

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