*無法投区/雪待月*

〜鶴来る中島みゆきが唄ひます〜


*砂太の現代俳句選

「空飛ぶマンタ」:杜 アトム

一期 
大阿蘇の影の迫れり夕桜
♯(シャープ)でも♭(フラット)でもなく春の空
歳事記に右脳浸せり朧の夜

二期
地球儀の縦に回らず鳥雲に
深吉野や雲より落つる花の滝
吹き降りの花に走れり石叩き

三期
緋寒桜房で散りゆく波の上
春光や浜に珊瑚のくずあまた
まだ沖に残るサバニや暮遅し

*喋九厘です=喋九厘

皆様
明けましておめでとうございます。
本年もまた一年よろしくお願い申し上げます。

海ならずたたへる水の底までも
清き心は月ぞ照らさむ
(菅原道真公御歌)

第十四番 吉

本年元旦、太宰府天満宮のみくじです。
運勢もまずまずの、穏やかな新年の幕開けでした。
私も5月の誕生日で55歳!ついに50代も後半戦に突入です。
月日の流れの早い事!
もう?まだ?
ゴー!ゴー!走り続けます。

走り続ける皆様にも慶事が多からん事を!


*百鳥 2007年1月号より=葱男

今月号の「百鳥」に葱男句が紹介されたので、転載します。(本文80ページ)

『探鳥‖(2・3・4句欄)ー11月号』 /中條ひびき

CD盤吊られし庭の青ぶどう 中島 葱男

 賑やかな大通りから一筋通りを入ると細い路地に出た。
きれいに掃かれた路地に、赤い防火バケツが家毎に並んでいる。バケツには水がきちんと汲まれている。その通りを抜けると、低い塀越しに葡萄棚が見えた。こんな住宅街に葡萄棚があるなんて、と軽い驚きであった。京都吟行での思い出である。鳥避けのCD盤の銀と青葡萄の対比が鮮明。  

百鳥


*たましひのオレンジ電車や中央線=資料官

おのぼりさんでも東京の国電は色で路線が分かった。遠くからでも横から見ればすぐ分かる。薄グリーンは山手線,黄色は総武線,青は京浜東北線,濃いグリーンは常磐線,そしてオレンジ色は中央線。
秋葉原の万世橋の上に立てば4色の電車を見ることが出来た。
その後,昭和60年に山手線がステンレスの205系に変わってからステンレス電車が幅を利かせてくるようになり,各路線とも新型電車に取って代わられ,残るは中央線だけとなりました。205系,209系はカラーの帯で路線の区別は付くのですが,やはり同じ電車でありました。
その中央線もついに昨年12月から新型E233系が登場。中央線の魂とも言えるオレンジ電車はあと2年で新型電車に入れ替わる運命となりました。


◎たましひのオレンジ電車や初茜
オレンジ電車


**********************

◎ニコライの銀杏落葉の舞ふ駅舎
ニコライ
◎東京は銀杏落葉に埋もれけり


**********************

◎雪乗せて中央特快東京着(18年3月号A部門)
雪の朝




かごんま日記:"SEASIDE RENDEZVOUS" = スライトリ・マッド

2006年12月26日

Seaside whenever you stroll along with me
I'm merely contemplating what you feel inside
Meanwhile I ask you to be my Clementine
You say you will if you could but you can't
I love you madly
Let my imagination run away with you gladly
A brand new angle highly commendable
Seaside rendezvous

*丑紅や山形屋てふ百貨店
今日は丑の日。用があってデパートへ。ついでに口紅が減ってきてたので、新しいものを。口紅はうしの日に求めるのが良いらしい。丑の日は鰻だけじゃないんだな。昔からの言い伝え。寒の紅は色が冴え、質も良いそう。しかし今の世、工場の機械が作るのだから、1年中同じはずだけど・・。どれにしようかな?結局ベージュ系のルージュに。鹿児島にあるデパートは山形屋と三越の二つ。三越は、店員さんや駐車場のおじちゃんのサービスは良いが売場面積が狭いのが難。規模と品揃えの点からみると、山形屋の方が今のところ上だろうか。読み方は「ヤマカタヤ」と濁らない。昔の符牒読みでヤマガタヤをヤマカタヤにしたというのが通説。山形屋はストア部も持っており、市内のあちこちにスーパーがある。

I feel so romantic can we do it again?
Can we do it again sometime I'd like that
Fantastic c'est la vie mesdames et messieurs
And at the peak of the season
The Mediterranean
This time of year it's so fashionable

*ハイカラの好きな殿様実万両
山形屋のロゴマークは丸の中に岩という文字が入る。すなわち岩元家の岩。ルーツをたどると、江戸時代中期の1738年、出羽の国、山形に生まれた初代源衛門が始祖。14歳の頃すでに、仲買人のおじさんたちに混じって山形と京・大阪を往復し、往きは紅花を、帰りには、絹織物や綿・麻の織物などを仕入れて売りさばき、商才に長けた人物であったというから驚きである。ある日、彼は紅花の取引で交流のあった大阪の問屋から耳よりな話を聞く。薩摩の当時の藩主島津重豪が「藩内総ハイカラ政策」を打ち出し、他国から商人を招くというもの。源衛門は満を持して、この機を逃さなかった。一家揃って移住したのが35歳のとき。天保の改革の頃、家督を継いだ三代目善兵衛が岩元姓を名乗ることに。誰でも苗字を持つことは許されなかった時代であるので、もうこの頃には、かなりの資産家だったのだろう。

I feel like dancing in the rain
Can I have a volunteer?
Just keep right on dancing
What a damn jolly good idea
It's such a jollification as a matter of fact
So 'tres charmant' my dear

*節季市石燈籠を曲がる市電かな
山形屋の五代目岩元信兵衛の活躍は目覚ましく、銀行の頭取や衆議院議員を歴任し、百貨店を創設する。しかし大正の初め頃まで鹿児島県一を誇った明治屋には、一歩譲った形であった。現在のいづろ(石燈籠)交差点で、鹿児島の市電は、天文館通りから朝日通りに向かって大きく左に90度カーブしている。「いづろ通」という電停の名前にもなっている「いづろ」は石造りの大きな燈籠。みずほ銀行前に立っている。昔屋久島へ向かう航路標識として使っていたそう。海が昔はもっと近くにあったということかなあ?市電を鹿児島駅まで通すとき、明治屋の真正面を通る案があったが、その通行を嫌って断ったというから残念な話。そうした折に山形屋は自分の所有地を削って線路用地に当て、線路に沿って店を拡張し今に至っている。明治屋はもうない。

Underneath the moonlight
Together we'll sail across the sea
Reminiscing every night
Meantime I ask you to be my Valentine
You say you'd have to tell your daddy if you can
I'll be your Valentino
We'll ride upon an omnibus and then the casino
Get a new facial start a sensational
Seaside rendezvous so adorable
Seaside rendezvous ooh
Seaside rendezvous
Give us a kiss!

"SEASIDE RENDEZVOUS " by QUEEN (1975) より引用


■編集後記
新年、明けましておめでとうございます。

「丘ふみ游俳倶楽部」も来月はもう30号です。
二年半、初めから参加している会員はそろそろ、初心者の第一期を卒業する頃ですね。俳句が本当に面白くなってきたら、なんらかの俳句雑誌を購読、投句するのもひとつの選択かもしれません。
「俳句年鑑」(角川書店)で調べて、これぞと思う俳句雑誌の見本誌を取り寄せてみてはどうでしょう?

それにしても女性陣の上達ぶりには目を見はらせられます。
どんどん眠っている才能が開花しているように思います。僕のもうひとりの先生、「百鳥」の電車さんも言っておられましたが、大抵の場合、女性のほうが素直な分だけ上達は早いそうです。
男は頑固な分だけ、人の言う事を聞かないで、俳句も上手くならないけれど、逆に自分らしさはしっかりと、見失う事がないのが、まあ、取り柄と言えば取り柄でしょうか?
かく言う僕もなかなか、素直な写生句を詠みませんけれど・・・。

それでは今年も着実に、人生の後半戦を、それぞれの句に詠み込んで行きましょうぞ!

無法投区

創刊号 第二号 第三号 第四号 第五号 第六号.新年号 第七号 第八号 第九号 第十号 第十一号 第十二号 第十三号 第十四号 第十五号 第十六号 第十七号 第十八号 第十九号 第二十号 第二十一号 第二十二号 第二十三号 第二十四号 第二十五号 第二十六号 第二十七号 第二十八号