*無法投区/*田草月

〜ほう螢こころの芯に灯ともすや〜


*糸トンボとプレーリー=ひら百合

こちらは五月中旬から夏休み。
家で仕事している夫が横から覗き込んだので、選ばせました。
(いいのかな?こんな事やって)
ふーんというのもありますが、なるほどというのもあって、新鮮でした。

いつもより早く終わって、らくちん。 私の句を知らずに選んでましたが、涙をのんではずしました。

糸トンボ

花


6月2日の庭から写真を2枚
池に産卵中の糸トンボ
再現プレーリーにはfalse indigo (高く伸びたマメ科)と、
ペンステモンが白い花を咲かせてます。手前の大きな葉っぱは、ガガイモ。
これから徐々に黄色い花が多くなります。


*数式と俳句=葱男

博士

「博士の愛した数式」(監督・脚本:小泉堯史、原作:小川洋子、音楽:加古隆)を観て大変に感動し、数学の美しさとは一体どんなものだろうと興味を抱いた僕は、「世にも美しい数学入門」(藤原正彦/小川洋子:筑摩プリマー新書)という本を買って読んでみた。

その本には期待通り、たくさんの美しい数学の公式が素人にも分かりやすいように解説されていて、芥川賞作家の小川洋子が質問する数学に対する視点も面白かったのだが、中でも驚いたのは、「国家の品格」というベストセラーをものした藤原正彦という数学者が、実は作家新田次郎・藤原てい夫妻の次男であり、文学者の両親の間に生まれた人であるということであった。
彼が言うには、日本人数学者が発見した数々の素晴らしい公式群は、俳句等の美的感受性こそがその基盤になっているとして、その著作の中で「実は数学において複雑な数学的現象を一行の数式でピッと統制する美しさと、大自然を五七五という最小の言葉で表現する俳句とは。非常に近いものがありますね。」と書いている。

という訳でなんだか嬉しくなった僕は、数学の美しい記号や概念を使っていくつかの俳句を作ってみることにした。

●彼の世には彼の夜の√夏の月
(※二乗するとー1となる√ー1という数字はiという虚数で表される。)
●石板に残る数式大南風
(※インドの天才数学者ラマヌジャンは貧乏で紙が買えず、石板の汚れを自分の肘で消しながら勉強した。)
●13の階乗ほども夜光虫
(※2の階乗は1×2、3の階乗は1×2×3)
●虚数軸聖五月より詠み初むる
(※虚数iとはイマジナリーナンバーのi。大哲学者にして大数学者のライプニッツは17世紀後半、二乗してー1になる幻の数を「神はいとも崇高にその姿を現した。存在と非存在の間に漂う奇跡的産物」として初めて肯定的にとらえた。)
●夏桜とをかぞへれば零れけり
(※初めて「零:ゼロ」という概念を発見したのはインド人であり、現在、アラビア数字と呼ばれている「1、2、3・・」もインドで生まれたものがアラビア経由でヨーロッパに入ったものである。だから我々がアラビア数字と呼んでいるものは本来の意味としては「インド数字」なのである。なにかがひとつ零れるとゼロになる。)
●青時雨肌に零る自然数
(※自然数は1、2、3・・と無限に続く。ところで自然は無限に続くのだろうか?)
●十薬の二分ほど茶湯にもらひけり
(※加減乗除の除が割算、十分の二は五分の一ですが。)
●夕暮れて友愛数見つからぬまま
(※220と284の関係が友愛数。220の約数1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110を足すと284、284の約数1+2+4+71+142を足すと220となる。これが二つの数字に当てはまるものを友愛数、三つの数字が循環するものは「社交数」という。)


*佐賀平野は麦の秋=資料官

   連休に久しぶりに福岡に帰省したのですが,その時の「門司港レトロの大人の遠足」は栗原さんの写真展紹介に合わせて5月号(No33)にて紹介したので、その残りを6月号(No34)で掲載します。

  ●春の潮引く宮島へ大鳥居 (丘ふみ游俳倶楽部No33投句)
まっすぐ九州入りするのももったいなく、今回は久しぶりに広島で下車。安芸の宮島に春渡る、名物の宮島口うえのの「あなご飯」の弁当を求めて宮島へ。ちょうど干潮の時間にあたり、あの厳島神社の大鳥居の下を歩いてくぐることが出来た。

鳥居

あなご飯は厳島神社を眺めつベンチで食べる。


●ひろでんに揺られ宮島夕かすみ
帰りは宮島口から広電に揺られて広島市内へ戻り、名物お好み焼きを堪能してから、再び新幹線の人となりました。今度はのぞみではなくレイルスターひかりで博多駅に向いました。

広電


●通院の付き添ひ八十八夜かな
一日、母共々父の通院に付き合った。時間差で予約してあった4つの科を順番に回り、結局は一日仕事。待ち時間には部長様にFAXで送っていただいた5月の選句に終始。

●母の日の嫁の手料理圧力鍋
実家には買ったまま一回も使われていない圧力鍋がありました。年寄りには何でも早く軟らかく煮ることが出来る圧力鍋はぴったりの鍋なのです。家内がこれで竹の子の煮物を作って実演したのですが,さてさて役に立っているかどうか。
山本五十六も言っていましたが、「やってみせ 言ってきかせて させてみせほめてやらねば 母は動かじ」ですね。

●母の日や大文字メールも板に付き
母に携帯電話を持たせてはや3年経過。もちろんらくらくフォンですが,すぐに我々が送ったメールを読むことは出来るようになりまして、時々長い返事もくれる。外に出かければ公衆電話を探すことも至難の業の昨今、個人タクシーを呼ぶのにもよく使っているらしい。いまや老人世帯にも携帯電話は必需品です。


●麦秋の野をつらぬきて汽車走る

日没

●佐賀平野右も左も麦の秋
佐賀平野はまさに麦の秋、車窓からは黄色いじゅんたんが目に飛び込んでくる。佐賀までは特急かもめorみどり、そこで唐津線に乗り換え。かっては蒸気機関車も走っていた唐津線であるが,今は2両編成もしくは1両編成のディーゼルカーがことこと西唐津に向って走る。佐賀を出て11月にバルーンフェスタの会場となる加勢川の鉄橋を過ぎると右も左も麦畑。
久保田駅を過ぎて唐津線に入っても右も左も麦畑。名峰天山がぐんぐん近づいてくる。そしてとある田舎駅に到着。

田舎の駅


かごんま日記:" STONE COLD CRAZY"= スライトリ・マッド

2007年5月31日(木)

●たかんなの皮積まれけり明日の風

Sleeping very soundly on a saturday morning I was dreaming I was Al Capone
There's a rumour going round, gotta clear outta town
Yes smelling like a dry fish bone
Here come the law, gonna break down the door, gonna carry me away once more
Never, I never, I never want it any more
Gotta get away from this stone cold floor
Crazy
Stone cold crazy, you know, wooh, ow

鹿児島県の竹林面積は、日本一。タケノコの生産量も全国で第二位。かごんまのタケノコのシーズンは長く、1、2月からモソダケンコ(孟宗竹)が出荷され、コサンダケ(布袋竹)が続く。6月になるとカラダケ(真竹)、続いてデミョダケ(大名竹)が姿を見せる。
殿様が召し上がったのが名前の由来とされるデミョダケは「1デミョ、2コサン、3カラ、4モソ」と言われていて、最高の味と評する人も多い。コサンダケやデミョダケは柔らかくアクもないので、そのままゆがいて食べられ美味。頂き物のタケノコを新聞紙の上で皮を剥きゆがく。親指の爪が痛くなる。タケノコの皮の山ができた。その下の新聞紙のお天気欄がふと目に。明日の風向きが載っていた。北東やや強し。16日から11ヶ月ぶりに桜島の南岳が噴火を始めていて灰が飛んでくるので窓の開閉に注意が必要だ。

●字の消えし石敢當や薄暑光

Rainy afternoon I gotta blow a typhoon and I'm playing on my slide trombone
Anymore, anymore, cannot take it anymore
Gotta get away from this stone cold floor
Crazy
Stone cold crazy, you know, ow, hit 'em on

かごんまの道路を歩いていると、三叉路や突き当たりの場所に、石柱が建っていたり石がはめ込まれていたりする。もともと武士たちが敵の侵入を防ぐため、わざと袋小路や入り組んだ道を作ったと聞いた。文字が読み取れるのもあるが、消えてしまったものも。文字は石敢當(せっかんとう)と彫られている。昔から、道の突き当たりにある家は、悪霊や妖気のような邪悪の風が、右にも左にも折れず真っ直ぐに入ってくるという言い伝えがあるそうだ。そういう悪い風が入ってこないように建てられたのが石敢當。昔の魔除けやまじないの名残なのだ。我が家の二軒先にも、昔の信仰を大切にする風習がまだ残っているのだろう。洒落た造りの家を囲むモダンな塀の下に石敢當がある。

●夏の夕レコード盤のサイド1

Walking down the street, shooting people that I meet
With my rubber tommy water gun
Here come the deputy, he's gonna come and getta me
I gotta get me get up and run
They got the sirens loose
I ran right outta juice
They're gonna put me in a cell, if I can't go to heaven
Will they let me go to hell
Crazy
Stone cold crazy, you know

一番街の中古レコードショップ「モッキンバード」の百円コーナーで、クィーンのデビューアルバム「戦慄の王女」を見つける。LPレコード。34年物の紙ジャケットに40数枚の写真が載っており、一枚一枚見る。フレディ、なんて若いの!!
クィーンマニアとして見逃がすわけには、いかない。というか、百円だし・・。しかし値千金では!?クィーンを知らぬ人にとってはただのゴミなのだろうが・・・。久しぶりにお気に入りの"DOING ALL RIGHT"を聴く。サイド1の2曲目。レコードは両面あったんだ!傷もなく音もきれいだ。満足の一夜である。

* "STONE COLD CRAZY" by QUEEN (1974) より引用


■編集後記
宗匠の講評の中に「平凡な生活臭を離れた感覚、感性にウエイトをおいた詩情」という言葉があった。
「め組」から俳句をスタートした自分にはずっと宗匠の美意識が頭のどこかにへばりついている。
「俳句にもっとも必要なものは詩情である」、とはどんな俳句結社の主宰でも異口同音の答えだろう。季語よりも定型よりも、勿論仮名使いの新旧よりも、俳句にとって「詩情」は絶対である。

ところがその前の「平凡な生活」というところには多くの主宰、結社間に解釈の違いが見える。
例えば、昔は「台所俳句」などと言われた女性の作品が、現代の俳句界を良い意味でも悪い意味でも席巻していることは間違いない事実である。
どこの句会に出席しても、平凡なOLや主婦が、素晴らしくオリジナリティのある生活句をたくさん生み出している。男のサラリーマン俳句にしても然り、である。
逆に、自分の事を棚にあげて言うならば、「平凡なる空想句」は無選のままポイとゴミ箱に捨てられる。また、あまりに真正面から「非凡なる生活」を詠まれてもそれで句の善し悪しを測ることはできない。
そもそも「平凡な生活」なんてものがはたして存在するのだろうか? 個人にとって、それはすべて非凡な個人史に違い無いのだろうから。
単なる思いつきを無理に抽象化しても、いい句が詠めるはずはない。
分ってはいるのだが、とにかくなんでもかんでも抽象化してしまうのが大好きな性分は、これからも全然変わりそうに無い。

俳句を十年勉強すれば「万人が広く浅く共鳴してくれる句」は詠めるようになれるかもしれない。ただ、「たとえひとりであっても、本当に深く共鳴してくれる句」を詠まない者は、何十年俳句を続けても「万人が本当に深く共鳴してくれる句」を詠むことはできないだろう。宗匠の言わんとする事はそういう事なのかもしれない。

という訳でもないのですが、最近は「下手の横好き」路線に転向中の貧血葱であります。

無法投区

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