*無法投区/雪消月*

〜春夕巴水の雲を数へけり〜


*復帰第一弾=久郎兎

A部門
●鮒口に そっと口寄せ 燗冷まし
(葱:燗冷ましは冬かな? 八海山鮒口旨し。)
●駈けし夢 盆景の島 根張り松
(葱:うーん、むずかしいなあ〜、松の根から何を夢見るのかな? 無季句?)

B部門
●白魚は 鯨の君の 舌三寸
(葱:うーん、これまたシュールやね〜!)
●白魚に 投網眩しく 影透かす
(葱:白魚漁は簗だけじゃないの?投網もやるんですか?)
●白魚の 五分を放りて 幸祈る
(葱:五分の魂、でしょうか?冥福を祈ります。)


*梅三句=アイン

●峠越え スピード落とせと 梅の花

●急ぐ中 峠過ぎたと 梅の花

●沈丁花 気づいておくれと 香り増し

お久しぶりです。 佐賀の平野です。
なかなか、句というより苦ばかりで、それでも久しぶりに浮かんだ句です。
応募してみました。

いつも読ませていただいてはいますが、自分ではなかなか時間が、、、、なんて思っています。
それでも、ふっとうかんだら、また、、、。
考えずに詠んでいるので、とてもとても、自分でさえ良い句だなんてことはないですが、それでも、また浮かんだら応募しますね。
これからもよろしくおねがいします。


*雛五句=葱男

三月三日のひな祭りは、亡くなった父と母の結婚記念日でもありました。

まだ元気な頃の母は、この時期になると必ず、瀬戸内のいかなごを炊いて送ってくれたものでした。
毎年送られて来る、このいかなごの釘煮と龍野の大吟醸は、私にとって一番幸せな春到来の報せでした。
いかなごを忘れた年の春、母は専門の病院で診療の結果、老人性アルツハイマーと診断されました。
あれからもう10年の月日が流れました。

●ひひなの日嫁ぐと決めし戀ひの文

●つらいこと忘れなさいな雛の客

●夫の死を覚えずに逝く雛納め

●雛流し母はどこまで行ったやら

●形代におもかげうつす雛(ひいな)かな


*太宰府短信=喋九厘

2月と言うのに4月の陽気が続き、我が家の今冬の灯油消費は一缶を余らせ終わりそうです。
太宰府天満宮の梅たちも早くもピークを過ぎそう。
3月3日には戒壇院前の白木蓮が満開。
これが咲いた一週間後には桜の開花と言われてますので、今年の桜満開は果たして?

3日夜には西鉄電車に冷房が入り、4日未明には蚊が出現。
今年初の血吸われでした。

最後になりましたが、男剣士殿
N署副署長おめでとうございます。


*日々是ゆりゆり=ひら百合

俳句の初心者本を読んでいて「これこれ、」と、得心した文章があったので引用します。

「まあ、初心のうちはせいぜい楽しんでください。
しかし、一生の間ただ楽しむだけだったら、こんな淋しいことはないのだと心得てください。
本当に俳句を愛する人だったら、必ず苦しみの時期が訪れます。一般受けする句を作って句会で点を稼ぐだけでは満足できない時期が来るはずです。
それは自己表現の欲求が起こってきた時です。欲求するにも拘わらず、間接表現の難しさに悩むのですが、苦しみながらも、その苦しみの中にある欣びというものは、楽しみだけだったときよりも遙かに深いものですから、絶対に俳句をやめることはありません。
その時期を乗り越えたとき、その人はもう初心者ではなく、「俳人」と呼ばれるのにふさわしい人になっているでしょう。」 (「初学俳句教室」 林翔 角川 昭和55)

「句会で点を稼ぐ」ってほど稼いでない私ですが、第十号で「死が始め哲学ひもとく春愁い」が一席を頂いたとき、これはまさに点を稼ぐことを狙って作った句であったと、自己嫌悪に陥ったものです。"死が始め"というのは、哲学入門書に書いてあった言葉で、なるほどと思い、句にしました。事実には違いないのですが、まあ私らしくないというか・・・

それから、低迷の暗黒期がいまだに続いているのですが(ってちょっとオーバー)、
いろいろ自分らしさとは何か悩みました。
それについて話し出すと長くなるので、
技術的なことで、最近自分なりに一つ発見。

投句するちょっと前に一応完成した句にして一日置き、
第三者の立場になって、選句者の気分で読み、
(自分が選句するかどうか自問してみる)
と、悪いところが見えてくる、ときがある。

そんなこともうとっくにやってるよって方もいらっしゃるでしょうが。
いつも泥縄でやっていたわたくしの近況でございます。


*2007年 庭の福寿草=資料官

●幸せの黄色あちこち福寿草
旧正月近くの昼下がり新宿御苑を通り抜ける。早くもカンザクラは花をつけ紅白の梅も満開に近い。毎週ここを通り抜けても花の風情が変わる楽しみがある。梅の木の下の福寿草には太陽の光が差し込み黄色の花をあちらこちらに。真上の白木蓮はあと一月後だろうか。

新宿御苑


●影法師行き交う庭に福寿草
写真を撮ろうとすると自分の影が邪魔する。自分の影が入らぬ場所に移っても,花見のお客は次から次へとやって来る。影法師の合間にカメラを向けるが,自分の影法師との記念撮影も良かろうかと1枚。

新宿御苑


●見下ろさず目線低めて福寿草
真上から見下ろしばかりでは失礼。小さな花を撮る時は目線を下げてみるのも良い。

新宿御苑


●福寿草つぼみは十(とお)と母の言ふ
旧正月あけて福岡に帰省した時に,母に新宿御苑の写真を見せると,我が家にも福寿草は咲いており,つぼみが十あると言う。それではと,翌朝カメラを持って福寿草探しに。写真を撮って数えたらなんと十一個のつぼみがあった。玄関脇のやや小ぶりの福寿草。

●猫柳父の禁煙八ヵ月
八十六歳の父が禁煙をしてから早くも八ヵ月を経過。最初は習慣でタバコを探す手が動いたが,最近は別に吸いたいとも思わぬと強がりを言っておった。

●しだれ梅坂の先にも茶屋のあり
前日の飲み会でシャベ栗の曰く,太宰府の梅は今が見ごろだと。それではと,帰京する朝太宰府天満宮まで出かけた。久しぶりの太宰府の梅。太宰府天満宮本殿裏手の梅林を抜けて行くと,もっとも奥まった坂の上に「お石茶屋」が見える。店の横には吉井勇の「太宰府のお石の茶屋にもち食えば 旅の愁いも いつか忘れむ」の歌碑がある。

太宰府

太宰府


かごんま日記:「 マイ・ホーム・タウン」= スライトリ・マッド

2007年2月16日

*魚は氷にをみなは岩に上りけり
友の来訪有り。高校時代の女子テニス部の一人。当初11名のメンバー。卒業後36年の今は地球上のあちこちに住む。空の星になってしまった人も。高校時代から丘女ノートなるものを書いていて、高校卒業後もしばらく交換ノートが続いていた。それぞれ社会や大学に出て、回ってくる頻度が少なくなってきて、いつの間にか来なくなった。途中何度か、復活したものの続かなかった。3年前、有志でやろうという声があがって、それに賛同した7名で、現在またノートを回している。年に1回くらいの実にスローなペース。手元に2、3ヶ月置いてしまう人もいるからである。忘れた頃にやってくる。メールで瞬時にメッセージを送れる時代に、郵便で1年かかってくるというアナログなノート。友人と城山を散策し、桜島を眺め、霧雨の城跡を訪れた。鹿児島中央駅の近くに出来た女性専用の岩盤浴施設「時空の癒」に。天照石という岩に寝転びながら、おしゃべり。身体がポカポカして気持ちいい。

ここはまだ 草がぼうぼう
ここはまだ やぶ蚊がぶんぶん だけど
ここに 町を作ろう
ぼくたちの町 ふるさと
オー オー マイホームタウン
マイホームタウン
オー マイホームタウン
ぼくたちの町 そこは
空の虹がよく似合う
オー マイホームタウン
マイホームタウン
オー マイホームタウン

*ねこじゃら市十一番地たはれ猫
友人のお土産の1つは丘女ノートで、なんと昔のノートがおまけについてきた。あるメンバーの実家から出てきたという茶色に変色したノート。日付を見ると、高校3年の大学受験を数ヵ月後に控えた9月16日〜12月16日までの3ヶ月間と記してある。プレッシャーに押しつぶされそうな頃。自分は何がしたいのか?勉強するしかないね!でも集中できないよ。勉強しても成績伸びないし。恋、死、自殺などの言葉も・・。青臭い稚拙な文章の羅列。今読むと赤面の限り。幼くてぶきっちょででもひたむきで微笑ましい。こんなこと書いたっけ?全く記憶にない。中に「ねこじゃら市の11人」の話が出てくる。
「ねこじゃら市の11人」は当時のNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のあと番組。記憶を紐解くと、ふわふわとしてつかみどころのなかった自分たちを番組のキャラクターに重ねていたようだ。その頃の私たちの夢は、将来誰かがお金を儲けて、南にある無人島を買い、皆で一緒に住むこと。夢の島は買えなかったし、これからも買えそうにないが、このノートの中にあるのかもしれないな。

*少年のふるさと東料峭に
友人との話に出てきたのがゴンザ通り。鹿児島の繁華街天文館の照国表参道のおつきや交番を右に見て、右に入ったアーケード街がピラモール。そのピラモールからいづろ通りまでの青空通りをゴンザ通りと呼ぶ。ゴンザに因んだ名前。1728年冬(江戸時代中期)、藩の御用船「ワカシオ丸」が大阪へ向けて薩摩を出航した。嵐で遭難し、半年間も太平洋を漂流し、翌年の夏、カムチャッカに漂着する。乗組員17人中15人が殺害されたが何故か2人だけが助かる。それがゴンザとソウザ。ゴンザは舵取りの父についてきていた当時10歳の子ども。ソウザは35歳の案内役の商人。何年もかかって首都ペテルスブルグに連れてこられ、ソウザは8年後に亡くなる。ゴンザは、21歳で結核に侵され病死するが、短い期間の内に7冊の著作を残し、初めての日露辞典を編纂した人物。彼は生粋のかごんま人で方言しか知らなかったため、下の例のように日本語が、なんと鹿児島弁で記載されている!ロシア人もゴンザの言葉が普通の日本語でなく難解な方言であったとは知らなかったに違いない。当時の鹿児島の言葉を知ることの出来る貴重な資料でもある。
見知らぬ土地で、望郷の念にかられながら、いつか故郷に帰れることを信じ、精力的に辞書の編纂に尽くした、漂流少年ゴンザに敬意を表したいものだ。

・ オナガ キイェカ = 女子は綺麗(ロシア語の日本語訳)

*「マイホームタウン」作詞:井上ひさし、山元護久、山崎忠昭 作曲:宇野誠一郎 より引用 (1970)


■編集後記
今回も両横綱(夏海、スライトリ・マッド)の句に多くの票が集まった。
一方は節度と品位を保ちながらノーブルに高潔に、一方は天真爛漫に不思議空間を駆けめぐって。
句柄は全く対照的なふたりだが、旺盛なチャレンジ精神と全方位に向かう生新な感覚は共通である。

句の世界には多くの異なった結社があり、異質の才能を持つ俳人達が跋扈している。
ホトトギス、雲母、人間探究派、新興俳句系、自由律、それぞれの分野に素晴らしい詩情と芸術が存在する。
もはや句作の何事にも前後や優劣をつける必要はないだろう。ああだ、こうだも楽しいけれど、俳句とは「詩の傾向」より「座の因縁」とはよく言ったものだ。
ひょっとしたら、「座」が名句を作るのかもね。 

無法投区

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