*無法投区/花残月*

〜忘(ワシ)らりみ命(ヌチイ)ぬ香ばさ弥生尽〜


*九州の風 光・鉄道・微笑みと=喋九厘

門司港レトロ地区の一角、九州鉄道記念館で写真展『九州の風 光・鉄道・微笑みと』を開催中です。
携帯写真で画質が悪いですが、こんな感じです。
どうぞ、よろしくお願い致しま〜す。

5月31日まで。休館日無し
9時〜17時(最終日は正午まで)


九州の風 九州の風


*2007年 大人の遠足=資料官

〜年たけて命なりけり遠足日〜

「大人の遠足」盛りであると思う。花,お庭,お寺を求めて元気な大人は歩き回る。5月1日からシャベ栗写真展が門司港レトロは九州鉄道記念館で始まり,私ども鉄道少年探偵団の諸氏は博多駅に集合して写真展見学を兼ねた門司港レトロ大人の遠足に出発。

●団塊の遠足門司港レトロかな(私ら団塊ではないが語呂合わせ)




4月28日(土)の日本経済新聞土曜版(プラス1)の「訪ねる価値のある駅」の第一位に選ばれた門司港駅。若い女性に混じってレトロなおじさん方の遠足風景がちらほら。




門司港駅を始め周辺の観光施設には「栗原隆司写真展」のポスターが貼られていました。まさにゴールデンウィークの門司港レトロのメインイベント。




写真展風景
テーマは「九州の風 光・鉄道・微笑と」,JR九州20周年祝賀写真展です。
鉄道を取り巻く一瞬の光を逃さずキャッチ,そこには咲き誇る花たちもあり,駅員や女学生の微笑があるのです 九州の鉄道を知り尽くした,シャベ栗ならではの鉄道写真




帰りは,大分発博多行き「特急ソニック」の展望グリーン車に乗車。これぞ大人の遠足の極めつけ。乗客13人中10人がお仲間でした。
●ほほゑみは遠足帰りの展望車

さて,今年の9月には「鉄道少年探偵団」がこの九州鉄道記念館で昭和40年代の蒸気機関車時代の写真展を開催する予定です。


*父の俳句観=葱男

父
実姉達と十才頃の父(1930年代)

 思う所があって、いつも気になりながらずっと果たせていなかった、十数册にも及ぶ父の日記帳を読み始めた。
日記帳といっても、歴史や文学や政治が好きだった父の日記にはプライベートな家庭内の事は何も書かれていない。

父は若い頃は芥川、退職してからは司馬遼太郎のみを師と仰いでいた。いささか極端で偏屈な性向の彼が残した文章を読み、意外にも「俳句」に関する著述が多く残っているのに驚いた。
芥川に憧れ、杜牧の詩を愛し、与謝野晶子の歌を好んだ父の俳句観はというと。

「俳句は第二芸術と云われていた時もあった。僅か十七文字で自分の感じた事を適確に人に伝えることは、極めて困難なことに違いない。
而も伝える丈でなく、その中に美というものを内包しなければならないから、その難しさは並大抵ではない。
このために私の方針としては俳句に必須と云われる季語にこだわらなことをモットーとしたい。人間の心の動きは四季に関係なく生じるものであるし、季語に拘束されていてはその描写が少しでも(葱:文学的表現する形式としては、という意味か?)簡略にすぎるからである。」

正岡子規以前の多くの文学者がそうであったように、父は「小説家」「詩人」「歌人」「脚本家」「俳人」「随筆家」というものになんら区別をつける意味を感じていなかったのだろう。
市井の凡人としては、「自分には文学的才能がある」などと決して錯覚しなかった賢明な父だが、息子の僕から見れば彼の漢詩や和歌、短歌に対する素養や鑑賞力は現代人のそれとは比較にならないほど深いものを感じた。 そんな父の数少ない俳句は、ほとんどが自分が好きで興味を抱いていた同時代人に対する挨拶句(追悼句を含む)である。

【葱男選】

●懸巣鳴く一本杉より暮れにけり (春日八郎 死去)
●おほいなる枯葉は土にかへりけり (イブ・モンタン 死去)
●養殖にあらず香魚の味気品 (中村伸郎氏 死去)
●白牡丹ぽたりと落ちてしづかなり (大乃国 引退)
●大落日一寸先は秋の闇 (ゴルバチョフ 失脚)
●遅咲きの菊に瑞光あふれけり (明仁 皇位につく)
●かぐはしくところを得たり姫小松(松坂慶子 結婚)
●天命を知り矩踰えず名の木枯る (井上靖氏 死去)
●しづけさや慈悲心鳥はもう啼かず (木暮実千代 死去)
●片蔭の旧街道は海に消ゆ (須田克太氏 死去)
●清流や隠者のごとき山椒魚 (井伏鱒二氏 死去)
●従容として枯れにけり君子蘭 (ライシャワー氏 死去)
●春泥を拭ひし靴を揃へけり (中曽根 復活)
●緑陰の湖畔の宿を忘れめや (高峰三枝子 死去)
●散るまでは艶をとどめて冬牡丹 (デートリッヒ コマンドル勲章を授与)
●逝きていま故郷に帰るバラ一輪 (デートリッヒ 死)


そんな父の為に無季俳句を一句。
●「春秋」と遺せり凡夫日記帳  葱


かごんま日記:" WHERE THE SIDEWALK ENDS"= スライトリ・マッド

2007年4月12日

*翅展ぐてふの最後や冩真館
There is a place where the sidewalk ends
And before the street begins,
And there the grass grows soft and white,
And there the sun burns crimson bright,
And there the moon-bird rests from his flight
To cool in the peppermint wind.

田上写真館の前を歩いていたとき、ふと目にとまったものがある。コンクリートの地面に蝶がいた。綺麗。何の蝶だろう?逃げないうちにと携帯写真に撮る。帰って図鑑を調べたらメスのツマグロヒョウモンだった。真ん中に黄色地に黒のマダラすなわち豹紋があり、オレンジ、青、白、黒と色の配列が美しい。ツマグロヒョウモンのツマとは翅の端っこが黒いとい うことかな?よく見ると動かない。葉っぱでくるみ、プランターの花の間に入れてきた。

*青柳やだらり文庫の帯を締め
Let us leave this place where the smoke blows black
And the dark street winds and bends.
Past the pits where the asphalt flowers grow
We shall walk with a walk that is measured and slow,
And watch where the chalk-white arrows go
To the place where the sidewalk ends.

着物用語にも褄(つま)がある。褄とは着物の裾の両端の部分。襟先から褄先までの間。裾引きの着物の褄を手で持ち上げ、歩くことを「褄を取る」と言う。引いては芸者になることも意味するらしい。以前「題名のない音楽会」でバイオリニスト川井郁子と去年デビューした奄美出身のシンガー中(あたり)孝介が「兎追いしかの山〜♪」をやっていた。オーケストラ、バイオリンとのコラボの大舞台だが、アタリ君はいつもながらのTシャツ、ジーンズが、なかなかよかった。川井さんはミセスながら赤の振り袖がよく似合っていて。舞妓さんみたいな裾引きのお引きずりだ。金色の帯を、だらり文庫みたいな感じで締め、ゴージャス。歌もよし、着物もバイオリンもよしの「故郷」だったな。

*satsuma と呼ぶ水菓子やヒース咲く

Yes we'll walk with a walk that is measured and slow,
And we'll go where the chalk-white arrows go,
For the children, they mark, and the children, they know
The place where the sidewalk ends.

イギリスに行ったことはないが、イギリスで、satsuma といえば、薩摩焼か温州みかんをさすのだそう。薩摩焼は頷けるが、どうしてみかんがサツマになるのだろう?つくばに住んでいた頃、バーミンガム出身のロレインが、テーブルのミカンを指して、「これサツーマね。サツーマは日本語でしょ?」と言った。「えー、なんでサツーマなの?」と逆に質問した覚えがある。その由来については当時ロレインも私も知らなかった。生麦事件から薩英戦争に発展したが、その後の賠償交渉が順調に進んだことを祝い、薩摩藩から籠いっぱいのミカンが英国艦隊のユリアラス号に運ばれ、大変喜ばれたとのこと。この説はかなり有力らしい。薩摩焼はローカルのお茶のTVCMに出ている15代沈壽官氏が有名。曽祖父である12代が幕末から明治の頃のパリ、ウィーン万博で、幕府とは別に「薩摩琉球国」として出品し、ヨーロッパで一大ブームを巻き起こしている。中央に阿ず、むしろ背を向け、端っことしての独自のカラーを出した結果かもしれない。薩摩の語源は「さっつま」とも。日本の南の端っこという意味である。

*"WHERE THE SIDEWALK ENDS" by Shel Silverstein (1974) より引用


■編集後記
今月は久しぶりに二六斎宗匠から句評を戴きました。
宗匠の信念であるところの「俳句はあくまでも文学を目指してほしい!」という叱咤激励にはあまりに程遠いのが現状の「丘ふみ倶楽部」ですが、この場所を出発点として俳句というものに初めて興味を持ち、ちゃんと勉強をしたい、と思って下さる方がいれば嬉しい限りです。
(博多には砂太先生の「円」が、東京には宗匠の「め組」がありますから、有志は一度試しに句会というものを経験されるといいと思うのですが・・・。もっと俳句の面白さと深さと怖さが分かると思いますよ。 )
まあ、そうは言っても、多くの男性陣は、そんな時間の余裕を見つけるのはまだまだ困難な状況だとはお察ししますが・・・。

今月の宗匠の評は、本当に俳句の初歩的なところに指導の焦点を当てて、初心者にも分かりやすいように丁寧に解説して下さっています。大変に有り難いことです。さすがの宗匠も「これは多くを期待してもしょうがない。」と諦めの境地に到ったのでしょうか、「愛の鞭」路線からの大いなる転向でした。
いずれにせよ私達の倶楽部に対する大きな愛情を感じて、大変に嬉しく文章を読ませて頂きました。
本来なら、一句あたり幾許かの添削料を払わなければならないのが通例だと胆に命じ、皆さん、御自分の句に対する宗匠の言葉をよく吟味してをちゃんと受け止めるようにして下さい。

 
無法投区

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