*無法投区/常夏月

〜草笛や遊民として生まれ来し〜


*サラリーマン水無月の巻=資料官

1 クールビズ COOL BIZ
 このクールビズは今度防衛大臣になった小池百合子が環境相の時に生み出したという。わが社も6月から9月まで実施することが規則に盛り込まれており定着しているのであろう。こうなればネクタイも夏のスーツも買う気にはならない。もう後何年かすればスーツもネクタイも要らなくなるのでしょうし。せいぜい柄物のボタンダウンシャツを買い求めて通勤しております。
●青水無月ネクタイ外し通う道



2 社内旅行
まだそんなことをやっているのかと言われそうだが,平均年齢が高い当社故か,未だに1泊2日の社内旅行を実施している。
今年はレインボーブリッジからアクアラインを抜けて外房方面に出かけた。このルートは東京で夜遊びしたシャン君さんが夜な夜な高速バスで帰宅するルート。まだ明るいうちにレインボーブリッジを渡り,アクアラインを抜けて海ほたるで一休み。そうしてまだ明るいうちに安房小湊に到着したのです。

●六月や我は海の子海ほたる

●夏の月誕生寺の闇照らしをり

●誕生寺その真上には夏の月

くしくも満月の晩。ホテルの眼下には日蓮の誕生寺の甍が月光を浴びうっすらと輝いていた。深酒せずに早起きして参拝す。

なお,「丘ふみ游俳倶楽部*第十五号(10月号)」に君不去さんの句があります。

●秋日さす小さき湊や誕生寺=君不去 ◎入△前,二,メ=6点 (君:ちょっと観光案内! 安房天津小湊に誕生寺あり,日蓮の生誕地とか。 入:小しで,チサしと読んでいいですよね? 景が目前に出てきます。 メ:田舎の湊町の情景が浮かびます。)



●水無月や安房鴨川の古電車

二日目はゴルフ組み,直帰組み,徘徊組みそれぞれ分かれて行動。せっかく来た房総半島,この機にようやく房総半島のJRを一周完乗できた。安房鴨川から館山間の内房線は特急も走らないローカル線。かって横須賀線を走っていた電車がまだ元気に走っていた。写真の左端113系



3 送別会
6月は人事異動の季節。サラリーマンに決別する先輩の送別会を川(墨田川)向こうの門前仲町で。ここまで来たからにゃ深川不動にお参りせねば罰当たりと,ぐっとビールをこらえて深川不動に富岡八幡まで参拝。ぐるっと歩いてちょっぴりビールが旨かったような気がする。

●深川の不動拝みて暑気払ひ

●夏灯し門前仲町のせんべい屋

●風渉る深川不動へ芒種の日



4 株主総会

6月後半は株主総会のラッシュ。今年は28日がラッシュの日だったような当社も15分でシャンシャンと終わったのでした。

●しゃんしゃんと株主総会六月尽


かごんま日記:「明日」= スライトリ・マッド

2007年6月30日(土)

*白雨来る晶子の歌のリフレイン

明日よ、明日よ、
そなたはわたしの前にあつて
まだ踏まぬ未来の
不可思議の路である。
どんなに苦しい日にも、わたしは
そなたに憬れて励み、
どんなに楽い日にも、わたしは
そなたを望んで躍りあがる。

今日は全日本おかあさんコーラスの九州支部大会。去年は佐賀だった。1年経つのが早いなあ。今年は地元鹿児島なので楽ちん。会場はロビー正面から桜島と錦江湾が一望できる与次郎ヶ浜の市民文化ホール。鹿児島での開催は10年ぶりとのこと。今日と明日の2日間で81団体が歌う。7つのグループが8月に鳥取で行われる全国大会へ進む。私の所属するめぐみコーラスも一応全国大会目指してと、練習を積んできた。が上位7グループに入るのはやはり至難のわざ。セミプロのような合唱団もありびっくりする。何曲でも良いが8分以内。めぐみは与謝野晶子の「明日」と「歌はどうして作る」の2曲。「アヴェマリア」や流行の「千の風になって」など、あちこちの合唱団で歌われ、またか?!という感じがしたものだが・・。晶子の合唱曲はどこもまだ歌われていない点が新鮮でよかったかも。おばさんパワーも侮れないなあ。どのグループも歌うことを楽しんでいるのが伝わって来る。

*アカペラのあとの海馬や梅雨晴れ間

明日よ、明日よ、
死と飢とに追はれて歩くわたしは
たびたびそなたに失望する。
そなたがやがて平凡な今日に変り、
灰色をした昨日になつてゆくのを
いつも、いつもわたしは恨んで居る。
そなたこそ人を釣る好い香の餌だ、
光に似た煙だとのろうことさへある。

詩の第1連では明るい明日(あす)、第2連では暗い明日が歌われる。2連の最後の2行、アカペラの部分があり。激昂、呪詛、絶望・・を淡々と小さく強く。けれども、遠くに届くような声で語るような感じで!歌にしない!と何度も指揮の田中さんから注文が。難しい。12小節のアカペラが終わると5拍の休止。歌い手も聴き手も息を呑む。ホール全体がしいんと静まり返る。心の中で来るぞ来るぞと予感しながら待つ。来た!仲さんのピアノの和音がバン、バーンと。山の部分だ。脳内にβエンドルフィンが分泌され、安堵感と心地よい快感がみなぎる。

*くわんらくと愛と涙やアマリリス

けれど、わたしはそなたを頼んで、
祭の前夜の子供のやうに
「明日よ、明日よ」と歌ふ。
わたしの前には
まだまだ新しい無限の明日がある。
よしや、そなたが涙を、悔を、愛を、
名を、歓楽を、何を持つて来やうとも、
そなたこそ今日のわたしを引く力である。

  与謝野晶子といえば、鉄幹の奥さん。有名な恋句「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」や「前髪のみだれし額をまかせたるその夜の御胸ああ熱かりし」とか、弟へ宛てた詩「君死にたまふことなかれ」を思い出す。
ウィキペデアで夫妻の年譜をチェックしてみる。どうでもいいようなことだが、発見したこと。
・鉄幹は京都の僧侶の4男で、山口の女学校の国語の教師をしていた・鉄幹は教員時代に教え子と問題を起こし退職するが、その女性と結婚し1児もいた・晶子は堺の老舗の羊羹屋の三女・旧姓は鳳志ようで、志よう→晶子に・1900年(明治33年)晶子22歳のとき5つ上の鉄幹に出会い、堺の浜寺の海岸で恋に落ち翌年略奪結婚する・鉄幹は東京新詩社を創立し機関紙「明星」を創刊、石川啄木、北原白秋、吉井勇らの才能を見出す・鉄幹は42歳で衆議院議員に立候補するが落選、46歳で慶応大学教授の職を得る・2人の間には12人の子どもが産まれ11人育てた・2人の暮らしは経済的に不安定で晶子が支えていた部分が大・晶子の計らいで鉄幹が1年と3ヶ月渡欧している間、晶子も幼い子を日本に残し、シベリア鉄道経由でパリに入り半年間ヨーロッパを見聞する・帰国後に産まれた4男と5女にアウギュスト、エレンヌと命名・晶子は生涯数万首の歌と、24の歌集、評論、詩集等15冊を残した。ふむふむ。歓楽をクワンラクと読んだ時代に伸び伸びと生き抜いた晶子が見える。

*「明日」 与謝野晶子 詩  寺嶋陸也 作曲 より引用


■編集後記
 今月で35号、「丘ふみ」発刊以来、ちょうど丸3年の月日が流れたことになる。
感慨はひとしおであるが、自分の事を述懐するなら、俳句の何が理解できたかというと3年間、皆目何の進歩もない。
否、作句に至っては、退歩というべきマンネリ化が自分の中に定着しつつある。
主宰特選を含む、初投句4句掲載という衝撃的な「百鳥」デビューも、半年後の現在に到っては2句と3句の往復というのが厳しい現実である。

今月、「丘ふみ」では夏海、入鈴、水音の三人の女流俳句がその個性を競いあって、高得点を上げた。
まことに喜ばしい事である。
三人は、三人ともその句風がそれぞれに違っていて、選ぶ側としては月毎に選句が楽しみである。
何故だか、月によって、選ぶ相手が集中してしまうのも面白い。周波数が合う月というものがあるようなのだ。

おそらく、俳句に何が良い、悪いの基準はないのだろうと思われるが、一番大切な事はやはり「共鳴を得る」句、を目指して作句する、ということに尽きる。
その共感にしても普遍的なものはなく、その俳句グループの好み:「数寄」によるところが多い、というのが実体である。
であるからには、「丘ふみ」には「丘ふみ」の数寄がある、という事に意味がある。
というのが私なりの考え方なのだが、皆様、如何なものでしょうか?


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