*無法投区/紅染月

〜ペン先のほのかな撓み秋に入る〜


*門司港や潮風満ちて秋日和=喋九厘



毎度お騒がせの喋九厘、しゃべ栗、栗原です。
この場をお借りして、今回は写真付きのご案内を2件です。

資料官殿と喋九厘が参加の、鉄道少年探偵団写真展「昭和40年代の鉄道風景」が、 門司港の九州鉄道記念館で10月3日まで開催中です。
私たちが高校生だった頃の、全国の鉄道のある風景を展示しています。
お近くにお越しの節には、よろしくお願い申し上げます。







(写真提供 中楯 潔)
博多駅見送り風景写真【談話室:何もかも焼けてとろけて八月尽】では、部長はじめ写っておられる方々、本当にありがとうございました。
使用の確定が遅れ、連絡が遅くなった事、誠に申し訳ありません。

ようやくの新刊「鉄道再発見の旅」(海鳥社刊 税込2940円)が発売になりました。
福岡県を中心に昔と今の鉄道を見に行きます。廃線跡巡りに、過去に活躍した蒸気機関車や消えたブルートレインも登場します。 明治の鉄道遺産に、現在の車窓風景に駅のウォッチングと盛り沢山になってしまいましたが、内容はそれなりにイケテるかなです。 写真は表紙カバーです。






*昭和40年代の鉄道風景 丘ふみ編 =資料官

●門司港へ誘ふしらせ夏見舞い
9月1日から門司港にあります「九州鉄道記念館」にて鉄道少年探偵団(筑紫丘は栗原,中楯2名,城南2名,修猷館1名,大濠1名,転校生2名,合計8名)の写真展を1ヶ月間開催することになりました
テーマは「昭和40年代の鉄道風景」。サブタイトルは「あのころ鉄道に憧れた少年たちがいた」でありまして,北は北海道から南は九州までの鉄道写真を掲げました。
博多からJRで約一時間,ちょっぴり遠い門司港ですが,周囲は門司港レトロと見るべきものがたくさんあります。関西・首都圏の方も福岡へ出かける機会がありましたら,是非お立ち寄り下さい

●夏草や少年時代の古写真
●てっ平の刺し盛り囲み処暑となる

 鉄道少年探偵団の写真は会場でご覧いただくとして,「昭和40年代の鉄道風景」の丘ふみバージョンを紹介します。人物はすべて丘23のメンバーですが,特定の人物がたびたび登場するのはお許しくだされ

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西鉄大牟田線高宮大橋間といえば筑紫丘から下ったあたり。今は高架線ですが当時はまだのどかな畑の中を走っていた。捕虫網を持った生物部らしき筑高生が歩いている。(昭和45年)




受験シーズン到来。我々の仲間での上京第一号はシャベ栗こと栗原。彼の運命はこのときからRailway,受験とは言いつつも常にカメラを持参,いったい何しに上京?懐かしい急行玄海,博多駅4番ホーム。(昭和46年2月)




今はなき筑肥線は筑前高宮駅。誰かの迎えに博多駅まで出かけるシーン。このご三方は高宮中のご出身。夏の西日がまぶしく暑かったが,3人の影の長さと口を開けたようなディーゼルカーが印象的である。(昭和46年7月)




懐かしいなあ,ボンネットの特急つばめ,博多駅4番ホームにて。この頃は在来線特急で岡山まで行き,そこで山陽新幹線に乗換えて東京に向った。福岡に来ていたやまぼーが東京に帰る時の写真です。(昭和48年3月)




もうとても少年・少女とはいえない昭和49年。前に座るお二人がアルプスに出かける時の見送り写真。これまた懐かしい名古屋行き寝台電車特急金星,博多駅3番ホームでしょうか。今は亡き井上守夫が若々しい。


●汽車を待つむかし少年夏あざみ



シャベ栗高校2年の夏。広島県呉線の広駅にて。
なんや,今とぜんぜん変わっていない風貌 (昭和44年7月)


かごんま日記:"DON'T STOP ME NOW"= スライトリ・マッド

2007年8月28日(火)

*砂肝の味噌のかほりや紅き月

Tonight I'm gonna have myself a real good time
I feel alive and the world I'll turn it inside out - yeah
And floating around in ecstasy
So don't stop me now don't stop me
'Cause I'm having a good time having a good time

I'm a shooting star leaping through the sky
Like a tiger defying the laws of gravity
I'm a racing car passing by like Lady Godiva
I'm gonna go go go
There's no stopping me

I'm burnin' through the sky yeah
Two hundred degrees
That's why they call me Mister Fahrenheit
I'm trav'ling at the speed of light
I wanna make a supersonic man out of you

今日は皆既月食の日。満月のとき、宇宙空間にある地球のかげに月が入り込み、月が欠けたように見える現象が月食だ。要するに太陽、地球、月と一直線に並んだときに見れると昔理科の先生が言ってたっけ?月食は日食と違って地球上で月が見えているところならばどこでも見れるらしいが、お天気次第。東京では雨とのこと。がっかりした表情の子どもがTVの ニュースに映る。かごんまは雲もなくラッキー。夜7時半ごろ屋上から桜島の右上の方に紅い月が見えた。赤銅色に見えるのは地球の大気で屈折し太陽の光の一部が月を照らしているからとのこと。いつもと違うあかがね色に輝く月に、思わず目を見張る。約1時間半後、元の蒼い月に戻る。

*天高し子午環覗くおさむらい

Don't stop me now I'm having such a good time
I'm having a ball
Don't stop me now
If you wanna have a good time just give me a call
Don't stop me now
Don't stop me now
I don't want to stop at all

I'm burnin' through the sky yeah
Two hundred degrees
That's why they call me Mister Fahrenheit
I'm trav'ling at the speed of light
I wanna make a supersonic woman of you

かって薩摩藩では、「薩摩暦」という独自の暦を作っていたという。安永8年(1779年)当時の藩主島津重豪は薩摩暦の編纂とその大元になる天体観測を行うために「明時館」を作った。
かごんまの繁華街天文館の東千石町の天文館通りの一角にあったらしい。安永8年は桜島が大噴火を起こした年で、現在のようにテレビや新聞のない時代であったにもかかわらず、江戸の八百八町に声高に次のような瓦版が読み上げられていたそう。一般民衆に理解させるためか、物語風に脚色して伝えられているというからなんともびっくり。薩摩の国の黒岩山は すさまじい山で、ここには昔、酒天童子という鬼人が住んでいたが、征伐され、のちに酒天権現の宮を建てて祀ったものの、ある日暴れ出して・・・という内容。県立図書館に所蔵されているという本文の一部を見ると「九月二十九日夜岩家より大風吹き出し、黒煙まひ来て、三里四方の間、ヤミの夜のごとくなり。それより茶わんのごとくなる火石虚空より降り来り、その辺たちまち大火となり、村かず、人数、るい火の家数さもすさまじきこと也。それより十月一日より三日まで、昼夜諸国へ灰のふることはんなん不思議と思いをなす」とある。

*スペクトル宇宙の謎や龍淵に

Don't stop me don't stop me
Don't stop me hey hey hey
Don't stop me don't stop me
Ooh ooh ooh, I like it
Don't stop me don't stop me
Have a good time good time
Don't stop me don't stop me ah
Oh yeah
Alright


Oh, I'm burnin' through the sky yeah
Two hundred degrees
That's why they call me Mister Fahrenheit
I'm trav'ling at the speed of light
I wanna make a supersonic man out of you

私の大好きなフレディ・マーキュリーとともに、伝説的なロックバンド『クイーン』で活躍したギタリスト、ブライアン・メイが、8月23日天体物理学の博士論文を提出し口頭試問にもパスしたとのニュースが流れた。 彼は今年60歳になるから驚きだ。普段から喋り方に知性が感じられたが、さすがブライアン!一生遊んで暮らせるほどのお金を音楽で稼ぎ出したはずなのに、お金では買えないものを彼は求めていたんだろう。もともと理系の名門、ロンドン大学インペリアル・カレッジの大学院で天体物理学を専攻していた彼は、クイーンの活動が軌道に乗ると同時に大学院を中退。その後36年に渡って音楽の世界で活躍してきたけれど、天文学のことを忘れたわけではなく・・。昨年9月から一念発起して、スペイン領カナリア諸島のラ・パルマ天文台で天体観測を行うなど論文執筆の準備を進めていたとのこと。論文のタイトルは「RadialVelocities in the Zodiacal Dust Cloud(黄道帯の塵雲における視線速度)」。黄道塵は太陽系の黄道面に分布する、彗星や小惑星を起源とする微粒子らしいが・・・。うーん、むずかしそう。しかしパチパチパチだ!

*"DON'T STOP ME NOW" by QUEEN (1979)より引用


*池田晶子 初盆供養七句=葱男

秋螢

●手にとりて初盆を知る新刊書
●星合や阿と哀号とソクラテス
●愛犬に看とられ逝けり白木槿
●被昇天有無いずくにか哲学者
●薄闇に水密桃のそよぐ壇
●死ぬるのは生まれし故と秋蛍
●たましひへ来て泊まりをり秋の猫

 この夏、僕は初めて池田晶子さんの死を知った。
彼女は今年の春先、あまりにもあっけなく進行性の腎臓癌で亡くなった。
3年間ずっと続いていた誌上の人間コラムは、彼女が亡くなったあとにも数回分が掲載された。
最終章、「墓碑銘」と題されたエッセイは『週刊新潮』2007年3月15日号に寄せられたものである。

*墓碑銘

『週刊新潮』には墓碑銘と題された名物コーナーがある。
故人の足跡や功績を概略で辿るものなので、墓誌という方が正確かもしれない。毎回上手にまとめてあるので、どうやって調べたのだろうと感心する。ひるがえって、いま私が死んだら、このコーナーを書ける人はいないな、いつもそういう感じでいる。たいした功績はないし、仕事の本質、池田某という物書きは実は何をしていたのかということを正確に書ける人物はいないだろうというのも、一方の事実だからである。
でも連載している以上、義理でもそれは掲載されるだろう。どうしよう、困ったな、最後に勝手なこと書かれてもな。悩むところなので、いっそ自分で書いておこうとも思った。そして、連載が途切れた翌週にパッと切り換えて、本人筆で、かのコーナーに登場する。これは実に清々しい。
とまで計画したことがあるが、あんまり縁起がいい話でもないので、実はまだ書いていない。担当にはよく因果を含めておこう。

それはさておき、「墓碑銘」と聞いて思い出す逸話がある。古代ローマだったか、現代のローマにあるものだったか、秀逸なものが存在している。向こうはこちらと違い、墓にいろいろな書き物を遺す習慣がある。死後に他人が書いたものか、本人が生前に言い付けておいたものかは定かではない。
おそらくそれは一般的には、文字通りの墓誌として、その人の来歴を示すものだろう。
いくつで結婚、何児を成し、かれこれの仕事に従事して、こんなふうな人物だった。
散歩代わりのお墓ウォッチング、人々はそれらを読みながら楽しく散策するだろう。墓誌、墓碑ウォッチングというのは、読む者には、その意味で究極の楽しみである。人生つまり、その人間の最終形が、そこに刻印されている。人生の〆の一言である。人は、記された言葉から人物を想像したり、感心したりしながら読んでくる。
と、そこにいきなり、こんな墓碑銘が刻まれているのを人は読む。「次はお前だ」。
ラテン語だろう。そうでなくとも尋常ではない。楽しいお墓ウォッチング、ギョッとして人は醒めてしまうはずだ。他人事だと思っていた死が、完全に自分のものであったことを人は嫌でも思い出すのだ。それを見越してこの文句、大変な食わせ者である。
私も大いに笑った。この文句の向こうを張るならどうだろう。「ほっといてくれ」というのはひとつあるかな。私の人生がどうあれ、あんたには関係ないでしょうが。死後勝手なことを書かれたくない、死後に名を残したくないという人にはふさわしいでしょう。「死んだ者勝ち」というのも、なかなかいいですね。あんた方、生きてる者が勝ちと思ってるでしょうが、ほんとにそうかね?
完全に弔辞の逆であるが、「次はお前だ」というこの一言のもつ圧倒的な力にはかなわない。こんな文句を自分の墓に書かせたのはどんな人物なのか、それこそ想像力がかき立てられる。諧謔を解する軽妙な人物である一方、存在への畏怖に深く目覚めている人物ではないかという気がする。生きている者は必ず死ぬという当たり前の謎、謎を正者に差し出して死んだ死者は、やはり謎の中に在ることを自覚しているのである。あるいは、死者を語ることを含め、すべては物語であるという自覚。
これに比べて、我が国の墓碑銘めいたもの、「色即是空」とか「諸行無常」とか、書きたがる人はいますけれども、どうももうひとつですねえ。説明くさくて、謙虚でない。なんかまるで全部わかってるみたいである。まだそんなこと言ってんのという感じになる。こういうことを言いたがる人や遺族は、実は自分が死ぬということをまだわかっていないのである。
それなら私はどうしよう。一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである。ならこんなのはどうだろう。「さて死んだのは誰なのか」。楽しいお墓ウォッチングで、不意打ちを喰らって考え込んでくれる人はいますかね。

池田晶子 2007年2月23日 没


■編集後記
暑い暑い夏が終わろうとしている。
毎日が政治と金のニュースばかりでうんざりしている。
例の「朝青龍」事件にもうんざりした。
国家の品格、女性の品格の次は横綱の品格が問われている。
政治家や役人に品格がないのだから、国家に品格があろう筈もなく、企業倫理のない経営者のもとで働かなければならないのが現代サラリーマンの宿命なら、妻が夫に求められるものは品格よりもお金であり、お金を得るために、なりふりかまわず誰よりも強く生きようとするのなら、横綱に品格は備わらない。

当たり前の話ではないか。自分だけの利益や快楽追求を最優先する人間に品格など育たない。
池田晶子はこう問いかけた。
「明日、私は、確実に死ぬ。こうわかった時、あなたはどうしますか。〜あなたは必ず『言葉』を求めるはずです。生死すなわち人生の真実を語る言葉、正しい考えを語る正しい言葉を、必ず求めるはずなのです。〜苦難や危機に際して人が本当に必要とするものは必ず言葉であって、金や物ではあり得ない。明日死ぬのか、気の毒だから、一億円あげよう。これでその人は救われますかね。」 (『暮らしの哲学』 ‘言葉の力’より抜粋)
(文責 中島)


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