*無法投区/マリアの月


〜大好きな先生のかお青嵐〜

*聖五月=葱男

寺山修司の忌日は4日、子供の頃からネフローゼで、長生きできないことは充分に自覚していただろう。享年47歳。
寺山は晩年、しだいに衰えてくる体力をもって、演劇から俳句への移行を考えていたようである。 出発が俳句、短歌で世に出て、演劇、映画、評論の場で活躍。最後にまた俳句に還ろうとするのはとても自然な成りゆきではないだろうか?
《中学から高校へかけて、私の自己形成にもっとも大きい比重を占めていたのは、俳句であった。この亡びゆく詩型式に、私はひどく魅かれていた。》(寺山修司『誰か故郷を想はざる』「十七音」より)
カトリックでは五月を「マリアの月」という。「聖母月」とも。
修司、少年時代の「母」にまつわる句。

●空遠く眸に浮ぶ母の顔
●暗室より水の音する母の情事 
●母とわが髪からみあう秋の櫛
●香水のみの自己や田舎の教師妻
●寒雀ノラならぬ母が創りし火
●母は息もて竈火創るチエホフ忌
●花売車どこへ押せども母貧し
●母を消す火事の中なる鏡台に
●お手だまに母奪われて秋つばめ
●母の蛍捨てにゆく顔照らされて

中学、高校時代の「母恋ひ」の句には果てがない。

話しは変わるが、バチカンのピエタ、あのミケランジェロは、生涯に4つのピエタ像を手がけている。
サンピエトロ寺院のピエタ は1498年、彼がまだ23歳の頃に着手、1500年に完成 する。 そのマリアの姿は余りにも若く、一部世間の批判に対して彼は「罪ある人間は歳をとるが、無原罪の聖母は常人のようには歳をとらないのだ」と言いきった。
そして晩年、再び彼は「ピエタ」の制作にかかる。
ドゥオーモのピエタ 1550年(75歳)着手、未完
パレストリーナのピエタ 1555年(80歳)着手、未完
ロンダニーニのピエタ 1559年(84歳)着手、未完
「ロンダニーニのピエタ」は死の直前まで彫り続けたそうである。

未完に終わったところは修司の俳句も似ていなくもない、『ピエタ』とは『悲哀』という意味、まさにそのままだ。
もし寺山が晩年の母の句を詠んだとしたらどうだったろう、と想像してみる。

●野の光五月のパンとワインかな
という句を以前「丘ふみ」で詠んだことがあるけど、「パンとワイン」が母性だとは誰も思わなかったかもしれない。
それにしても男にとって母恋ひの句は、一生かかって詠みつくすモチーフのひとつであることには違いない。特に、この聖五月には。

死んだふり吾に見せマリアの月笑ふ  葱男




*やみつきになります甲斐路桃の花=資料官

昨年に続き今年も4月に山梨県へ鉄道写真の撮影に出かけた。昨年は甲府盆地を走るD51をめがけて出かけたが,今年は桃の花と電車が狙い。メンバーは鉄道少年探偵団のSさん(塩山(現甲州市))とTさん(東京)と私の計3名。彼らとは不思議な縁である。そもそも,転勤族の子息であった彼らが,たまたま3〜4年間福岡市の小学校・中学校に通い,その時に探偵団のメンバーと鉄道写真撮影に出かけたことからつながっている。私とシャベ栗は写真集(平成17年4月)からの付き合いである。とにかく鉄の縁は細くともとにかく長い。
4月12日(日)やまなしの桜はほぼ終盤,桃も盛りを過ぎつつある頃でしたが,目指す南アルプス山麓に広がる新府桃源郷は標高も若干高く,ちょうど見ごろではないかとの予測。ちなみにJR主催の「駅からハイキング」新府桃源郷は19日の設定とか。

●甲斐駒からあずさ飛び出す桃日和
●トンネルを抜けると一面桃の花


甲斐駒をバックに特急あずさ


桃畑の蒲公英


当日は快晴,ですが春は朧で山はぼんやり。中央線の特急あずさで塩山下車・集合,あとはSさんの自家用車で案内してもらった。空が澄んでいれば富士山,八ヶ岳,甲斐駒ケ岳が眺められるところですが,富士山は全く見えませんでした。だけど,桃の花はちょうど満開,あたり一面ピンクの絨緞という感じでしてこれで何も言うことはない。この丘のまわりを中央線が走っています。東京から松本に行くメインルートですから特急電車がしょっちゅう通過,10時に到着してからおおよそ4時間近く休むまもなく桃源郷を走る電車を追っかけた。まあこの日は電車撮影というよりは桃の花を電車をバックにして撮ったと言った方が合っているかもしれない。桃の花の下に座り込み電車が近づくと立ち上がって撮影。昼食もSさんの奥様に準備していただいたたけのこ御飯のおにぎりを桃の木の下で頂戴した。昼寝でもすれば気持ち良さげであったが次々と電車がやってくるのであきらめた。

●桃咲いて華やぐ丘の無人駅
●桃咲いて無人駅さへ華やげり
●もてなしのおむすび二つ桃の花
●写真機や一日桃の花の中


向うは八ヶ岳,特急あずさ


中央線 小渕沢発八王寺行き各駅停車


帰りには塩山のSさんの自宅にお邪魔した。塩山駅まで徒歩5分弱,電車の時間までしっかりワインを堪能させていただいた。春の日差しは紫外線が強いので日に焼けたのか,ワインのせいか真っ赤な顔をして帰宅したのです。

●やみつきになります甲斐路桃の花


かごんま日記:フランドン農学校の豚」= スライトリ・マッド

2009年4月29日(水) *春愁のエジプトの豚ロイター発
今朝の新聞に、エジプト政府は今日、新型インフルエンザの被害が世界的に拡大していることを受け、国内で飼育されている豚30万〜40万頭すべてを殺処分にすることを決めたと載っていた。えーっ?!これに対し、国連食糧農業機関(FAO)は、「間違った判断」と再考を促しているそうだが、どうなることか?狂牛病で牛肉が危ぶまれたとき、日本の牛丼屋はこぞって豚丼にしたのに!人間って勝手ね?!今エジプトの豚にはまさに受難。
そもそも鳥や豚由来のインフルエンザウィルスがどうして、ヒトに感染するようになったのだろうか?インフルエンザウィルスは直径約1万分の1ミリ。中心にリボ核酸という遺伝子があり、周りのたん白質の種類でA,B,C型の3つに分けられるそうだ。人間や鳥、豚、馬、アザラシなど多くの動物に感染するのはA型ウィルス。A型には周囲にいがぐりのトゲのような突起があり、その突起はヘマグルチニン(H)とノイラミニダーゼ(N)の2種類で、さらにHは16種類、Nは9種類ある。HとNの組み合わせによりH1N1(豚から発生した新型インフルエンザ)やH5N1(まだ記憶に新しい高病原性鳥インフルエンザ)など計144種類のタイプに分けられるとのこと。本来インフルエンザウィルスは水鳥の体内をすみかとしていたらしい。ウィルスは一般的に動物の種の壁を越えて感染しにくいと考えられていたものの、まれに変異して別の種への感染力を持つこともあるという。豚は鳥と人のウィルスの両方に感染するため、体内で鳥、ヒト、豚のウィルスの雑種を作り、この雑種が種の壁を乗り越え感染させてしまうのだ。

*新流感世界震撼四月尽
先週突然メキシコに端を発したH1N1ウイルスがヒト・ヒト感染を起こし、世界各地に広がる事態となった。世界保健機関(WHO)は4月27日に警報段階を第3段階から第4段階に上げ、今日さらに第5段階に上げた。24日に最初の発表があってから、わずか1週間で世界中に広がってしまったのは、グローバル化の影の部分か?!日に日に感染者数が増え、"PHASE 6"への引き上げがあるのか、ないのかと恐れているのが現状。対策は通常のインフルエンザと基本的に同じとのこと。手洗い、うがいの励行。人ごみを避ける。十分な休養とバランスの取れた食事。
現在の新型インフルエンザH1N1は弱毒で、従来のタミフルやリレンザの薬でウィルスの増殖を抑えられるらしい。が、弱毒とはいえ、死亡者も出ているし、第1波、第2波と繰り返す中で、感染力を高め、強毒化することもあるらしいから、用心!用心!長期戦も覚悟 しておいた方がよいのだろう。

*プラチナのポークはお好き?春の月
白金豚(ハッキントンともプラチナ・ポークとも読める)は岩手県花巻市のポークのブランド。ネーミングは生前未発表の宮沢賢治の童話「フランドン農学校の豚」に由来する。去年、フジテレビのSMAP×SMAPという番組で、アラン・ドロンが登場していた。プラチナポークとモッツァレラチーズのクロケットを味見する彼は「このポークは美味しいよ」とコメントしていた。年を重ねてもアラン・ドロンはやっぱりダンディだった!
ポークのブランドには様々あるが、鹿児島といえば黒豚。埼玉の「彩の国黒豚」、群馬の「とんくろー」、岡山の「おかやま黒豚」、香川の「讃岐黒豚」なども名が売れているが、「かごしま黒豚」は全国的に高く評価されている。1609年、島津家が琉球侵攻をした際、琉球の黒豚を移入し、薩摩の豚と改良をしたと鹿児島県国分市の国分史記に記載されている。かごしま黒豚とは、鹿児島県内で飼育された純粋バークシャー種を指す。体毛が黒、両手、両足、鼻、尾の6ヶ所に白班があり、六白(ろっぱく)と呼ばれる黒豚。黒豚 の魅力は肉の美味しさ。「系統、エサ、環境」が重要で、在来種にこだわり、鹿児島産の甘藷、麦、焼酎カスを混ぜ発酵させたエサを与え、放牧して育てる。もともと、たんぱく質やビタミンB群が豊富な豚肉だが、特製のエサを与えることで、さらにうまみと甘みが増し、柔らかく脂肪がさっぱりとした味わいになるという。戦後の黒豚ブーム時には、黒豚取扱店の看板に丸に十の字の島津家の紋が使われていたが、今は、桜島をモチーフにした形の屋久杉で作られた看板が置かれている。

『ずゐぶん豚といふものは、奇体なことになってゐる。
水やスリッパや藁をたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらへる。
豚のからだはまあたとへば生きた一つの触媒だ。
白金と同じことなのだ。
無機体では白金だし、有機体では豚なのだ。 』
* 宮沢賢治作、藤原草郎編 「フランドン農学校の豚」(1943)より引用


■編集後記
今月のA部門、宗匠は俳句になっているのが16句だと書いていたけど、私は、今回最高数の23句にチェックが入った。
こんなに選句に苦心したのは初めてである。
私が所属している「百鳥」という句会では毎回ほぼ30人、150句の句が回されるが、面白いと思ってチェックする数はせいぜい20句。
他の人に比べてとても選句数が少ないのが私流なんだけど、以外や以外、今月は選句が楽しくてしかたありませんでした。

しっかし、水、雪、夏の「丘ふみ三人娘」の人気のあること、あること!
キャンディーズにもひけをとらない勢いで、特に砂、二、両先生からの人気が抜群なんだから言う事なし!ですね。(^0^)

男連中はやっぱり仕事が忙しい分、エネルギーの配分が俳句まで行き届きませんかねえ〜? 趣味のツリ、タマ、テツ、フォト(趣味じゃない人もいるけど)にはエネルギー注ぎ込んでるみたいだけど。(@0@)
ま、みなさん、それぞれのペースでまいりましょう、ね、スンコちゃん!(^0ー)

それではまた来月、スマちゃんの日記にもあったけど、新型は俳句だけにして豚インフルエンザには充分お気を付けてい・べ・り・こ!

(文責 中島)


無法投区

創刊号 2号 3号 4号 5号 6号 7号 8号 9号 10号 11号 12号 13号 14号 15号 16号 17号 18号 19号 20号 21号 22号 23号 24号 25号 26号 27号 28号 29号 30号 31号 32号 33号 34号 35号 36号 37号 38号 39号 40号 41号 42号 43号 44号 45号 46号 47号 48号 49号 50号 51号 52号 53号 54号 55号 56号