*無法投区/桜月


〜桜花生まれてみればこの世かな〜


田渕俊夫展=葱男

俊夫

智積院講堂の襖絵完成記念と銘打った、田渕俊夫さんの展覧会を見に行った。
田渕さんの絵は、松村公嗣さん、水嶋征夫さんと並んで、着物の図案の仕事をするにあったって一番、勉強させていただいた作家さんのひとりである。
その構図も色彩にも素晴らしいインテリジェンスを感じさせる、稀有な現代作家のひとりである。

『京都にある智積院は、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山藥王院をはじめ全国に約3,000あまりの末寺を有する、真言宗智山派の総本山。桃山時代に長谷川等伯一門により描かれた障壁画や、千利休好みといわれる美しい庭園でも知られる名刹です。
平成20年10月、僧侶の修行道場である講堂に、東京藝術大学副学長の田渕画伯が5年の歳月をかけて描いた襖絵が奉納されました。
不二の間、胎蔵の間、金剛の間、大悲の間、智慧の間を仕切る襖絵60面は、四季をテーマにした墨絵。描き直しのきかない墨一色で、春夏秋冬の時の流れと空間の広がりが見事に表現されています。(NHKプロモーションより引用)』

これらの襖絵がたった2本の筆と一対の墨と硯だけで描かれたことにも感動する。
水墨画の技法は「描かない」事によって表現したり、「余白=空間」の美しさを大切にする技法だが、田渕氏の巧みな技法は見ても見ても厭きるということがなかった。
光と影が反転し、濃墨で描かれはじめていたはずの桜の幹が、枝垂れた頃にはぎゃくに真っ白な枝の形になって花の中に浮き上がっていたりする。

四季それぞれの風景や木々は題材として、これまでにいくどとなく描かれてきたモチ−フだが、今回、そのすべてが墨濃淡というもっともシンプルな形のなかに表現されていて秀逸だった。(俳句なら「秀逸」を超えて「特選」でしょう!)

笹、欅、柿、桜、薄、単一素材だけを題にとったものも多かったが、どこまでもシンプルに象徴化されていく彼の水墨の世界には、確かに「俳句」に必要なものすべてが表されている。

●講堂へ枝垂れ桜を開けて入る  葱男




*連翹に黄色の願い母帰る=資料官

昨年夏の父の葬儀あと、
自宅の庭のグラジオラスが傾いているのを見て
●グラジオラス傾きそうな母の肩
という句を作り、丘ふみ游俳倶楽部に投句した。

ところが初盆前にこれが現実の話となって
母は入院,長年の疲れもあってか長期入院を余儀なくされた。
回復したのはもう秋になってからなのですが、
ずっと寝ていたので独りで歩くことがむずかしく、
その後リハビリに専念。
やむなく正月の帰宅はあきらめ、
彼岸前にようやく帰宅することが出来た。
三月の三連休に、九大の六本松さよなら同窓会とかリバイバル寝台特急さくらの撮影とかイベントがあったので、福岡まで出かけた。
母も元気に自宅での独り暮らしに慣れつつあり安堵した。
半年以上も誰もいなかった家の庭も、
3月になるといろいろな花が咲き乱れ
久し振りの帰宅を歓迎しているようであった。

●母訪ふ日こぼれるように雪柳
●デイケアのバス来たるらし白木蓮
●ゆうくりと庭のリハビリ芝桜
●連翹や母の歩める庭広し
●連翹に黄色の願い母帰る



連翹と雪柳


黄水仙、連翹


芝桜


鹿児島本線を走ったリバイバル特急さくら(3月20日)


かごんま日記:「さくら横ちょう」= スライトリ・マッド

2009年3月20日(金)

*あたたかし人は水辺に集まれり
昨日、鹿児島の気象台が開花宣言を発表した。あいにくの雨の中、数輪の可憐な桜の花が、テレビに映っていたが。一夜明けた今日のお彼岸の日は、快晴!桜の名所では人々でにぎわった。やけにあったかかったし半袖姿で歩いている人も。夜のニュースでは、県内各地の気温はぐんぐんと上がり、平年に比べどこも4〜10度も高く、「春分の日」の「夏日」に!公園内の人口の浅瀬の川で遊ぶ子どもたちの姿が映し出されていたが、パンツ一丁ではしゃいでいる。市内の最高気温はなんと27.6℃。どおりで暑かったはず。福岡は13日に開花宣言を発表している。気象庁が1953年に統計を取り始めて以来、一番早い記録だったそうだ。沖縄、奄美を除く全国初の「開花宣言」。ちなみに沖縄では例年1月に開花。年々各地の桜の開花は早まる傾向にある。桜の開花宣言は気象台の敷地内にある観測用標本木で、5輪以上の開花が条件とされる。予想の慎重さを期すため、その桜がどれであるかは、秘密にしてるとのこと。桜の花芽は、前年の夏に形成され始めて休眠状態に入り、冬の一定期間の低温を経て、春の気温上昇とともに生長して開花する。「桜前線」が毎年この時期になるとマスコミを賑わすが、造語で気象庁の公式用語ではないそうだ。気象庁では、「桜の開花 予想の等期日線図」というらしい。かつては、九州から北東方向にほぼ順に桜前線が北上していたが、最近は桜前線が複雑な曲線を描いて進んでいくことが多い。特にここ九州南部の開花が九州北部や本州より遅れる逆転現象が特徴的。その原因が「休眠打破」のメカニズム。暖冬のせいで、桜が開花する条件である冬の間の一定の低温期間が不十分で開花が遅れると考えられている。あったかいばかりではだめってことなんだ。

*さくらさくらあと幾たびの逢瀬かな
「サクラ」の名称の由来は、ウィキペディアによると、いくつかある。1つは、「咲く」に複数を意味する「ら」を加えたものとされ、元来は花の密生する植物全体を指したと言われている。また2番目の説として、春に里にやって来る稲(サ)の神が憑依する座(クラ)だからサクラであるとも考えられている。3番目の説として、富士の頂から、花の種をまいて花を咲かせたとされる「木花之開耶姫」(=このはなさくやひめ)の「さくや」をとって「桜」になった、との考えも。岩手の知り合いのKさんの娘さんの名前が当時信州大の学生だった桜子ちゃん。もう結婚して広島で2児のお母さんに。きっとお母さん譲りで聡明ですてきなママになってるだろうな。3月生まれというと、弥生子という名前の友人もいるが、彼女も名前に劣らずチャーミングな人物。かくいう私も3月生まれ。昔私が小学生だったころ、今は亡き父が、私の名前につけた漢字の持つ意味を説明し「賢くそして華のある女性になって欲しい」とか言ってたなあ。どちらも達成されぬまま来てしまったが。ところで物事を決めるとき、コイントスの方法がある。テニスの試合ではコイントスの代わりにラケットを回していた。表裏で、サーブ権、レシーブ権、コートの選択権のいずれかが選べるのだ。中学校の教員時代にも授業中よくコイントスをやっていたが、適当に百円玉の裏表を決めていた気がする。本当はどっちがどっちだろう?調べてみたら、造幣局では便宜的に年号の記された面を「裏」としているそう。現在発行されている百円硬貨の表側には「日本国」と「百円」そして真ん中に桜のはなびらが、裏には「100」と製造年がデザインされている。ということは桜のある方が表ということだったのね!

春の宵 桜が咲くと 
花ばかり さくら横ちょう
想出す 戀の昨日 
きみはもうここにゐないと
ああ いつも 花の女王 
ほほえんだ夢のふるさと
春の宵 桜が咲くと 
花ばかり さくら横ちょう
會見るのときはなかろう

「その後どう」「しばらくね」と
言ったって始まらないと
心得て 花でも見よう
春の宵 桜が咲くと
花ばかり さくら横ちょう

*"マチネ・ポエティク"による四つの歌曲 「さくら横ちょう」 
 加藤周一 詩、 中田喜直 曲(1950)より引用


■編集後記
年度が変わって、いろいろなことが新しく始まる季節である。
京都の桜もやっと満開に近づいた。

普段の年ならそれが新鮮な感情を呼び、また、これからの新年度に立ち向かう意欲が湧いて来る季節なのであろうが、2009年、今年の春はなんだか様相が異なる。

このまま日本は、世界は、どんどん悪い方向に泥沼化し、人類はまた中世の暗黒時代に突入していくのではないか、との不安が頭をもたげる。
幸い(?)テポドンは人工衛星なのかミサイルなのかも判然としないまま、日本のはるか上空を飛び越えて、大平洋上に落下した模様である。

言い出したらきりがないので愚痴はやめるが、ついに「屈託」という言葉が俳句にも使われはじめ、適確に現代の世界をイメージを表現するコンセプトになってきたかのようである。 「屈託:あることが気になってくよくよすること。疲れてあきること。」
御所の桃の花までが何ルクスかの「屈託の色」を映し出しているのである。
これも時代なのか? これが時代なのだと腹をくくって、今を句に詠み込みたいと思う今日このごろ。

  絶望の春風やさし山ひかる  葱男

(文責 中島)


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