*無法投区/雁来月

〜秋桜をまるごとぜんぶ抱いてゐます〜

* 名月=砂太

●月白や野の黄昏(こうこん)に待つは誰

●白金の月の句会は車座に

●月天心句作は影の上に座し

●衣被水面の光る夜となる

●穂芒の光りを前の宴かな

●宴終へ月の供へを雲に解く

●月乗せて水口の水動きけり

●十六夜や妻は香りのあると言ふ

●たとへば露の一つ二つに会ふ夜かな


* 秋の七草/名句・駄句=葱男

秋の野に、咲きたる花を、指(および)折り、かき数ふれば、七種(ななくさ)の花
(秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花  《山上憶良》)

という訳で(どういう訳?)
来月のお題にもなっている「秋の七草」、古今東西から名句を集めて、葱男の駄句と並べてみました。
なるほど、時間を超えて残ってきた秀句の味わいが伝わってきますね。

《萩の花》
●一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月  松尾芭蕉
(来世にも悦楽ありやこぼれ萩)

《尾花》
●をりとりてはらりとおもきすすきかな  飯田蛇笏
(月の海さざなみ立ちて芒原)

《葛の花》
●あなたなる夜雨の葛のあなたかな  芝不器男
(島に生れ愚直に生きて葛の花)

《撫子の花》
●撫子や狂へば老も聖童女  福田蓼汀
(撫子や阿鼻叫喚もまたをかし)

《女郎花》
●いま過ぎし雨をみなへしをとこへし  児玉輝代
(能天気くらいがよろしをみなへし)

《藤袴》
●たまゆらをつつむ風呂敷藤袴  平井照敏
(藤袴菓匠の棚の招き猫)

《朝顔の花》
●桔梗(きちこう)を焚きけぶらしぬ九谷窯  加藤楸邨
(深まりしゑにし桔梗の無口なる)


*赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)=資料官

森進一やスタンダールではなく,曼珠沙華とアゲハチョウの共演。
父の彼岸の墓参りや岳父の法事等,帰省して出かけるところには曼珠沙華が見事に咲き誇っており,また必ずといって良いほど黒いアゲハチョウがやって来る。小中学校は蝶の資料館,五六二三斎にはとてもかなわないが,今でも蝶の名前を特定することはできる。
今年は,元祖クロアゲハだけでなくカラスアゲハ,モンキアゲハ,そして粋なナガサキアゲハまで見ることができた。あの燃えるような赤には人間だけではなく蝶たちも引き寄せられるのだろうか。
西武鉄道に高麗(こま)という駅があり,そこには曼珠沙華が100万本咲く巾着田という名所がある。最近は飽きもせず見物に出かけているが,毎回天気・時期・時間帯が異なるので,変化があって面白い。この倶楽部でも飽きるほど紹介した記憶がある。

●クロアゲハ去りがたきかな蔓珠沙華
●彼岸花カラスアゲハも羽休め



●赤と黒ナガサキアゲハと彼岸花



●蔓珠沙華モンキアゲハの逢瀬かな



高麗巾着田の曼珠沙華

 


かごんま日記:「島育ち」= スライトリ・マッド

2008年9月14日(日)

*さはやかやさくらじまんのをちこちに

赤い蘇鉄(そてつ)の 実も熟れる頃
加那(かな)も年頃 加那も年頃
大島育ち

黒潮(くるしゅ)黒髪(くるかみ) 女身(うなぐみ)ぬかなしゃ
想い真胸に 想い真胸に
織る島紬(つむぎ)

今日は雨の中、鴨池の県立体育館での合唱の合同練習。10月25日〜28日の4日間、「ねんりんピック鹿児島2008」が開催される予定。初日の開会式の式典で、合唱隊の一員として出る。はてさて、ねんりんピックとは?実は全く知らなかった私。昭和63年に厚生省(現厚生労働省)創立50周年を記念して、第1回大会が兵庫で開催されて以来、60歳以上のいわゆるシニア世代の健康づくりや生きがいづくり、社会への参加の促進を目的とした全国規模の祭典が、毎年どこかの県で行われていたのだ。剣道、弓道、ソフトボール、ウォークラリー、卓球、テニス、なぎなた、水泳、ダンス、サッカー、ラグビー、サイクリング、グラウンドゴルフ、マラソン、太極拳、ペタンク、ゴルフ、インディアカ、・・スポーツばかりでなく、民謡、美術展、音楽祭に囲碁、将棋、なんと俳句まで!去年から、そういえば、真っ赤な桜島がトーチを右手に持ち、頭から煙を出して走っているデザインの、大会マスコット「さくらじまん」君が、街のあちこちで見られる。

*打楽器のリズムたしかに虫の秋

朝は西風 夜(よ)は南風
沖ぬ立神(たちがみゃ) 沖ぬ立神
又 片瀬波

夜業(よなべ)おさおさ 織るおさの音
せめて通わそ せめて通わそ
此の胸添えて

合唱は複数の合唱団の混成で約200名。ブラスバンドは鹿児島市内の中学、高校、の200名の吹奏楽部の学生さんたちからなる。若い子たちの出す元気な音が実に、すがすがしい。当日、野外のため、もし雨だと、楽器が使えないため、録音を準備することに。ラッキーなことに、緊張しながらも、ほとんどテイク1で終了。鶴丸高校のトロンボーンの男の子が、曲が終わった後に、間違って音を出したが、ご愛嬌!式典では、全国からやって来た約1万人のお元気なシニアたちに、鹿児島にちなんだメドレー曲で行進してもらうとのこと。鹿児島おはら節、妙円寺詣りの歌、島育ち、永良部の子守唄、われは海の子など。曲のつなぎ目にパーカッションのリズムが入るが、これがいいのだ!
また、なんと鹿児島はブラスバンド発祥の地だった!薩英戦争のとき、錦江湾上の軍艦から流れて来た、耳慣れぬ調べに興味を持った薩摩のハイカラ藩主は、英国との和議後、いち早く、軍楽隊をつくることに着手する。明治2年に横浜で英国軍楽隊の指揮をしていたフェントン氏のもとに、藩士30名を派遣し習得させている。数ヶ月後には明治天皇の前で、その演奏を披露したらしい。「君が代」の歌詞の初見は古今和歌集に見られるそうだが、作曲者は、なんとこのイギリス人フェントンさんだったって!

*「島育ち」 有川邦彦作詞、 三界稔作曲(1939)より引用


■編集後記
 辿りつきました・・・発刊50号。
「丘ふみ」俳人達の句はそれぞれの地平に向かって静かに着実に歩みをつづけています。
記念句集を編集していて、ふと、4年先の100号発刊の事を想像してみようとしました。
しかし、そのイメージはいくら焦点をあわせようと努力しても、茫洋として何物も見えてはきませんでした。

宗匠の「ますぐなるうた」という言葉と「行きて帰るこころ」という言葉が体のすみずみにゆっくりと広がってゆきます。
「やかな」の世界とは、どこまで行っても一瞬の今を五.七.五に置き換えるだけで、そのあとはただ掌を合わせて無言の韻を祈るばかりです。
記念句集の中の宗匠の叫び、「印刷された作品は、紙から立ち上がらなければならない。血は立ったまま眠ってはいない」とはどういう言葉の発情を意味するのでしょう。
俳句とは、詠み終えてはまた発情する文学的動物である人間の、血のめぐりそのものなのだと思います。
血が体中をめぐり続ける限り、私達は何回も何回も、みずからの美しさを取り戻すべく、再び言葉を収斂させていくのではないでしょうか。

(文責 中島)


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