*無法投区/神無月

〜母と思ふひとそばにゐて薄紅葉〜

*そねっと=葱男

7×7, for 49days, she had been just a baby girl.
七・七 四十九日の間だけ、彼女は人間の赤子でした

Once, she died, and was reborn in another world and lived for only 7 days
一度、神に召され、七日間だけ異界に生まれかわりました

After that, a white dragon brought her back, as a cat
そのあと、白い龍に連れられて、ふたたび地上に還ってきました、今度は一匹の猫として

She meowed with a small voice over and over again, in front of mam's room.
彼女はママの部屋の前で、何度か、ちいさな声で鳴いてみました

In that room, mama also was weeping bitterly.
部屋の中では、ママもまた、ひどく泣き続けていました

On an empty stomach, the cat's bowels sounded.
あまりにお腹がすいているので、猫の胃袋はクーと音を立てて鳴りました

Mama, opened the door quietly, looked at her with a wonder.
ママはしずかに扉を開き、不思議そうな顔で彼女のことを見ました

Then, mama gave her a lot of milk on one plate.
それからママは、お皿にいっぱいのミルクを彼女に与えました

For the cat, the drink was just a mother's milk.
猫にとってその飲み物は、まさにお母さんのお乳でした

One of these days , mama called her "Coo", and, she spent 19 years together with mama.
そのうちにママは彼女の事を「クー」と呼ぶようになり、そののち彼女は19年間をママと一緒に過ごしました

For the first 10 years, mama was a very skinny, smoked heavily, and, sometimes was weepinng like an early autumn shower.
最初の十年間、ママはとても痩せていて、煙草ばかりたくさん吸って、時折、秋の時雨のように泣いていました

In the 11th year, for the first time, mama began to grow indigo plant at her porch.
十一年目、ママはベランダに初めて藍を植えました

Here comes the 13th verse of this sonnet, a winter is already coming near by.
ソネットももう十三行目です、すでに冬はすぐそこに近づいています

Mama, smiled a little ,and all the time, was stroking white hairs of Coo's back , softly annd gently .
ママは少し微笑んで、そしてクーの背中の白い毛を、いつまでもずっと、優しく優しく撫でてくれました


*菊日和都心徘徊壱万歩=資料官

「菊作り咲き揃ふ日は蔭の人」
もう三十年ほど前,職場の上司が同僚の結婚式の祝辞の最後にこの句で締めた記憶がほのかに残っていました。誰の句はわからなかったこの句が吉川英治の作と知ったのは最近のことでした。なぜか菊の句というとこの句が浮かびます。また,「菊作り菊見るときは蔭の人」など,よく似た句もあるようです。

11月に入って「菊花展」があちらこちらで開催されていますが,私は見に行きやすい湯島天神と新宿御苑の菊花展は毎年見に行くことにしています。
 湯島天神は休日だけでなく朝通勤途上で立ち寄れるのがなによりでして,期間中だけでなく準備中から眺めることができます。ここの名物の菊人形は今年はやはりNHKの大河ドラマ「篤姫」が主役。桜島を背景に小松帯刀と並んだもの,和宮と将軍家茂と三人で並んだもの二景五体です。休日は七五三の親子と合格祈願の学生達が入り混じっての結構賑わっています。入場料無料,お賽銭のみと,結構庶民的な菊花展なのです。文京菊まつりは11月23日(日)まで(AM.6:00〜日没)

●篤姫は主役におはす菊花展

 

菊人形  小松帯刀と篤姫,バックは桜島

新宿御苑は皇室ゆかりの伝統を受け継ぐ「菊花壇展」と由緒ある菊花展でして,広い園内で7箇所,懸崖作り花壇から大菊花壇までなかなか見ごたえがあるのです。この三連休は懸崖作りの菊はまだ咲きそろっていませんでしたが,その他の菊はみごとに咲き誇っておりました。公開日は11月15日まで,新宿駅からすぐですから,東京在住の方は是非一度ご覧あれ。しかも入場料は200円とお安いのです。

●菊薫る新宿御苑通り抜け 19/11
●大菊や起立礼して整列す
●岩間からあふれて懸崖菊見かな 17/11

  

江戸菊花壇 江戸時代に江戸で発展した古典菊

  

肥後菊
古くから熊本地方で作られた古典菊

  

大菊花壇
黄白紅の順に名札をつけて規則正しく並んでいる。


かごんま日記:" WHITE QUEEN (AS IT BEGAN) "= スライトリ・マッド

2008年10月17日(金)

*生きる生きる自分の番を秋の水

So sad her eyes
Smiling dark eyes
So sad her eyes
As it began

On such a breathless night as this
Upon my brow the lightest kiss
I walked alone
And all around the air did say
My lady soon will stir this way
In sorrow known
The White Queen walks and the night grows pale
Stars of lovingness in her hair

今日は県のお母さんコーラスの合唱祭。私の所属するめぐみコーラスの出番は、52団体のうちの42番目の午後に。大体2曲歌うグループが多いが、めぐみは1曲に絞った。山本瓔子作詞、新実徳英作曲「生きる」。いつも練習前にボイストレーニングをしてくださるプロ級はだしのソプラノのYさんが、個人でオペラのリサイタルなどされており、しばらくめぐみの方はお休みだ。Yさんが抜けると悲しいかな、やはりソプラノが弱い。しかし、なんとか残るみんなでがんばった。講評では「成る程、納得の音鳴り、難しい曲を少しも難しそうに感じさせずに歌いこなして・・正当なる合唱との感」と、ヨイショのお言葉を頂く。下手っぴな私だが歌詞も間違えずにしっかり歌えたし、皆さんも声がよく出てて満足!終わった後、着替えながら、いつも隣で歌うDさんと話していたら、今日が篤姫展の最終日と。彼女は黎明館で古文書を読み解く仕事などされている人。「招待券持ってるわよ。あまり時間ないけど行く?」。閉館1時間前に飛び込む。お昼ごろは2ブロックくらいまで車が行列していたが、空いている。ラッキー!

*秋深し薩摩切子の紅ぼかし

Needing - unheard
Pleading - one word
So sad my eyes
She cannot see

How did thee fare, what have thee seen
The mother of the willow green
I call her name
And 'neath her window have I stayed
I loved the footsteps that she made
And when she came
White Queen how my heart did ache
And dry my lips no word would make
So still I wait

My Goddess hear my darkest fear
I speak too late
It's for evermore that I wait

Dear friend goodbye
No tears in my eyes
So sad it ends
As it began

篤姫が徳川家十三代将軍の御台所として輿入れしたときの品の一つとして、薩摩切子がある。
薩摩切子の歴史は島津斉彬の斉興が1846年に江戸からガラス職人を招き薬瓶を作ろうとしたことに始まる。その後藩主となった斉彬が殖産興業の一環としてガラスに注目し、発展させ薩摩切子という独自の美術工芸品を生み出させたもの。しかし斉彬の死後、莫大な経費を注いでいた集成館事業も財政整理のため大幅に縮小され、薩英戦争で工場が炎上し大ダメージを受け・・。西南戦争頃にはガラス製造は完全に途絶えてしまう。現在確認されている当時の薩摩切子は100点ほどしかないとのこと。薩摩切子の復元を望む声に応えて、島津家では1984年に着手に踏み切る。九州新幹線が新八代ー鹿児島中央間の部分開業をした2004年を記念して、鹿児島中央駅西口ロータリー広場にレトロモダンな薩摩切子塔が作られた。昼間は目立たないが、夜灯されると、とてもきれいだ。
私が見た篤姫展の最終日には3点の薩摩切子が展示されていた。1.サントリー美術館所蔵の『紅色皿』。透明硝子の上に銅で発色させた紅の色を被せている。透明硝子と色硝子の境があいまいな感じの「ぼかし」が薩摩切子の特徴だそう。2.同美術館所蔵の『紫色ちろり』。ちろりは酒を注ぐ容器の呼称。急須のような形。胴体に紫色の硝子を融光させ六角の籠目を刻む。蓋には七宝繋文が施されている。3.徳川記念財団所蔵の『藍色香水瓶』。どんな香水を入れていたのだろう?!明治時代に撮られたという現存する篤姫の写真では、肝っ玉母さんのような風貌。徳川家を守るために身を捧げたという、男勝りの気丈でしっかり者のイメージが強いが、香水を愛用していたかもしれないことを考えると親近感を覚えるのだ。

*"WHITE QUEEN (AS IT BEGAN)" by Queen(1977)より引用


■編集後記
 また、歩き始めます。

「記念句集」はおおかた好評なようで、いろんな方面の方々から嬉しいお祝のお手紙を戴きました。
この「合同句集」発刊がきっかけになって動きはじめた事もあります。(それがなんだかはまだ内緒です。)
50号、続けてこられたのは部員のみなさんのお陰です。
本当にありがとうございました。 m(__)m

「丘ふみ游俳倶楽部」はこのまま百号を目指してまた、歩き始めます。
百号の「記念句集」は校正をもっともっとちゃんとして、完璧な編集をめざします。

そんな事より、本当に目指しているのは宗匠言う処の「俳句の芽吹き」を、どれだけ多く体感できるか、ということです。
みなさんも頑張って下さい。
俳句を頑張るということは、言い換えれば、「生きることに徹する、そしてそれぞれの心の葉っぱを《もみぢ》する」ということに他なりません。

(文責 中島)


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