*無法投区/春待月


〜句友との小さき別れ春立ちぬ〜


*「俳句界」デビュー=葱男



まさに「俳句」界で知り合ったいろんな方々との御縁が重なって、幸運にも総合誌の目次の片隅に 「中島葱男」の文字を刻むことができました。
正月からまことにお目出度い出来事でありました。

今月は、葱男の初のアンソロジー「十九の猫」、「俳句界」掲載を記念して、みずからがこの五句に対して、つたない鑑賞と解説をを手向けようと思います。

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●早梅や五円を兄に借りしまま

子供のころ、怖がりの私は親戚の家で迎える夜を眠れなかった。
情けない話だが、兄に自分が眠るまで起きていてほしいと頼んだことがある。
兄は約束をしてくれたが、その代金として五円を請求した。

兄は数え歳、45才で亡くなった。
ATLウイルスの母子感染から白血病を発症し、5年で逝った。
その頃の兄は友人3人で新しい業界誌を発刊し、毎日休みなくハードな出張スケジュールをこなしていた。
自分達で起こした会社が軌道に乗り、仕事は充実していただろうし、生き甲斐も感じていたに違いない。
ただ、過重労働を肩代わりしてくれる部下を雇うには、まだ会社も自分も若かったのだろう。
ひとり娘はやっと小学校に入ったばかりだった。

兄が亡くなってもう15年になる。
一粒種の娘は彼が最後に遺したテープの言葉を何度も聞きかえし、頑張って勉強して京大の建築科に入学、修士過程を終えて去年、無事に就職を果たした。


●あはゆきの汝のこゑにとどまりぬ

言の葉を結ぶまぎわの柔らかき思ひにじっと耳傾ける
君子蘭汝しづかなnonを云ふ


●ヴァラナシの魚氷に上る行者かな

「魚氷に上る」:七十二候のひとつで立春の節の第三候、2月14〜18日まで。「張った氷が割れ、魚が氷上に踊り出る」という意味。
ヴァラナシとはガンガー(ガンジス川)沿いに位置する都市の名前。この街の近くで、ヴァルナー川とアッスィー川がガンガーに注ぐ。街の呼称は、「ヴァルナーとアッスィーに挟まれた街」から由来する。
ヴァラナシのガンガー近くで死んだ者は、輪廻から解脱できると考えられている。そのため、この地でひたすら死を待つ人々もいる。マニカルニカー(「宝石の耳飾り」の意)・ガートは、南北6キロガンジスの岸辺のほぼ中央に位置し、死者はここでガンガーに浸されたのちにガートで荼毘に付され、遺灰はガンガーへ流される。金が無い人、赤ん坊、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人はそのまま流される。
ありとあらゆるものがカオス(渾沌)の中にあり、すべてはここに浄化される。
猿は野猿狩の役人に逐われ、弱った人間は犬に喰われ、牛は店先に悠然と野菜を食む。
政府公認のガンジャジュ−スを飲みながらリキシャに乗って街をめぐり、酔ってヴァラナシの月を仰ぐ。
すべては偽りであり、すべては真実である。


●春かなし匂ひを打ちて描き終はる

花の絵の最後の仕上げに、その花の中心に雄蕊、雌蘂を描き入れることを「匂いを打つ」と云う。
あるいは職人の間にだけ通用する言葉なのかもしれない。
意味としては「画竜点睛」や、最後に面相筆で人形に目を描き入れる行為と同様、絵に命を吹き込む一番重要な行程である。絵が生きるか死ぬかの究極は、この一筆の表現、気合いに懸かっている。
大抵は黄金色やオレンジ色に蕊を描き入れる。
金色に輝く、その小さな袋の中には命の始まりと終わりがぎっしりと詰まっている。


●時知らず十九の猫と暮らしをり

「時知らず」は雛菊の傍題。別名はデージー。花期が長いので「長命菊」「延命菊」とも呼ばれる。
猫は御主人が大切なものを失った時にどこからともなく現れ、19年を御主人に連れ添った。 19年目、主が大切なものを取り戻した頃、猫は寿命を終えた。
名前を「COO=空」と云う。

春立ちぬ猫は二十歳になりにけり  葱男



*さよならムーミン=資料官

日暮里駅からJRを渡る京成電車と10本の線

旧国鉄にEF55という電気機関車がある。昭和11年にデビューした現存するJR最古の電気機関車,昭和39年には現役引退したものの昭和61年には動態保存で復帰した。スピードを出すために車体が当世流行の流線型に作られているが,あまりその効果はなかったらしい。蒸気機関車のように車体の前後は別だったから,同じ線を引き返す時には転車台を使用しなければならず大変不便であったようだ。その姿がトーベヤンソンのムーミンに似ていることからいつとなくムーミンという言い得て妙な愛称を頂戴したらしい。
そのEF55が寄る年には勝てずついに現役を引退することになり,平成20年1月17日上野発の快速「さよならEF55碓氷」号(9333列車)が最後の運転ということで,久し振りに早起きして撮影に出かけた。撮影場所は十分事前調査もできなかったので安直に日暮里駅のホームからの撮影を試みる。上野−日暮里間の線路は全部で10本もあり,国内でも最多数かどうかは承知していないが10本の線は幅広くここを電車が走るのは壮観である。実は地上近辺を東北上越新幹線が走っているので計12本,近くの京成線まで入れると実に14本である。

通過10分ほど前のギリギリに到着,駅のホームにも相応の人がおり,この筋では有名な駅はずれの跨線橋には相当の人だかりであった。お目当てのEF55の列車は内側から6本目を走るが,それを内側から9本目と10本目の間にある常磐線ホームから撮影をしようとしたのであるが,上野駅を同時刻に発車した常磐線スーパーひたちが9本目の線を並んでやってきたので,先頭の機関車だけしか撮影することはできなかった。初めて実物を見る流線型ムーミンEF55,完全に邪魔され訳ではないのでまあ良いかと引き上げた次第。


ムーミンEF55牽引上野発最後の列車(右)と併走してきた常磐線特急スーパーひたち(左) 日暮里駅にて

●ムーミンはスーパーひたちと並びけり
今の電気機関車はカラフル・色さまざまであるが,古い時代の電気機関車特に東京・大阪近辺の直流電気機関車は太宗が茶色の地味な色であった。この懐かしい時代の電車機関車が次第に姿を消していたので,大学生の頃(S46〜S50),昭和の電気機関車例えばEF52,EF53(改造したEF59で代替),EF56,EF57,EF13,EF15などを求めて九州から周遊券を握り締めて上京した。ふとそういうレトロ昭和時代の雰囲気を思い出し,一瞬興奮を覚えた真冬の朝の話でありました。お騒がせ。


終着上野駅まであとわずか,EF57牽引急行八甲田(おそらく)
昭和50年2月鶯谷



●冬晴れや昭和の機関車快走す
いよいよシャベ栗さんのブルートレインの本が出ることになりました。是非是非お買い求め願います。






*38年前の受験列車ゴーゴー=喋九厘

現在制作中のブルートレイン本への博多駅受験見送り風景の写真掲載をめぐり、丘メールをお騒がせ致しました。
こちら游俳の皆様にも、葱部長を始めたくさんの応援をいただきました。
この場をお借りして御礼申し上げます。

2月末頃にはブルトレ本が完成予定で、来月号で詳細をご案内できると思います。

本にはブルートレイン『あさかぜ』のコラムがあるのですが、原稿削除で世に出る事ができなかった部分をご紹介します。
私も早朝にもかかわらず、たくさんの皆さんのお見送りをいただき、東京へと旅立ちました。
懐かしのデータ、記録もありますので、宜しかったら読んでやって下さい。
私は急行列車と鈍行で上京がご愛嬌です。

今から38年前の昭和46年2月…
博多駅を朝7時19分、始発の電車急行『玄海』(好きな人には解る乗車車両はクモハ475‐1トップナンバー)で旅立ってます。
『玄海』の終点は名古屋でしたが、大阪で17時02分下車。
急行料金は300円、当時は201キロ以上はすべてこの額でしたから、最長距離急行『高千穂』に西鹿児島から東京まで約1600キロ乗っても同額です。
広島のあなご飯150円は旨いとか、須磨浦海岸の美しさに感動したらしく、「夕焼けの『玄海』走る須磨の海」と575調の俳句もどきの記述までしていました…

大阪から大垣行き普通電車のグリーン車に乗車。当時は大阪付近でも、多くのグリーン車連結普通電車が運転されていました。
更に大垣で東京行き夜行普通電車144Mのグリーン車に乗車しています。
先の急行『玄海』で大垣まで先回りしても良かったのですが、時間調整と生まれて初めてのグリーン車に長く乗っていたかったようです。
静岡0時41分着の1時ちょうど発車、深夜のこの時間に弁当売りが立っているとの記録もありました。東京早朝4時35分着。
普通グリーン券Bの料金は大阪市内から東京都区内までで300円。81キロ以上は一律、列車の乗り継ぎも可能でした。
乗車券は南福岡から国分寺まで学割で2830円ナリ。(この時代は福岡市内駅の設定は無しです)
国分寺までの乗車券としたのは、東京までの切符とすると回収される為で切符を手元に残す知恵でした。同じ運賃帯の最遠駅が国分寺です。

38年前の『受験列車ゴーゴー』と題された自作の写真アルバムに記されたルポ風文章と、 アルバムに貼られた当時の切符を元にこの話を書きましたが、今になってこんな記録が役立つとは!です。


かごんま日記:「春」= スライトリ・マッド

2009年1月1日(木)

*ウィーンフィル調音のAお元日

オーケストラの音合わせは、オーボエのA(アー)の音から始めるらしい。木管楽器は音程が安定しているからだ。始まる前のざわざわとした、と同時にわくわくする瞬間。今年で69回目を迎えるニューイヤー・コンサートは、毎年1月1日にウィーン楽友協会の大ホール で行なわれるマチネのコンサート。ウィーンとは8時間の時差があるため、日本では夜テレビで生放送される。今年は、しっかり見た。
というのは、第1バイオリン奏者のヴィルフリート・和樹・へーデンボルグを見るため。彼は1977年ザルツブルグ生まれの新進気鋭のバイオリニスト。2004年からウィーンフィルのメンバー。父親はスウェーデン人、母親が日本人(岐阜出身)のともに音楽家。和樹の 奥さんが鹿児島出身の声楽家、恭子ちゃんで。なんと彼女は私の入っているめぐみコーラスの仲良しの先輩Nさんの娘さんなのだ。恭子ちゃんとは、会ったこともあるし、ウィーン流結婚式のビデオを見せてもらったことも。披露宴はまるで一流の演奏会と化していた! 現在、恭子ちゃんはウィーン国立歌劇場の合唱団に所属。彼女のリサイタルの録音CDを聴いたが、やっぱりプロは違うなあ。玉を転がすような声というが、まさにあれ!和樹とジュン・ケラー(同じくウィーンフィルの若手バイオリニスト)が、ニューイヤー・コンサートを弾き終えた直後、来日し、4〜10日まで、全国7ヶ所でバイオリン2+ピアノ1の演奏会をするとのこと。鹿児島は6日にあるので行く。

*紙鍵盤奏づるバッハ月冴ゆる

先日見たレンタル映画「こわれゆく世界の中で」(2006)の中での話。ジュリエット・ビノシュが、サラエボ出身の移民に扮し、ロンドンの低所得者層のアパートで、音の出ない鍵盤を弾く場面があった。故国ではいつ爆弾が落ちてくるかわからないから、外の音を聞 けるように音を出さずに弾くのだという。超難しそうな譜面をバラバラッと弾くと彼女の頭の中で音が満ち溢れる。貧しい人にも、音楽は幸せを運んでくれる。ところでニューイヤー・コンサートの指揮者は、毎年楽団員全員による投票によって決定されるらしい。今年はダニエル・バレンボイム。『美しく青きドナウ』のとき、演奏を中断し、指揮者と楽団員からの新年の挨拶があり、再び最初から演奏を始めるのも恒例。バレンボイムの今年の挨拶は、「2009年が世界に平和、中東に人類の正義が訪れる年になることを望む」だった。そのあと、楽団員全員による力強い“ Prosit Neujahr!"(=新年おめでとう)が発せられた。アルゼンチンに生まれイスラエル国籍をもつユダヤ人である彼は、若いイスラエル人32人とアラブ人34人から成るウェスト・イースタン・ディバン管弦楽団の活動を通じ、中東和平に積極的に働きかけている。がしかし残念なことに1月10日と12日に予定されていた中東での演奏会が無期限に延期された。パレスチナ自治区ガザ地区の戦闘は激化の一途を辿っており、止むを得ぬ決断だろう。安心して音楽を楽しめる世界が来ないものか?!

*舞初や天使の羽根のある男の子

ウィーン楽友協会の黄金の間を飾るきれいな花はイタリアのサンレモ市から贈られることになっているそう。曲目は、オーストリアの作曲家ヨハン・シュトラウス一家に敬意を表した選定となる。それでいつもワルツやポルカなどがかかるんだ。アンコールにシュトラウス作曲の『美しく青きドナウ』と『ラデツキー行進曲』が演奏されるのも定番。今年はハイドン没後200周年ということで、第2部の最後、アンコールの前に、ハイドンの『告別』も演奏された。演奏しながら演奏者が席を次々と立ち、誰もいなくなってバレンボイムがショボンとするという趣向。『美しく青きドナウ』では、バレエが披露され、水の妖精のような女の子と天使の姿の男の子が客席の間を踊るシーンもあり、その愛らしさにうっとりさせられた。

裸木が
踊って
枝先に気配
空の匂い
耳の弾力
唇の記憶
ネギの薄皮
菜の花のお浸し
熱い
ふつふつ
もう
届いたでしょうか

*「春」4つの歌曲第2番から 詩 小池温子、曲 南 聡 (2007)より引用


■編集後記
今月初投句の「秋桜」さん改め「小夜女」さんが華々しいデビューを飾った。
今回はA部門、3句の投句だけであったが、

●荒れし手の母が春着のしつけ取る=小夜女
◎香、雪○君△久、百、資、男、砂=13点
●路地に入るまだ逃がさぬと寒の風=小夜女
◎入○久△夏、男、ス=8点
●サーファーとトンビ群れたり冬うらら=小夜女
△百=1点

の全句入選を果たす。
まだ全くの初心者ということで、仮名遣いや、切れ字の使い方も「いろは」からの勉強になるが、彼女の句のモチーフにははじめからとても「俳句的」なるものを感じる。
「サーファー」句など、肩に力がはいっていなくて、とても素人が詠み始めた句とは思えない落ち着きがある。
今後、基本的な俳句技法を身につければ、伸びること間違い無い才能であると思った。

逆にせっかく、この2ヶ月、「本気」を出して俳句を詠んでくれた白髪鴨さんが、またまた東京転勤の辞令を受け、身辺あわただしく、お休みとなった。
関西単身赴任の時期だけ投句のあった彼だけに、今後の文学的時間の確保が心配される。
それは前鰤さんにも同じことが言えるが、企業は、社員をそこまで追い込むような雇い方を見直すべきだろう。それが企業倫理である。

(文責 中島)


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