*無法投区/太郎月

〜凧の尾のちぎれて童はしやぎけり〜


*文學の森句会報告=葱男

去る平成二十一年十月十七日、文學の森会議室に於いて第23回「文學の森句会」が開催され、その模様が「月刊俳句界」2010年1月号に掲載された。

句会の指導をされたのは「天籟通信」代表・福本弘明氏。
「丘ふみ」からは砂太、五六二三斎、雪絵の三名が参加、総勢二十一名、各々5句を出句して総数105句から互選、主宰選が行なわれた。

福本氏の選んだ句は13句。
「丘ふみ」メンバーは大健闘してそれぞれ1句ずつの入選となった。

●秋深き山は幾重に子守唄  原たかゆき

●柿喰うて納屋のベンツを洗ひけり  白川砂太

●立待月ギターをしまふストリート  久保田雪絵

互選の高得点句、主宰入選句の中から私が好きだった句を御紹介します。

●鶏頭の横一列の不安感  夢野はる香

●少女自死ティッシュのやうな昼の月  カン・キドン

●二胡の音の上の階より十三夜  山口佐和子

●消息は色なき風よ紙風船  猪野智恵子

ちなみにカン.キドンさんは「(株)文學の森」のオーナー、猪野さんは私の友人で同じく「(株)文學の森」の出版部の方です。
福岡では二ケ月に一回「文學の森句会」が開かれます。
勉強になりますので、時間のある方は是非とも参加してみて下さい。  


*くぐる道天神さまの初詣で=喋九厘

謹賀新年、喋九厘です。
写真は太宰府天満宮の開運守矢、新年も皆さまに多くの幸運が訪れますように!
バックは西鉄カレンダー1月、鹿児島県は開聞岳の朝日です。

以下は私事で恐縮ですが、今年の初みくじから

太宰府天満宮みくじ
第十九番 中吉
運気ひと休みの感あり。対人関係は波風が立ちやすく落ち込まないよう気を強く持つことが肝腎です。
誠実、実直に対処し能力の範囲内で解決を図りましょう。

竈門神社花みくじ
あなたの花はアネモネ
花ことば=はかない希望
運勢 吉
希望は大きくなければなりませんが、身の程をわきまえないと悲嘆の淵に沈むことになります

これが、けっこう当たるんだナァー!
これからも感謝の気持ちを忘れずに、トラ年の今年も更に、その一瞬一瞬をトラえ続けられるよう頑張ります。


*祈りの山 宝満山をめぐる鉄道=資料官

  11月は九州国立博物館のシャベ栗写真展「宝満山2009春夏‐祈りと山麓のくらし」で久し振りに宝満山を味わった。シャベ栗の写真展としては珍しくまったく鉄分がありませんでしたので,この無法投区で「祈りの山 宝満山のをめぐる鉄道」を披露したいと思う。

宝満山に登ったのは,平尾小学校6年の遠足とむしむし会の「宝満山に四方から登って山頂に集合する集い」に2回参加の計3回しかないが,何かにつけ宝満山はゆかりの山である。 昭和43年に筑紫丘に入学すると,旧校歌に「東宝満 西背振」♪とあり,また宝満山のふもとの町から通ってくる同級生もいて,さらに身近に感じるようになった。福岡市南部からから旧筑紫郡あたりで鉄道写真を撮るとバックに宝満山の姿があり,大野城の実家の二階の窓から見ると宝満山から日が登り,冬になると雪景色の宝満山を眺めることができた。標高830メートルとさほど高くはないものの,三郡連山の中では一番の大宰府寄りにあり,独立峰のように何処からでも見え目立つ山である。

昭和49年11月
西鉄大牟田線 井尻‐雑餉隈間で国鉄鹿児島本線と立体交差
福岡行き1300系各駅停車,全日空のB727が降下していく
正面が宝満山から三郡山への尾根



昭和47年9月
西鉄大牟田線 下大利‐都府楼前間の田園地帯を走る西鉄電車600系5連
四王寺山とその向こうの宝満山
西鉄大宰府線は長年シャベ栗の足となっている単線の盲腸線ではあるが,太宰府天満宮への足となっていることから西鉄にとっては存在感が大きな路線である。電車が福岡から二日市駅に着くとスイッチバックして右急カーブを大宰府に向かう。今はバイパスやマンションに埋もれてしまっているが,私らの学生時代は二日市駅の先の切り通しを抜けると,田んぼの中を宝満山に向かって走るのどかな大宰府線であった。ここの目玉は,なんといっても,初詣や観梅の頃に走る臨時急行であり,梅の形の急行マークや「とびうめ号」のマークをつけた旧型電車の独壇場であった。この時期になると高木重剛さんや浜地さんとこの五条のたんぼに何度も通った。ここは宝満山の南西の位置にあり,山がどっしりと見える場所でもあった。なぜか地元のシャベ栗に遭遇したことはなかったが,その当時は乗るだけであまり写真を撮る気にはならなかったのかもしれない。

●太宰府線臨時急行初景色
●初空やJAL東京へ上昇中
●初景色東宝満西背振 (游俳倶楽部42号から)


昭和49年6月
通いつめた大宰府線 二日市−五条間の宝満山を入れて撮影するスポット
100系3連



昭和49年1月 濱地さんの弟が撮影した大宰府線福岡行き600系電車
右上の丘に鉄がひとり幽霊のように写っている「心霊写真」



昭和50年2月 大宰府線 二日市‐五条間 
臨時急行とびうめ号 313系(4連)
宝満山には雪が残る
昭和40年代には筑豊本線には特急かもめや急行天草が走っていて,まだいかばかりか幹線の趣きが残っていた。一方で,蒸気機関車も走っており身近な撮影スポットであった。あまり意識してはいないが,筑前山家‐原田間の田園地帯や筑前山家−筑前内野間の冷水峠の撮影スポットではバックにしっかりと宝満山が鎮座していたものである。
近年,余命いくばくもない寝台特急はやぶさを撮影する天拝山−原田間の撮影スポットはわれら鉄仲間では栗原スポットと呼んでおり,ここで待ち合わせして撮影することが多かった。周囲では宅地化や道路建設が急速に進む中で,唯一取り残されたように,田植えの水鏡や秋の曼珠沙華などの鉄道の美しさを補完する題材があふれていた。長年シャベ栗はこの界隈で列車の撮影を続け,写真集や雑誌にその写真を紹介したので,全国の鉄道ファンの中では有名な場所となってしまった。ここで列車を正面から撮影すると背景に宝満山がしっかり写っていた。


昭和47年2月 筑豊本線 筑前山家‐原田間 D51牽引旅客列車
左から,宝満山(830m),元宝満(869m),奥のレーダがあるのが三郡山(936m)



昭和44年9月 国鉄筑豊本線 筑前内野‐筑前山家間 D51貨物と宝満山



平成20年12月
鹿児島本線 天拝山‐原田間のいわゆる栗原スポットにて上り特急かもめ
ポイントの2本の大樹と右奥の宝満山


●ブルートレイン廃止のニュース蜜柑剥く (游俳倶楽部52号から)

さて,シャベ栗の宝満通いは2011年春の写真集出版を目指してまだ続くのであろう。この山登りは,長年アルコールと煙にむしばまれた体を癒せる絶好のチャンスでもある。余計なお世話だろうが,これからも更に一層この祈りの山宝満山に真剣に向き合ってもらいたいと思っている。


かごんま日記:"SILENT NIGHT"= スライトリ・マッド

2009年12月22日(火)
*高千穂の峰を仰ぎて今朝の春

静かな森の草花たちは今ひっそり何かを話している 
遠く 遠くを 呼んでるような どこか気持ちいいメロディのよう
  それは僕に歌っているの
何となくそんな気がしていて
周り見渡しても僕しかいなくて だからそっと受け止めるよ
とても小さく優しくキレイで 今にも僕を包み込みそうな
この場所は 子どもの頃を思い出すような そんな気持ちになるんだ

優しく見守っていてね
これからもずっと側にいてね
僕は孤独で 泣き虫で いつもベッドの中にもぐりこむんだ
強くなれなくたっていい
キミ達が側にいてくれれば
オヤスミ もう一眠り
夢の中でもあえたらいいね

12月の11日に無事コーラスの定期演奏会を終え、ホッとしたのもつかの間。翌12〜13日に鹿児島市から霧島市隼人町に引越しをした。前住んでいた家は鹿児島中央駅の近くで大変便利であったが、築25年のコンクリートの借家が老朽化して昨年の秋ごろから床が抜け落ちて怪我をしたりと、危険がいっぱい。湿気とカビにも8年間悩まされていたからである。
今度の家は、鹿児島県産材で出来た木の家。驚くことに湿気とカビと無縁。南向きに大きく開いていて、昼間は電気をつけなくてもいい。こんな生活もあったのねえ。桜島の灰にも悩まされたこの1年であったが、隼人方面にはあまり飛んでこない。来たとしても、翌日必ず雨が降るらしい。住んでみてわかったことだが、国分・隼人は鹿児島の副都心を形成しており、意外にも不自由はない。むしろ店は前より揃っており、買い物しやすいようだ。空港、高速インター、JR隼人駅それぞれに近く、交通のアクセスもよい。ただ中央駅までJRで40分。田舎暮らしであることは間違いない。

*天降川我如古大和ノ初手水

芽吹き 枯れて また生まれてくる 泣いてる君に 静かに手を振る
前よりも少し優しくなれる 強くなれる気がする
大きな円を回って 君も僕も少しずつ変わって
笑って また逢えたらいいね 柔らかい日差しの中でさよなら

Silent Night 生まれてから
Silent Night すぐ消えてった
Silent Night 静かな夜 Silent Night
Silent Night 必ずまた
Silent Night 逢えるからさ
Silent Night 静かな夜 Silent Night

  今日は鹿児島市の市民文化ホールでオレンジレンジのコンサート。娘(高1)が独りじゃ行きにくいと半年前からチケットを2枚買ってた。若いお兄さんたちのバンドぐらいの認識しかなかったが、どんな輩か?!という単純な興味もあって・・。夜になると冷え込みが厳しく、たくさん着込んでいたが、会場はホット、ホット!2時間半、立ちっ放し。郷に入っては郷に従えで、周りと同じようにワーワー手踊りなんぞやってたら汗だくでTシャツ一枚に。ファンクラブを通して手に入れたためか、前から3番目の席。スピーカーが真ん前にあり、大音響。ベースやドラムの低音が響くと床を伝わって足の先からから頭のてっぺんまで全身を音の振動が貫いて行く。終わった後もしばらく耳と心臓がヘンだった。高音担当のボーカルの大和(やまと)くんがなんと目の前に!彼はクオーターらしい。痩せてて顔が小さい。黙っていると結構カッコいいのだが喋るとかなり可笑しい。ぐにゃぐにゃ、一生懸命、真面 目、不真面目が同居してる。変わってる。でも歌い出すとオーラを放つ。サイレントナイトを歌っているとき、ガネコヤマトはまるで天使のように見えた。彼らは沖縄に根ざして活動してるとこがユニークなのかもね。

* "SILENT NIGHT" (2006)  by ORANGE RANGE より引用


■編集後記

2010年の第1弾!
「丘ふみ游俳倶楽部・第65号」の発刊である。
百号までのおよそ三分の二の地点を通過したわけだ。
この、青く美しい地球があと何年持つのか分からないけれど、あと3年、せめて湯布院の大宴会までは無事であってほしい。
もうこの年令になると人生、そんなに「快楽の量」は残されていないのだが、湯布院の為には是非とも老人力をキープしておきたいと思う。
いや、失言でした!
「老人力」は男達に捧げるバラードでした。
女性陣にはもとより「丘女力」が備わっていて、快楽の量も満タン、メーターはFULLに振り切れておるようです。(笑)


■消息

葱男:『俳句界』2010年1月号/「俳界ちゃんネル」掲載3句。「めーる一行詩」【特選】。兼題【佳作】(大高霧海選)
五六二三斎(原たかゆき):『俳句界』2010年1月号/「めーる一行詩」【佳作】。
スライトリ・マッド(島小みかん):『俳句界』2010年1月号/「めーる一行詩」【佳作】


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