*無法投区/雪待月

〜神の留守極寒覚悟するのみか(回文)〜


*澄響さんへ=入鈴

うつむきて読書する友地下鉄に
古都の宴のあけし日常

京都の同窓会から早いもので,一年がたちました。
京都観光のおのぼりでもあり,
古都に生業する友らとの語らいを,
楽しんだ同窓生でもあり,
それぞれに思い出を残してくれました。
今年の博多の宴に,澄響さんも出席できなかったものの,
同窓会の皆さんの濃ゆい時間を推して知るべしですよね。
来年は再びお会いしたいと,切に。
 四条烏丸で車窓に向かってオランダーズ:君不去津,
ちーづ,天つく由美,小夜女,入鈴&やがて気づく山崎くん


*とうちゃん,かあちゃんのお葬式=葱男

「かあちゃん! よう働いてくれてありがとうございました。すぐに行くけんな。それまで待っててよ,元気で待っててよ。」

棺の中をお花でいっぱいにして,いよいよ蓋をする,という時のとうちゃんの言葉。
亡くなったものに「元気でな。」とは,泪なくしては聞けない言葉だった。

「智徳院最勝麻子大姉」というのがかあちゃんの法名となる。
91才,脳梗塞で倒れ,まだ充分に歩けず,少し呂律がまわらず,オシッコが出ないときは導尿の管をいれなければならないとうちゃんが葬式の間中,りっぱに喪主をつとめた。
ご焼香に来て下さった遠縁や近隣のひとたちの顔をひとりひとりしっかりと見て,喜こび,哀しみの感情をあらわにしながら丁寧に頭を下げる。

お通夜の当日に病院から戻ってきたとうちゃんは,死化粧をして蒲団に静かに横たわっているかあちゃんの枕元で,おおきな声で涙をぼろぼろとこぼしながら,「かあちゃん,かあちゃん」とずっと名前を呼びつづけていた。
これほどに素直で一本気で,妻への愛に満ちあふれた男を他に知らない。

かあちゃんが意識を失い,食べ物も一切受け付けず,酸素吸入を続け,水分だけを点滴で身体に入れるような状態になってから二週間,一時は血中酸素濃度が60にまで下がったこともあったが,それでもかあちゃんは頑張って生きた。
いや,かあちゃんは本当にゆっくりゆっくりと死へのお遍路を歩いていたのだと思う。
栄養となるようなものは何も入れていないのに,不思議なもので糞尿は毎日排出された。そしてそれはゆっくりゆっくりと濃度をうすめて,最後にはまったくの透明な液体に変わった。 亡くなった日の事。
かあちゃんの呼吸がなくなる。1分,2分,それから5分経ってまたかすかな呼吸が始まる。 そのたびにまわりのものは安堵する。
そんなことを二度も三度もくり返したあと,それまでずっとかあちゃんの胸に手を当てていた院長先生がぽつりと呟いた。「御臨終です。」

身体の中を生まれた時のまんまのように真っさらにして,なんの痛みもなく,苦しみもないままにかあちゃんは浄土へと旅立った。

●冬の水身ぬちに通し死にたまふ  葱

かあちゃんはそれまで89年間の人生,おそらく一度も晴れがましい舞台に立ったことも,輝かしい業績や記録を残したこともなかっただろう。
しかし,私はかあちゃんにひとつ,金メダルをあげたいと思う。
それは葬儀屋さんをとても驚かせたひとつの記録の話である。

御葬式を無事に終え,火葬場に連れ立った私たちは,お昼をはさんで遺骨を家に持ち帰り,その日のうちに簡略な初七日の儀を執り行なうことにした。
葬儀屋さんには私たちが戻るまでに祭壇の設えを初七日の法要に合わせた小さなものに模様替えしてもらうことになっていた。
出棺から約2時間の余裕があった。
ところが私達は1時間で火葬場から引き上げてきたのである。
「こんなに早いのは初めてでした。」
祭事が終わったあとに葬儀屋さんは驚きの声を上げた。
かあちゃんは,ふつうの人なら1時間半かかるところを30分で灰となったのである。
「最短記録です。」と葬儀屋さんはおっしゃった。
かあちゃんは,人の3倍も精一杯生きたから,こんなに早く灰となることができたのだと,私は考えている。

●冬晴にかろきお骨のけぶりかな  葱


*太宰府吟行句会,決行!=雪絵

丘ふみ同窓会から一週間後の11月21日(土),かねてよりの喋九厘さんの呼びかけで,太宰府散策と句会を行いました。




  その日は,九州国立博物館で「祈りの山 宝満山」というトピック展示があっていて,その関連イベントの栗原隆司写真展(「宝満山2009春夏‐祈りと山麓のくらし‐」)の開催の中,写真会場に午後2時に集合という段取りでした。
ところが残念なことに,3,4人は予定していたはずの部員が体調を崩したり,家庭や仕事の都合で出席を見合わせるハプニング!
結局,家庭の事情もなく,体調もいたって万全な私が呼びかけに応じ,砂太先生をお迎えして少数精鋭(?)の3人でミニミニ吟行句会を行うこととなりました。

最初は「栗原隆司写真展」。
喋九厘さんは思い通りにはさせてもらえなかった,と話しておられましたが,砂太先生も絶賛されたように,とても色の美しい,そしてどこか懐かしさや土の匂いを感じる素晴らしい写真の数々が展示されていました。

●五月湧く裏宝満の金の水  喋九厘

この句の由来となった水の湧き出る小さな洞窟の写真も,私には金色に輝いて見えました。
高校時代,生物部に所属していた私は宝満山の植物分布の調査で,毎週のように裏宝満を登っていたこともあり,当時のことが思い出されてとても感慨深いものがありました。そして,その写真の下には部長からの皆勤賞の色紙も展示されてありました。

その博物館を出たのは,午後3時を回っていたでしょうか。
少々時期を過ぎた菊花展を横目に見ながら,まずは本殿へ行き,お参り。
神殿の右手には飛梅の木,左手には橘の古木が可愛らしい実をたくさんつけていました。

その日はとても寒く,時間もあまりなかったので,そこそこに次の目的地の光明禅寺へと。

  


寺へ続く小道も周りの木々は赤や黄に染まり,民家の庭先のたわわに実った夏みかん,真っ赤な実だけを残した柿の木などを眺めながら寺の門をくぐりました。
ここは九州で唯一の石庭とのこと。
座敷から眺めるもみじは紅葉も進み,多くの観光客が入れ替わり立ち代わり庭を背景にシャッターを押していました。
私達3人はそれぞれ場所を移動しながら,句作に励みました(?)
座敷の柱に,竹に書かれた句が一つ。

●石庭の時雨るる時の京に似し  高尾

光明禅寺を出て最後の目的地,宴会,いえ,句会場所である豆腐とゆばの店「梅の花」へ。
午後5時到着。
ひっそりとした路地奥にあり,お庭がとても素敵なお店でした。

そしていよいよ句会。
同窓会の次の日,一応句会を想定して下見がてら,部長,副部長,喋九厘さん,私とで太宰府に来ていたこともあり,部長から3句前日に投句していただいてました。
しかし何せ出席者は3名。なので型どおりの句会ではなく,短冊にそれぞれ書いた句を私が読み上げ砂太先生の評を仰ぐ形となりました。
承諾は得ていませんが,ここに4名の提出された句を掲載します。  悪しからず・・・。

砂太句   ●赤からは散れぬ紅葉の七色に
      ●冬の日の滑る禅寺の屋根の反り
      ●軒毎に菊飾りをり古都宰府

葱男句   ●冬めきて狛犬吽と逆立ちす
      ●大樟の目通し一丈寒晒
      ●冬紅葉枯山水に吹き寄せる

喋九厘句  ●紅葉狩り携帯喋りて奥座敷
      ●苔寺の厚着の紅葉おお寒し

雪絵句   ●石庭は座して眺むる冬紅葉
      ●枯山水すじに添ひたり散紅葉
      ●レンズより見ゆる宝満神渡

一句披講するごとに,砂太先生の「あっ,それはいい!!」 「これはあたり前の句!」 「それはそれでいいんじゃない?!」 などなど叱咤激励のお言葉や推敲が次々となされて,内心はらはらしながら聞いてました。
砂太先生の俳句に対する情熱には,ほんとに底知れぬものがあります。もしかして,俳句に恋していらっしゃるのではなかろうかと思ったくらいです。
「きれいなものをきれいに詠むのはもう終わり!これからは人,人間を詠まなくては!!」と。 そして・・・

●雪はげし抱かれて息のつまりしこと    多佳子

「こんな句を詠みなさい!」と言われた時は,まだまだ俳句の門前でうろうろしている私にとっては,どう返事をしていいものか,頭の中がただただ,ぐるぐると回転していましたね〜。でも,「丘ふみはみんな,成長したねぇ。」とおっしゃられた時は,私もその端くれとして嬉しくもありました。
帰りは,西鉄太宰府駅を午後8時少し前の,福岡行き普通電車に乗り帰途に着きました。

ひとつだけ気がかりだったのは,砂太先生が大橋駅を降りる間際,電車の切符が見つからなかったこと。
それでも先生は上機嫌で,大きく手を振ってホームの階段を降りて行かれました。

砂太先生,喋九厘さん! 句会大変お疲れさまでした。
そして,不在投句の葱男部長,ありがとうございました。


竈門神社/名残の紅葉=喋九厘

    


●道祖神斑紅葉の衣かな
●かくれんぼ山神宿る霧降るや
●竈門なる神の居ぬ間に枯れ紅葉

今年の太宰府の紅葉は長持ちを致しまして,12月に入りようやく紅葉散る頃になって参りました。
写真は12月4日現在の竈門神社境内,名残の紅葉風景です。
山麓の辻に立つ道祖神さんは,落下した赤紅葉や黄紅葉で斑模様の衣をまとってます。
宝満山から霧が降りて来て,里の紅葉を濃淡のカーテンが繰り返し覆い,それらはまるでかくれんぼをしているようです。
竈門神社のご神体,竈門三神座像,縁結びの神である玉依姫命らが九州国立博物館に出掛けている間に,竈門神社境内もすっかり枯れ紅葉の季節を迎えてしまいました。
(竈門三神座像が竈門神社を留守にして一か月余となりますが,この間参拝者は神様が不在の本殿に拝礼している事になるのかな?)
トピック展示『祈りの山 宝満山』は12月20日まで展示です。

御礼が最後になってしまいましたが,先の九博での写真展『宝満山2009春夏』にお越しいただきました皆さま,誠にありがとうございました。
再来年春の『宝満山』本の出版の為,来年も宝満山および山周辺の撮影が続きます。写真展のご感想等教えていただけますと幸いです。
尚,もし見逃された方には,来年3月9日から一週間,太宰府中央公民館ギャラリーで,秋冬の宝満山を加えた写真展をやる事が決まってますので,この時にどうぞお越しくださいませ。

少し早ようございますが,皆さま,つつがなく師走を過ごされ,良き新年を!


*まだふみもみず天橋立紀行 日本三景制覇の記=資料官

  小学校時代には切手の収集に没頭した。これも社会勉強の一つであり文化人,国立・国定公園,動植物等々を知るきっかけとなった。正岡子規,森鴎外,岡倉天心,樋口一葉などを最初に知ったのは文化人切手からである。国立公園と国定公園の名前も切手から学んだ。昭和35年に発行された3枚の切手によって,日本三景が宮城県 陸前「松島」,広島県 安芸の「宮島」,京都府 丹後「天橋立」であることを知った。「日本三景」は寛永20年(1643年)に林羅山の三男で儒学者林春斎が「日本国事跡考」に「丹後の天橋立,陸奥の松島,安芸の宮島を日本三景」と書いたのが始まりらしい。

*日本三景を知るきっかけとなった3枚の切手

新幹線開通前の山陽本線に乗ると宮島口駅付近を通過する際に海の向こうに厳島神社の朱塗りの鳥居が列車の窓から眺めることができた。これが初めて見た日本三景である。
日本三景は列車の名前にも登場している。「宮島」は急行宮島が東京−広島間を往時は2往復走り,「松島」は急行まつしまが上野−仙台間を走るが,急行ばんだい(上野−会津若松)や急行ざおう(上野−山形)と併結して走ることが多かった。ただ急行宮島も急行まつしまもかってはその区間の中心的な列車であったが,特急の台頭と新幹線の開業によって今はその名前の列車はない。一方,「天橋立」は名前が長いのでそのままの列車名はなく,はしだて号という準急や急行が大阪から宮津線方面に走っていたが,その後改廃を繰り返し今は京都から天橋立方面を結ぶ電車特急となっており,唯一の日本三景の列車として残っている。残念ながらこの3列車の写真はなく,無法投区への掲載はできない。

 私が日本三景に足を踏み入れたのは21世紀になってからである。それまでは近くまで出かけても列車ばかり追いかけて,行ってみようという気すら起きなかった。この頃になってようやく行く気になったのは,そういう歳になったせいだろうか。大都市の近辺にある松島や宮島は比較的行き易く,出張の際に寄り道をした(当然前後の休日利用です)。振り返って見るといずれも最初に出かけたのは11月でして,宮島は広島から広電と連絡船で島に渡り厳島神社を参拝,松島は仙台から仙石線で松島海岸へ出て遊覧船で一周して瑞巌寺参拝するというおなじみのパターンでした。

 ところが天橋立だけはなかなか行きにくく,今年になって11月の土日にようやく出かけることができた。行き方はいろいろ考えたが,天橋立を歩いて渡るというツアーがあったのでそれに便乗した。新幹線で岐阜羽島まで行き,あとはバスで敦賀・小浜・舞鶴から宮津泊り,翌朝手前の文殊から対岸の江尻まで白砂松緑の細長い砂洲を約一時間を掛けて歩いて渡った。
 この長さ約3.6キロメートルの道は「日本の道百選」に指定されており,ここを挟んで,外海が与謝の海(宮津湾)と内海が阿蘇の海である。左右の海を眺めながら歩くさわやなか朝の散歩であった。途中には芭蕉の句碑「一声の江に横たふやほととぎす」と蕪村の句碑「はし立や松は月日のこぼれ種」があったので一読して通り過ぎたが,はたして句は浮かばずむしろ写真ばかり。のんびり歩き過ぎて集合時間ぎりぎりに対岸の籠(この)神社に到着した。



東側の栗田(くんだ)半島のホテルの窓から見た天橋立
左端から右端に歩いた



日本三景の碑 丹後天橋立陸奥松島安芸厳島為三処奇観
林春斎(鵞峰)「日本国事跡考」

●はし立を渡る両手に秋の海
●さわやかや天橋立通り抜け
●股覗きしてはし立の秋高し



左は阿蘇の海,右は与謝の海(宮津湾)

ここからケーブルカーという鉄道に乗車して「股のぞき」で知られる笠松公園に登った。ここでは定番の股覗きして見る天橋立を満喫した。股を開き頭を深くさげているとだんだん頭に血が上りボーっとしてきて,水に写る松林がにじんで見えて天に昇る龍のように見えた。写真を逆さにすれば同じなんだろうが,こうやって見る天橋立もなかなか味があると感心しつつ時間いっぱい股のぞきを繰り返した。これで日本三景制覇!!!!!!!!

大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天橋立 小式部内侍



笠松公園に登るケーブルカー,帰りは正面に天橋立が見えるリフトに乗った



股のぞきして撮影したものです


かごんま日記:「いきすこまる」= スライトリ・マッド

2009年11月26日(木)
*いきすこまる毬をつきつき神迎

いきすこまるや 
いちゅばな くぇへて
  まんばな くぇへて ゆらゆら しゅむぇて
てぃんげのはなや むらてぃさきゅり
あーかや かんぷる
  くぉーかや かんぷる

 来月の第2週の金曜日は,いよいよこの1年練習を頑張ってきたママさんコーラスの定期演奏会の日。3年ぶりの開催。今回は指揮者が同じである「はな野フラウエンコール」さんとのジョイント・コンサート。今日は,合同練習だった。はな野さんは平均年齢が,私の所属する「めぐみコーラス」のそれより10歳くらい若い。「いきすこまる」は,奄美に伝わる童謡。アカペラの歌はダイナミックで,振りもおもしろく目が釘付けに。振り付けは若いメンバーが中心になってやったとのこと。本番が楽しみだ。「いきすこまる」とは,奄美の言葉で「池城の毬」の意味。奄美では,蘇鉄の葉っぱの付け根についている綿状のクハマと呼ばれるものを丸めて,その上を色とりどりの糸で巻き綺麗な縞模様の毬を作り,遊んだとのこと。指揮者の田中さんの母上が実際に作った毬をステージで使うらしい。

*地下室に飛び交ふ音符神無月

やまぐわなん ニャーハレ
くんむんがぬ たっちゅり
くんむんがち すいりば
くんむんがや あらで

ぐわんちょんすかまや
はかなんてぃ はかもり
しゅんちゅや たりちば
さねんぬ すぃぐらでっぐわ すぃぐらでっぐわ
ディゴマンゴー

第1の合同ステージは,12月に相応しい「イザヤの預言」から。『神は仰せになる』,『これは わたしが支えるしもべ』,『主である神の霊は わたしの上にある』の3曲で始まる。総勢68名の合唱は響くだろうか?!重たく難しい歌。不協和音の中にも美しさがあることを知る。きれいなだけではおもしろくないのだ。ふうむ。第2ステージでは,はな野さんが,故福島雄次郎作曲の「美しき南の島の歌」から『いきすこまる』。「南島歌遊び」から『嗚咽』,『陽気な娘たち』を。池辺晋一郎作曲の「たもとゆり幻想」から『たもとゆり哀歌』,『たもとが浦』を歌う。私たちは,第3ステージで,岩河三郎作詞作曲の「富山に伝わる三つの民謡」の『越中おわら』,『こきりこ』,『むぎや』を歌う。第2,第3はそれぞれの合唱団の見せ場だ。最後の第4ステージでは合同でポピュラーの曲を楽しく華やかに。鹿響コンサートミストレスのバイオリンやチェロの弦が入ったり,ドラム,ベースギターのロックのリズムも!わくわくするなあ。全部で21曲。神様,お願い!当日歌詞を間違えずうまく歌えますように!!
* 「いきすこまる」 鹿児島県奄美大島民謡 より引用

訳詞

池城の毬は
きれいな花の刺繍をかけて
繭の花をかけて ゆらゆらさせて
ディゴの花は 群れになって咲いている
あっちにもいっぱい
こっちにもいっぱい 咲き乱れている

山には ニャーハレ
化け物が 立っている
化け物だと思ったら
化け物ではなくて
こっちでも あっちでも

元旦の朝
お墓参りを
するのは誰かと思ったら
佐念のかたわの細い手
ディゴマンゴー


■編集後記

ついにフレッツ光に切り替えることにした。
今使っているMacのOSX2.8の環境ではほとんどネットサーフィンができない。
ページを見れないだけなら良いが,フリーズして強制終了しなければならないことも多い。
修正して再起動するのに5分ぐらいかかるので精神的にどうもよろしくない。

それで,NTT西日本のキャンペーンに乗っかって,評判の悪いVISTAのノ−ト型を298で買うことにした。1年間の割り引きを考えるとタダ同然である。
インターネット以外は何ひとつ不自由していないので今まで通りMacを使うつもりである。

ただ,BBフォンを退会するのでジオシティーズの無料特典がなくなり,50MB以上のホームページを維持するには315円払ってジオライトを申し込まなければならなくなった。
しかし,これで一挙にホームページの容量は100MBから300MBになる。
C部門の写真掲載にも大きな余裕ができることになった。

というわけで明日,工事が入り,インターネットとメールが3〜4週間使えなくなります。
来月の〆きりは一応31日の大晦日ですが,そんな訳で,来月新年号の選句ノミネートの配信は正月5〜10日ぐらいになるかもしれませんのであしからず。

その前に今月末,クリスマス頃には「丘ふみ游俳倶楽部」が紹介される「俳句界・2010年新年号」が発売されますので,どうぞ大きな書店に行って購入して下さい。

それでは皆様,(少し気が早いですが,)メリークリスマス&ハッピーニューイヤー!

(文責 中島)


■消息

葱男:『俳句界』12月号/「めーる一行詩」【秀逸】。『俳句界』12月号/雑詠欄【佳作】(加古宗也,茨木和生選)
五六二三斎(原たかゆき):『俳句界』12月号/「めーる一行詩」【佳作】。『俳句界』11月号/兼題【佳作】(山崎十生選)
水音:『俳句界』12月号/雑詠欄【佳作】(茨木和生選)
スライトリ・マッド(島小みかん):『俳句界』12月号/「めーる一行詩」【佳作】。
雪絵:『ふくおか県民文化祭/俳句大会』【入選】(岡部六弥太選)


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