*無法投区/文月


〜草刈られ草撫づ八月十五日〜

*政権交代=久郎兎

格差ありすぎ、マッタナシの政権交代。
2年前の「政権交代は参議院から」と言う選挙ポスターの標語。あの時は嘘だろう、非力の参議院で何がと。その後参議院の第一党が代わり参議院の力がわかってきました。今度はアメリカの出方で安保が分かってくるかもしれませんね。


*終戦後六十四年=葱男



7月中頃、岳父が脳硬塞で倒れた。
正式な病名は心原性脳塞栓、及び、小脳梗塞、心房細動、小脳失語症、歩行障害、構音障害。 救急車で運ばれた日赤病院で二週間の入院を終え、その後リハビリセンターに移ってからは、ワーファリンの投与を再開したためか、あらたに左頭頂葉にも梗塞、出血がおこり、ひどい麻痺や言語障害はないものの、気力の低下が甚だしく、リハビリも食事の摂取もままならない状態となってしまった。

とりあえず、夜間せん妄や錯乱等は鎮まっているので、暴れて叫んだり、点滴針を引き抜いたりはしなくなったものの、この小康状態も決して楽観はできない。
リハビリとは言うものの、それはあまりにもその場しのぎの対処であり、次に心臓か脳に大きな梗塞が起こればこれは本当に危ない状況であることには変わりない。

岳父、久米蔵は大正9年生まれ、昭和14年、支那事変の関東軍騎兵として揚子江河岸から上陸、前線で壮絶な銃撃戦を戦いながら大治県鐵山に入る。その後スパイとして中国軍の諜報活動を任務とし、幾人かの支那人を撃ち殺し、みずからもまた腹に銃弾を抱えたまま、17年に兵役満了で帰還、その後は見合い結婚で農家の養子に入り、60年以上の間、専業農家として二町の田んぼを耕しながら百姓一筋に生きる。

義母が病に臥してからの五年間は、みずからも前立腺の病気を発症して、あれだけ好きだった酒も止めて寝たきりの妻を一心に介護していた。

91才、昭和の困難な時代を生きて、生きて、生きて、生きて、地元の多くの人から愛され、信頼され、阿波おどりとお酒と若い女の子が大好きで、いつもユーモアに溢れ、よく働き、よく喋り、よく笑った剛毅で天真な父が、今はベットに臥せって、悲しそうに、情け無さそうに頭を掻いている。

※岳父脳梗塞

●生身魂MRIくぐりけり
●頭頂葉おもひしづかに月の霜
●稲穂波さざめく関東兵倒るる
●血栓も出血もあり終戦日
●生御魂支那の戰の夢枕
●早稲の穂に墜つ八月の月柱
●終戦忌妻子百姓阿波につぽん
 

それから一月、父は徐々に体力、気力を回復しつつある。
戦争を経験した世代、戦後の焼け野原から立ち上がってきた人間の肉体と精神の強さは私達、戦後に生まれた人間には量り知れないものがある。
症状が安定してきた父は以前そうだったように、誰彼となく、新しい女性の看護士さん、介護士さんに世話をしてもらうと必ずこう聞くのである。
「おまはん、どこぞの出えでえ?」
彼女たちが自分の育った町の名を言うと
「ほうでえ〜、ほんなら××の○○さんを知っとんでえ?」
「へえ〜! じいちゃん、○○さんを知っとんでえ(@0@)」
父は阿波の國なら知らない土地はなく、知人のいない町などひとつもないようである。


●どの川の瀬音も高し終戦日
●学友のあきつの原にありしころ
●草の露いちめん八百八島生る
●草刈られ草撫づ八月十五日
●生身魂パンデミックもどこ吹く風
●待宵にみやびなるかな巨き鳥                   


*AVE爽快西班牙紀行=資料官

1週間の夏休みが取れたので欧州旅行を思い立った。すでに7月,行ってみたかった北欧やスイスなどはすでに満席であり,結局なぜかスペインに出かけることになった。オランダ在住の企業戦士Mr.蓮尾さんに話をしたら,夏にあんなに暑いところに行くのか,場所によっては40℃を超すというらしいと言われた。色々調べているとヨーロッパでは最も治安が悪く日本人旅行者の被害も多いということも分かり,軽はずみな判断にちょっぴり後悔もした。英語すら全くだめなのに,スペイン語なんてどうしようかと,図書館でCD付きの会話本を借りて少々練習を試みた。

7泊8日Madridから南部AndalciaをまわりBarcelonaから帰国するコースで総勢21名。
現在日本からスペインへの直行便はなく,London乗り継ぎでMadridに着いたのは乗継便の遅れもあり現地時間23時近く,おまけに電気系用のトラブルでスーツケースを受け取ったのは午前零時近く,日本時間で朝7時である。やれやれという初日であった。
新幹線乗車は3日目の朝,航空機と同様の手荷物検査があるのでホテルを早めに出発し,新幹線が出発するMadridのPuert de Atocha駅(プエルタ・デ・アトーチャ駅)には約2時間近く前に到着した。これは大変嬉しい駅での待ち時間である。スペインでは鉄道施設の撮影は禁止されておりカメラを向けると警官がやってくると聞いていたので大変心配したが,現地のガイドに聞くとそんなことはないと言うので安堵した。ただし,手荷物の検査場の撮影はだめだと注意を受けた。
スペインの新幹線はAVE(アヴェ)と呼ばれている。これはAlta Velocidad  Espanoie(スペイン高速)の略称であるとともにAVEとはスペイン語で「鳥」という。車体にも鳥の翼を形どったマークが見られる。
Atocha駅は門司港のようなどん詰まりの駅であり,新幹線専用の駅である。スペインで新幹線が開通したのは1992年のSevillaの万国博覧会のときであるから日本の東海道新幹線に比べて相当遅い開通である。その後各方面に路線を延長させ2008年にはMadridからスペイン第二の都市Barcelonaまで開通させた。
乗車予定の10時のSevilla行きAVE3100列車までおおよそ1時間近く駅をうろうろ,AVEだけでなく,タルゴタイプ,近距離を走るAVANT等等各方面に向う様々な新幹線のお目にかかった。

 Madrid Barcelonaに向けて出発する電車のAVE8両


 

乗車したSevilla行きAVE Atocha駅6番線


発車してしばらくするとMadridの街を抜け,あとはLa Mancha(ラマンチャ)地方とAndalucia(アンダルシア)地方の草原を走り抜ける。最高時速300km,ほとんど街らしい街にはお目にかからず,ひたすらオリーブ畑だけが続く。そうして約2時間で下車予定駅Cordoba(コルドバ)に到着,ぞろぞろとスーツケースを抱えて下車したのでした。確かに暑い,Andaiciaのフライパンと言われたところだけはある。

●夏空のオリーブ畑やアヴェ爽快(AVE:鳥)
●夏空やアヴェてふ鳥の飛ぶ草原

SevillaのホテルはSevilla Santa Justa(サンタ・フスタ)駅前,夕方と翌朝駅までで向いてしっかり列車を見てきた。新幹線だけの駅ではないのでローカル列車など結構楽しめた。BarcelonaのホテルはターミナルSants(サンツ)駅の真上なので,期待したが線路は地下で全く見えず,MadridからのAVEやフランスからの国際列車はお目にかかれなかった。少々残念。

Sevilla Santa Justa駅にて右二つはAVE,左は近距離を走るAVANT


ここまで書くとただ新幹線に乗りに行っただけのようですが,丸5日間Spainを駆け抜けて,ちゃんとMuseo del Prado(プラト゛美術館)やToledo(トレト゛)やAlhambra(アルハンブラ宮殿)やGaudi建築見てきました。そういえば,アルタミラ,コルドハ゛,グラナタ゛,アルハンブラ,レコンキスタ,無敵艦隊,レパント,スペインハプスブルグ家等々,今からちょうど40年前の筑紫丘の平山先生の世界史を思い出します。必死になって暗記したけど,40年目にしてようやく実物にお目にかかった。で,最後にBarcelonaからLondon経由で無事帰国しました。
練習したスペイン語,オラ(Hola:コンニチハ),ブエノス・ディアス(Buenos dias:オハヨウ),グラシアス(Gracias:アリガトウ),アディオス(Adios:サヨウナラ),これだけです使ったのは。

Madrid(マドリッド)
●いつまでも暮れぬ街角夏時間  

Toledo(トレド)
●炎天や古都の迷路をさまよへり
●カテドラルの天井見上げ涼みけり (Catedral:大聖堂)
●限りなく青きトレドの夏の空

 Toledo


Sevilla(セヴィーリャ)
●向日葵や今は枯れても大平原
●ガスパッチョ遅めのランチたっぷりと(Gazpacho:冷たい野菜スープ)
●花鉢のパティオの椅子のレモン水

SevillaのLRT(時期世代型路面電車) バックはCatedral(大聖堂)


Sevilla Cathedral


Granada(グラナダ)
●紅のアルハンブラの昼の薔薇

Mijas(ミハス)
●アマポーラ母へみやげのペンダント (amapola:ヒナゲシ)
●白い村ゆらりピンクの夏帽子


Mijas


かごんま日記:"KEEP YOURSELF ALIVE"= スライトリ・マッド

2009年8月27日(木)

*龍淵に松葉杖つく田臥勇太

Take off
I was told a million times
Of all the troubles in my way
Tried to grow a little wiser
Little better ev'ry day
But if I crossed a million rivers
And I rode a million miles
Then I'd still be where I started
Bread and butter for a smile
Well I sold a million mirrors
In a shopping alley way
But I never saw my face
In any window any day
Now they say your folks are telling you
Be a super star
But I tell you just be satisfied
Stay right where you are

Keep yourself alive yeah Keep yourself alive
Ooh, it'll take you all your time and money
Honey you'll survive

 今日は午後6:45から鹿児島市永吉町の鹿児島アリーナでバスケットボールの試合を観戦。リンク栃木ブレックス vs 鹿児島レノヴァ。ブレックスにはあの田臥勇太が出る!田臥は、ABA(独立プロリーグ)のロングビーチジャムアルビレックスの優勝に貢献したり、デンバーナゲッツやフェニックスサンズと契約した日本人初のNBAプレイヤーである。が、経験不足を理由に解雇されたり、怪我で戦線離脱したりと、紆余曲折の末、現在はNBA復帰を目指しながら、リンク栃木ブレックスでプレイしている。背番号0番。身体は小さいが存在感は圧倒的!ベンチの後ろから見るとスタンバイ状態のように見れたので、まだかまだかと出番を待っていたが、お目当ての田臥の生のプレイは何と、見れなかったのだ!!試合終了後、選手紹介で欠場の理由がわかった。松葉杖で出て きたのだ。彼の「ごめんなさい」の声にどよめきが流れたが、すぐに声援の拍手が送られた。右足のかかとには、包帯が巻かれていた。座席がブレックスのベンチに近かったので、休憩中のキュートな笑顔の写真をバッチリ撮れて満足。わは、やっぱりミーハーだ、私って?!彼は鹿児島キャンプについてこう記している。
「最終日には、鹿児島にあるプロチーム、レノヴァさんと対戦。当日、たくさんの方が会場に足を運んでくださいました。実は、今回が初めての鹿児島だったのですが、バスケットを好きな子供達や応援してくれている方が、あんなにもたくさんいてくれて、とても嬉しく思いました!本当にありがとうございました!」許しちゃるけん、早よ怪我ば治してプレイせんね?!

*青ふくべわひねの文字のまろきこと

Well I've loved a million women
In a belladonic haze
And I ate a million dinners
Brought to me on silver trays
Give me ev'rything I need
To feed my body and my soul
And I'll grow a little bigger
Maybe that can be my goal
I was told a million times
Of all the people in my way
How I had to keep on trying
And get better ev'ry day
But if I crossed a million rivers
And I rode a million miles
Then I'd still be where I started
Same as when I started

Keep yourself alive, come on, Keep yourself alive
Ooh, it'll take you all your time and money honey
You'll survive - shake

 実を言うとバスケットのバの字も知らなかった私がバスケに興味を持ったのは、この春〜夏のこと。きっかけはマンガのスラムダンク。4月に丘23の親友の1人モモンガこと佐藤由美子さんが千葉の稲毛に昨秋オープンしたユニークなブックカフェ「スペースF/わひね」を訪れる機会があった。わひね=wahine は、ニュージーランドのマオリ語で「女性」を意味するらしい。開店して1年になるが、がんばってるよね?!集まった友人たちと談笑中、一緒に来ていた高1の娘が退屈しのぎに眺めていたものが、「わひね」の本棚にあったスラムダンクシリーズ。マンガだけではなく。彼女は元司書でセンス抜群!おもしろい本がズラリと並んでいる。娘は大層気に入って「わひね」の数軒先にある古本屋でスラムダンクにお小遣いを投入し鹿児島まで持ち帰った次第。たかがマンガとバカ にしていたが、ふと手に取ると、私まで引き込まれてしまった。体育会系ではあるが、バスケットはからきしダメ。ルールもよくわからず見たこともなかったが・・。6月のNBAの、オーランドマジック vs ロサンゼルスレイカーズのファイナル戦をBSで見て、ますます興味が湧いてきて。スラムダンクのマンガに出ていたバスケの神様コービーブライアントも健在で感激。

*すいつちよんこれが最後のマンガ展

Keep yourself alive, wow, Keep yourself alive
Oh, it'll take you all your time and money
To keep me satisfied

Do you think you're better ev'ry day ?
No, I just think I'm two steps nearer to my grave

Keep yourself alive, c'mon, Keep yourself alive
Mm, you take your time and take more money
Keep yourself alive
Keep yourself alive
C'mon keep yourself alive
All you people keep yourself alive
Keep yourself alive
C'mon c'mon keep yourself alive
It'll take you all your time and a money
To keep me satisfied
Keep yourself alive
Keep yourself alive
All you people keep yourself alive
Take you all your time and money honey
You will survive

Keep you satisfied
Keep you satisfied

 スラムダンクの作者は、井上雄彦。鹿児島の大口(伊佐市)の出身。67年生まれの42歳。ニックネームはイノタケさん。「スラムダンク」のほかにも、宮本武蔵の「バガボンド」、車椅子バスケの「リアル」などヒット作品を出している。「バガボンド」は文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。今年の5〜6月に熊本市の現代美術館で、「井上雄彦最後のマンガ展」があった。140点に及ぶ肉筆画で構成されたのは、「バガボンド」の延長線上にある物語。 2008年初夏に東京・上野の森美術館で開催された展覧会だったが、好評のため、武蔵終焉の地、熊本において巡回開催することになったという。彼は学生時代を熊大で過ごしているため、馴染みのある土地でもあるはずだ。これが最後かと思いきや、さすが商売!またまた好評に応えて来年も仙台、大阪で開催とのこと。なかなかよかった。心のトゲを抜くという話があって泣けた。最後の部屋一面に落書きというかメッセージを残せるコーナーがあってこう書いてきた。「イノタケさん、あなたはかごんまの誇りだ!ETC千円で来ました!」バガボンドはまだ連載中である。

* "KEEP YOURSELF ALIVE" by QUEEN (1973)より引用


■編集後記
 岳父の脳のレントゲン写真を見たとき、なぜか李白の詩「静夜思」を思い浮かべた。

静夜思    李白

牀前(しょうぜん)月光を看る
疑(うたご)うらくは是れ地上の霜かと
頭(こうべ)を挙げては山月を望み
頭を低たれては故郷を思う

出血をおこしている左頭頂葉、小脳の部分は霞がかかったように白くぼやけている。
このあたりは、特に言語中枢の機能を司っている部分である。
岳父は、自分で面白いことを言ってはよく笑ったが、今は孫の嫁からもらったお守り袋をいギュッとにぎりしめて、言語療法、歩行訓練のリハビリを頑張っている。

考えてみると「必死に生きる」とは面白い言葉だ。
「必ず死ぬ」から「強く生きる」のである。

(文責 中島)


■消息

葱男:『俳句界』9月号/「雑詠の部」加古宗也・特選。
辻桃子・入選。山崎十生・佳作。「めーる一行詩」特選、佳作。

五六二三斎:『俳句界』9月号/「めーる一行詩」佳作。


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