*無法投区/早苗月


〜聖母月すべてをつつむ新聞紙〜

月下村Tシャツ=葱男

月下  今年の夏から本格的にシャツブランド「月下村工房」を立ち上げる準備を始めています。
時代は大きく変わってきました。
呉服業界にかろうじて生き残ってはいるものの、手描き職人の存在はすでに天然記念物のようなものです。
カジュアルからフォーマルまでの多くの呉服は高度なCGプリントの世界に蹂躙されてしまい、急速度でその市場や流通が移り変わってきています。
「丘女」の中にも大の「きもの好き」が何人かいらっしゃいますが、私が今、手掛けているのはよっぽどのお金持ちがだけが購入できるような高級な糸目友禅の留袖か、非常に個人的なルートによる注文で、ほとんど一般の人の目に届くことはありません。実際に絹を染める仕事よりも、きものや帯やタペストリー、羽織や壽衣や法衣、アロハシャツや和柄Tシャツの図案制作が主な仕事になっています。(時々、友人の句集の装幀の依頼を受けたりもしています。)

そんな状況の中でこの夏、ある手作り市の出店をきっかけに手描きTシャツに本格的にチャレンジしてみようと思い立ちました。
個人的にホームページ等に紹介したら結構反応が大きかったので、断然本気になってきました。この綿シャツの世界にはどんなタブーもしきたりも伝統もなく、自由自在な表現形態を探れると同時に、比較的安価にみなさんのお手元の届けられる商品が作れるということもあって、私にとっては新しい、そして大変に楽しいチャレンジになると思っています。
というわけで今月は「月下村工房」の宣伝になってしまいました。 夏ももうすぐそこです!
このタイムリーな時期に工房の新作のTシャツのラインナップをみなさんにも紹介したいと思います。
お友達や御家族へのプレゼントとしてもなかなかよろしいのではないでしょうか(^∀^)

丘ふみ読者に限り「売約済」の作品でも追加注文を受け付けますので、手描きの斬新なオリジナルTシャツを1枚、いかがでしょう?
ホームページには今後も随時新作をアップしていきますので、ときどき覗いてみて下さい。 今後とも「月下村工房」をお引き立て下さいます様、どうぞよろしくお願いいたします。

●父の日やモルトの盃を月に挙ぐ  葱男


*海はるか三陸鉄道山笑ふ=資料官

五月の連休はこの時期穴場といわれている三陸海岸へ出かけました。桜を追いかけるのでしたら函館方面という選択肢もあったのですが,もう桜もいいかと思いつつ。
 東京の天気はいまいちでしたが,快晴の盛岡駅に降り立つと雪解の岩手山が正面に。ツアーバスは盛岡から東北道を北へ向かい,窓の左側にしばし姿が変わりゆく岩手山があり,八幡平の裾野を駆け抜け岩手県北部へ。瀬戸内寂聴さんで有名になった天台寺のそばを通り,県北久慈でようやく海岸線へ出ました。

●雪形の鷲揚々と南部富士

 盛岡駅から岩手山を望む

この旅行の目玉は三陸鉄道に乗り太平洋を眺める,ただし乗車区間は三陸鉄道陸中野田−普代間15.0?でして,三陸鉄道の北リアス線のおおよそ21%に過ぎない区間なのです。南リアス線を加えると全線107.6kmの13.9%に過ぎない区間。三陸鉄道という名前を聞くとほとんど海岸線を走り太平洋が思う存分眺めることが出来る鉄道との幻想を抱くが,太宗は山の中を走りかとトンネルもやたらと多い第三セクターなのでありました。

●聖五月駅の記憶は薄みどり
●海はるか三陸鉄道山笑ふ

 陸中野田駅に進入する単行ディーゼルカー

この乗車した区間は海の眺めのすばらしいところでして,絶景ポイントの鉄橋の上では2回も一旦停車するやら徐行するやら,おまけにワンマン運転手のガイド付のサービス振りなのです。乗ってみるとわずか15km足らずの区間でしたが三陸鉄道の真髄に触れたようで大満足。優しい運転手は最前列の部分まで入っていいよと薦めてくれました。春の太平洋と新緑の山々を眺めつつ,下車予定の普代駅に到着。次回は東北新幹線で八戸まで行ってから,八戸線で久慈まで行き,北リアス線(久慈−宮古)および南リアス線(釜石−盛)の全線制覇を実現する所存です。

 橋のうえに一旦停車してアナウンス

このツアーのもうひとつの目玉は,サッパ船という小型の漁船に乗って,北山崎の断崖絶壁を下から眺めたり洞窟を潜り抜けるというもの。何も知らずにツアー申し込み乗ってみたがなかなか面白かった。大きな遊覧船では離れて見るだけの洞窟をくぐったり,断崖絶壁の真下まで近づいたり,面白さはやはり乗ってみなければわからなかった。60分のサッパ船アドベンチャーズでした。

●春怒涛波の背の背にサッパ船

 オレンジの救命道具を付けてサッパ船に乗り込んだ

 北山崎の洞窟へ

泊まりは,宮古(田老村)。二日目は朝から名勝浄土ケ浜を観光船で巡り,三陸海岸を南下した。宮古の南東の_ヶ埼灯台(とどがさきとうだい)は本州最東端,昭和32年の松竹映画(木下恵介監督)の『喜びも悲しみも幾歳月』(よろこびもかなしみもいくとしつき)の原作の舞台となったところであるとの話しから,渋いガイドの歌が登場。この映画のキャストは亡き佐田啓二に高峰秀子だそうな。

「おいら岬の灯台守は 妻と二人で沖ゆく舟の
無事を祈って灯をかざす 灯をかざす」
【注】作詞・作曲:木下忠司

鉄の町だった釜石を通り,新沼謙治の出身地大船渡では,「嫁に来ないか」, 続く,陸前高田には「キャピタルホテル1000」という当地出身の千昌夫が関与したホテルがまだ存在していた。「北国の春」は歌わなかったけど,宮城県の気仙沼が近づくと,港町ブルースの2番が飛び出した。

「流す涙で 割る酒は だました男の 味がする
あなたの影を ひきずりながら 港 宮古 釜石 気仙沼」
【注】作詞 深津武志,補作 なかにし礼 作曲 猪俣公章

こうして,渋いガイドの話と歌を堪能しつつ三陸海岸の旅は続き,連休最終日なのに国道の渋滞もなく,東北新幹線一関駅にはやて号の出発1時間前に無事到着したのです。 沿線の八重桜はまさに盛りを迎えており,一月遅れの桜に再会することができました。

●春涛や浄土ヶ浜の石白し
●みちのくは遥かなりけり八重桜

 一関駅を通過する東北新幹線はやて・こまち


かごんま日記:「晴れたらいいね」= スライトリ・マッド

2009年5月19日(火)

*海ほほづき鍵なぞ掛けず暮らしけり

山へ行こう次の日曜昔みたいに
雨が降れば川底に沈む橋越えて
胸まである草分けてぐんぐん進む背中を
追いかけていた 見失わないように
抱えられて渡った小川今はひらり飛び越えられる

今日は着付士研究科の1日研修の日。舞台で踊るときなどに結ぶ帯結び「ふみ結び」と細帯を2本使って結ぶ「結び流し」というのを習った。小粋な帯結びだ。ふだん用でない特殊な結び方なので何だかすぐに忘れそうだが・・・。いつものメンバーに加えて、喜界島からS先生が来ておられた。私は市内に住んでいるので、研修が始まる1時間くらい(いや45分くらいか)前にどの着物を着るか用意し始め、適当に着て、車で加治屋町まで飛ばせば、十分間に合う。喜界島からは飛行機だと鹿児島空港まで1時間10分だが、如何せん鹿児島の空港は溝辺の山の中。更に市内まで高速バスで30分の計2時間はみておかないとならない。フェリーだと11時間10分もかかるそうだ。ご苦労様である。お金をかけて遠いところから、来られるだけに、やはり気合が入っておられる。見習わねば!
S先生、出来たばかりの黒砂糖を持ってきてくださり、お茶の時間に皆で頂く。美味しかった。今年は皆既日食で島が沸いているとのこと。警察から「これから日食が終わるまで鍵を掛ける習慣を付けてくださいね!」と言われたと。聞くところによると、S家ではここ百年、鍵は掛けたことがないそうだ。

*初夏の島から街へ山羊二頭

一緒に行こうよ コクワの実また採ってね
かなり頼れるナビになるよ
幼稚園最後の日は爪に赤いインクを
こっそり塗った私叱って泣かせたあなたにも 肩がならんで人並みには恋だってしたよ

PTA仲間の1人にHさんという仲良しがいる。気さくで飾らない人柄。ご主人が市内の飲み屋さんで飲んでいたときの話。偶然隣に座った人と意気投合し、「うちの娘が高校に入学して、お祝いに何がいいかと聞いたら動物を飼いたいと。それも犬を・・・しかし、いい犬は高いし、世話が大変だし・・・」と話していたら、島のおじさん「山羊でいいならあげるよ」と。1ヶ月後のある日、H氏がすっかり忘れていたころ、島の人から電話がかかって。「鹿児島新港に今夜の△時×分に着きます。引取りに来てください」。部活帰りの娘の美有(みう)ちゃんとお父さんが半信半疑のまま行くと、まさかの山羊が待っていた。白黒ブチと真っ白の2頭。かくして新興団地の庭で飼われることとなったトカラ山羊。名前はメスがミーちゃんで、オスがユーちゃんに。エサは何を食べさせたらいいのだろう?平川動物園に問い合わせてみようと、H家はてんてこ舞い。草を食べさせるようにと言われ、隣の草ボ ウボウのお宅に相談したら「いいですよ」との返事。きれいに草を食べ、一石二鳥。でも見てないと、ツツジのつぼみまで食べてしまって往生するのよねとHさん。今度山羊を見に行く約束をした。

*麦の穂を持ちたる少女スピカかな

一緒にいようよ 彼の話も聞いてね
お茶も上手に淹れるからね
一緒に行こうよ いつも眠った帰り道
今度は私が運転するから
一緒にね いろんな話しよう
晴れたらいいね 晴れたらいいね 晴れたらいいね

来る7月22日(水)は、日食の日。日本全国で日食が見られるが、大抵のところは部分日食。完全に太陽が隠れて空が暗くなる皆既日食を見られるのが、鹿児島県の種子島南部を北限として、屋久島、トカラ列島、喜界島、奄美大島北部までのゾーン。国内での皆既日食は、1963年(昭和38年)北海道東部(約35秒間)で見られて以来の46年ぶり。小学生のころ雑誌のおまけに日食メガネがついていたこと、学校の先生から太陽を直接見たらいけませんよと言われたことなどふと思い出す。県立博物館では、特集を組んで、「世紀の天文ショー 皆既日食がやってくる」をやっている。プラネタリウムでも同様。両方ともチェック済み!プラネタリウムで真珠星(スピカ)を見た。背中に翼のある農業の女神デルメルが左手に麦の穂を持っている。麦の穂先に光る1等星がスピカ。260光年先の星。今見ている光は260年前の光ってことか。地球から太陽までが約1億5000万kmだから、それよりもっともっと遠い、気の遠くなるような話。地球と月と太陽の模型があって、地球の覗き穴から眺めると、日食が体験できる仕組み。ふうん、こういうふうに小さい月が大きい太陽を隠すのね!と納得。なかなかよい展示。日食は午前9:35ぐらいから始まり、10:56ぐらいが食の最大。12:21 には終了。トカラ列島の悪石(あくせき)島では、なんと最長の6分25秒間も太陽が隠れるそうだ。雲がかかったり、雨降りだとNG!晴れたらいいね!

*「晴れたらいいね」by DREAMS COME TRUE (1992) より引用


■編集後記
宗匠評によると今月は大変に良い句が多かったとのこと、A部門19句、B部門10句の入選作があったということです。(「入選作」とはちゃんと俳句のかたちが出来ていて魅力のある句ということでしょう。)

やっとここまで来たかな、というのが正直な印象です。58号と言えば5年近く、特別な才能のある人なら大きな結社誌で新人賞を貰い、同人に推挙されるぐらいのキャリアです。
「丘ふみ」会員でもおよそ半数ぐらいの人はもし、結社誌の会員になれば3年で同人になれるでしょう。「※※同人」という肩書きが付くとやっと世間様から「俳人」と認められるのですが、まあ、そんな肩書き、一文にもなりませんので、「一日を楽しく詠み続ける」というのが一番です。

ところで砂太先生も触れて下さいましたが、「俳句界」6月号、「めーる一行詩」に副部長と二人揃って名前が載りました。

ちょっと嬉しいお知らせでした。
簡単ですからみんさんも投句してみては?
こちらは実質、特選を取ると2000円の図書券を戴けます。(笑)

(文責 中島)


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