*無法投区/太郎月

〜電線の繋ぐものみな春の風〜


*淺川マキさんの死=葱男

数年前、京都精華大学のキャンパスに「淺川マキ」のコンサートを聞きに行ったことがあった。精華大学には面白い先生(大沢真一郎先生)がいて、その淺川マキのコンサートを見ることも社会学の授業の一環となっていて、ゼミの学生はそれで単位を取得できることになっていた。
勿論、学生だけに公開するにのはもったいないので、われら一般大衆も彼女のライブを生で聴くことができたのだった。

コンサートとは言うものの、そのライブは60年代の時代考証という授業でもあり、彼女は臨時講師でもあるわけで、普段のような、エンターテイメントとは少し違った雰囲気だった。

つまり彼女は、安保闘争のころの街の雰囲気や当時の若者たちについて語り、その時代の空気を生霊のごとくにずっと纏っているものの象徴として歌ったのである。

バックミュージシャンは連れていなかった。
彼女はその講義室がまるで場末のライブハウスであるかのようにスポットライトの中にうずくまり、つぶやくようにアカペラで自分の物語を声に乗せた。
それはシャンソンのようでもあり、詩の朗読のようでもあった。
テンポは一定せず、音楽というよりは演劇やインスタレーションに近いものだった。
小さなうねりがしだいに大きくなって、何者かがそのうねりの中から現れて舞い踊り、やがて海の底に沈んでいくように消えていった。
時間にして20分ぐらいの歌だったと思う。
暗い灯の下で彼女の顔は実体としてはさだかではなく、ただ「淺川マキ」という仮面のようにしてそこにあった。

彼女の死因は心臓不全ということらしいが、私にはそれも架空のことのように思える。
あるいは「隠れた」という形容がふさわしいかもしれない。
時代が合わなくなったので「淺川マキ」という存在場所がシャットダウンしたのだろう。

彼女の顔が消えてしまった今、裏窓から世間を覗いてみても、洗濯干し場の梯子以外、なにひとつ懐かしいものは見えない。

裏窓に吹き込む雪のふかさかな  葱


*帰去来兮新年会帰省=資料官

  年末年始を避けて新年早々の三連休に福岡に帰省した。空港や駅の人の多さも違うし,なんと言っても航空券の料金が格段に安くなる。今年のように年末年始にそのまま土日が重なると何のご利益もない。正月三が日,母のことは福岡の兄弟に任せて東京で静かに過ごした。
母は正月にがんばり過ぎたのか,三が日が過ぎてから腰が痛いと言うので,とりあえず整形外科に連れて行き処置をしてもらい,一緒に帰省する予定の家内に3日早く福岡に行ってもらった。幸い自宅そばに近所では評判が良いという整形外科が開業していたので,車椅子に乗せて病院まで連れて行ったとのこと。この頃はかなり寒かったし,近所の人に顔を見られるのはいやだというので,雪だるまのように着膨れさせ,冬帽子をすっぽりかぶせて,マフラーで顔を隠して連れて行った。まさに冬の季語のオンパレードの姿。
幸い,神経痛ということでブロック注入や鎮痛剤で次第に回復に向かいつつあり,約一月通っていれば良くなるだろうと言われている。

●着ぶくれの母を丸めて車椅子 松浦なつ子 (ザ俳句歳時記から)

この間母を置いて父の墓参りに出かける。暮れに弟たちがお参りをしたばかりであり,まだ枯れずに残っている花もある。見栄えのするものを残して,新しい花を挿してきた。

●寒菊に寒菊添へて父の墓
●実万両ベッドの母から教へられ
●目一杯タオル干したり冬日和


枯野の庭の唯一の彩り万両の実



ようやく芽を出し始めた福寿草
1月末には複数の芽が出てきたらしい

福岡に兄弟がいるが,母と同居しているわけでもなく,いざというときにどう対処するのか真剣に考えざるえを得ない状況になっている。我が家も父の体調がおかしくなった19年秋から介護保険の世話になっており,いろいろ勉強させられたが,今はケアマネさんたちに的確に対応をしてもらっていてひとまず安心している。航空会社には介護割引の制度があり,私共も家族一同各社に登録を行い介護パスを発行してもらっている。通常は早割りの制度で十分であるが,これらが効かない年末年始・盆・ゴールデンウィークは役に立つ。マイレージは通常だし,何より搭乗便の変更が効くことがありがたい。

能天気な長男は帰省当日は福岡空港から博多駅前の宴会場に直行して鉄道仲間の新年会に向かい,さらに翌日はまた博多駅前で丘23メンバーの新年会に出かけた。今回は原副部長ほか常連のシャベ栗ほか計8名,この会の主宰の小柳氏も一瞬顔を見せてくれた。近年こういう会合で親の介護の話が増えているが,今回も常連の俳人女史はそういう事情で参加できなかったとのこと。毎度毎度この気まぐれ帰省に付き合ってくれる方々がいるので,気分的には落ち込まず帰京することができる。本当にありがたいことである。



丘ふみ23新年会 博多駅前の高級割烹にて



隈本,中楯,原副部長


●最終便待つ街あかり冬銀河

さて,新幹線で博多−東京間唯一1本残っている流線型の500系のぞみが2月一杯で姿を消すということである。一昨年は開通当初から走っていた0系が姿を消したが,今回はまだバリバリで走れる500系が高性能が故にメインの運用から姿を消すが,スピードだけでなく省エネ・快適性が求められる世の中だということなのだろう。今後この500系は半分の8両に編成を短くして,こだま号として山陽新幹線を走るとのことであり,東海道区間を走らなくなるということ。東京駅で500系が見られなくなるということですでに12時ごろから東京駅のホームには鉄道ファンが繰り出している。
実は1月8日夕方福岡空港に到着後宴会開始まで時間があったので,17時44分着ののぞみ29号を博多駅のホームで待った。こののぞみが東京を出たのは12時30分で私はまだ会社にいたが,羽田から乗ったANAは途中上空で500系を追い越し,先回りして博多駅で500系をお迎えできたという次第。あと一月,また忙しくなる気がする。


17時44分に博多駅に到着した500系のぞみ29号 東京駅から5時間14分の旅


かごんま日記:"OGRE BATTLE"= スライトリ・マッド

2010年1月3日(日)。
*淑気満つ熊襲の絵文字動きけり

Faa fa fa fa fa
Fa fa fa fa faa
Now once upon a time - an old man told me a fable
When the piper is gone - and the soup is cold on your table
And if the black crow flies to find a new destination
That is the sign
Come tonight
Come to the ogre sight
Come to the ogre-battle-fight

He gives a great big cry and he can swallow up the ocean
With a mighty tongue he catches flies - the palm of a hand incredible size
One great big eye - has a focus in your direction
Now the battle is on
Yeah yeah yeah
Come tonight
Come to the ogre sight
Come to the ogre-battle-fight

Fa fa fa fa faa
Hoooa

今日は霧島市牧園町宿窪田に住む着付け仲間のIさんのお手伝いで、4名のお嬢さんたちに晴れ着を着せた。隼人町から牧園方面に向かって車で約40分。私の車は、カーナビ無し。 早朝の出発。まだ引っ越してきて間も無く、道に詳しくない。約束の時間に間に合うかどうか、心もとないため、携帯の「助手席ナビ」というのを初めて使う。平地だとこんな便利なものはない。カーナビと全く同じ。しかし携帯電話故、山間部に入ると何と電波の圏外に。行っても行っても、標識もなく山道で、不安になってくる。途中、妙見温泉峡に入ったので、灯りのついたホテルのフロントに飛び込む。この道を道なりに進めばよいとのこと。ホッとする。着せ付けの仕事は、無事に終了。帰りに「熊襲の穴」の看板を見つけ寄り道。妙見石原荘という高級温泉旅館の近く。誰もいない。1人で危いとも思ったが、山の中だし、寒いし、誰もこんなところには出てこないだろうと・・。急な石段を200段近く登って、やっとたどり着く。注連飾りのされた大きな岩の下に横に細長い穴。えっ?この穴から入るの?入り口は狭く屈まないと入れない。中は光が入らず真っ暗。怖〜っ!!しかしこのまま引き返すのも口惜しい。とりあえず勇気を出して入ってみることに。入り口にスイッチがあって、つけると薄暗い灯りがともって。中は百畳以上はあろうかと思われるスペース。壁面にカラフルな渦巻き模様がグルグルと。うわあ!!どこかで見たことのある模様。JR隼人駅前にある、大きなシンボルマーク「隼人の盾」とおんなじ。S字は邪気を祓う呪いらしい。静寂と神秘の世界に感動。熊襲、隼人は古代南九州に住んでいたとされる部族。歴史上に隼人の乱(720)は有名で、1年数ヶ月戦いが続いたと言う。

*巻きの良き野菜貰ひて春隣

The ogre-men are still inside
The two-way mirror mountain
You gotta keep down right out of sight
You can't see in, but they can see out
"Ooh keep a look out"
The ogre-men are coming out
From the two-way mirror mountain
They're running up behind and they're coming all about
Can't go east 'cos you gotta go south

Aaargh
Aaaaaaaarghh
Ogre-men are going home
The great big fight is over
Bugle blow, let trumpet cry
Ogre battle lives for ever more - oh oh oh
You can come along
You can come along
Come to ogre battle
Fa fa fa fa faa

私の部屋の窓からは栽培用の花畑が見える。畑や田んぼが多い。町内会に入ったとき、「無線機をつけませんか?」と。今までそんなもの聞いたこともなかったので、「絶対つけなければならないんですかね?」と町内会長さんに尋ねると、「全戸つけている」とのこと。郷に入っては郷に従えか?!とヤレヤレ、つける破目に。「ジャガイモの種芋の販売が隼人購買である」とか、「明日は粗大ゴミの日です」とか、学校放送のように、ピンポンパンポ〜ンと突然音がして、夜の7時ごろ、流れてくる。訃報なども流すのだそう。しかし、農家が多く、徒歩1分のところに朝だけ開く「母ちゃん市場」もあり、新鮮で美味しい野菜には事欠かない。町内会の奥さんが、これまた親切で、しょっちゅう、野菜を届けてくれる。巻きのいいキャベツを作るには、4回も植え替えるとのこと。白菜、キャベツ、ブロッコリー、水菜、人参、ほうれん草、里芋など、最近買ったことがない。ありがたいことである。

* "OGRE BATTLE" (1974)  by QUEEN より引用


■編集後記

久しぶりに電話で宗匠とおしゃべり。
兼題の「エコロジー」が難しすぎる、との事。
こちらが詠ませたいものではなく、詠み手の想像が自由に広がっていくようなお題にしたらどうだろう、という話になりました。

従って、来月からはB部門、出題のシステムを少し変えます。
お楽しみに!!

つづいて緊急速報!!

松永晃芳さんの第一句集。「繋ぎ船」が(株)文學の森から刊行されました。
染色家「月下村」としてではなく、俳号の「中島葱男」を名乗って承る装丁の仕事としては4册目になります。




詳しくはブログ月下独作


■消息

葱男:『俳句界』2月号/「めーる一行詩」【佳作】。『俳句界』2月号/兼題欄【佳作】(山田弘子選)。
五六二三斎(原たかゆき):『俳句界』2月号/「めーる一行詩」【佳作】。
スライトリ・マッド(島小みかん):『俳句界』12月号/「めーる一行詩」【佳作】。


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