*無法投区/花残月

〜ししむらに熱はつなつの月さやか〜


彼等を詠む =葱男

ふかえり
●神通力うづまく夏の嵐かな

あゆみ
●遠雷やゆかりを持たぬ殺人者

大塚環
●臍にあるセカンドベース卯浪立つ

老婦人
●岩清水道に迷ふてたどりつく

タマル
●蠅虎(はえとりぐも)沐浴場にむすぶ印

戎野
●解剖に付すこともなし時鳥

アザミ
●イコールで繋ぐ数式青時雨

小松
●かはほりの住処となりし出版社

牛河
●初蛍ガンガに赤子ながれをり

深田保
●おんかかかおんばしらさいさらばざら

安田恭子
●露涼しまた逢ふことはまうあらづ

天吾の父
●犬の毛のちくちくがいや木下闇

つばさ
●汗舐めてさみしき味とおもひけり

安達クミ
●カラオケにホスピスに吹く南風

青豆
●ししむらに熱はつなつの月さやか

天吾
●天空の凜を掬ふてふたごもり




*丘を越えて=五六二三斎

4月17日、筑紫丘高校同級生のK君のご尊父の通夜が野間四角の飛鳥会館で執り行われた。
86才のご生涯であった。K君の話では、この数年はご尊父は介護レベル5の認定であったとのことで、ご家族特にお母上のご看病なくばここまでは来れなかったとのこと。

●春の夜や大正の星ひとつづつ

大正の星はきっと夜空の何処かで輝き続けるであろう。思い出が語り継がれる限り。

合掌

さて、行きは高宮駅から歩いて野間四角まで5分もかからなかったが、帰りをどうするか迷った。また、高宮駅まで戻り、一駅先の自宅の最寄り駅である大橋駅まで行くべきか?そうだ、筑紫丘高校を通り、40年前歩いて通っていたコースで自宅まで歩こうと思いついた。

飛鳥会館から歩き始めて、すぐにファミレスのジョイフルがある。原田先生のご自宅のあった辺りだ。40年前は筑紫丘高校の東側は傾斜しながら、県道につながる原っぱで静かな場所だった。40年の間にビルが建ち並ぶ商いの場所に変わってしまった。

●朧夜や先生宅にまた一人

学校下に来た。昔は、この県道にバスが通っており、バス停が「学校下」と呼ばれていた。
この県道をバスが通らなくなって久しい。私が高校入学時には、もうバスはほとんど通ってなかったのではと思い出す。学校下には、大きなトンネルが口を開けている。43年前、私が筑紫丘高校に入学した頃には、既に高校の南側の狭い片側1車線の道を拡張しようという都市計画案が話題に上っていた。そのためには、高校の敷地を10mくらい削り取られることになり、先生方、同窓会が猛反対をしていたことを思い出す。結局、丘の下に大きなトンネルが掘られ、学校下と神田町は片側2車線の道路でつながった。20年以上前のことだ。このおかげで、母校の周辺は排ガスの影響を少なからず受けてはいないか?懸念される。

●トンネルは大きな口を春の風

トンネルの北側の一方通行の道の歩道を上り、いざ筑紫丘高校の校門をめざす。20mくらいのわずかな上りであるが、坐骨神経痛の身にはきつい上りだ。校門前は階段状に広くなっており、様変わりしている。しかし、昔ながらの職員室のある建物が見える。午後8時を過ぎているが、職員室には明かりが灯っている。校門に、剛健、叡知、創造と校訓が掲げてある。

●校訓に襟正しけり桜しべ

母校の南側の昔ながらの狭い片側1車線の道を、右手に校庭を見ながら歩く。立派な講堂が見える。トンネル工事に伴う敷地の削減の補償で作られた建物と聞く。私に今日の歩いたご褒美と言わんばかりに、上弦の見事な三日月が講堂の屋根の空に輝いている。今晩は、K君のご尊父のお参りのおかげでこの場所に立つことが出来た。

●通夜終へし春上弦の三日の月

この後、40年前に歩いて通っていた道を通り、家路についた。丘を越えて行く散策、K君のこと、丘ふみの皆さんを思い出しながら・・。(了)


*逝く春や父に別れの博多弁=資料官

  この春,小柳さんの父上と徳久さんの母上がご逝去された。学生時代には両家に入りびたり何かと面倒を見ていただいたので,自分の親が逝ってしまったように悲しく,やさしく面倒をみてくれた方々が次々と彼岸に旅立たれて寂しさひとしおである。

小柳家は高宮駅前にあり筑紫丘からの通り道と大変便利がよく,大きな家の玄関を上がって右に入ると大きな座敷があり10名程度の集まりはすぐ吸収できる。そういうことから高校時代を皮切りに大学時代も大いに入りびたりになっていた。徳久が浪人時代に一時下宿していたこともあった。高校3年の1月27日の小柳さん18歳の誕生日には受験前にもかかわらずこの広間で大宴会を行った。当時センター入試はなく,まだ一月は試験の本番という気分ではなかったから,こんなことができたのだろうか。母上から大そうなおもてなしをいただいたことは当事の写真に鮮明に残されている。大学時代を経てこういう集まりは社会人になってからも続くが,気さくな父上がひょっこり現れて話の輪に加わり,博多弁の話で盛り上がる風景があった。時としておばあ様も登場して一緒に写真に加わることもあった。

昭和46年1月27日
小柳氏18歳の誕生日。井上守夫君のあり日の姿あり




A 昭和47年1月6日 博多駅にて
大分に帰る小柳の見送り 左端が父上



B 昭和58年1月2日新年会 前列中央はおばあ様


時は流れ平成17年夏,私らが「九州の蒸気機関車」を発刊した頃おばあ様は101歳の長寿を全うされたが,7月になってお参りにお邪魔した際に父上にお会いしたのが最後になっってしまった。すでに80歳を超されていたが母上が亡くなられて大変しょんぼりされていたことが印象的であった。

●逝く春や父に別れの博多弁
●惜春や博多ことばの弔辞よむ

徳久さんの母上に初めてお会いしたのは高2の夏休み明け,彼の自宅の国鉄南福岡駅横の国鉄官舎のお邪魔したときである。変わった電車が来ているという徳久に誘われて出かけて夕飯をご馳走になった。家からは横を走る鹿児島本線の寝台特急を眺め,また南福岡電車区に帰ってきた電車特急を見下ろした。ご両親は一人息子の徳久を大変可愛がっていて,高校3年の文化祭にそろって見学に来られた。ちょうど蓮尾・浜地・徳久などと個人参加で種子島紀行や蒸気機関車のスライドを見せていたのであるが,お二人並んで徳久本人の説明をうれしそうに聞いていかれたことを覚えている。うちの父は筑紫丘には1回も来なかったのにね・・・・

昭和44年9月南福岡駅を通過する東京行きブルートレイン
徳久宅から




父上から頂戴したはがき

なんと言ってもお世話になったのは徳久の父上が転勤で鹿児島に行かれてから,昭和47年から50年にかけて集中的に鹿児島市原良の徳久宅にお邪魔してお世話になった。当事の南九州は蒸気機関車の天国であり,さすがに鹿児島本線は電化して特急有明は電車だったけど,日豊線,肥薩線,吉都線,指宿枕崎線,日南線,志布志線,山野線にSLは残っていた。休みになると周遊券を買って撮影に回ったが,この間25泊もお世話になった。特に昭和47年の夏は浜地,高木,樋口,今は亡き井上守男,後藤の姉上など立て続けにお邪魔し9日間で述べ31人がお世話になった記録がある。当時の徳久宅には電話はなかったが鉄道電話というものがあり,国鉄の駅から直接電話が架けられたのであるが,その日になってそれを使って連絡してお邪魔したり,徳久がいない時も泊めてもらったこともある。昭和50年3月には九州の蒸気機関車もほぼ最後を向かえ,そのさよなら運転が南九州で行われた際にも泊めていただいた。すでに就職も決まり4月から札幌に行くことになっていたのであるが,ご両親から自宅で送別会をやっていただいた。この学生時代,今から考えると恥ずかしくなるほどの厚かましさであったのだけど,母上はいつもいやな顔もせずに迎えてくれた。平成17年に発刊した「九州の蒸気機関車」には私の南九州のSLの写真をたくさん掲載しているが,学生時代に徳久家に世話になった時の写真が太宗である。この写真集ができたのも徳久さんのご両親のおかげといっても決して過言ではない。これまでの御礼をこめて写真集をお送りしたところ,父上から大変ご丁寧なお礼の手紙を頂戴した。手紙の最後には,家内からもよろしくのことでございますと記されていたので,きっと母上にも「九州の蒸気機関車」のことを喜んでいただけたのではないかと思っている。
21年のシャベ栗の「九州発 最後のブルーとレイン」には私の写真も使ってもらったのでこれもご両親にお送りしたところ,父上から俳句を記したお礼のはがきをいただいた。父上が俳句をやっていることが嬉しくて,ちょうど発行したばかりの「丘ふみ游俳倶楽部五十号発刊記念句集」をお送りしたのである。


近年,手紙のやりとりが父上とばかりだったので,母上の調子は良くないのだろうかと気になっていたのであるが,2月21日(日)の夜に小柳さんから母上の訃報のメールが届いた。しばらくして10年近く音信不通であった徳久の声を聞くこともできた。私自身,20年以上もご両親,特に母上にご無沙汰してしまったことが大変悔やまれる。心からご冥福をお祈り申し上げます。
合掌

●うすらひや深夜電話の訃報来し  丘ふみ游俳倶楽部67号

残念ながら徳久のご両親と一緒に写った写真が見つからない
昭和47年夏の撮影したもので,麻雀しているのは浜地,樋口,徳久,父上
後ろのほうに母上の姿が




昭和50年3月 日豊線のSLさよなら運転 C55+C57重連
鹿児島の徳久家に宿泊(通算25泊目)して出かけた記念すべき写真




かごんま日記:"My Neighbor Totoro"= スライトリ・マッド

2010年4月11日(日)
*行く春のハネムーンロード鶏歩く

父: どうだい、気にいったかい? 
   Well Do you like it?

さつき: お父さん、すてきね。木のトンネル! ―わぁ、あの お家? 早く!
     Dad, it's perfect! A tunnel of trees! ―Oh, waw! Look! Dad, hurry!
     わぁ、ぼろ! お化け屋敷みたい!
     Wow! It's creepy! It's like a haunted house! 

メイ: おばけぇ!
    Ghosts?

さつき: 腐ってる。
     Look! It's rotten.

さつき&メイ : 倒れる! 壊れる!
        It's croaking! It's croaking!

 家の近くに用水路が流れている。一体どこから来ているのだろうか?!天気も良し!と、用水路伝いに自転車で冒険だ。車も少なくのどかな畑の中を進む。いい感じ。しばらく行くと大隅一ノ宮の鹿児島神宮に出た。さらに進むと、木之房にある大隈二ノ宮蛭児神社まで続いていた。その先は車道の下に隠れわからなかったが・・。山の中腹にある蛭児神社でUターンすることに。蛭児(ひるこ)とはイザナギ・イザナミの間に生まれた蛭児の尊。三歳になっても足が立たず、嘆いた両親が天上から天の楠船にわが子を載せて流し、流れ着いたのがこの地だという。何とも残酷な話。楠船が根付いて楠の森になったと。その森を両親が嘆き悲しんだため、『奈毛木(なげき)の森』と言われるようになり、古来歌枕の地としてたくさんの和歌に詠まれたとのこと。うっそうと生い茂る巨木の楠が何本もある。漁業、航海、商売の神様として祀られている。古ぼけた境内に燈籠があり、右側の燈籠に彫られた落書きが。 ハートに矢印の中に、HAWAII JIMMIE と。おいおい、ジミー君、だめだよ! 天誅が下るよ。神社の一角に、「西郷ドンの宿」があり、そこには龍馬とおりょうさんが新婚旅行で歩いたというウォーキングコースの14番目の道標がある。近くで飼われている大きな軍鶏が我が物顔で道路を歩いていた。

*黒豚のあご肉もよし花見酒

さつき: メイ、見て! 大きいね。 ―お父さん、すごい木!
     Mei, Look! There! Isn't it big! ―Father, a huge tree! 

父: あぁ、楠木だよ。
   Right. It's a camphor tree.

さつき&メイ: くすのき!
        Oh, a camphor tree.

さつき: ドングリ!
     An acorn!

メイ: 見せてー。
    Let mee see.

さつき: あ、また。
     Another one.

メイ: あ、あった。
    Here it is.

蛭児神社から鹿児島神宮の用水路沿いは日当山千本桜と呼ばれる名所。千本は大げさ。実際は150本ほど。でも見ごたえはある。初夏はホタルのシーズンであるが、去年は川底を浚ってしまったためホタルが激減してしまったらしい。神宮前の県道471号線沿い に、有馬精肉店という肉屋がある。向かいには内田ストア。どちらにも「アゴ肉」と看板が掲げてある。聞きなれない名前で、どんな肉?と思っていたが、美味しいと聞き、先日購入してみた。黒豚のほほの肉であまり取れない部位。土日には、特にお花見のシーズンは、鹿児島市内から買いに来るほどの人気。お昼にはなくなってしまうとのこと。12時前に行ったら、最後の200グラムしかなかったが、物は試しと買ってみた。私の直後に来たお客さんは、お花見のBBQにあるだけ欲しいと言っていたが、気の毒にも買えずじまい。コリコリした食感でなかなか美味しかった。

*" My Neighbor Totoro"「となりのトトロ」スタジオジブリ(1988年) より引用


■編集後記

今月、ついにメゴチさんがイーグルを決めた!
メゴチさん、兼題の部、「一席」おめでとうございます!

資料官さんもA部門「二席」、B部門「三席」とチップインバーディーを含む、アンダーパーでラウンドを終えたのではないか。
男性陣の活躍には少し嬉しいものがある。
しかし、このところの砂太先生の強さ、新しさに対する俳句の力には感服するのみです。
現役世代もガンバらねば!!


■消息

宗匠:二六斎師の御兄弟が相次いで亡くなられました。3ヶ月前に兄上を亡くされ、半年も経たない四月初旬に一つ年上の姉上を奪われたと、「めじろ遊俳クラブ」のコラム「深悼」に記されてありました。六十半ばの死です。慎んで追悼の意を表します。
その姉上の柩に、一枚だけ短冊をしのばせたと二六斎師は書いています。
●ふるさとは夢のをはりの花りんご

水音:『俳句界』5月号/「俳句ボクシング」【青コーナー】
●題名(タイトル)は「もったいないばあちゃん」大根煮る (田中 陽選)

葱男:『俳句界』5月号/「めーる一行詩」【秀逸】
●はにかみ度2はづかい度3卒業式
『俳句界』5月号/「兼題」【佳作】
●土性骨卒寿の畑に鍬を打つ (大高霧海選)


■句友のページ
俳人・金子敦の小部屋俳句親父 A・UN<なを>の部屋空とぶ猫俳句魂海渡の海馬


■無法投区〈back number〉
創刊号 2号 3号 4号 5号 6号 7号 8号 9号 10号 11号 12号 13号 14号 15号 16号 17号 18号 19号 20号 21号 22号 23号 24号 25号 26号 27号 28号 29号 30号 31号 32号 33号 34号 35号 36号 37号 38号 39号 40号 41号 42号 43号 44号 45号 46号 47号 48号 49号 50号 51号 52号 53号 54号 55号 56号 57号 58号 59号 60号 61号 62号 63号 64号 65号 66号