*無法投区/雪待月

〜冬木道スピード上げて漕ぎはぢむ〜


*「檀家の二句に反応」=五六二三斎

A部門
●檀ふみの家の落葉を踏みしめつ

B部門
●檀一雄の眠る島なり冬の鳶

二句しかも親子のことが取り上げられていたので、ついつい反応。

檀一雄の実母の高岩とみの母親は、久留米の本戸家に、福岡県三井郡大刀洗町本郷の原の家より嫁いだ。したがって、遠い親戚になる。高岩とみは、檀一雄とのエピソードを自著の「火宅の母の記」(新潮社)で述懐している。檀一雄の父は、群馬県の足利工業高校の教師をしていたが、高岩とみは、一高の学生と駆け落ちして、出奔した。結局、この一高生とは別れて、貿易商を営んでいた高岩氏と再婚した。私の父は、高岩とみと親しく親戚付き合いをしていた。父は、檀一雄が別れた母とみと再会を果たして以降、親しくしていた。

昭和49年、11月に、父と一緒に能古島の檀一雄邸を訪れたことがある。翌年の昭和50年、8月に訪れた時の写真が見つかった。この時には、檀一雄は既に九大病院に入院した後であった。この時には、檀ふみの兄、妹の三兄弟が、檀一雄邸にて留守番をしていた。暑い夏の日であった。檀一雄は、翌年の1月2日に、九大病院にて死去した。また、良くなって、能古島へと戻ってこれるであろうという話だったので、急な死であったことを思い出す。

●モガリ笛幾夜もがらせ花二逢はん

の辞世の句を詠んで。檀一雄の慰霊祭は、毎年5月に能古島で開かれている。花逢忌という名前は、この辞世の句に因んでいるのは有名である。私は三回ほど花逢忌に出席したことがある。檀一雄は、能古島アイランドパークの社長さんたちと元気になって花見をしようと話をしていたらしい。「花二逢はん」は花見をせずに旅立つことの惜念からだろうか?詳しいことはわからない。(文中の敬称略)




1:左より、五六二三斎(当時23歳)、檀ふみ(当時21歳)、檀さと、檀小弥太(当時24歳)
2:左より、五六二三斎の父(当時67歳)、檀ふみ、檀さと、檀小弥太




当時の能古島の波止場。中央の山の中腹に見える屋根の家が、檀一雄邸。


*神戸から博多まで=葱男

「丘ふみ」同窓会に出席するために取ったまるまる3日間の休日、久しぶりに旅の気分を存分に味わった。
歌の文句ではないけれども、神戸から博多まで、三泊四日の超過密スケジュールの旅である。
三泊四日とは言っても、行き帰りの二泊は夜行バスのシートで眠ることになる。京都ー博多間は新幹線のビジネス切符ならば12000円ぐらいか、3列シート、トイレ付きの中高年仕様の高速バスの料金とは片道わずか2〜3000円程度の差である。しかし新幹線なら2時間45分であっと言う間の本州横断を9時間もかけてバスで旅するのにはいくつかの理由があった。とりあえずは交通費が往復で5〜6000円節約できること。これで博多泊のビジネスホテルのシングル一泊分が浮く。

第二に、バスの旅には時間が有効に使えるというメリットがある。実は19日には神戸で人と会う予定があった。同じ俳句結社の香田なをさん(句友のページに「なをの部屋」をリンクしています。)が「源氏物語」の勉強会で明石に来るというので、「つぶやく堂」(LINK・輪句のネット句会)の仲間が数人集まることになったのだ。19日の夜に飲んで、一旦京都に戻り、翌日の早朝に新幹線で博多へ、というのはいかにも面倒なので深夜バスの発着がある梅田から博多入りするのが断然便利だった。おかげさまで19日は心に余裕を持って、ゆっくりと神戸吟行を楽しむことができた。
20日には「文學の森・博多句会」と「丘ふみ同窓会」に出席し、21日の昼は友人の車で佐賀方面まで海岸線をドライブ、夕方の6時には大学の同級生も集まって博多最後の夜をみんなで宴会。居酒屋から歩いて1分の博多駅筑紫口から22時発のバスに乗り込むという寸法で、まるまる72時間を「俳句と旧友」で遊ぶことができました。

バス旅行第三の理由、それはつまりは「旅の気分」である。
揺れるシートに横になり、明日の予定をあれこれと思いながらウトウトする。ときどきパーキングにバスが止まると、バスから降りて夜空を見上げ、体を思いきり伸ばして深呼吸する。どんな人と出会えるのかと思うと、心が高揚してくるのが分る。
早朝、カーテンの隙間からしだいに明けゆく車窓の風景を眺める。もうすぐ目的地に着く。 つまりはこれが「旅の気分」というものだ。

「旅」のおまけ、そんなこんなでちょっとだけ神戸吟行の俳句です。

*******************

神戸吟行は午前11時に三ノ宮駅裏の生田神社に集合し、そこから山の手の異人館通りへの坂道を徒歩で昇ってゆくことにした。11月も下旬、折しも観光地の洋館はクリスマス仕様に模様替えの真っ最中で、ツリーやリースの飾りは勿論のこと、メインストリートにはいたるところに大小さまざまなサンタクロースが建物の壁に貼付いている。煙突によじ登ったり、窓からひっくり返ったり、テラスを覗き込んだりと、いろんなポーズでいたるところに出没しているサンタの表情が愉快だ。ところでサンタってひとりじゃないんですね。

●イエスよりサンタの運ぶ贈り物

「風見鶏の館」の真ん前、異人館通りの集約点とも言える北野町広場からは神戸の海が遠くに少しだけ見える。半円形の競技場のような形をした美しい広場には観光客だけではなく、地元の人達の憩いの広場ともなっているようだ。広場が見おろせる小さなカフェで神戸ワインを飲みながらぼんやりと人ごみを眺めていると、クラリネット吹きの銅像が座るベンチの横で、ジッと前方を見つめている車椅子の中年男に眼が止まった。彼は何を見ていたのだろう?興味が湧いてきて、カフェを出たあとで同じその場所に立ち、彼が視線を向けていた方を眺めてみた。建物と木々の隙間から少しだけ瀬戸内の海が見えた。午後の陽射しが凪いだ瀬戸内の海面に反射してきらきらと輝いていた。

●冬帽子I'm getting sentimental over you

陽が傾き始めるころ、私達は坂を下ってメリケン波止場に向かうことにする。日没頃の海が見てみたいと思ったのだ。
元町へと下ってゆく途中の大きな公園でひと休みしていると、思いがけずにルミナリエの試験点灯に出くわした。まだ4時過ぎの薄暮の中で、無数の小さな電球が優しく灯されて、はじめてそれがルミナリエのモニュメントだということに気が付いたのだった。

何年か前、神戸の友人に誘われてをルミナリエを見に来たことがあったが、その時は人がズラッと列をなして並んでいるだけで、大して面白い趣向だとも思わなかった。しかしこの日の、人知れず薄暮の中にうっすらと浮かび上がるイミテーションのドゥオモは、神戸市民のかりそめの礼拝堂のように美しかった。

●いつのまにか帰路となりをり狐塚



メリケン波止場に着いたのは5時を少し回ったころだった。曇り空には薄青い月がかかり、あたりは夕暮のひややかな空気にしっとりと包まれていた。。
淡谷のり子が歌った「別れのブルース」の舞台となった港の近くには、旧態然とした堂々たる重いビルヂングと、近代的な高級リゾートホテルやポートタワー、メリケンパークの建築群が同居していて、不思議な空間と異国情緒を醸し出していた。
いましもサンセットクルーズに出る豪華客船が船笛を鳴らす。
ウオータ−フロントの公園には犬を散歩させている婦人のシルエットが浮かびあがり、埠頭に立つモニュメントの影には地元の若いアベックが夕日を浴びながらいつまでも抱き合っているのだった。

●手袋と故国忘れし波止場かな




*丘ふみ会福岡大会帰省=資料官

十一月の帰省は丘ふみ会に合わせて11月18日〜21日とした。ところが,帰省する当日福岡の弟から電話があり,大野城の母が調子が悪いので今から病院へ連れて行く,今宵は何時に福岡に着くのかと。日ごろから来ていただいている看護師さんが自宅に見に行ってくれ,脳神経外科に行ってMRIを撮ることになったらしい。この電話で丘ふみ会への参加は無理だろうなと一転暗い気持ちになった。夕方になってまた連絡があり,特に異常はなく今は帰宅して寝ているとのこと。私が自宅に着くまで待っていると言うので,何か伝えることがあるのかなと思いつつ,夕方の飛行機に乗り込んだ。空港からタクシーに乗って自宅に着いたのは22時前,自宅で弟から診断書とMRIの写真を預かり,明日朝定期的に検診を受けている病院に連れて行くことになった。
翌朝になったら母は元気に起きてきて朝食も普通に取り,病院に連れて行って主治医の診断を受けたが,特に異常もないと言われ安堵した。自宅に戻って,昼食に好物の長崎チャンポンを食べたらすっかり元気になった。午後は予定していたケアマネさんたちとの打ち合わせを行い,もう大丈夫だからと母が言うので,金曜日は鉄仲間との宴会,土曜日は丘ふみ会に無事出かけることができた。

●短日や母を残して同窓会
●安静の日々は戒め年忘れ
●長崎から駆けつけ三杯冬かもめ
●冬薔薇卒業以来のクラス会
●山茶花のはらりはらりと母縮む

前置きが長くなりましたが,そういうことで20日土曜日17時には博多駅前の会場に到着,以下の写真のとおり丘ふみ会はつつがなく行われたのです。部長のメールのとおり,游俳倶楽部からは10名(砂,資,五,入,雪,喋,メ,前,男,葱)の参加を得たことは特筆すべきことだと思う。とりわけ,京都大会以来の濱地さんが元気に姿を見せたことは嬉しかったけど,一病息災の参加者も少なくなく,体調不調の同窓生の話も聞き,還暦まで油断はできないという思いを新たにした。長崎のオフリさんは濱地さんの強引な誘いに負けて3時間カモメ族でやって来た。4年前にあの東京大会で15人も集めた6組は地元では不振でしたが,マツーラ一が一次会に間に合い面目を保ったか。二次会にも行きたかったけど,母の夜更かしを避けるために一次会で失礼した。

それにつけても,森山会長をはじめ各クラス幹事の方々のご尽力により毎年盛大に開催できること,ありがたいことです。この場を借りて御礼を申し上げます。



1:やはり司会はひまはし
この人抜きで丘ふみ会は始まらない

2:砂太先生のごあいさつ
句会から連ちゃんのお疲れ様でした



3:生き長らえた濱地さん
だから長崎からのオフリさんにも会えたのです
後ろは浅野

4:びしっと着物姿は雪絵さん 生物部のマドンナ
飛永 高原 中村 川崎 石蔵



5:久しぶりの後藤
うしろは岡 白水 品川 大津 田中政

6:由美さーん!!!!



7:かくしゃくと大和先生

8:最後の締めは飛永



9:全員集合
入鈴も間に合った



実は20日昼間はJR九州ブルートレインのラストラン
原田付近を走る長崎行き「さくら」


かごんま日記:「牧者の歌」= スライトリ・マッド

2010年12月4日(土)
* はやぶさの里帰りして星冴ゆる

けさの六時ころワルトラワラの 
峠をわたしが越えようとしたら
朝霧がそのときちゃうど消えかけて
一本の栗の木は後光を出してゐた
わたしはいたゞきの石にこしかけて
朝めしの堅パンを噛りはじめたら
その栗の木がにはかにゆすれだして 
降りて来たのは二疋の電気栗鼠(りす)。

今日、鹿児島県肝付町にある内之浦宇宙空間観測所に、「はやぶさ」のカプセルが里帰りして公開された。7年前に打ち上げられ、今年の夏、無事に小惑星イトカワから帰還した探査機だ。オーストラリアのウーメラ砂漠に戻って来たときの大気圏突入の映像が記憶に新しい。ストップモーションの流れ星のようでとてもきれいだったが、燃え尽きてしまわないかと心配した。そのころ作った拙句に「時の日やイトカワの砂見てみたし」があったっけ。展示されたものは、約60億キロの宇宙の旅を終え地球に帰還した、カプセルの本体容器、耐熱カバー、地球への着陸時に使ったパラシュートなど計6点。お帰りなさい!ごくろうさま!今日は、はやぶさが打ち上げられた2003年5月9日生まれの小1の雄流(タケル)君と、帰還した今年6月13日生まれの駿斗(ハヤト)ちゃん(5ヶ月)が観測所に招待されたとのこと。2人とも肝付っ子。

*冬眠の頬ふくらませ電気リス
今日は東北新幹線八戸〜新青森間が開通した日でもある。東京から本州の最北まで3時間20分で移動できるようになった。私が盛岡に住んでいたころ、整備新幹線の工事は盛岡でストップしたままで、赤平の東北農業試験場から途中で切れた新幹線の橋脚が見えていた。森や牧場や畑の中にある官舎の周りの木によくリスが来ていた。2002年に八戸まで伸びたものの、全線開業が待たれていたもの。九州新幹線鹿児島ルートも来年の3月12日に開業の予定。先日、鹿児島市役所前に、九州新幹線全線開通まで「あと100日」のカウントダウンボードが掲げられた。

*馬の背に灯り点点神渡し
先月の11日、霧島神宮では「天孫降臨御神火祭」があった。高千穂河原の古宮址と高千穂の峰の山頂で同時に執り行なわれる。早朝、木と木をすり合わせて熾した火を神宮の本殿にお供えし、さらに2つに分け、古宮址と山頂まで神官たちの手によって大切に運ばれるもの。標高970mの高千穂河原の夕方はかなり寒い。さらに600mの標高差がある山頂まで歩いて火を運ぶのは、容易ではないはず。山頂から灯りが降りてきて、祝詞の神事の後、御神火によって、うず高く積まれた薪に火が点され、めらめらと燃え上がる。祈願札や絵馬をその火の中に投げ入れるお炊き上げの後、勇壮な霧島九面太鼓と霧島神楽の奉納が続いた。人間は宇宙までロケットを飛ばし砂を拾って来る。そのうちに大地を時速580キロで走るリニアモーターカーも作るらしい。しかしリスは頬をどんぐりでいっぱいにして木と木の間を走る。御神火は大変だろうけど、やっぱり山のてっぺんまで歩いて持って行かなくっちゃ。
*「牧者の歌」 原曲 J.E.スピルマン 日本語詩 宮沢賢治 (1934) より引用


■編集後記

同窓会、2003年からだからこれで8年目になるのかな? 1回能古島を欠席しただけで、7回参加しました。
不思議な話、やっと慣れてきた。
近頃は同窓会で初めて知己を得た人もだんだんと増えてきて、昔を懐かしむというより、サークルを楽しむ感覚になってきた。
それはそれですごく楽しいものですね。
今や同窓会は、年に1回の慰安旅行もたいなものになっています。

ところで今月の「丘ふみ俳句」は珍しく男性陣が上位を独占しました!
おめでとうございます、パチパチパチ。(笑)
副部長は久々の一席、初代王者の白髪鴨さんも、やっと自由律から定型に戻ってきてくれました。砂太先生の「骨太」の句はどんどん若返ってゆくようです。
先生は「丘ふみ」のお陰だと言って褒めて下さいます。おべんちゃらが半分でしょうが、年輩の俳人ばかりの結社に比べれば、まだ、新鮮な句材が「丘ふみ」には多いということもあるのでしょう。
もともといろんな個性が集まって、俳句に対する取り組み方も考え方も美意識も異なる同好会的な集団ですから、お互いの句についての否定的な句評はよくないと思いますが、愛情を持って、率直な感想を述べあうことは大切だと思います。宗匠の御指摘もありましたが、これからの「丘ふみ」の課題は「句評と鑑賞」だと思っておりますのでみなさま、どうぞよろしくお願いします。

(文責 葱男)


■消息

葱男:『俳句界』12月号/「めーる一行詩」【秀逸】
●かあさんの月かあさんの影を打つ  中島葱男
『俳句界』12月号/「兼題/海」(山崎十生 選)
●英霊の海駆け巡る瓜の馬  中島葱男
『俳句界』12月号/「雑詠」(佐藤麻績 選)
●夜の秋文語にはかにいろめける  中島葱男
『俳句界』12月号/「雑詠」(能村研三 選)
●夏の夜の間のびしやすきトロンボーン  中島葱男

水音:『俳句界』12月号/「兼題/海」(山崎十生 選)
●海原の深き呼吸や秋立ちぬ  山下水音

スライトリ・マッド:『俳句界』12月号/「めーる一行詩」【佳作】
●御茶ノ水楽器屋通り秋の風  島小みかん

五六二三斎:『俳句界』12月号/「めーる一行詩」【佳作】
●藁塚の魔物めくまで遊びけり  原たかゆき


■句友のページ
俳人・金子敦の小部屋俳句と主夫の間で♪<なを>の部屋空とぶ猫俳句魂海渡の海馬向後崎ふみ(十月桜)の気まぐれ歳時記俳句と写真で綴る日記「日々好日」nemurinn主義


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