*無法投区/夢見月

〜鎮魂の詠み人知らず春の海〜


ポンペイのマリア像


*津波の後に=入江葉子

   この国に六十歳を流れ来し
     想定外と嘯くなゐの春

   千年のなゐに呑まれし蝦夷人よ
     魂きはるわよりうかららを思ふ

三月十四日のJAL1206便は、被災地上空を左翼を屈めて、見せてくれました。
20A席の私は、羽田に向かって左窓下の俯瞰に釘付けになりました。
それが、泥水の色いわゆるグレイではないのです。
枯柴色の日なたのベージュです。その色が緑浅い太平洋側の 東北の山野に奥深く侵食していました。
14日は無情にも、霞の棚引くような一瞬の陽気となり、避難されている方々もほっとされたような一日でした。
窓際の乗客は涙を抑えることができなかったようです。
隣の二十代の青年の鼻をすする音が、ますますやりきれない。そして、例年になく盛岡も太平洋側も、雪掻きに追われた 冬であったと、 何かの予兆であったのか、千年前の蝦夷人に聞いてみたい。


*合掌のかたちに瓦礫積まれけり=葱男

3月11日、日本中の人々が言葉を失った。
500年、1000年に一度の大震災が今、現実に目の前で起こった。
日本の東半分が壊れた。
福島第一原発の事故により、大量の放射能が空にばらまかれた。
その多くは「涅槃西風」によって大平洋に拡散されたが、それでも茨木や福島の土壌は放射性物質に汚染され、未来を失った。
大津波は三陸沖の豊かな漁場を糧とする漁業から、船も港も水産加工工場も、いや、港や町自体を奪い去った。
酪農家は、一頭の牛から毎日20〜40リットルも搾り出される原乳を捨てなければならなくなった。小さな機械部品工場が壊れただけで、世界中の自動車工場の生産率が30%減少した。
話しだしたらきりがないほど、東日本の第1次、第2次産業は大きなダメージを受けた。
一方、被災地の復旧、復興は思うように進まない。
ライフラインを取り戻し、被災者の生活の安全と保証をはかり、福島原発を完全に廃炉とするまでには何十年という長い年月と、国家予算を大きく越える莫大な費用が試算されている。

同級生の上永龍三君のブログに、良寛のこんな言葉が紹介されていた。
「災難にあうときは 災難にあうがよろしく 死ぬ時節には 死ぬがよろしく候 これはこれ災難を逃れる妙法にて候」

コメントには「不適切であれば削除してください」とあったが、私は共感した。

太陽は巨大な原子炉である。人間は「神の火」を手に取ってしまった。
災害は天災であり人災である。
ゼロからの復興は右肩上がりで人々にわずかな希望の光をもたらすが、膨大な量の瓦礫の山をかたづけ、放射性物質を地に封じ込めるまではそのゼロの地点にも立てない。
私たち「丘ふみ」同窓生が生きている間に、日本の放射能汚染の問題が完全に解決することはおそらくないだろう。

先日、百鳥の句会に出席してとても感心したことがある。
それは、出句された同人たちの作品にほとんど「震災」の句が見られなったということである。
また、先月の「めじろ遊俳クラブ」の会報には宗匠のこんな言葉が会員に寄せられていた。
「御句拝見仕り候。一言申上げ度候。阪神大震災の後、あまたの悼句拝見。仕り候へど、凡百の愚作連なり短詩表現の限界を見し思ひ強く是有、震災詠は私に於ひて存在せざりき。加へて、一つには、己自身の作句上の力量を計るに、その痛みに心底及ばざる所を似って、作句するの意味を失ひたり。意あまりて辞足らずの思ひしきりの故もありなんと覚え候。〜以下略」

「災害追悼句」に寄せる立派な俳人の心構えとはおおよそこのようなものだろう。
しかるに今月の「丘ふみ」に於いては、なんと、全投句95句中、震災に関する句が48句もあった。この違いは何なのか?
俳句が作品であるかぎり、句を公の場に披露するというのはそれなりの覚悟と責任を伴う。 礼節を保とうとすれば安直で無責任な自己表現は慎むべきだろう。たとえば「市の文化教室で絵の初歩をちょっとを習っただけのおじさんが、いきなり銀座のギャラリーで個展を開く」ことは顰蹙ものである。
自分の作品のレベルも理解できないうちに「私は芸術家である!」と声高に公言してはばからないような、そんな愚かものにはなりたくない。
しかし、それでも猶私は、今このこの時に「震災」の句を詠むことを肯定する。また、自らも詠みたいと思う。「丘ふみ」の追悼句の数は、普通の人間ならば当たり前に心に生ずる、自然な衝動によるものだったと思う。被災地支援の義援金に募金をしたいとか、とりあえず家では節電につとめようとか、そんな気持ちと同じだと思う。それ以上の深い意味はあまり考えない。
私はかつて「俳人」と呼ばれるようなステージに上ったことはないし、(通常、結社では「同人」以上の席に座るものをそう呼ぶ)、たとえモチーフを「震災」としない句をだけ詠んだとしても、それが凡作、愚作の類いではないと自負できる訳ではない。

上永君の言ではないけれど、不適切なら削除してもらうしかないだろうと思っている。

●蒲公英の土手ごとさらふ波の来る
●悲しみは菜の花ばかりなぎ倒す
●ねはんにし倭國の灰を吹き過ぐる
●三月の雪ふりつづく破れ船
●陽炎や瓦礫のなかの幽霊船
●セシウムの雨かとおもふ草朧
●タンポポやしあはせいいえふしあはせ
●紫荊「もんじゅ」てふ名の発電所
●被災地に燃える影あり草若葉
●累々と無力を積んで春を過ぐ
●愛深し日本列島かぎろへど


「めじろ遊俳クラブ」126号(3月号)の表紙


*陽炎の生ある限り希望あり=喋九厘

●春待ちて草の命もいとおしく=喋九厘

東北関東大震災で被災の皆さまに、謹んで心からお見舞い申し上げます。
また関東にお住まいの皆さまも、まだまだ停電や放射能による問題など、あまたの大変があるかと存じますが、少しでも早い復興の時が訪れますよう祈っております。

以下またふたつ程、この場をお借りする事をお許しください。

震災後に3泊の宿泊と共に延べ10日間程、観光地方も含め九州各地を巡った印象です。
本来ですと九州は九州新幹線鹿児島ルートの全通で、春休みと合わせ賑わう予定でした。
ところが震災と重なり、観光地を中心にやはり元気がありません。
震災直後の影響もありましょうが、九州でもこれからの見通しも暗いとの関係者の話も聞きます。
海外からの大量キャンセルも有り、交通機関、宿泊施設など観光関連業にもジワリと影響が出ているようです。

今年は寒い冬が長引きましたが、いよいよ九州も春本番です。
九州ではいつもの美しい海に山と空が待ってます。美味かもんに温泉も。
どうぞ関東の皆さまも里帰りと九州の旅で、心を元気にしてください。
せめて被災地から遠い九州や西日本から、少しずつでもニッポンの元気を取り戻していきたいものです。

ふたつ目
こういう時でありますが、2年間撮り続けて参りました宝満山の本が予定通り完成して、発売される事になりました。

タイトル「祈りの山 宝満山」海鳥社刊 160ページ 1575円
4月10日ごろ全国の主な書店にて発売開始予定です。(初刷3000部と少なく、福岡以外は紀伊国屋やジュンク堂辺りまでかと)

内容は宝満山の四季や自然、遺跡ほか、縁結びの神さまである竈門神社の祭りに季節の花たち、山麓の里山の暮らしなどです。
祈りと自然と暮らし、たくさんの笑顔も掲載しました。
頑張って5万カットの撮影中、ページ数の関係で掲載を断念の悔しいカットもありますが、それなりに充実した内容となったと思います。
宝満山を写真で魅せる、最初の本だそうです。宝満山に興味ある方はどうぞご覧になってくださいますよう、お願い申し上げます。

写真説明
1:震災後に巡った九州。熊本県不知火海の向こうに天草の島々。
2:鹿児島県の南 開聞岳。
同じ日本での出来事が信じられないような平和な時間が過ぎて行く。
これらの風景を眺めながら、肥薩おれんじ鉄道や指宿枕崎線のローカル列車が、今日もゆっくりのんびりと走っています。



祈りの山 宝満山の表紙カバーと内容の一部です。
販売用と非売品がありカバーは替えてますが、内容はすべて同一です。




*春暁やひつそり祝ふ新幹線=資料官

3月11日金曜福岡の天神を歩いていた時,東京の自宅にいた子供から東京は大地震,家内は池袋に行って連絡がつかないという電話があった。しばらくして家内とも連絡がついたが,その後はテレビの凄惨な東北地方の震災のニュースに釘付けになった。翌3月12日(土)は博多−新八代間が開通して九州新幹線が全線開業する日,開業初日に乗ろうと福岡まで舞い戻った週末の出来事でした。金曜日の昼下がり,先に開業した博多シティや新幹線開業のセレモニーなどに人が集まっているその時にこの大地震が発生した。新幹線の開業そのものは実施されることになったが,大半のセレモニーは中止となり,さびしい九州新幹線全線開業の日となったのです。12日(土)の夕方にはシャベ栗たち鉄仲間と祝賀会を予定していたので,どうしたもんかと皆で相談したが,馬鹿騒ぎをするのではなく,静かに開通を祝おうということになった。日本の新幹線網は12日(土)鹿児島から青森までつながる筈だったのだけど,大地震で東北新幹線は不通になり,未だに全通していない。
11日(金)に青森まで行って,12日(土)に新青森から一気に鹿児島中央まで乗ってみようかとも考えたけど,体力・気力・資力を考えてあきらめた。11日に新青森に行っていたら,帰って来られなかったか,はやて車中で大地震に遭遇していただろう。

●春暁やひつそり祝ふ新幹線
●春光や白藍色の新幹線



1:2011年3月11日(金)
開通前日の博多駅 正面には大時計が12時半を指す
この2時間後に大地震が発生するとは



2:2011年3月11日(金)12日50分ごろ
新幹線開通のイベントの目玉はブルーインパレス(T-4)の博多駅上空の展示飛行
6機がさくらのマークを描く予定であった
これはその事前飛行
この2時間後に東日本で発生した震災でイベントはすべて中止となってしまった

3:2011年3月12日
開業当日の博多駅  鹿児島中央発新下関行さくら402号が小倉に向けて出発
白藍色のN700系8連。このN700系(九州・山陽新幹線直通用車両)は新大阪まで顔を出す

12日8時ごろ博多駅に到着,ホームに鉄ちゃんの姿は見えるが,発着する新幹線は物静かな様子で自由席も空席が目立つ列車が多かった。鹿児島中央まで行くことも考えたが,九州沿岸にも津波警報が出て,在来線の海べたを走る路線は運転見合わせが続出していたこともあり,新規開通区間のみ乗車して博多駅に戻ることにしました。乗車したのは博多駅9時36分始発のさくら409号で熊本まで,ここでいったん下車して後続の新八代に停車するさくら543号に乗り換えた。この列車は新大阪発ゆえ立ちんぼも覚悟したが,自由席は空席が多くゆっくり新八代まで乗車できた。これで,九州新幹線全線乗車,新青森から鹿児島中央まで制覇することになりました。



4:2011年3月12日
新八代駅 昨日までリレーつばめに活躍した787系と博多発鹿児島中央行つばめ341号
800系6連が並ぶ

5:2011年3月12日
熊本駅西口(新幹線口) 博多から熊本止まりのさくら301号が到着,ここから博多へ向けて折り返す



6:2011年3月12日
熊本市通町にて 熊本市電と熊本城の定番の撮影地
28年ぶりにこの場所で撮影
平成20年春に本丸御殿が落成したのでお城の風景が若干変わった



7:2011年3月12日
久留米駅を通過するさくら419号800系6連
久留米駅は在来線駅に併設,筑後川を渡ってやってくる

8:2011年3月12日
新鳥栖駅は長崎本線肥前麓駅の上に造られた新設駅
停車中の博多行さくら312号と新鳥栖を通過する鹿児島中央行さくら421号
ともにN700系8連
どの駅も入場券を買って入る新幹線見物客が多かった



9:2011年3月12日
博多シティ屋上(つばめの杜ひろば)の「列車展望スペース」から
このような写真撮影できる
屋上には旅の安全を祈願できる「鉄道神社」もあります
東京からのぞみ33号N700系16両が博多到着
東京発の新幹線はすべて博多止まりで博多から南へは走らない

東北地方太平洋沖地震はおそらく終戦後最大の危機ではないかと思う。現地の被害状況も筆舌に尽くしがたいし,くわえて原子力発電所の放射能漏れの問題,首都圏を襲うであろう構造的な電力不足の問題等々考えると新幹線開通に馬鹿騒ぎをすることなど,能天気な話だと思う。ただ,10日(木)には博多まで行ってしまったので,これは乗ってくるしかないと。それをまた無法投区に掲載することも如何なものかとも考えましたが,記録に残すことも必要かと思い送らせていただきました。この無法投区にも取り上げた東北地方,特に幾度か出かけた仙台市から三陸海岸にかけての地域が壊滅的な被害を受けたこと,断腸の思いであります。被災された方々に心からお見舞いを申し上げますとともに,一刻も早い地域の復活を祈って止みません。

●みちのくに鉄路の響き花辛夷
●みちのくの鉄路ふたたび花辛夷
●おおなゐの後の暗闇冴返る


かごんま日記:「永訣の朝」= スライトリ・マッド

2011年4月5日(火)

*瓜坊のどすんと落ちて草霞む

    けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨〔いんさん〕な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀〔たうわん〕に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

3月11日に東日本大震災が起きて約1と月。こんなことがあるって、誰が予想だにしたろう?!連日のニュースに涙、涙だ。慟哭、無残・・言葉に表しようがない。新聞に「亡くなられた人々」のたくさんの氏名と年齢が載らない日がない。同じ姓はご家族だろうか?年老いた人、幼子、働き盛りの人、学生さん・・。一人一人にそれぞれの夢や希望があったはずなのに永訣の日が来るなんて。天災とは言え、あまりにも痛ましい。以前岩手の盛岡に9年間住んでいたので、沿岸部に住む友人や親戚や知り合いも結構多く、連絡が取れるまではほんとうに心配した。無事で生きていてくれたが、大勢の亡くなっていった人々を考えると、手放しでは喜べない。宮古の親友が言っていた。「何とか無事でいます。しかし現実とは思えないような惨状です。」寒い中、家をなくし家族も大事な人たちもなくした人はどうやって生きていくのだろう。津波で飼い主とはぐれ、保護された犬のさびしそうな表情が目に焼き付いている。

ここに世界の地震の分布図がある。国立天文台の理科年表だ。世界中で起こる地震の2/3以上が太平洋のへりで起こっていて、中でも日本のあたりは特に地震が多発して列島の形が見えないほど真っ黒に。世界の大部分は地震の起こらないところなのだ。脱原発の動きがあるドイツや原発先進国のフランスなどヨーロッパ大陸などは、深さ100キロより浅いところで起こった地震がないことに気づく。日本では、まだ地震は来ないのでは?津波は大丈夫では?とたかをくくっていたから、海の近くに原発を作って平気だったのか。今頃になって、原発の設計者が「福島第一原発は欠陥品です。」なんて言われてもどうしようもないではないか。鹿児島県の川内にも九州電力の原発がある。原発付近で取れるスズキが巨大化していて、釣りマニアには人気のスポットだったとか、サメやウミガメの死亡漂着が最近増えているとか、ゲート付近の桜の花びらに異常が見られるとも聞く。東電の福島原発を見ていると、まるきり嘘だと言えないのでは?日本は地震の起こる国、津波の襲う国であることを肝に銘じて、エネルギー政策を進めてくれないと!我々国民は節電でもサマータイム導入でも協力は惜しまないから、政治家と名のつく人は、もっとしっかりしてほしい!

我が家に1月に来たシェパード犬、さくら。今日で、産まれて4か月になる。最初6、3キロで自転車の前のかごに乗るくらい小さかったが、今や20キロ。さくらのおかげで散歩をするようになった。鹿児島神宮の御神馬が飼われている裏口から、溝辺空港に通ずる山に入って行く。くねくねした山道、柱状節理やバームクーヘンのような層になった岩。溶岩台地の山だ。崖からドスンとイノシシの子が2頭落ちてきて右と左に走って行った。一瞬の出来事で唖然とする。傾斜した道を上ると、日秀神社に出る。小さな神社。南に面した斜面にみかん園や桃園が周りにあり、見晴らしがとても良い。錦江湾に浮かぶ桜島が見える。我が家の屋根も。「津波は隼人には来ないよ」と誰かが言っていたが、何が起こるかわからないのが世の常。海から近い。もし津波が来たらひとたまりもないのでは?桜島の大正大噴火の際、火山弾が隼人まで飛んできて、当時は藁ぶき屋根が多く、大火事になったとのこと。お隣の美容室のシンちゃんいわく「『桜島が大爆発したら溝辺に逃げろ』がうちの祖父さんの言い伝えで・・」。津波が来たらさくらと走って溝辺まで逃げるぞ!

*「永訣の朝」 宮澤賢治『春と修羅』(1922) より引用


■編集後記

さすがに宗匠の選に、「震災」を直接詠んだ句はなかった。 しかしB部門、三光の5句はもしかしたら「被災地」の情景かもしれないと私は感じている。

陽炎や石のきつねの動き出す=雪絵
(丘の上の、たくさんの神社の狐もさぞかしびっくりしただろう。)
草の芽やままごとの器もごちそうに=小夜女
(炊き出しのカレーライスがはじめての温かい食事だったかもしれない。)
イチニッサン準備体操春の草=雪絵
(避難所生活での一番の敵は運動不足によるエコノミー症候群である。)
陽炎の伸びゆく空へスローガン=五六二三斎
(がんばっぺ 東北!)
茎立ちの草に問はるる子の去就=砂太
(家も会社も工場も波に呑まれ、家族さえ失って「命」ひとつとなった人達がどれだけ多くいることだろう。)

われわれはどこかでだれかとつながっていて、そのきずなをたどっていけばにっぽんじゅうつつうらうらにまでひろがっていきます。しんさいにあったぜんこくすべてのひとびとに、こころよりおみまいをもうしあげます。


(文責 葱男)


■消息

砂太:『俳句界』4月号/「兼題」【佳作】(山崎十生 選)
●奉納の新酒の樽が動かざる  白川砂太
『俳句界』4月号/「雑詠」【佳作】(茨木和生 佐藤麻績 辻桃子 能村研三 選)
●粗を煮て一人の冬に入りけり  白川砂太

葱男:『俳句界』4月号/「兼題」【佳作】(名村早智子 選)
●新雪や旬の香りのする言葉  中島葱男
『俳句界』4月号/「めーる一行詩」【佳作】
●カンカラのうらら江ノ電サブレかな  中島葱男

五六二三斎:『俳句界』4月号/「めーる一行詩」【佳作】
●春寒や往診に行く人力車  原たかゆき

スライトリ・マッド:『俳句界』4月号/「めーる一行詩」【佳作】
●シェパードの訓練場や草青む  島小みかん


■句友のページ
俳人・金子敦の小部屋俳句と主夫の間で♪<なを>の部屋空とぶ猫俳句魂海渡の海馬向後崎ふみ(十月桜)の気まぐれ歳時記俳句と写真で綴る日記「日々好日」nemurinn主義定年再出発


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