*無法投区/寝覚月

〜還暦のつぎの日句会ななかまど〜


*つなみ=葱男

震災のあと
ずっと漠然とした不安の中にある人
俳句が詠みにくくなってしまった人
身近に大切な人を失ってしまった人
なんらかの理由で心に傷を負ってしまった人に
一篇の動画をおすすめします。
この動画は、私が所属する俳句結社「はるもにあ」の会員である「牧タカシ」さんが、1947年に発表されたパール・バックの短編を下敷きにして創作し、YOU TUBEに投稿したものです。

The Big Wave, Pearl Buck 『つなみ』(径書房刊)より

父ちゃん、
日本で生まれて損したと思わんか?

何でそう思うんじゃ?

家の後ろには火山があるし、前には海がある
その二つが悪いことしようと、地震や津波を起こしよる時にゃ、だれも何にもできん
いつもたくさんの人をなくさにゃあいけん

危険の真っ只中で生きるということはな
生きることがどんだけいいもんかわかるというもんじゃ

じゃが、危ない目に会って死んだらどうする?

人は死に直面することでたくましくなるんじゃ
だから、わしらは死を恐れんのじゃ
死は珍しい事じゃないから恐れんのじゃ
ちょっとぐらい遅う死のうが、早う死のうが、大した違いはねえ
だがな
生きる限りはいさましく生きること
命を大事にすること
木や山や
そうじゃ、海でさえどれほど綺麗かわかること
仕事を楽しんですること
生きるための糧を産み出すんじゃからな
そういう意味では、わしら日本人は
幸せじゃ


*台風に足止めされた秋彼岸帰省=資料官

●人災かもしれぬ二百十日かな
●羽田発全便欠航台風裡
●居直ればやがて去り行く野分かな
●台風に足止め秋の帰省かな

9月半ば頃から日本列島を徘徊していた台風15号は気を取り直したように北上し,9月21日の午後には首都圏に大接近。このため,羽田空港発着する午後の便は大方欠航,おまけに夕刻の帰宅時間帯に接近したので,首都圏の鉄道はほぼ全面的に運転を見合わせることになった。
実は,9月22日は年休とし,21日の夕方仕事を終えてから福岡に帰省する予定だった。台風が接近していたので,何もなければ午前中に抜け出して早い便で帰省することも考えていたが,この日に限ってなんやかんやと問題発生,そうこうするうちに羽田発全便欠航のメッセージあり。気を取り直して翌22日の航空券の予約を取ることに切り替え,ANAのHPで空席が出た瞬間に11時30分の便をゲットして,やれやれ。
しかしながら,福岡帰省はあきらめても,今度は電車が止まって帰宅もできない状況。会社では台風接近した場合には,業務に支障ない限り早く帰って良いと社員に通知するのですが,実際に仕事時間中に帰宅するのは心ある上司が積極的に働きかけなければなかなか難しい。今回も,動き出す前に首都圏鉄道網の運転見合わせが始まってしまった。3月11日の大震災の教訓から,交通機関が不通の場合には無理して帰宅せずに安全な会社で待機という方針を打ち出しており,近場の社員以外は会社で復旧を待っていた。
まずは腹ごしらえと,17時過ぎに食料求めて階下のコンビに出かけたが,弁当・おにぎり・サンドウィッチはさすがに売り切れていた。ただ,酒・かわきものつまみなどはかなり残っていたので,難なく調達して自分の机で早い夕食をとった。この時間,会議室ではすでに酒盛りも始まっており,こういう機会にも会社内の横断的なコミュニケーションが図られていたようだ。台風の風も弱まってきた20時過ぎにはぼちぼち運転再開する路線も出てきて,西武鉄道も20時30分過ぎには運転再開,帰省のための大荷物を背負って再び自宅に戻った。ただこの日,千葉方面の復旧は相当遅くなったようで,そちら方面の方々は大変ご苦労様でした。
翌日は前日の交通網乱れの余波でまだ地下鉄の一部が運転見合わせをしていたが,ほぼ予定通り羽田空港に到着し,22日の午後には無事福岡の実家に到着できた。実家までのタクシーの運転手が,今年は福岡には台風がまったく来ない,地震もないし福岡は良かですバイと何度も話しかけてきたことが印象的だった。
実家が大野城市(当時は筑紫郡大野町)に移ったのは40年前の1971年で,その時からの隣人がこの春にマンションに移り住むことになって,母は寂しさと不安を感じていた。6月帰省した時にちょうど家を取壊し中で,今回は更地になっていて秋分の日に地鎮祭,翌日から工事が始まった。工事が始まる前に隣の庭から自宅の写真を撮影したが,背景に宝満山があるなかなかの構図となり,これはもう撮影できない貴重な写真だと思った。

*
2011年9月22日秋分の日
自宅の隣の庭から自宅と宝満山

*
2011年9月25日
隣の工事が始まった。自宅2階から

8月に上の子が4年ぶりに帰国しており,父の葬儀に出席できなかったので今回同行,酒好きが加わりにぎやかな帰省となった。秋分の日に母共々3人で父の墓参りに出かけたが,今年の福岡の彼岸は晴天続きで,若杉山・砥石山・三郡山・宝満山の連山が手に取るように眺めることができた。秋ならばと奮発して,をみなへしの入った花束を求めて墓に挿した。淡い色の花が多くなってしまってなんとなく物足りず,花屋にあった竜胆を1本づつでも加えれば良かったのかもしれない。毎度のことながら,墓参りをそそくさ済ませ,後は父が好きだったなじみの蕎麦屋に向かったのであります。

*
2011年9月23日
自宅から車で10分の墓地
若杉山,砥石山,三郡山,宝満山連山が見える

●うろこ雲父には父の人生観
●冷え冷えと父のゐぬ家三年半
●墓地前のいつもの花屋濃りんどう
●をみなへし挿して合掌父の墓
●蕎麦好きのかほ浮かべつつ走り蕎麦

余談ですが群馬県でSL運転が始まりました
この蒸気機関車は40年前には九州宮崎を走っていました
一度は見に行きたいものです

*
1971年11月20日
今年から復帰したC6120
40年前の日豊線高鍋駅での雄姿


かごんま日記:「水のこころ」 = スライトリ・マッド

2011年10月5日(水)
*じめさあに紅さす筆や秋の風

水は つかめません
水は すくうのです
指をぴったりつけて
そおっと 大切に──

水は つかめません
水は つつむのです
二つの手の中に
そおっと 大切に──

水のこころ も
人のこころ も

今日は、じめさあの命日。じめさあとは、島津家18代当主家久の正夫人、亀寿姫(1571~1630)。亀寿はのちに「持明院」と呼ばれ、「持明院さま」が鹿児島弁では「じめさあ」となる。島津義久公の三女として戦国時代の薩摩にうまれ、家久とは従兄妹どうしの近親婚。鹿児島に伝わる伝承ではなぜか、「しこめ」で不遇の姫さまとされているが・・。 実際は、絶世の美女だったとも言われ、どちらが本当かわからない。実際美人の基準は時代によって変わるもんだし。豊臣秀吉公の九州征伐によって島津家が豊臣家に従うと亀寿姫は、「人質」として京都へ上洛。のちに島津義弘の息子である島津久保に嫁したものの、久保が早世して、久保の実弟の島津家久と再婚したという。しかし、従兄妹に当たる家久と亀寿姫は、仲が悪かったらしく、家久は亀寿を遠ざけて側室に子を多く産ませたとのこと。多分そこから、ブスの異名を取ったのでは?!
 そのじめさあの石像が鹿児島市立美術館の前庭にある。自然のままのような岩の形で下がどっしりしている。中央公園前にある観光スポット西郷隆盛さんのでっかい石像の裏側にあたるが、あまり知られていない。毎年この日に市の広報課の女性職員によってお化粧直しがなされるのだ。もともとは、鹿児島市役所があったところで、昭和4年の樺山可成市長の代から始まったという。雨風にさらされ苔むして前年のお化粧もかなり剥がれかかっている。水で洗い流し、ふきあげて、顔の部分は水性の白のポスターカラーのおしろいが丁寧に塗られる。眉とアイラインもポスターカラー。口紅と頬紅は本物。今年の口紅は、初めて江戸時代から作られている紅を使い、落ち着いた雰囲気に仕上がる。なかなかの美白美人ではないか!
今コーラスで、高田敏子の「渓流」を歌っているが、自分の娘たちを小鳥にたとえ、自分の手から巣立っていく日を詩の中に歌っている。後から知ったのであるが、嫁いでいく娘が、シューズデザイナーだった高田喜佐さん。「キッサ」のシューズの名前を最近聞かないなあと思っていたら、2006年に他界されていた。渓流の水をおいしそうに飲み、母の手から飛び立ち、天まで飛んで行った。また敏子ママに会えたかな。美白のじめさあにも会えるんでは?!

*「水のこころ」 by 高田敏子 詩集『可愛い仲間たち』 (1975) より引用


■編集後記

「丘ふみ100号」の夢みっつ。

一つ目は50号記念号と同じような「百号記念句集」を自費出版すること。
10人以上の賛同者を得ることができればこれは実現可能だろう。

ふたつめは砂太先生に句集を上梓していただくこと。
喜寿を迎えてますます盛んな先生ですが、そろそろ句歴40年の節目となるような句集を作ってほしいものです。そして装幀は私にさせていただきたい。
でもこればかりはご本人の意志がないと実現しません。
われわれにできることは、「丘ふみ」のメンバーから寄付金を募って、できるだけたくさんのお金を集めて、砂太先生を応援することです。
一口2000円で、その口数だけ句集を配ってもらえることにしたら良いのでは、と思っています。
倶楽部以外の「丘ふみ」同窓会にもメールして、(倶楽部会員にはひとり5〜10册ぐらいをまかなってもらって)100〜150口ぐらい集まれば20〜30万円になります。みんな砂太先生の教え子なので、1册の句集を2000円で買うことぐらいは賛同してもらえるんじゃないでしょうか。それでもまだ30万以上のお金は必要になるでしょう。 どうか、砂太先生、私達も応援しますから素敵な句集を作ってください。

そして三つ目が「丘ふみ」史上初めての吟行句会を京都で開くことです。
みんなの「還暦祝」を兼ねて、来年の秋、12月のはじめぐらいではどうでしょう?
一般観光客にはあまり知られていない素敵な「裏京都」をご案内します。
京都なら、東京からも博多からも新幹線で3時間弱ですもんね。宴会宿泊付きのいい旅館がたくさんあります。

これだけ長い間みなさんの俳句を読ませてもらっているので、初対面の人とでもすぐに打ち解けられるでしょう。これはよくネット句会で経験することです。
そして、きっと、今以上に深い絆が生まれに違いありません。

還暦も喜寿もこぞりて芋煮会  葱男  (文責 葱男)


■消息

砂太
●汝が中に誰が住む蛍袋殿  白川砂太
『俳句界』10月号/「俳句ボクシング」【赤コーナー】(石田郷子 選)
●夕凪や一木一草ふり向かず  白川砂太
『俳句界』10月号/「雑詠」【佳作】(廣瀬直人 選)

水音
●けふもまた一人遊びや天道虫  山下水音
『俳句界』10月号/「俳句ボクシング」【リングサイド】(石田郷子 選)
●立葵芸妓の通ふ午後の湯屋  山下水音
『俳句界』10月号/「兼題=立」【佳作】(名和未知男 選)
●そののちの道交わらず七変化 『俳句界』10月号/「雑詠」【佳作】(角川春樹 選)

葱男
●窓秋にあまたのひかり天の川  中島葱男
『俳句界』9月号/「めーる一行詩」【佳作】

五六二三斎
●涼新た目線を高く歩きけり 原たかゆき
『俳句界』9月号/「めーる一行詩」【佳作】


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