*無法投区/風待月

〜けふはけふおかへりなさい夜の秋〜

*至高の自由、純粋な必然性のとき=白髪鴨

 その物語は、次のような文章で始まる。
 『「哲学とは何か」という問を立てることができるのは、ひとが老年を迎え、具体的に語るときが到来する晩年をおいて、おそらく他にあるまい。(…中略)その問は、もはやたずねるべきことが何もない真夜中に、ひそやかな興奮に身を任せて立てるひとつの問なのである。かつてひとは、この問を立てていた。絶えず立てていた。しかし、そのとき立てた問は、間接的あるいは遠まわしにすぎ、あまりにもわざとらしく、あまりにも抽象的なものであった。そしてひとは、その問の虜になっていたというよりも、むしろその問を、ことのついでに提示し、勝手に操っていたのである。(…中略)すなわち、「それにしてもわたしが生涯おこなってきたことはいったい何であったのか」と最後に言いうる地点にはまだ達していなかったのである。老年が、永遠の若さではなく、反対に或る至高の自由、或る純粋な必然性を与えてくれるようないくつかのケースがある……』(GD & FG)

もう自分ではやることはあるまいと思っていたヨットレースを再び始めた。運営の仕事は老いたセイラーの勤めとして続けていたが、再び自分自身がレーサーとしてデッキを走り、シートを手繰り、セイルをトリムするようになるとは思ってもいなかった。 博多に戻って知り合ったオーナーに誘われ、昨年のGWに長崎でのレースに参加したのがきっかけである。今年のGWには釜山から博多までのレースに出るつもりでいたが、仕事の都合で参加できなかった。おかげで三十数年ぶりにドンタクを見物できたが、釜山への回航時の胸の躍るような40ノットオーバーを体験することはできなかった。その代わり7月には五島から長崎までのレースに出る予定だ。もっともこの時期なら海は荒れることもないだろうが。
さすがに体は言うことをきかない。気持ちは1m前にあるのだが、体は1m後ろでモタモタしている。しかし、一日のレースを終えてハーバーに戻るときの疲労感は、むしろ快感ですらある。
……老年が、永遠の若さではなく、反対に或る至高の自由、或る純粋な必然性を与えてくれるようないくつかのケース……GD&FDが語っているのは本当は芸術の話なのだが、わたしにとってレースは或る至高の自由であり純粋な必然性であった。若くしてその自由と必然性を見いだしたものたちは天職を得る。老いてそれを見出したものたちはある種の悟りを得る。いつまで続けることができるか分からない、そしてそこで何を得ることができるのかわからない不安、それが必然性であり、わたしたちの至高の自由なのだろう。


*六月の雨に花咲くウェディング=資料官

●梅雨晴るる表参道佳き日かな
●ウェディングケーキ入刀街若葉
●六月の雨に花咲くウェディング
●花嫁のベエール若葉風抜けた


雨が上がった表参道



6月の花嫁を「ジューン・ブライド」(June bride)と呼び、この月に結婚をすると幸せになれると言われている。実は,6月11日土曜日に甥の結婚式に出席した。本当に久しぶりの結婚式であった。近年黒ネクタイと礼服の組み合わせは頻繁に発生していたものの,結婚式は何年ぶりだろうか。最後の出席した結婚式のことが思い出せないのである。これまで礼服は平成7年(小生43歳)に作ったものをずっと着ていたが,この機会に新調することにし,なんとなく黄ばんで見えた白のネクタイも最近のデザインのものに買い換えた。
自慢するわけではないが平成7年の礼服は着ること自体はまったく問題はなかったけど,お祝い事だと思い買い換えることにした。
出席者の太宗は新郎新婦の友人関係者であり親戚筋は少数らしい。別にしゃべる訳でも歌う訳でもなく,ただ飲んで座っておれば良いのだけど,久々の結婚式は少々緊張でもあった。福岡の母にとっては始めての孫の結婚式であったが,上京することに不安を隠せず結局出席はあきらめ,福岡の弟と妹だけが上京した。
この週末,天気予報はずっと雨の予報であったが,結局土曜の朝には雨も上がり,式の後チャペルからフラワーシャワーの中を歩く頃には,晴れ間も見えた。きっと行いの良い参列者が多かったのだろう。窓から見える表参道の街路樹の新緑がまぶしく,明るい光に包まれた六月の結婚式は人気どおり良いものだと思った。小椋佳の歌に「六月の雨」という歌があるが,氏が結婚式に招かれて即興で作って披露した歌だという。どうしてもその歌詞を思い出せず,なんとなく気になったので,小椋佳の大ファンである会社の先輩に教えて下さいとお願いしたら,さっそくメールで送ってくれた。彼は何を思ったのか,その日の自分のブログに「六月の雨」歌詞を載せて,元気になりましょうと言っていた。

「六月の雨」    作詞:小椋佳   作曲:小椋佳

六月の雨には 六月の花咲く
花の姿は変わるけれど
変わらぬ心を誓いながら
いくつ春を数えても いくつ秋を数えても
二人でいたい

●六月の雨に姿の変はる花 (18年7月,丘ふみ游俳倶楽部23号)



久しぶりの結婚式であったが,その変貌振りに驚かされた。その一つは仲人がいないこと。
主賓席には二人だけが座る。確かに上司などにお願いすることもなくて気楽である。その二,新郎新婦がしゃべる場面が多くて,逆に新郎の父は何もしゃべらなかった。まあ,親は楽で良いだろう。二人が主役のショーのようなもので,昔はせいぜいスライドを使って新郎新婦の生い立ちを紹介する程度であったが,今は大画面の動画に新郎新婦が登場する。その三,主賓の新郎新婦の上司達はまだまだ若く,バリバリの中間管理職であろう。
学友や同僚はほとんど20歳台の若者たち。これほどたくさんの若者の集団の中にポツリと存在したのも久しぶり。私は会場では年齢ベストファイブに入っているはずである。その四,携帯の普及で参加者全員がカメラを持っているようなもの。ウェディングケーキ入刀の際はカメラマンが殺到した。SLに群がる撮り鉄のように。最後に,参加者が会場の雰囲気に合わせたためかもしれませんが,着物姿がほとんどいなかったこと。これも驚きです。この10年近く結婚式に出ていなかった間にすっかり時代が変わったような気がした。
結婚式から11日目の6月22日が父の命日であったので,翌週末には墓参りのために福岡に帰省して,母に結婚式の一部始終を写真で報告した。フォトフレームにカメラのメディアを差し込めば,その場でスライドショーを見ることができるので,年寄りあての報告には大変便利である。弟が買って置いていたものをさっそく活用した。枚数が多くて一巡するのに時間がかかったが,夜更かししながら何度も見ていた。参列者の様子や式の雰囲気が良くわかったようで,ひとまずやれやれである。

●父の日や小鹿田黒牟田小石原(おんたくろむたこいしわら)
●父の日と聞けば父の忌梅雨晴間
●父の忌や父の奢りの夏料理
●父の忌や父の小銭でカサブランカ


かごんま日記:「 風 」 = スライトリ・マッド

2011年6月25日(土)
*合唱で花くちなしの香をつくる

風があります
やさしい風が
今朝旅に出た
むすこの肩に

おんなじ風が吹いてると
ぼうしの形の雲さんが
こっそり知らせてくれました

今日は、第34回全日本おかあさんコーラス九州支部大会の日。今年は大分市の「いいちこグランシアター」での開催。2日間にわたって95の合唱団が競う。スポンサーがキューピーで参加者全員に毎年新製品をお土産に呉れる。所属するめぐみコーラスのメンバーは金曜日から大分入りして、別府大学大分キャンパスでの練習に励んだ。私は高3の娘の模試の日でお弁当が必要だったし、金曜日1日犬のさくらの世話を放って行くわけにはいかず。体はでかいが、まだ6ヶ月。8ヶ月で大人かな?!今月はなんだか忙しく、来週の土日も沖縄(観光ではなく!)なので、大分には泊まらないことにした。鹿児島―大分のルート検索をすると、新幹線プラス特急が3時間17分で行け、一番早いが、値段も高い。暇なしだがビンボーなので、一番安い高速バスにする。基山で乗り換え6300円。約5時間。基山までの福岡行の高速バスは満席だったが。大分行はガラガラ。14:42に大分トキワ前に着く。ガレリア竹町を通って会場までは徒歩5分。出番は初日の48番目、最後から3番目で遅く6時半ごろのステージだ。歌う曲は「風」、「くちなし」、「夕焼け」の3曲。八王子の女声合唱団「ならはら」の団員さんの詩に、新進気鋭の作曲家松下耕氏が委嘱され音をつけたもの。どの曲も私の心にストンと落ちるものがあって、とても共感を覚えた。「風」は、すがすがしく歌えて好きだ。「くちなし」と「夕焼け」は、昨年亡くなった母を思い出し、去年の冬は練習のたびに涙ポロポロで歌っていたものだ。夏に入った練習のとき、アルトの上村さんが「これが詩に出てくる『高貴な香り』ですよ」と、ご自宅のくちなしの鉢植えを持って来られ、鉢を回したこともあったなあ。今回はいろいろな事情で参加できなかったメンバーがいて、大会の最中に、入院されていたご主人の訃報が入ったりもした。「来れなかった人たちの分も一生懸命歌いましょう」と団長の言葉。これまでは、ソプラノが弱いとか指摘されたことがよくあったが、今年はメンバーが欠けていたのにも拘らず全くその点についての指摘もなく、のびのびと気持ちよく歌えた気がする。去年は宮崎県のすべての合唱団が、口蹄疫の伝染防止のために出場を自粛されていたが、今年は12団体が出場しそのうち2つの団が全国大会へ行くこととなったのが印象深かった。わがめぐみコーラスは全国大会には行けなかったが、ピッチが下がらず、音を保てたというのは大きな前進だまた審査員の講評に「くちなしの匂いがしました」とあり、やった!と。本番では泣かなかった。鹿児島空港前で高速バスを降ろしてもらい、駐車場に預けていた車に乗って、家に帰りついたのは12:15。金峰町から来られてる山之内さんは鹿児島中央駅からさらに1時間半、午前2時の帰宅だったとのこと。ほんとうにご苦労様!参加賞はカロリーオフのマヨネーズ!

*『風』 女声合唱とピアノのための「たおやかな詩」  牛尾良子 作詩、松下耕 作曲 (2005) より引用


■編集後記

18年間働いた手描友禅工房から独立したのが1996年のこと。
それ以降は大文字山の麓の工房に7年、鷹峯の工房に移ってからは9年間、自分だけの城でひとり絵筆を握り続けてきた。
一日の仕事が終わると、工房の東の窓のどっしりとしたひとり用のソファに座って、目の前のおだやかで優しい鷹峯の稜線を眺めながら缶ビールを開けた。そこにはいつもひとりきりの、至福の夕暮れがあった。
そんな、きものを創るための染色工房『月下村』を、ついにこの6月で閉じた。
この秋からは立体造形家の知人とふたりで自宅の裏庭に「アトリエ兼客間」みたいなシンプルな部屋を造る。

将来の生活設計は全く描けていない。 58年間、その場その場で好きなことばかりをして、いつもいつも場当たり的に生きてきたのだから仕方ない。きっとこの先の人生、還暦からが本当の正念場になるのかもしれない。そのほうがいいのかなあ〜。のんびり暮らすなんてこと、できないほうが健康には良いかもね、なんてことを考えたりする今日このごろである。


(文責 葱男)


■消息

砂太:『俳句界』7月号/「俳句ボクシング」【リングサイド】(田中 陽選)
●人妻や春の一日の爪染めて  白川砂太
『俳句界』7月号/「雑詠」【佳作】(辻 桃子選)
●回りつつ凧落ちてゆく遠野原  白川砂太

葱男:『俳句界』7月号/「めーる一行詩」【佳作】
●鹿の子に初めての海かがやきぬ  中島葱男

五六二三斎:『俳句界』7月号/「めーる一行詩」【佳作】
●レインボーブリッジ光る若葉風  原たかゆき

スライトリ・マッド:『俳句界』7月号/「めーる一行詩」【佳作】
●夏つばめ田唄の稽古始まりぬ  島小みかん


■句友のページ
俳人・金子敦の小部屋俳句と主夫の間で♪<なを>の部屋空とぶ猫俳句魂海渡の海馬向後崎ふみ(十月桜)の気まぐれ歳時記俳句と写真で綴る日記「日々好日」nemurinn主義定年再出発百歳からのブログ


■無法投区〈back number〉
創刊号 2号 3号 4号 5号 6号 7号 8号 9号 10号 11号 12号 13号 14号 15号 16号 17号 18号 19号 20号 21号 22号 23号 24号 25号 26号 27号 28号 29号 30号 31号 32号 33号 34号 35号 36号 37号 38号 39号 40号 41号 42号 43号 44号 45号 46号 47号 48号 49号 50号 51号 52号 53号 54号 55号 56号 57号 58号 59号 60号 61号 62号 63号 64号 65号 66号 67号 68号 69号 70号 71号 72号 73号 74号 75号 76号 77号 78号 79号 80号 81号 82号