*無法投区/常夏月

〜夏男口笛指笛指パッチン〜

*のどけしや歩いて下る隅田川=資料官

●水上バスみんな手を振り春うらら
●行く春や座してはおれぬ芭蕉像
●夏隣テラスの果てにスカイツリー

浅草から隅田川を下る水上バスに乗ったのは始めて東京に転勤してきた昭和60年代のこと。
浅草まで出かけ観音様を参拝してから帰りに竹芝桟橋まで乗船した。橋の名前を確認した訳でもなく,ただただ顔に当たる風が気持ちよかったことが思い出される。この頃は隅田川もかなり綺麗になったようだ。その後浅草からの水上バスには機会あるたびに乗っていたので,近年整備された隅田川両岸の遊歩道「隅田川テラス」を歩いてみることにした。このテラス一部未整備の区間もあるがおおむね,左岸と右岸両方つながっているようだ。
 4月,浅草寺伝通院(1年でこの時期のみ見学できる)のお庭を見たあと浅草から月島まで歩いてみた。今回は下流に向かって左岸を歩いた。(左岸は概ね繋がっているが右岸はまだ整備されていない箇所がある)。あらかじめもらっておいた地図と説明看板を見ながら,通過する橋の名前と形を確認しながら歩くのも面白いものである。まず吾妻橋(150m)を渡って左岸に行き,駒形橋(149.6m),厩橋(151.4m),蔵前橋(173.2m)をくぐっておおよそ30分程度で両国まで到着。次は唯一の鉄橋,JR総武線(浅草橋−両国間)隅田川橋梁(172m)の下をくぐる。頻繁に10両編成の総武線の電車が頭上を通り抜けるが,鉄橋の下で聞く通過音は騒音ではなく,打楽器のようなリズムが体全体に響き大変心地良い。少し歩き疲れたのでしばし椅子に座ってこの通過音を楽しんだ。
 さらに進み,両国橋(164.5m),首都高速6.7号線両国大橋,新大橋(170m)を過ぎると,小名木川の合流地点まさに深川の地に差し掛かる。深川は芭蕉が奥の細道への旅立ったところで,平成7年に開設した「芭蕉庵史跡展望庭園」に松尾芭蕉の像がある。水上バスからはなかなか見つけにくい像であるが,そばまで行くと静かに隅田川の眺めながら鎮座している姿を目の当たりにすることができる。ここから見える清洲橋はドイツのケルンのビンデンブルグ橋をモデルにしたそうで,この付近の景色はケルンの眺めといわれている。
ここでいったん隅田川を離れて小名木川を渡り,また隅田川テラスに戻る。深川付近で隅田川は大きく右に曲がるが,このあたりまで来ると大川端の高層マンションが見えてくるようになり,海のにおいが次第にしてくるようになる。そして,清洲橋(186.3m),首都高速9号線隅田川大橋,永代橋(184.7m)をくぐり今回は越中島公園を過ぎ相生橋を渡って佃島に上陸,メトロ有楽町線月島駅から岐路に着いた。浅草からのんびり歩いて2時間,適度な散歩コースだった。
 

**

1:2013年4月
出発は浅草寺伝通院前から
スカイツリーと浅草寺五重塔

2:2013年4月
JR総武線隅田川橋梁
頻繁に総武線の10両編成の電車が通過する


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    2013年4月
芭蕉庵史跡展望庭園の芭蕉像


*

2013年4月
清洲橋と東京スカイツリー
ここは深川

次は5月下旬,今度は水上バスで浅草に向かうのも面白かろうと思い,浜離宮から浅草行きの水上バスに乗船した。浅草から来た水上バスは浜離宮に立ち寄ったあと,下りの終点の竹芝桟橋に接岸,浅草からの客を降ろし浅草に向かう客を乗せて隅田川を上って行く。時間の所為かもしれないが上りの船はくだりに比べてはるかに空いていた。真っ直ぐ船の最後尾に向かいデッキに座ったが,眺めのいい三階席は竹芝桟橋までで,ここからは潮位が上がり危険ということで屋根のある二階席に移った。(水上バスは干潮時に乗るべし)。歩いて通った後だけに隅田川に架かる橋の名と形も記憶に残っており,船で通り抜けるだけでも親しみがあり楽しさも増す。浅草に近づくと東京スカイツリーが見えてくる。最後の吾妻橋をくぐると東武鉄道鉄橋の前でユーターンし浅草の発着場に到着。運が良ければ東武スペーシアがゆっくりと鉄橋を渡るのに遭遇できる。浅草からメトロ銀座線に乗れば,上野日本橋銀座と繁華街に行くこともできるので,隅田川を楽しんでからの浅草散策も悪くはないだろう。

●夏めくや水上バスの水しぶき
●夏帽子飛ばさぬように水上バス

*3  *

3:2013年5月
水上バス浜離宮出発
まだここでは3階席乗車できた

4:2013年5月
浜離宮を出るとレインボーブリッジが目の前に見える


* 5 *

5:2013年5月
勝鬨橋を過ぎる 可動式ではあるが今は開くことはない
左が月島

6:2013年5月
中央大橋と大川端(佃島)の高層マンション街


* 7 *

7:2013年5月
永代橋 向こうは大川端の高層マンション街
左は門前仲町へ,右は日本橋へ

8:2013年5月
浅草到着 スカイツリーとアサヒビールのオブジェ


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2012年5月(1年前の写真ですが)
浅草発着場に向かう水上バスと川を渡る東武スペーシア
手前は吾妻橋(三連式アーチ桁橋)


*白髪鴨さんの散骨式=五六二三斎

6月30日に我が丘ふみ游俳倶楽部の句友の白髪鴨さん(故一木正治さん)の散骨式が博多湾の象瀬付近の海上で行われた。白髪鴨さんは、去る5月1日午前3時頃に、アリランヨットレースに参加するためにMETAXA号のクルーとして乗船し、折からの時化に遭遇し、対馬沖の海に投げ出されて亡くなった。彼のお通夜、葬儀には、砂太先生、部長の葱男さん、雪絵さんと私が丘ふみ游俳倶楽部から参列した。あれから、ほぼ2ヶ月が経った。私は、白髪鴨さんを偲ぶ会が6月2日に福岡市ヨットハーバー(小戸ヨットハーバー)で行われた報告をネットで見つけて、6月30日に彼の散骨式が行われることを知った。当日、ヨットハーバーに出かけ、METAXA号のオーナーの森山政巳氏に参列のお許しを頂けないか直接頼んでみることにした。砂太先生、雪絵さんは都合がつかないとのことで、丘ふみ游俳倶楽部として、ぜひとも参加したいと考えた。当日は、10時に出帆とのことで、9時過ぎに小戸ヨット ハーバーに到着した。

当日は曇り空に時折太陽が覗き、波も穏やかだった。

*

小戸ヨットハーバーは福岡市の西区姪浜にあり、博多湾の西端にある。西端には糸島半島が張り出していて、山々の緑と海のコントラストが素晴らしい。白髪鴨さんはこんなに素晴らしいハーバーでこの4年間、ヨットを楽しんでこられたのだと改めて彼の気持ちを察することができた。

*

暫くして、白髪鴨さんの長男の一木悠史さんが到着。METAXA号のオーナーの森山政巳氏をはじめクルーのメンバーも集まってこられた。早速、一木悠史さんと森山氏にお会いして今日の散骨式に参列したいとお願いし、快諾を頂いた。福岡在住の島根大学ヨット部の後輩の方も来られて、出発に際して、出帆のセレモニーが行われた。

*

100人近いヨット仲間が集まっておられた。森山氏が一木悠史さん、島根大学の後輩の方、そして私をご紹介下さり、私も白髪鴨さんの思い出を語った。白髪鴨さんと私が筑紫丘高校の同級生で、この9年、丘ふみ游俳倶楽部で句友として親しくしてきたこと、彼が記念すべき第1回の句会で、『忘られぬ道きっぱりと夾竹桃』の句で第一席になったこと、今年の2月に最後に白髪鴨さん、砂太先生、雪絵さんと私でヤフオクドームで行われた焼酎フェアに行き、彼の誘いで百道浜から海をゆっくり眺めたこと、その時に彼が呟いた「福岡は北に海があるんだなあ」を紹介した。

10時に参列者はそれぞれのヨットに乗り、博多湾沖の象瀬を目指す。これが、彼の最後となったMETAXA号。

*

* *

大きなヨットだ。でも、当日は風速18mの時化。彼は、その時化の揺れるヨットの帆を畳むべく格闘して、海へ転落したのだった。そのヨットに乗り、象瀬を目指す。当日は、森山氏の操作でスクリューで穏やかな海を航行する。ヨットの後部に悠史さん、森山氏、私が乗り思い出話になる。悠史さんは子供の頃にお父さんとヨットに乗った思い出に。悠史さんが子供の頃に船酔いが酷かったために、白髪鴨さんが「おまえはヨットには向いてない。」と言われたそうだ。白髪鴨さんはそれ以降息子さんにヨットを勧めることはなかったらしい。

クルーの1人が白髪鴨さんが残した焼酎とスコッチがあると持って来て下さった。みんなで回し飲みした。スコッチは私の好きなグレンフィディッチだった。

30分の航行で、能古島の北の岬の側に小さな島が見えてきた。この辺りが象瀬と呼ばれる所。参加したヨットの数は21杯も。

*

森山氏が21杯も居るねと呟く。METAXA号からホーンが鳴り響き、悠史さんが骨壺を開けて海へ散骨する。

*

たくさんの花が投げられ、彼の残した焼酎とスコッチも海へ。21杯のヨットからホーンが鳴り響く。参列者一同、合掌し、改めて彼の冥福を祈った。

●集ひたる二十一杯皐月尽

競争レース用のヨットは「杯」と数えるとのこと。ヨット暦40年の白髪鴨さん、新暦の5月1日に亡くなり、俳句では旧暦の皐月尽に海に戻った。

最後に彼の悠史さんへの残した教育を紹介する。「男は口笛が吹けること。男は指笛が吹けること。男は指パッチンを鳴らせること。」父親として何と素晴らしいロマン溢れる教育だろうか。悠史さんはこの三つのことをみんな素晴らしく上手く出来るのだ。今日は散骨の白さにぴったりの南風が博多湾に吹いている。

●白南風や父の教へしこと三つ

白髪鴨さんを口笛を吹いて思い出そう。指笛を吹いて思い出そう。指パッチンをやって思い出そう。きっと彼は皆さんの側に直ぐに駆け付けて来るだろう。11時過ぎにMETAXA号は無事に小戸ヨットハーバーに戻って来た。何故か、悲しみは消えていた。白髪鴨さんは永遠に海の男になれたのだから・・。


【編集後記】

来月から「二六齋の『全身文学家』」のコーナーがなくなります。
思えば「丘ふみ」創刊のころの「人斬り二六齋のバッサリ句評」が懐かしい!!

胆に命じて思う事。
50号、100号の背表紙に書かれている宗匠の言葉ですねえ〜。
がんばろっと!

 (文責 葱男)


■風信

*砂太先生、「俳句界」7月号/雑詠 有馬朗人特選ゲット!
●小学校の終業チャイム島は春 白川砂太

*故一木正治さん「お別れ会」(於 博多ヨットクラブ 6/2)
*「一木正治氏を偲ぶ会」 (於 葉山新港 6/8 日本マッチレース協会)
*「故一木正治さんの散骨式」 (於 象瀬付近 6/30 福岡ヨットクラブ)



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