*無法投区/月見えぬ月

〜夏草へ女神と化して分け入れり〜



*林檎咲くそろりそろりと五能線=資料官

●花に逢ふ津軽鉄道無人駅
●終点はさくらトンネル走れメロス
●弘前やただ舞い落ちる桜かな
●後腐れなく弘前の飛花落花

ゴールデンウィークの後半5日・6日に青森まで出かけた。目的は弘前の桜,1年半前東北新幹線の新青森開業の頃からの話である。今年は全国的に桜開花は遅れ勝ちとの話を信じて連休最後に設定したのが間違い。3月末に開花宣伝した弘前城の桜は5月に入ってからの連日の夏日により2日には満開となり,3日と4日の風雨で5日には見事に散っていた。夢にも見た弘前のソメイヨシノは既に飛花落花,桜蘂状態でした。とはいえ,本丸近辺のしだれ桜は満開で,弘前の桜は十分楽しめた。花見のあとはお城のそばの津軽藩ねぷた村で弘前のねぷたを見学してから弘前駅に戻り,青森行きの列車に乗った。ゴールデンウィークなので結構列車は混んでいたが約40分ほどうつらうつらと過ごした。青森では同行した先輩とその友人方との懇親会,青森の魚も田酒山廃も大変美味しかった。

*1 *

1:2012年5月5日
桜も散った弘前城
3日前は満開だったそうな

2:2012年5月5日
とはいえ,枝垂れ桜は満開の弘前城

*

3:2012年5月5日
弘前 津軽藩ねぷた村で弘前ねぷた

翌日5月6日は未乗車区間のある津軽鉄道を乗りに出かけた。天気予報は下り坂だけどこの日の朝は快晴。青森から先輩の義兄の車に乗車し五所川原に向かった。津軽平野に入ると津軽富士こと岩木山の勇姿が目に飛び込んできた。途中はあたり一面林檎畑でしたが林檎の花にはまだ早かった。出発してから1時間もしないうちに津軽五所川原駅に到着,8時10分の津軽中里行きディーゼルカーに乗り込んだ。五能線の上下の列車と接続して3輌編成のディーゼルカーは出発。このディーゼルカーは太宰治にちなんで「走れメロス号」という。この線はいつまでも岩木山が見える。太宰の生家がある金木では15分間停車,駅構内をうろうろ,まだ岩木山が見えた。交換する列車をホームで撮影して列車に乗り込む。次の駅は桜のトンネルで有名な芦野公園。先頭にへばりついてカメラを向けると列車は桜のトンネルに突入し芦野公園駅に停車する。花見シーズンなので乗客の太半はこの駅で下車し,終点まで向かうのは少数派である。やがて終点の津軽中里駅に到着。これで津軽鉄道は全線乗車。アテンダントのお姉さんと記念撮影をして,また駅周辺をうろうろして,津軽中里駅で待機していただいた車に再度乗車して先ほど通過した芦野公園に戻った。

*4 *

4:2012年5月6日
津軽鉄道 津軽五所川原駅
アテンダントと運転手

5:2012年5月6日 津軽鉄道 終点の津軽中里駅
まだ桜が1本満開でした
これで津軽鉄道全線制覇

満開の桜の芦野公園では,しばし花見をしてから1時間後にやってくる上下2本の津軽鉄道を撮影する計画であるが,なんと列車到着の頃になると空が暗くなり雨がぱらつきだした。傘を差しつつ列車を待ち,桜のトンネルをやってくる列車を芦野公園駅の周辺で撮影できた。小さな駅に向かって来る列車のライトがレールに反射し,花見客が列車にカメラを向ける姿も入れて,津軽の春らしい出来栄えとなった。実は,シャベ栗の「栗原写真館 鉄路叙情編(2002年)」と「鉄道のある風景(2002年)」にも桜の芦野公園駅の写真がちゃんと載っている。昔から芦野公園駅は桜の季節の鉄のメッカだったようだ。

*6 *

6:2012年5月6日
津軽鉄道 桜のトンネル芦野公園駅
小雨の中を五所川原行きディーゼルカーが接近

7:2012年5月6日
津軽鉄道 芦野公園駅
今度は津軽中里行きディーゼルカーが接近

列車の撮影が終わると私らもまた車に乗り込み五所川原に向かった。天気は下り坂であったが途中岩木山が綺麗に見えたので,若干道を逸れてもらい山の写真を撮った。五所川原方面から見る津軽富士は三角形のすっきりとした姿である。五所川原の街中にある立佞武多の館には3台の実物の立佞武多が飾られている。エレベータで4階まで上り,ゆっくり下りながら高さ23mの立佞武多を眺める。折から太鼓の生演奏も始まり迫力満点であった。これで今回2つ目のねぶた。

*8 *

8:2012年5月6日
五所川原近郊から津軽富士こと岩木山
曇り空だけどその勇姿を目にすることができた

9:2012年5月6日
五所川原 立佞武多の館
立佞武多を見学

昼過ぎには青森到着。まず,新幹線開業に合わせて開業したねぶたの家ワ・ラッセで青森のねぶたを見る。これで3つ目のねぶたを目の当たりに。いずれも大きな建物の中を暗くしているので実際にねぶたを見るように楽しめた。それから毎回出かけるアウガ地下新鮮市場で買い物。先輩の知り合いのホタテ屋がいつも綺麗なホタテをサービスしてくれる。自宅用の宅急便配達を頼んできた。そうして青森駅から一駅特急に乗って新青森に向かう。
新幹線が開業して,この区間の特急券は要りません。ところが新青森駅に着くと,盛岡駅付近の落雷のため信号施設に被害があり新幹線は運転見合わせ中とのアナウンス。しょうがないので早めに夕食の弁当を買い込んで,外が見える待合室のカウンター席に座って運行開始を待った。結局30分ほど送れてワニE5はやては新青森駅を出発,途中列車がつかえて東京にはおおよそ50分ほど送れて到着した。まあ,ずっと座って待てたし,乗ってからはビールとアウガで買ったつまみが美味しく,適当な睡眠にありつけて快適な帰りの新幹線だった。次回は,弘前の満開の桜と五能線沿線の林檎の花をゆっくり眺めたいと思っている。

●林檎咲く津軽訛りのアテンダント
●還暦や林檎咲かせて津軽富士
●花林檎空は茜の津軽富士
●ほたる見の津軽鉄道闇が来る  2012年7月号

*10 *11

10:2012年5月6日
ねぶたの家 ワ・ラッセ
3つ目のねぶたを見る

11:2012年5月6日
最後に青森駅前のアウガで買い物
ホタテと生たこを買った


かごんま日記:“SHE SELLS SEASHELLS” = スライトリ・マッド

2012年5月6日(日)
*浅蜊とり人のひしめく無人島

She sells seashells by the seashore
The shells she sells are surely seashells
So if she sells shells on the seashore
I'm sure she sells seashore shells

今日は「鹿児島ファミリードッグクラブ」のIさんのクルーザーで無人島に渡り、貝掘りだ。Iさんは、東京で定年を迎えた後、神奈川の家を処分して見も知らぬ霧島市に移住。「なぜ思い切ってこちらへ?」と尋ねると、アウトドア派の夫妻には田舎の自然や温泉が魅力、物価が安く、土地が広くのびのびしてて良いとのこと。かく言う私も、アウトドア派ではないが親戚も知り合いもいない田舎に飛び込んで2年が過ぎる。田舎には田舎のしがらみもあるものの良い点が多い。隼人新港から10人くらい乗れる船で2回往復して、錦江湾に浮かぶ神造(かみつくり)島へ。7,8分で到着。神造島は別名があって隼人三島。北側から順に辺田小島、弁天島、沖小島と呼ばれる、3つの島の総称である。『続日本記』に765年に7日にわたる造島活動があって民家が埋まり住民が犠牲となったこと、それは大穴持神(おおなむちのかみ;霧島市国分の大穴持神社の祭神)の神業によるものであったことなどが記載されているらしいが、おそらく桜島の噴火活動の影響でできた島であるとされている。電気もトイレもない無人島。私たちが行ったのは、真ん中にある平たい形をした弁天島。家からも円錐形の辺田小島と沖小島は見える。天気がよく、私たちのグループ20名のほかに、すでに150人が島に渡っていて、掘った跡ばかり。目当てのアサリはあんまり見つからず。それでも10個くらい採れて夕飯のささやかで美味なアサリ汁となった。お喋りしながら、ウニを割って食べたり、ヒトデや巻貝、ビナ、海藻、海に住む生き物たちを観察して楽しかった。
私がのんきに貝掘りをしていた頃、携帯に連絡が入る。2人の子が関東に行っていて。秋葉原で7:30amに待ち合わせ、つくばエクスプレスに初めて乗って、連休最後の日、以前住んでいたつくば市に行っていたと。竜巻が来て大変だったよと。これはヤバイと判断して早めに切り上げて帰ったとのこと。家に居るときは喧嘩ばかり。春休みも出ていく直前に、宇宙人がいるか?いないか?で話していたのが、言い合いとなり、もう顔も見たくないと言っていた兄と妹だが‥。どちらかのガール(/ボーイ)フレンドが出来るまでの仲の良さだろう。日焼けするくらい暑い日で、レンタサイクルを借り、プリン公園、蛇山公園、2人が通っていた手代木小学校、トンQ、松代5丁目あたりから洞峰公園、宇宙センター、懐かしいあちこちを回っていたとき、突然空が真っ暗に。自転車が漕げぬくらい強い風が吹き始め、ヒョウが降ってきて‥。竜巻の通り道に居なかったことで、難を逃れることができたが、本当にいつ何が起こるかわからないものだと痛感した。ハリケーンの多い米国に住む友人Hの話では、小学校で「竜巻が来たとき頑丈な建物の窓のない部屋のなるべく低いところに逃げる」と教えていたそう。どう動くべきか一瞬の判断で生死が分かれる。津波や竜巻が来たときどこに逃げたらいいのか考えておかないとだ。

 *“She Sells Seashells” Anonymous ( Mother Goose )より引用


【編集後記】

今月のB部門、ノミネート句43句に対して入選句28句という結果は皆の選句眼が定まってきた証拠だと思いました。
一方で、一句に点が片寄らないのは、それだけ佳句の数が増えてきているとも言えます。 三強の夏海、水音、雪絵さん以外にも、三光に入る新顔がどんどん増えてきているのが最近の傾向です。
「丘ふみ」も、百号を前にして、だんだん俳句の質、俳句精神の底上げが成されてきたのではないかと自負するところでもあります。 初学のころ、「俳句は10年続けること」と先輩からよく云われましたが、気がついてみるとそろそろ10年ですね。^^;

俳句は詠みたいものを詠みたい時に詠むのが基本ですが、その「詠みたいもの」をもっともっと深く象徴的に、アイデンティテーとオリジナリティのある創作表現に結びつけるためには技術やアイデアや才能だけでもなく、もっともっと気力、体力が必要だと実感しています。

 (文責 葱男)


■消息

砂太
●母の日を祝ふ花など無く老いて  白川砂太
『俳句界』6月号/「兼題/祝」【佳作】(伊藤通明 名和未知男 橋爪鶴麿 選)

葱男
●祝盃に浮かぶ顔あり夜の梅  中島葱男
『俳句界』6月号/「兼題/祝」【佳作】(名和未知男 選)
●利休忌や火入ることなき常夜灯  中島葱男
『俳句界』6月号/「雑詠」【佳作】(大串 章 加藤耕子 選)



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