*無法投区/聖夜月

〜冬暁や比叡の背ナに旭日旗〜

*渋柿に白煙流れ肥薩線=喋九厘

肥薩線を走る九州唯一の蒸気機関車「SL人吉号」は、11月最後の週末で今年の運転は終了。しばし来春までお別れと、大正生まれの大先輩、ハチロク機関車58654号機に会いに出掛ければ…
晩秋を迎えた球磨川沿いの車窓は、流れも緩く、ゆらりゆらりと。刈り入れが済み冬支度を終えた田の畦には、収穫せずに残された渋柿が。
蒸気機関車がここを通過して、白煙に柿色がコントラスト強く浮かび上がります。一勝地、白石、坂本の各駅を発車する時、蒸気機関車の全身から吐き出される白煙が辺りを包み込み、それは迫力の場面が展開します。遥か40年以上前に見た風景の再現です。

球磨の秋ゆらりゆらりと肥薩線 なのでした。

ここでまた本のご案内をする事、お許しください。以下のような内容で、全国の主な書店で発売中となりましたので、よろしくお願い申し上げます。(送料無料のネット書店の利用が便利かも?)

九州のローカル線 『肥薩線』海鳥社刊 1785円 A5判146ページ
九州鉄道記念館館長代理 宇都宮照信さんと共著

現代の人気観光列車『SL人吉号』『いさぶろう・しんぺい号』観光特急『はやとの風』に乗って肥薩線の絶景、球磨川や日本三大車窓を満喫する旅です。一部鹿児島本線や日豊本線を含む熊本から鹿児島中央までを、くま川鉄道や吉都線などに寄り道をして、鉄旅が進みます。
かつては北部九州と鹿児島県、宮崎県を唯一結ぶ幹線だった肥薩線の歴史も。肥薩線には今なお百歳余の駅舎やトンネル、橋梁がたくさん現役で残っています。
蒸気機関車が大活躍していた昭和40年代の懐かしの写真アルバムの章もございます。
高2から高3に進む春休み、私の記念撮影が掲載されていますが、ご愛嬌と笑ってください!

実は当初の出版予定から2年遅れの刊行です。出版界の環境もますます厳しさを増し、九州のローカル線シリーズの計画ですが、今後は果たしていかがなりますか?
一応、来春には『久大本線・豊肥本線』が刊行計画されていますが…さてさて?
皆さま どうぞよろしくお願い申し上げます。

*   *


*鴨川通信=葱男

健康のために始めた毎朝の鴨川ウォークがだんだん習慣づいてきた。
朝は大体5時ぐらいに眼が覚めるのだがまだ真っ暗闇、「日の出」の時刻は冬至に向かってだんだん遅くなってきていて、ちかごろは7時前にならないと朝日が登らない。日の出を拝むには少々時間が早いので、1時間ぐらいパソコンで遊んで、家を出るのは6時を少し回るころである。

自宅のある大徳寺から鴨川まで約1km、5年ほど前まではジョギングしていたんだけど、ちかごろは「早歩き」に変わった。体力が落ちたこともあるけど、道すがらの目的が「走行」から「吟行」へと変わったことも大きい。

自宅は「大宮鞍馬口上がる若宮竪町」というところにある。
京都の住所はとても分かりやすくて、東西の通りと南北の通りをつづけて云うとおおよその場所の見当がつく。つまり、私の家は京都市内の東西に走る「鞍馬口通り」と南北に走る「大宮通り」の交差点を少し上がったところにあります。
鴨川へはこの「鞍馬口通り」をまっすぐ東へ、堀川通りと烏丸通りを横切って、15分ほどの距離だ。堀川鞍馬口の五差路から松葉のように枝別れして斜め南側が「鞍馬口通り」、斜め北側にゆくのが「紫明通り」、銀杏や鈴掛の街路樹きれいなので、大概はその「紫明通り」を鴨川へと向かう。この広い通りは道路の中央分離帯が公園になっていて、京都で開催される「駅伝」のコースになっているからみなさんもTVの画面でお馴染みかもしれません。

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1:堀川鞍馬口の五差路の手前  2:紫明通りの銀杏並木

紫明通りをゆく。道は大きな弧を描くようにゆっくりと左右にカーブしながら烏丸通りへと繋がる。烏丸通りは京都駅から真直ぐ北に、北大路通りまでを貫いている京都市の背骨のような通りである。この紫明通りの交差点から遠く離れた京都タワーを直線で見ることができる。地下鉄烏丸線だと、京都→五条→四条→御池→丸太町→今出川→鞍馬口、そして北大路、紫明通りはちょうど「鞍馬口駅」と「北大路駅」の中間になる。

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3:烏丸紫明の交差点から南の京都駅方面を臨む
4:烏丸紫明から東へあと、300mで鴨川にぶつかる

烏丸を過ぎると鴨川はもうすぐだ。
街の建物のむこうに比叡山が見えてくる。鴨川の西河岸に沿って走る賀茂街道の信号を渡る。賀茂街道を南へゆくと「出町柳」、北へ2kmほどゆくと「上賀茂神社」がある。鴨川の河原にに下りると、急に視界が広がる。
対岸(東側)に鋪装された道路はなく、桜の並木道の後には大きな屋敷がずらりと並んでいる。
朝の清清しい空気と目の前には比叡山から如意ヶ岳までつづく長い稜線が開放感をいっぱいに満たしてくれる。

* *

河原へ下りていって、いつもの場所に立ち位置を決めたらまず、ラジオ体操第1。
船岡山で半年ほど修行を積んだので、ラジオ体操のメロディは第1も第2も頭のなかにインプットされている。首の運動を中にはさんでふたつの体操メニューをこなしたら、次ぎに気功を1クール。
これは教室で正式に習い覚えたものではないので、本当のところは気功なのか、どんなふうに身体の良いのかは分らない。20年前、長い旅の途上で身体の調子を悪くしたことがあった。4月のはじめに大阪南港からフェリーで上海に渡り(「鑑真号」という、当時乗客の90%が中国人の出稼ぎという、上海まで2泊3日のめっちゃ安い船でした。)、杭州、蘇州、黄山を旅したあと、空路昆明に飛んで、そこから大理、石林を経て麗江に着いたところだった。もう6月になっていた。なんとなく体調が悪かった時、麗江郊外の黒龍雪山に自転車で向かう途中、偶然、村の漢方医に呼び止められて身体を見てもらうことになった。
ドクター・フ−さんはボランティアで観光客の身体を診てくれる、バックパッカーの間ではちょっと知られた優しいおじさんだった。

●白南風やフ−さんは名漢方医 (丘ふみ游俳倶楽部35号/雑詠)

私はどうやら「腎臓」を悪くしていたらしい。フ−先生は「吸い出し療法」をしてくれたあと、お湯で溶かして飲むように 5種類の薬草を混ぜた漢方を処方してくれた。治療費はいくらでも気持ちだけでいい、と云う。私は10元(当時の人民弊で約180円)を払い、先生によくお礼を云ってから、診療所をあとにした。麗江は私にとって癒しの町となった。旅の疲れを休めるために10日間ほど滞在したこの町の御老人方は、毎朝公園に集まってみんなで体操をする。それを見よう見まねで覚えたのが、この「気功」のようなものです。
基本は息を深く吸い込んで、とことん深く吐き出す。これをいろんな動作に合わせて6回×5ポーズ、相撲の仕切りのような形もあります。 これを鴨川の河原でやっていると、同じ時間帯に毎日ヨーガをしているブロンズの髪の妙の女性と一緒になります。彼女のほうは10〜15秒ぐらいの間優雅に静止しているポーズを10種類ぐらいやってます。向こうの動作のほうが断然バランスがとれていて美しい!! ヨーガ対気功は完全にこちらの負けです。(>_<)

●鶴のポーズして青い眼の朝ヨーガ

そのうちに、仏教大学の駅伝部の面々が集団で目の前を駆け抜けてゆきます!速い!!よくTVの駅伝で見る顔が何人かいます。最後尾について自転車で走るマネージャーが愛想良く挨拶をくれます。「おはようございまーす!」
今日もまた、たいした句はできなかったけど、今日一日を元気に気持ち良くスタートできるような気持ちになります。
そうそう、返りにコンビニで卵と牛乳を買って帰らなくちゃ・・・。

最後に毎日の朝日コレクションから特に気に入ったものを何点か、ギャラリー風に。

*彩雲  * 黎明  *冬繊月

* 早晨 * 旭日  * 冬萌

* 雲梯  *朝日 *


*五十台終焉告げる丘ふみ会=資料官

●この街に取り残されて石蕗の花
●この辺で終止符を打つ賀状書き
●きつぱりとこれが最後の賀状書く
●丘ふみてふ帰る家あり秋の暮

*
2011年11月19日
JR博多シティ展望フロアーから
新幹線N700系博多到着
丘ふみ参加前に撮影

11月は丘ふみの月。母がいるから福岡に家があり,帰る家があるから丘ふみ会にも参加しやすい。最近は平成18年東京大会,19年能古島,20年京都大会と3年連続参加してから1回欠席し,22年と23年とまた連続参加している。
17日(木)の夜のANA便で帰宅,翌日18日(金)は終日雨だったけど平日なので母の歯科検診付き添いとその他銀行回りなどで一日費やした。土曜の朝方には雨も止み,傘を持たずに丘ふみ会へ向かうことができたのは助かった。早めに家を出て,九大箱崎キャンパスと博多シティの展望フロアーに寄って会場に出向いた。
今年の丘ふみは50名強の参加者があったのだけど,初めて参加するものも少なくなく面白かった。モヒカンの篠原は卒業以来だろうか,教職にあり孫のような子供がいるとか。クラス委員の山崎(洋)は入院していたとか大変心配をしたが無事復帰することができた。先生方の参加が次第に少なくなっているのは寂しいが,白川砂太先生が毎年元気にその姿を見せていただけることは大変心強い。遠隔地在住,たまたま行事と重なった等々の理由で参加できない同窓生もいるが,毎年約1割の50名前後の参加者があることは会長ほかクラス委員の長年の尽力の賜物である。ただ参加するだけの私としては,心から御礼を申し上げます。
来年はいよいよ「還暦丘ふみ会」なので是非参加したいと思っている。今年は無理だけど来年は万難を配して参加したいという話もいくつか聞いているので,1年後が大変楽しみである。還暦を過ぎサラリーマンを卒業すると,自由な時間が増えてくるだろうから,丘ふみ会の参加者も増えるものと期待している。この丘ふみ会がいつまでも続くと良いですね。

*  *
2011年11月19日 丘ふみ会
(左)久し振りのモヒカンの篠原,(右)見事に復帰した山崎(洋)
共に化学部OB

*1 *
1:首都圏は強いが福岡大会はいつも低調な6組は起死回生の3女傑をそろえた
2:会長のお膝元3組は女性陣が一クラスで最多数の4名参加
私たち4人も参加したとよー・・・
丘ふみ游俳倶楽部も3人おるとよー・・・

*
最後の集合写真
やはり白川先生が真ん中におらすとピシッと締まるね

実は丘ふみ会の翌週,富士山麓に出かけました。長年の鉄ちゃん友人が60歳で会社を辞め両親の住む御殿場市に引っ込んだのですが,彼から誘われて出かけました。天気予報では晴れでしたが,雲の動きが激しくすぐ富士山を隠してしまうので,雲の動きにやきもきしながら列車を待ちました。列車が通過する頃には雲が切れ富士山が全景を現すことが多く,富士山と電車のコラボをゲットすることができたので,とにかく充実した週末でした。

●短日の富士の裾野や御殿場線
●列車待つ十一月の日差しあり
●遠富士もやがて間近く冬初め
●富士山の南半分冬日和
●冬雲や富士を見せたり隠したり

*3  *
3:2011年11月26日
御殿場線 足柄−御殿場間
特急あさぎり2号沼津発小田急新宿行き JR371系ダブルデッカー

4:御殿場線 富士岡−岩波間
各駅停車の電車 富士山の雪が例年になく少なかったのです


かごんま日記:「走る」 = スライトリ・マッド

2011年12月3日(土)
*極月の山坂達者の少女かな

ぼくら走る
野原を走る 道を走る
街を走る 荒地を走る
ぼくら走る
丘を越え 海を越え 国境を越えて
ぼくら走る いっしょに走る
でもぼくら違う
ひとりひとり顔も心も

ぼくら走る
心の中の見えない道を
息を切らして 汗にまみれて
歌いながら 考えながら
どこなのかわからない
限りない遠くを目指して
転んだら起き上がる
迷ったら立ち上がり・・・
雲を見る 風を聞く
そして話し合う 友だちと

今朝の新聞に鹿児島市立山下小の伝統行事「城山登山競争大会」の記事があった。ガッツポーズでゴールを切っている女の子の写真も。苦しそうな表情だが、なんと1年時から6年連続で女子の部で優勝するという快挙を成し遂げたというからすごい。城山の遊歩道の、1年生は515m、2年生は620m、3〜6年生は1,112mを、下から展望台前まで一気に駆け上がるというもの。ちなみに6年生女子の大会新記録は5分29秒。保護者や先生たちの声援を受けながら、息を切らして倒れこむようにゴールしたり、ゴール後に泣き出す児らも。みんな必死だ。この大会は鹿児島独特の郷中(ごじゅう)教育の中の1つ『山坂達者』の鍛錬の流れをくみ、戦前から実施されている。『郷中教育』とは薩摩藩の伝統的な縦割り教育。郷中は、区画や集落単位の自治会組織を指し、今でいう町内会のようなもの。当時、鹿児島の城下には数十戸を単位として、およそ30の郷中があったと言われる。郷中では、青少年を「稚児(ちご)」と「二才(にせ)」に分け、勉学・武芸・山坂達者(やまさかたっしゃ=体育)を通じて、先輩が後輩を指導することによって強い武士をつくろうとする組織。郷中教育の教え「負けるな。うそをつくな。弱いものいじめをするな。」が、そのまま山下小の校訓となって残っている。街中の学校なので小規模だが家族的だ。鹿児島で現在に伝わる武道に薩南示現流というものがあって、これも郷中の流れ。薩摩出身の武士、軍人、政治家であった樺山資紀伯爵の孫が白洲正子で。「白洲正子自伝」の中で、祖父と示現流について述べたくだりもある。白洲正子のあのきっぱりとした感じは薩摩のルーツにあるのかも。ところで向田邦子も山下小に在籍していたことがあったから、彼女も山坂達者で城山の坂道を走り抜けたのかなあ。

 *「走る」 by 谷川俊太郎 (2011) より引用


■編集後記

白川先生の今月号「俳句界」の特選、秀逸ダブル受賞はすごいが、その伊藤通明の特選句。
●見学の少女プールに立てり波 
伊藤さんの選評にはこうある。「学校のプールの授業である。体調が悪い『少女』はプールの際に立って見学している。仲間たちの泳ぎによって波が立ちその足許を濡らしている。『見学の少女』の心の襞がのぞかれるようである。」
この解釈だと、少女の側の心情にスポットが当たっていて、仲間たちの心情とはまったく乖離している。少女と仲間たちの間に「波が立つ」ってこそ、そこに詩情が生まれるのではないか。
私の解釈は全く逆である。クラスメイトの男子たちが、「少女」を見て心に「波」を立てているのだ。つまりこの句の切れはここにある。
●見学の少女プールに立てり/波 
波は少女の姿を見る「男子」の心情ではないかと思うのだが、どうでしょう、先生?

話変わって、先月の26日、白髪鴨さんが京都へ遊びに来たので、秋波さんも集まって三人で飲んで、大いに「俳句談義」をして盛り上がった。翌27日はシーズン真っ盛りの京都を「鴨葱」で観光。意外と穴場なのが「詩仙堂」からほど近い金福寺
俳人達の聖地とも言われ、通称「俳句寺」と言う。臨済宗南禅寺派の鉄舟和尚と交流のあった芭蕉はこの寺に立ち寄った際、「うき我をさびしがらせよ閑古鳥」の句を詠んだ。これにちなんでに建てられた「芭蕉庵」という茶室を、のちに再興したのが与謝蕪村である。
再興が成った時に、感極まって詠んだ蕪村の句が「耳目肺腸ここに玉巻芭蕉庵」。寺には蕪村をはじめ、名立たる俳人達の墓がある。また、「花の生涯」のモデルとなった「村山たか女」ゆかりの寺としても知られている。

●紅葉に勝る紅葉金福寺(こんぷくじ) 葱男

*金福寺   *芭蕉庵 

今年も暮れようとしています。
■2011年 追悼句

汚されし水汚されし空残花
桜逝くゆくがよろしき桜かな
合掌のかたちに瓦礫積まれけり
おもひではさらはれず在り花筏
現実が喉を通らぬついりかな
犬も牛も野良となりけり夏の雪
芋名月血統を継ぐ黒毛なり
百八の鐘にかいつく去年の灰(東日本大震災)

祭果つ役者ひとりを失ふて(7・19 原田芳雄)
良夜なりマスターの死は詩の一行(8・26 「mick」安藤郁也)
再会は木の葉しぐれのひとしずく(吉田まり子さん)
粋がつて懐手して逝きにけり(11・21 立川談志) 

 (文責 葱男)


■消息

砂太
●見学の少女プールに立てり波  白川砂太
『俳句界』12月号/「兼題=波」【特選】(伊藤通明 選)
●力水浴びておいさの博多山笠   白川砂太
『俳句界』12月号/「雑詠」【秀逸】(奈良文夫 選)


水音
●新涼や投函すれば風の音  山下水音
『俳句界』12月号/「俳句ボクシング」【リングサイド】
●バグパイプ秋風生るる石の街  山下水音
『俳句界』12月号/「雑詠」【佳作】(有馬朗人 選)
●密林(ジャングル)の先に密林(ジャングル)終戦日  山下水音
『俳句界』12月号/「雑詠」【佳作】(大串章 選)

葱男
●「どや顔」の俳句は詠まず木葉髪  中島葱男
『俳句界』12月号/「めーる一行詩」【佳作】


■句友のページ
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