*無法投区/鳴神月

〜ハイタッチの瞬間温度夏たけなわ〜



*むらさきの舞姫もいて花菖蒲=資料官

●菖蒲田に青き空さへ映しけり
●譲りあふカメラとカメラ花菖蒲
●花菖蒲少し屈みてカメラ目線
●むらさきの命ありけり花菖蒲

今年は久し振りに花菖蒲を見に出かけた。
この日,曇り予報の東京地方は朝から晴れ間,気温もぐんぐん上昇した。花菖蒲は雨の方が色が綺麗だと思っていると,逆に天気は良くなるようだが,世の中に晴男・晴女が多い所為か。この日は朝から下町と皇居の2箇所の菖蒲園を回った。
まずは,荒川を越えて江戸菖蒲発祥の地とも言われる区立「堀切菖蒲園」までやってきた。
日暮里から京成電車に乗車し,下車するのは京成堀切菖蒲園駅と分かりやすい。もっとも,花菖蒲はなくとも年中堀切菖蒲園駅なのです。もしかしてスカイツリーと花菖蒲がうまく撮れるかなとも思ったけど,荒川沿いには高速道路が走っており,スカイツリーの姿は隙間から見えるだけ。これは残念でした。この江戸時代の情緒がある庶民的な菖蒲園はちょうど花が見ごろで見物客もけっこう多く,ちょうど「葛飾菖蒲まつり」開催中でテンションは高かった。下町の庶民的な菖蒲園ですが,その種類と規模は200種類6,000本となかなかのものでした。なお,ここは入場料無料であり,大変ありがたい。1時間近く花見を続けたが,次第に日差しも強くなり,人出も増えてきたので駅前で昼食の蕎麦を食べて京成電車に乗り込んだ。

*1 *

1:2012年6月10日 堀切菖蒲園
2:2012年6月10日 堀切菖蒲園

*3 *

3:2012年6月10日 堀切菖蒲園
4:2012年6月10日 堀切菖蒲園

*

5:2012年6月10日
堀切菖蒲園  舞姫という名の花菖蒲

次に向かったのは「皇居東御苑」,ここは江戸城の本丸跡地も含めて無料開放中の一角で,同様に無料で見学できます。菖蒲園としては小ぶりですが,しっかりした菖蒲を見事に育てており,花一つ一つはこちらが立派だろう。思わず携帯電話の待ち受けまで花菖蒲に変えてしまった。此処は都心に近く海外からの来訪者がJapaneseなものを見て回るにはうってつけのスポットであるため,来る人来る人国際色豊かである。平日には,丸の内・大手町からも徒歩圏内にあり,近辺のサラリーマンが昼休みに見物にやって来るらしい。ベンチに座り込んでじっくりと花菖蒲を眺めてから,北の丸公園を抜けて飯田橋まで歩いてみた。かかったのは蕎麦代と電車代だけでした。

●花菖蒲水面に続く人の影 ●父の日はみずいろ外は雨模様

*6 *

6:2012年6月10日 皇居東御苑 菖蒲園
向こうに見えるのは大手町のオフィス街
7:2012年6月10日 皇居東御苑 菖蒲園

*

8:2012年6月10日 皇居東御苑 菖蒲園


かごんま日記:「てぃんさぐぬ花」 = スライトリ・マッド



2012年6月29日(金)
*梅雨明けやかりゆしシャツでめんそーれ

  てぃんさぐぬはなや 
  ちみさちにすみてぃ
  うやぬゆしぐとぅや
  ちむにすみり

  てぃんぬむりぶしや
  ゆみばゆまりゆい
  うやぬゆしぐとぅや
  ゆみやならん

  ゆるはらすふにや
  にぬふぁぶしみあてぃ
  わんなちぇるうやや
  わんどぅみあてぃ

  なしばなにぐとぅん
  なゆるくとぅやしが
  なさぬゆいからどぅ
  ならぬさだみ

  いちたらんくとぅや 
  ちゅいたれいだれい
  たげにうじなてぃどぅ 
  とぅしやゆゆる  

 今日は全日本おかあさんコーラスの九州支部大会で沖縄に来ている。9年ぶりの沖縄開催とのこと。午後に沖縄入りしてホテルの近くの教会で練習した。明日の本番の会場は中部地区の宜野湾市にある沖縄コンベンションセンター。霧島市の鹿児島空港から那覇まで飛行機で1時間と20分。鹿児島を出るときは梅雨のさなかだったが、沖縄は梅雨明けしていた。31℃で蒸し暑い。かりゆしルックのよく似合う若いバスガイドさんがウチナーグチで「めんそーれ」と。バスの車中で沖縄方言について話してくれた。ウチナー=おきなわ(オ→ウに、キ→チに)。めんそーれ=いらっしゃいませ(←参り候え)。日本語の母音は5つだが、沖縄の母音は[a][i][u]の3つ。[e]が[i]に、[o」が[u]に変化する。つまり沖縄の母音はアイウイウとなる仕組み。沖縄の言葉が日本語と分化したのちに独自の変遷を経て、いつの間にか母音の2つが欠けてしまったらしい。漢字が使ってあると大体意味が分かるのだが、耳だけで聞くとまるで外国語のよう。那覇空港から首里までの都市モノレール「ゆいレール」に乗ると、それぞれの駅に沖縄のわらべ歌のサウンドがあって車内放送で流れる。投宿のホテルナハナの最寄駅となる県庁前は「てぃんぐさぬ花」だった。インストゥルメンタルの軽快なメロディが耳に心地よい。てぃんぐさぬとはホウセンカのこと。
沖縄へは4度目の来訪。私が大学に入った年の1972年の5月15日に沖縄は日本復帰を果たしたが、基地の撤去は実現されなかった。その数年後に就職した私は、沖縄に初めて旅行する。レンタカーで回ったとき基地の街だなと痛感したが、あれから30年経っても変わっていない。全国の米軍専用施設の74.7%がいまだに沖縄に集中している。普天間基地は沖縄戦の最中に宜野湾一帯を支配下に置いた米軍が強制的に土地を接収して建設したもの。鹿児島の隣の県、沖縄。鹿児島の平和は沖縄に守られてきたのだ。原発だって基地だってゴミ処理場だって、自分の住んでる近くにあることは、勝手なもので、誰でもいやがる。民主党は分裂し、基地問題も原発問題も迷走中である。来週の鹿児島県の知事選も、現職の原発推進派と新人の反対派の戦いの構図となっており、保守県鹿児島でどういう結果が出るか話題となっている。
めぐみコーラスは、「渓流」「秋の日」の2曲を歌う。団員が60人近くもいたという伝説のめぐみの25周年記念の年に、高田敏子の詩に作曲を福島雄次郎さんに委嘱した作品。どちらも故人となられた。今年は50周年を迎えるので、作品の掘り起しを図って演奏会でも歌う予定。今回の参加者は25名。変拍子が続き6部唱の合唱曲で難しい。今の暮らしの中に歌があり、仲間がいることのしあわせを感じながら心を込めて歌いたい。

 *「てぃんさぐぬ花」 作者不詳 ( 沖縄のわらべうた )より引用


【編集後記】

つい先週のこと、「ヒッグス粒子」なるものが発見されたそうである。
物理や宇宙科学に興味のある人は、今までは理論上のものであったその粒子の発見がいかに大きな感動を呼ぶニュースであったか、その理由が分るらしい。
なんでもそれは万物に質量を与える働きをする粒子で、一般に「神の粒子」と呼ばれている。なんだかすごそうなのでちょっと調べてみた。 「ヒッグス機構」という考え方がある。その理論によると宇宙生成の初期段階ではまだすべての素粒子は質量を持たずに自由に動き回っていたらしい。
そこに「ヒッグス場」と仮に名付けられた空間が「自発的対称性の破れ」によって生まれ、「真空」は「真空期待値」を生じ、素粒子はそれにぶつかることによって動きにくい「質量」となったそうだ。
ただ「光子」だけが「ヒッグス場」からの抵抗を受けないので、質量がないのである。

と言われてもなんのことだがさっぱり分らないが、つまり物質に質量(実体)を与えているのは「場」である、ということなのか。この宇宙は「場」であるのではなく、ある時から「場」になったのである。その瞬間に物質は実体化したのである。
そんはふうに想像すると、「ヒッグス粒子」とはなんだか魔法使いのタクトから振りまかれる光の粒のようなものにも思われる。そして、「彼岸」とは「素粒子の集合体である魂」がまだ「場」を持たないで自由に動き回っている世界にも思える。

それではもとに戻って「自発的対称性の破れ」とはどういうことか、というと、ウィキペディアによると「ある対称性をもった系がエネルギー的に安定な真空に落ち着くことで、より低い対称性の系へと移る現象」だそうである。
現在の量子論では「真空」とは決して何も無い状態ではなく、「仮想粒子」つまり、実験では「実粒子」のように直接観測はされないが、「粒子」の反応の中間過程(何かが何かに生まれ変わるときの)においてあらわれる「生成、消滅それ自体の様相(それを『真空期待値』と呼ぶそうだが)」は「有る」のだ。

白髪鴨さんからこんなメールをいただいた。

「最近のメールの洪水に辟易してます。と、言いながらそれをメールで書く矛盾。 水見舞いの句がありましたが、それもともにメールでした。
時代の流れですか?
  プルーストは言っていたそうです。『傑作はある種の外国語で書かれる』と。
そしてドゥルーズは『それはどもることと同じなのだが、たんにパロールにおいてどもるばかりでなく、ラングにおいてどもることによってである』と付記してます。
アコーギクの句がありました。むしろそれが自然=Natureなのだと思います。
時間は決して均一には流れていません。それを証明することは不可能にしても、われわれは時間の流れをわれ知らずのうちに調整しています。でなければ詩は、俳句は生まれていないでしょう。

今日、ヒッグス粒子が観測されたとのニュースが飛び交いました。
自然は徐々にその姿を現してきています。しかし人類がそのままの人類である以上、おそらく本当に自然を、そして宇宙の意図を解明することはできない気がします。
でも、昨今の流れは人類の逃走線だとは思えません。ただの混乱線? とは言うものの混乱の中からしか変化は生まれないので、もしかしたらという気もしますが…。
愚痴でした。」

白髪鴨さんがどのような混乱の中にいるのかは想像ができませんが、今回の彼の句が「さみだれ」と「舞い」だけで作られていたのにはとても興味が沸き起りました。

さみだれはイエローグラスごしに見る
里山も熱帯雨林(ジャングル)となりさみだるる
さみだれに酢豚のレシピ調べをり
さみだれや涙の向かふ竹の舞ふ
いざ舞へ舞ふが命なれ風の夏
無に帰して舞ひ舞ひ舞ひて夏野かな

「ある対称性をもった系がエネルギー的に安定な真空に落ち着くことで、より低い対称性の系へと移る現象」は極大の宇宙にも、地球にも、日本にも、極小の「自我」にも起る時期が到来している気がします。
「俳句」という詩型にもそのうちそんなことが起るかもしれませんね。^^;

 (文責 葱男)


■消息

砂太
●走らうか連翹の黄の所まで 白川砂太
『俳句界』7月号/「兼題/黄」【佳作】(名和未知男 選)
●白木蓮空の青さを一人じめ 白川砂太
『俳句界』7月号/「雑詠」【佳作】(泉田秋硯 選)
●霞濃し山深閑と濡れてをり 白川砂太
『俳句界』7月号/「雑詠」【佳作】(加藤耕子 選)

葱男
●春の田や今も黄色き妻の声 中島葱男
『俳句界』7月号/「兼題/黄」【佳作】(橋爪鶴麿 選)
●春灯や物見櫓は闇の中 中島葱男
『俳句界』7月号/「雑詠」【佳作】(加藤耕子 選)

  水音
●憑きものの落ちて四つ葉のクローバー 山下水音 
  『俳句界』7月号/「雑詠」【佳作】(豊田都峰 選)


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