*無法投区/早緑月

〜心音の小さな春やご神木〜

*「俳句王国」=葱男

先日、放映されたNHKの「俳句王国」は福岡から「春の太宰府天満宮」の特番。
ゲストに俳人佐藤文香さんやタレントの聖飢魔?、地元の俳句熟練者や俳句は初心者ながら地元の大学に通う落語研究会の学生などを迎えて太宰府天満宮の吟行を行なった。
そのあと、会場を替えて全員がふた組に分かれて俳句合戦をして勝敗を決めるというもの。
総合司会にはこれまた福大落研の博多華丸、大吉さんを迎え、行司には石田郷子さんを配して盛大に行なわれた。
「俳句甲子園」が盛んになり、このようなスタイルで、初心者にも気軽に俳句を愉しんでもらおうという企画だろう。
俳句バトルの途中には、会場に集まった一般視聴者からの句も紹介されるコーナーがあり、 予選に勝ち残った最後の入選句5句が会場で発表された。

 大楠の空にひろがる御慶かな
 二股の大根干すや戒壇院
 見るべきを見に太宰府へ初電車
 飛梅や満面笑みでポーズとる

そして、石田郷子氏が特選に選んだのが、な、な、なんと「丘ふみ」の砂太先生の句でした!

 見晴るかす屋根屋根春は足元に

砂太先生、特選おめでとうございます、そして、テレビ出演、おめでとうございます。
明るい色のマフラーが春を演出しているようで、いつもながらのダンディーな先生の姿が全国放送で流れて、こちらで嬉しくなりました!

* * 

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*「わが師の恩」のココロだぁ=阿Q

昨年12月10日朝、訃報を聞いて僕は世田谷代田のご自宅に急いだ。
まだ、息を引き取られてから半日ほどのこと。ご家族に看護られて安らかな眠りにつかれている様子だった。
手を合わせて思わず呟いた。

「おつかれさまでした。」

1976年、僕は小沢昭一さんが主宰する劇団「芸能座」の研究生となった。
その頃、小沢さんは野坂昭如氏、永六輔氏と「中年御三家」を結成し、武道館を満杯にしてのコンサートを開いたり、「日本の放浪芸」の研究を精力的に展開するなど、特異な俳優活動をされていた。
やがて一座を結成すると旗揚げの『清水次郎長伝伝』(作・永六輔、演出・小沢昭一)で爆発的な人気の劇団となった。
以来36年間、僕は小沢さんを師と仰いできた。「師」なので「先生」と呼ぶべきなのかもしれないが、小沢さんはそう呼ばれることを拒んだ。
同じ板を踏むのに師匠も弟子もないことを告げたかったのかもしれない。
しかし、小沢さんと同じ舞台に立つたびに僕は必ず「病気」になった。
圧倒的な師の演技を間近に見てしまうと「一生かかっても、この人のようにはなれまい。
もう俳優の道は諦めよう。」と毎回思った。
毎回なので「ああ、また病気か」と思うのだが「いや、今度ばかりは本物だな」と真剣に思った。

79年春、新宿・紀伊國屋ホール『しみじみ日本・乃木大将』(作・井上ひさし/演出・木村光一)、僕の役は「感心な辻占売りの本多武松少年」、乃木大将はもちろん小沢さん。
三河屋の小僧となった書生志願の少年は乃木邸に忍びこみ、愛馬に別れを告げに来た乃木大将めがけて飛び出してくる。
初演初日の第一幕第一場、僕は緊張のあまり膝がガクガク震えていた。
「一生のお願いでございます!」と言って舞台に転び出た少年はやがて大将の膝に縋りつく。
その瞬間、僕はハッとした。小沢さんの膝が小刻みに震えていたのだ。
「この人にしてこの震えか!」座長、プロデューサー、主演俳優…さまざまな役柄を一身に引き受けて小沢さんは舞台に立っていた。
あの時の「堂々とした孤高」を僕は未だに忘れられない。
小沢さんは自立した表現者だった。だから群れをなすことを嫌い、ベタベタする関係を嫌った。旅公演の合間には一人で街を散歩したり、芝居がハネると深夜まで原稿用紙に向かっていた。
役者でもあり学者でもあり、舞台・映画・ラジオ・テレビ八面六臂の活躍だったが、いずれも「小沢昭一」を演じていたのではと、今更ながらに思うのだ。

小沢さんには公私ともに迷惑のかけっぱなしだった。
「破門」を言い渡されて当然のことを僕は何度もしでかした。
それでも小沢さんは僕を受け止めてくれた。そればかりかその不肖の弟子の為に方々に頭を下げてくれていた事を僕は後になって人づてに聞いた。
そういう人だった。

「中西君、俳句をやらないか?俺の人生、俳句でどれだけ救われたかしれやしない。」
数年前、僕が相当落ち込んでいる時にそうおっしゃった。小沢さんは気心の知れた仲間たちとこの40年余り、毎月句会を開いていた。
俳号は「変哲」。
俳句をひねることより、句友と過ごす時間が楽しかった様子だ。
今、僕の手元にその句集の一冊がある。
その中に「演じない小沢さん」がいた。
旅から旅の生活で、めったに家に帰ることはなかったらしい。
近年はようやく落ち着いた時間を過ごされていた様子だが「女房が珍しくってねえ。」と冗談まじりでおっしゃっていた。

しばらくは戻れぬ旅の湯ざめかな 変哲

12月15日昼過ぎ、黒塗りの霊柩車が、自らのハーモニカ演奏『丘を越えて』(作曲・古賀政男)に送られて万雷の拍手の中、信濃町・千日谷会堂の坂をゆっくりと登って行った。
それがわが師小沢昭一さんとのお別れだった。

*俳優小沢昭一さんは2012年12月10日、83歳で死去。

西日本新聞2013年1月9日掲載


*東京の私鉄ターミナルの話=資料官

     ●初旅や地下へ消え行くターミナル
●初電車うりざね顔の女車掌

*

2013年2月
渋谷ヒカリエ11F展望フロアーからかまぼこが並んだような東横線渋谷駅
右はメトロ銀座線

 今年3月16日に東急東横線と東京メトロ副都心線が渋谷地下駅で直結,東京東横線・東京メトロ副都心線・西武池袋線・東武東上線・横浜高速鉄道みなとみらい線の5線がつながり,横浜中華街から西武飯能や東武川越方面への直通電車が運転される。おかげで西武池袋線沿線の私は最寄り駅の石神井公園駅から横浜中華街まで乗り換えなしの1本で行くことができ,中華街でたっぷり紹興酒をいただいてもゆっくり一眠りしての帰宅が可能となる。また,現在地上にある東横渋谷駅が地下に移ることにより渋谷駅周辺でも再開発が加速し,現在ごちゃごちゃ猥雑な渋谷も近代的な副都心に生まれ変わるそうな。
 さて,現在の高架の東横線渋谷駅は3月16日に姿を消すことになるので,正月過ぎてから撮影に出かけた。昔ながらの私鉄ターミナルの最後の姿を残しておきたかったからである。何か列車や線路や駅がなくなる時には撮り鉄が出没するのは毎度のことではあるが,この日もすでに渋谷駅のホームや隣の代官山の駅の周辺にもパラパラと撮り鉄の姿が見えた。渋谷駅では電車が到着するたびにスマホや携帯で撮影するにわか鉄の姿もあった。まだその姿は少ないが廃止の日が近づくにつれてますます増えることだろう。すでに関係各社は3月16日のダイヤ改正のプレス発表を実施し,「3・16つながる」キャンペーンを開始しており,5社共同相互直通運転PRラッピング電車の運行までするらしい。まだつながっていないのにメトロの色々なルートをたどって東急電鉄の車両が副都心線や有楽町線を走り始めていて,西武線でもすでに何度か東急の車両に乗車したことがある。
東京の私鉄は山手線の主要駅から放射状に郊外に向かって伸びてきたが,その私鉄の駅は国鉄の山手線の国鉄駅の横に地上駅として作られてきた。戦後高度成長期を迎え郊外からの乗客増加に対応してどの駅も近代的な駅に生まれ変わってきたのである。たとえば,小田急新宿,京王新宿,東武池袋や西武池袋は地下にもぐったり,ホーム拡張したり,新たな乗り換え口を設置したりもう昔の面影はない。京急品川は都営地下鉄に乗り入れしほぼ通過駅になってしまった。現在旧態前として私鉄ターミナルらしく残っているのは,東武浅草と東横渋谷ぐらいではないだろうか。これらの共通点は,?狭いホーム,?駅自体がカーブ,?短い編成(8輌〜6輌)のみ停車可能,?どん詰まり,?高架などであろうか。もっとも,東武浅草駅は山手線に接続していないから,東横線渋谷駅が山手線に接続する最後の旧式の私鉄ターミナルといえるだろう(東急池上線は除く)。この,撮影妙味のある私鉄ターミナルの姿もあとわずかである。

  **

1:2013年1月
東横線渋谷駅 各駅停車が到着

2:2013年2月
東横線渋谷駅 次々と電車が到着

*

3:2013年1月
東横線渋谷駅 先頭部分のホームは狭くなっている
現在は8両編成の停車が限度

●着膨れてゆうくり乗り込む先頭車
●マフラーとマスク飛び出す終着駅
●春節祭直行電車の赤き帯

**

4:2005年2月(8年前)
東横線渋谷駅 桜木町行きの最後の日
横浜方面は翌日から元町中華街行きとなった

5:1973年5月
第2代目の西鉄福岡駅ターミナル
大牟田行き特急,津福行き急行,大宰府息各駅が並ぶのどかな風景
アーチの屋根,これぞ私鉄ターミナル!


【編集後記】

今月、宗匠からめっちゃ嬉しい講評を戴いた!

が、よく分析してみるとこの評価はどうやらほとんどが新入部員の句に向けられたものであったことがわかる。
十志夫さんなどはA部門の天地人、三句とも宗匠選に入った!
十志夫さん、是非一度「めじろ遊俳クラブ」の句会に出席してみてください! きっと、びっくりする体験ができると思いますよ〜(^0^)

ところで筑紫丘高校諸君、奮起を乞う! 
自分が一番だけど(>_<)

 (文責 葱男)


■消息

水音

●両腕の伸びゆく秋の深呼吸  山下水音
『俳句界』2月号/「俳句ボクシング」【ベスト16】(坊城俊樹 選)


●蒲の絮鬱の話を小半時  山下水音
『俳句界』2月号/「雑詠」【秀作】(伊藤通明 選)


砂太

●臣虚子の句碑に北風弟子孫弟子 白川砂太
  『俳句界』2月号/「兼題/北」【佳作】(大高霧海 選)

●おなもみをつけて犬来る人連れて 白川砂太
  『俳句界』2月号/「雑詠」【佳作】(辻 桃子 選)


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