*無法投区/田草月

〜グールドのバッハ幽し初螢 〜

*葉桜やのと鉄道の先はなし=資料官

●夏めくや海に寄り添うのと鉄道
●つばくらめ駅舎そのまま道の駅
●蒲公英やランプの宿は崖の下
●五月闇旧漢数字の奉加帳

平成26年末には北陸新幹線の長野−金沢間が開通し東京から北陸が近くなる。現在,東京−金沢間は上越新幹線で越後湯沢まで行き,ほくほく線の特急はくたかに乗り換えて約4時間かかるが,全線開業すると2時間半に短縮される。すでに定着している長野新幹線という名前がどう変わるのか大変興味深いところである。ゴールデンウィークに能登半島に出かけた。これまで北陸本線から能登方面に入り込んだことはまったくなく,そうこうするうちに奥能登路の鉄路は廃止となり,風光明媚な場所を走る七尾−穴水間が第三セクター「のと鉄道」として残されているだけである。その代償のように,和倉温泉までの七尾線(厳密に言えば七尾−和倉温泉間はのと鉄道の路線である)は電化され大阪_名古屋から直通の特急列車が乗り入れしている。
奥能登のローカル線が廃止になって地元が得たものは,能登空港というローカル空港とこの春から無料化された高速道路である。能登空港には一日に羽田空港から小さい飛行機が2便乗り入れているが,搭乗率アップのための地元の有形無形の支援も並大抵のものではないらしい。一方無料化された高速道路では北陸道ですらめったに発生しない渋滞が結構発生しているようで,能登半島に観光客が大勢訪れることは良いにしても,何かちぐはぐな感を拭いきれない。

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ほぼ出来上がりつつある北陸新幹線 新黒部駅
北陸自動車道が横を通る

さて,能登は海が綺麗な風光明媚なところ,3日間でほぼ一周したが,空気が澄んでいれば見えるはずの北アルプス立山連峰や佐渡はまったく見ることはできず,そのあたりが少々残念であった。しかしながら,奥能登はこの時季が百花繚乱,さすがにソメイヨシノは終わっていたが,遅咲きの八重桜は満開,家々の庭にはチューリップや水仙が咲き乱れ,黒光りする能登瓦の家と織り成す風景はすばらしく,見飽きることのない車窓が続いた。 外海は一見静かなように見えたが遊覧船で沖に出ると波は高く結構揺れた。わずか20分足らずの遊覧だったので船酔いをするまでもなかったが,我々のあとの便はすべて荒波のため欠航になっていた。よくあることらしい。能登金剛のヤセの断崖は松本清張の「ゼロの焦点」の最後の舞台である。日本海に垂直に落ちる断崖はH19.3の能登半島地震で断崖部分が剥落して断崖が残骸になっていたが,日本海を見下ろすには十分迫力のあるスポットであった。この海だけは「ゼロの焦点」の時代そのままの姿なのだろう。

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世界農業遺産のシンボル 白米千枚田(シロヨネセンマイタ゛)
1004枚の田んぼ,高低差56m

能登半島の最北端禄剛埼灯台(日本の灯台50選の一つ)


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山口誓子の「ひぐらしが鳴く奥能登のゆきどまり」の句碑がありました

奥能登の象徴的な風景 見附島(軍艦島)

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珠洲市 能登瓦の塀とチューリッフ゜

輪島市門前 曹洞宗大本山總持寺祖院の八重桜

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能登金剛ハケの断崖 「ゼロの焦点」のラストシーンの舞台

最終日に「のと鉄道」に乗った。終点の穴水駅の跨線橋に上ると北に向かって2本の線路が途中まで延びている。左は輪島までの旧JR七尾線(H13.3廃止),右は珠洲を経て蛸島までの旧JR能登線(H17.4廃止)。いずれも昭和50年ごろまでは大阪発の急行ゆのくにや急行能登路が輪島・蛸島まで,平成14年4月までは急行能登路が金沢−輪島・珠洲間を走っていたという。昔欲を出せば乗れたかもしれない廃線跡をすこし残念な気持ちで眺めてから,七尾行きの「のと鉄道」に乗り込んだ。終着七尾まで約40分,車窓からは移り行く七尾湾をゆっくり眺めることができた。最後に七尾から長野新幹線の上田までバス乗車。途中富山平野には一直線の北陸新幹線の鉄路が伸びている。あと開業まで2年弱,北陸新幹線の開業日には金沢まで出かけようかという気持ちになってきた。

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穴水駅から廃止になった輪島(左)・蛸島(右)方面を臨む

穴水駅には「のと鉄道」の車両基地がある

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穴水駅に七尾からの列車が到着

「のと鉄道」能登鹿島駅(能登さくら駅)
名物の桜トンネルはすでに葉桜でした

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和倉温泉駅発車
大阪行き電車特急サンダーバードが停車中


*ダニーボーイ=葱男

「人と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。」(村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」より)

私は何人かの大切な友人たちとそのようにして付き合ってきた。
そして、白髪鴨さんこと、一木正治君は私にとってまさにそのような存在だった。
高校一年の春、私と彼は同じサッカー部の仲間として知り合った。彼はバックス、私はフォワードで1年の秋からレギュラーポジションに入った。上級には才能のある先輩が何人もいたのでゲームはとてもエキサイティングだった。が、一年後、上の年代が抜けると同級生には試合観の持てるタレントが全く見当たらなかった。
私は退部して軟派たちとフォークバンドを作り、彼は退部して硬派たちの応援団に入った。

文学や音楽を愛好する彼がツッパリと無骨と単細胞の集まりのように思える応援団に入ったのは全く意外だった。理由を聞くと、彼はこう言った。
「試合中、応援席を見ると、我が校の校旗が風に煽られて揺らいでいるのを見た。旗は煽られてはならない、俺は母校の応援団の旗手になって、しっかりと風の中に旗を掲げたいと思う。」と。

60才の五月朔日、青嵐の玄界灘で、彼は風に煽られているヨットの帆を下ろすために甲板に出て、足を滑らせ真夜中の海に落水した。
3時間後に海上保安庁のヘリに救出されたが、すでに心臓は止まっていた。
体は陸に引き揚げられたが魂は海の底深くに沈んだのだと思う。海の底で鯨の声を聞きながら長い眠りに入ったのだと思う。

「ああ、人類は生き延びられないだろう。〜中略〜海にはノスタルジアもポエムもない。ただ原始のみがある。地球の原始が…。そして、原始の中に、私の存在がある。それは澄み切った無感動に等しい。」(「丘ふみ遊俳倶楽部」百号発刊記念句集・白髪鴨さんの「原始の地球を」より一部抜粋)

まだ十代の若きころ、透徹した顔の表に、亀裂のように切り開かれた唇、そして喝と見開かれた青鞜な瞳。穿たれたような鼻孔さえもが生々しい傷口のように美しく思える魂にいくつも出会った。
それらの魂は、幾年月を越えても失われることなく、心の奥底に沈んだまま生々しい血を脈打たせているに違いない。
出自も環境も経歴も気質も関係なく、努力や野望や意志さえもがついには変えることのできない何か「哀切なる烙印」を捺されている同朋がいる。自分が抱いているのと同じ烙印を持つものと出会うことが人生には必ずある。

一杯呑みながらみんなで楽しくやりたい仲間は大勢いる。
が、ふたりきりで呑みたい、呑みながらいつまででも、朝が明けるまででも時間を気にせずに話をしたいと心底思える友人はそんなに多くはいない。多分、五本の指にも満たないかもしれない。
彼とはふたりきりで際限なく喋ることができた。話が尽きる、ということがなかった。それは多分、私が彼のあらゆる考えや感じ方に興味があり、彼のすべてが知りたかったからだと思う。そんな気持ちは恋愛の初期の蜜月の時代に、好きな女性に対して抱く感情と似ている。彼とは男同士の友情なのに全くもって不思議な話だ。

中島みゆきの「糸」という曲にこんなフレーズがある。
「なぜめぐり逢うのかを私たちは何も知らない、いつめぐり逢うのかを私たちはいつも知らない…」
私たちはまだ何も知らされてはいない。阿も吽も有限も無限も孤独の意味もその無意味さえも。
大学卒業後、一木正治君と一時期、30年近い音信不通の時代があった。
50才にして突然、再び私の前に現われた彼は、白髪にはなっていたがまだあのころのままの青年だった。

それもまた、10年前のこと。

◆青葉風Good bye俺のダニーボーイ


【編集後記】

今月はみなさん、俳句を詠むような気持ちになれなかった人も多いようでした。
精神的、肉体的、社会生活的に瀕死のひとが何人も・・私も白髪鴨さんの突然の死がボディブロウのように効いてきて、だんだん「鬱」になってきている様子。

俳句が詠み手の側のものであるとしたら、今月のみなさんの句には、白髪鴨氏への哀悼の意の感じられる句ばかりがたくさんあったように私には感じられました。すこしでもそう感じた句には全部★マークをつけています。勿論、作者の意図とは全く異なる解釈かもしれません。しかしまた、選というものは究極、「自分の心模様の反映」でしかないのでしょう。

砂太先生はもっとしっかりと詠もうぜー、と檄をとばしてくださいました。
関係ないけど、本田は来年のブラジルワールドカップ出場の切符をひとりで奪い取ってくれました。
「味わえるうちはあじわっておけ!」 埴谷雄高氏の警句が思い起こされます。


 (文責 葱男)


■風信

*スマさん、6月は合唱の月。県の合唱祭を2日に無事終え(茶摘み♪、今が美しい♪)22日は宮崎のおかあさんコーラス九州大会で、芭蕉布♪、稗搗き節♪を歌うそうです。
*夏海さん、我が家の庭で「豌豆」の初収穫、大豊作で「「豌豆引く」の季語を実感。
*阿Qさん、五六二三斎さん、砂太先生が筑紫丘高校の同窓会総会に参加。オール「ガオカ」でも先生が最長老、砂太先生よ、キング・カズのごとく永遠の現役ヒーローであれ!
*先日クラブOBの五里さんの奥様のご母堂が逝去、ひさしぶりのお便り、「小花散り 何が残るや 野辺の道 五里」
*前鰤さん、パソコンの故障で投句できず、選句もだめでした(>_<)
*十志夫さんと資料官さんに共通の友人がいることが発覚して、おふたりの交流がますます深まっているご様子。おふたりは俳句の方向性はスクランブルする可能性があると、ちょっと注目しています。
*水音さん、メニエルの発作で体調最悪、ほんと、大丈夫?「丘ふみ」の星なんだから頑張ってくれなきゃだめよ!!
*ラスカルさんの新しいチャレンジであるネットプリント同人誌「あすてりずむ」は7月初旬に全国のコンビニで発売! 新同人の後閑達雄さんは句集「卵」(ふらんす堂)が第1回「田中裕明賞」にもノミネートされた現代俳句の旗手のひとりです。作風もラスカルさんと大いに共通するところあり、少年の魂を持ち続けている心優しい句柄が持ち味の若手俳人です。


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