*無法投区/七夕月

〜七夕や願ひは海の底深く〜

*筑紫丘高校化学部の話 昭和43年〜46年(15歳〜18歳)=資料官

●学校下バス来るまでのかき氷
●部室から見る青空や昼寝覚
●サイダーをまわし飲みして電車待ち
●西日射す男子クラスの五時限目

1 入部のいきさつと先輩たち
平尾中のK先輩に声をかけられてそのまま化学部に入部した。特段化学の実験に興味があった訳でもなかったが,3年間辞めることなく,3年では文系のクラスだったにもかかわらず部長まで務めた。撮り鉄ならば写真部,土器の発掘ならば郷土研究部,蝶の収集ならば生物部の選択もあったが,今思っても不思議な選択。思い返せば,まじめに実験はしていないが,三度の文化祭には熱を上げ,毎日部室経由で教室を往復し,授業が欠になれば部室のあたりにたむろしていたから,クラス以外の仲間との親交を深めるには役立った。先輩には,K先輩ほか,その頃からおっさんオーラたっぷりのS部長,文系で大学の学部まで一緒だったIさんとHさん,今でも地元で大活躍のN嬢がいた。同級生では,「なんやなんや」が口癖のY,国鉄マンの父上には大変お世話になったT,頭をモヒカンにして周囲を驚かせた今は学校教師のS,実験なのか料理なのかわからない絵が上手だったK嬢などがいた。

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1:1969年9月
体育祭で化学部は得点係の受け持ち
当時3年生の先輩方
後列左から 原,西村,入江,山中
中央杉村部長
前列左から石橋,橋爪,河野

2:高2の体育祭終了後のひとコマ
当時の3年生たちと部室の外で記念撮影

2 三人の先生
この当時筑紫丘の化学は森永,梶山,大塚の3先生がいらっしゃって3年間変わりがなかった。化学部顧問は最初は森永先生途中から梶山先生に代わられたと思う。大塚先生には我々の学年は2年と3年で担任としてお世話になった。森永先生はやや長老格で文系の化学の受け持たれており,私は3年のときにお世話になった。部のおん出し会(酒は出ない送別会)や卒業写真の撮影にはいつも3先生に入っていただいた。
大塚先生は男子クラス2年10組で担任としてお世話になった。先生はものごとのけじめをきちんとされていて,普段から我々に対して厳しく指導されていたが,心は温かく頼れる先生ということで生徒からは大変慕われていた。二日市から通われていたので,郡民への暖かな語り掛けが印象的であった。大学の時に二日市の駅前で遭遇し,近くの行きつけの寿司屋でお酒をご馳走になったこともあった。先生は無類のお酒好きであったが,残念なことに平成10年1月に交通事故のため68歳で亡くなられた。平成16年1月の七回忌の頃,栗原と織戸と自宅にお参り行ったことがある。昔のアルバムを見ながら奥様に高校時代の思い出話に花を咲かせたと記憶している。大塚先生の当時と変わらない若々しい遺影を前にすると,先生がお元気だったらきっと「丘ふみ会」には毎年参加していただけただろうと思われ,先生が早く亡くなられたことが残念でならなかった。  

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3:1969年10月
高2時代の卒業アルバム撮影 
左から 大塚先生,森永先生,梶山先生

4:大塚先生は女子高生に大変人気があった
(だから,男子クラスの担任ばかり?)

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5:1970年10月
高3時代の卒業アルバム撮影
うしろでは校舎の工事が始まっている

3 部室界隈
化学部の部室は一番野間八幡寄りの校舎の東はずれの地下のような場所にあった。斜面に建っていたので実際は地下室ではないが1階の教室から下がった場所で,そこには文化部の部室が固まっていた。外側から入ると南側の列に生物部,地学部,化学部,女性のみの部,物理部。右側の列は映画研究部,写真部,書道部,その先は記憶がない。毎日朝夕部室経由で教室に向かっていたので,クラスを離れた交流の場でもあった。

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6:1969年9月
部室の中の風景10人ぐらいで会食できた
左から篠原,梶山,杉村部長

7:1970年5月
外から見た化学部部室,左は地学部部室
カメラを持つ徳久,バドミントンに興じる小林(茂)

4 文化祭の思い出

  (1) 高1 学校泊り込み
 文化祭は前日から事前準備や展示物の管理のため学校に泊まることが許されていたが,1年生はだめだとか,部ごとの人数とか条件があったようだ。先輩に学校に泊まることを希望したら,見回りの応援団に見つからないように注意しろといって黙認してくれた。見回りの予想される時間になると準備室の奥にこっそり隠れた記憶がある。明け方は結構冷え込んだが,文化祭の準備が整った校内をこっそり歩き回り,筑紫丘に入学したことをいまさらのように実感したのである。

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8:1970年5月
高3文化祭の朝 若杉山から日が昇る校舎からの風景
手前を西鉄大牟田線が走る

(2) 高2 化学メーカー行脚
そもそも実験はそんなに好きではなかったので,文化祭の出し物に日本の化学メーカーのことを展示することを思いついた。さっそく電話帳で調べた天神界隈の化学メーカーの支店を回った。高校生だったから各社とも親切に応対してくれ,会社案内,製品のチラシやポスターをもらったり,三菱化成は製品のサンプルを貸してくれた。16歳にして会社訪問を体験したが,その後の就職活動の際にふとこのことを思い出した。文化祭の反省会でY先輩がこういう企画も良かったと言ってくれたことが嬉しかった。

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9:1970年5月
高3文化祭 K嬢作化学部の入口の大壁画

10:1970年5月
火山噴火の準備中

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11:1970年5月
高3文化祭の火山噴火(これは普通の噴火)

(3) 高3 火山爆発
火薬が好きで化学部に入る輩も少なくなく,文化祭のイベントに模擬火山の爆発を演じていたが,これは打ち上げ花火のようなもので,単なる実験結果の陳列よりは人気があった。3年生の文化祭の時に,土で作った火口が狭すぎたのか,入れた火薬の量が多すぎたのか,火山が中腹から大爆発を起こし見物客に土塊を浴びせたことがあった。飛んできた土塊でガラス窓が割れたが,幸いなことに怪我人はいなかった。
ところが9年後の1979年5月の文化祭の火山の爆発で化学部の後輩が失明する大変残念な事故が発生した。その時失明したKさんは,点字をマスターして大学に進学し,苦労を重ねて教員資格も取得して今は県立福岡高等視覚特別支援学校の教師として大活躍をされているとのこと。後輩の努力を重ね前向きに生きる姿に頭が下がる想いである。

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12:1970年5月
高3文化祭終了後の記念撮影
顧問の梶山先生を囲んで
同級生は鶴田,古賀,篠崎,梶山などの諸氏


【編集後記】

宗匠から二ヶ月連続の投稿、私信の最後に「おいしいビールありがとうございました。
人はみな遠野へ歩む秋の蝉 」とありました。
砂太先生からも自宅に電話、家人が受けたのですがとても喜んでいて下さった様子で、「〈遠野ビール〉は甘くてとても美味しかったと、葱男さんにお伝えください。」とのことでした。
みなさんもどこかで見つけたら1本呑んで感想を聞かせてください、330ml、420円です。

 (文責 葱男)


■風信

*砂太先生、「俳句界」8月号にて大活躍!!

●味噌蔵の梁の太さよ夏来たる 白川砂太
雑詠の部 特選(山本洋子)  秀逸(伊藤通明、松本旭)  佳作(池田澄子、豊田都峰、宮坂静生)

「丘ふみクラブ」105号/当季雑詠の部、一席は砂太先生のこの1句でした。

●味噌蔵の梁の太さよ夏来たる=砂太
◎紅、ま、入、秋、香○水、ス△ラ、雪=21点
(紅:肌寒い日が続いているので、実感が湧かないのが残念ですが、季語が効いていて秀逸なお句だと思います。 ま:薄暗い味噌蔵と夏の対比が鮮やかで、梁の太さが効いています。 入:味噌のかぐわしさも漂ってきそうで、豊穣さを感じます。 秋:仄暗い蔵のひんやり感が心地いい季節になりました。蔵の骨太さが夏という語感の強さを受け止めているのがいい。 ラ:「夏来たる」という季語が、ぴたりと決まりました。 香:静かな、そして涼しげな蔵が、おおらかに味噌を熟成させるのでしょう。 ス:普通の工場より美味しい味噌ができそうですね。 水:薄暗い味噌蔵と外界の対比。梁の太さに注目したのがいい。「よ」なのか「や」なのか?)

ラスカルさん以外は全員女性の選でしたね〜〜、みなさん選句眼がある〜〜!(私は類想、類句にこだわって採れませんでした、反省、反省)

ほかにも「丘ふみ」メンバーの太文字がちらほら、新メンバーで大人気の紅椿さん、まさこさん、十志夫さんも「俳句界」に一度投稿されてみたらどうでしょう?ラスカルさんは名前が大きすぎてちょっと無理だけど。^^;

●麦秋の真只中に居て朝日  白川砂太
兼題/朝 の部  秀作(大高霧海、佐藤麻績)  佳作(田中陽、名和未知男)

*葱男もちょっと健闘、同じく「俳句界」8月号
●草若葉初めて会ふになつかしき  中島葱男
雑詠の部 秀逸(池田澄子、大串章) 佳作(辻桃子)

*阿Qさん、2013年10月放送予定のNHK BSプレミアム『ドキュメンタリー しのだづま考』をただいま好調撮影中、大忙しのなか、投句、選句ありがとうございました。

*満癒姫さん、今月の連絡なしのお休みでちょっと心配、あんなにまめに更新していたF.Bやmixiにも最近まったく投稿がありません、何か大きなトラブルじゃないといいけど。

*資料官さん、相変わらず博多帰省時にメンバーとの交流会が盛ん、あ〜、私も博多で呑みたいよ〜。

*先月も要領が分らず、手に入れられなかったラスカルさんのネットプリント俳句「あすてりずむ」、どうやらコンビニに設置してある「コピー機」に入力するようです。次回は試してみるぞ!


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