「丘ふみクラブ」終刊記念パーティー=葱男

舞ひ了へて無の一文字や冬に入る


11月7日(日)・立冬

「丘ふみ游俳?楽部」の終刊記念パーティーの当日、散歩には絶好の冬晴れ、正午ちょうどにまずおじさんたちが出町柳の三角州に集合した。

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出町商店街は昭和の風情を色濃く残すエリアである。
古本屋、和菓子屋、小さな映画館、おでん屋さんなどが繁盛している四辻の一角に二坪ほどの店を構えているたこ焼き屋さん「タコケン」
茶輪子さん、ぼくるさん、裕さんと私の四人、まずは再開を祝してここで乾杯!

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記念パーティーを開きたいと、積極的に申し出てくれたが実はぼくるさんと裕さん、この二人に茶輪子さん、ラスカルさんの5人で何年か前に鎌倉で吟行を開いたことがある。
裕さんは横浜、ぼくるさんは藤沢、茶輪子さんは知多からわざわざ集まってくれた。
旅好き、話好き、人好きのメンバーだ。

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ここ、「タコケン」のおすすめは、「塩だれ」と「味噌だれ」
缶ビールで乾杯をして、いい気分になったところで商店街を冷やかしてまわる。
茶輪子さんと裕さんは京都のお土産ナンバーワンの「阿闍梨餅」を買ったようだ。

このあと、1時半に清一さんが顔を見せてくれるというので、「わらび餅」を買ってふたたび賀茂川三角州に戻る。
なんどか宴会を開いたお気に入りの場所があり、そこに四人で座って「わらび餅」でお茶にするつもりが、茶輪子さんがバッグから愛知県の日本酒を取り出した。
今流行のワイン風の日本酒で、海外での評判も高い新商品だということ。
夜の宴会に備えてビールをセーブしていたぼくるさんも、「これは美味い!!」と四人で一本、ほとんど空けてしまった。

1時半になったので清一さんを迎えに行き、清一さんの巻き込んで青空の下、日本酒で乾杯のやり直しである。

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ほどよくお酒が回ったところで、「下賀茂神社」の真裏にある「旧三井家別邸」を訪ねることに。
りっぱな日本建築と美しいお庭をながめながら、お抹茶と和菓子などをいただく。

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  夜は参加できない清一さんとはここでお別れ、私たち4人は鴨川河畔をゆっくりと下って二条まで、そこから町中に入り、高瀬川沿いに、途中「ホテルオークラで休憩をはさんで、御池通から寺町通り、三条通りに入り、蛸薬師高倉の「ダニエルズソーレ」へと、約15000歩の散策コースを巡った。

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イタリアンレストラン「ダニエルズソーレ」にはすでに女性陣がさきに到着していた。
秀子さん、智雪さん、秋波さん、朱河さん、そして接待係の久代さん(愚妻)の5人である。
少し遅れて修一さんと、倉敷から始祖鳥さんも駆けつけてくれた。 総勢11名、お店からプレゼントしていただいた記念の白ワインで三度目の乾杯だ!

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メンバーはそれぞれがあらかじめ詠んできた立冬の句を披講しながら簡単な自己紹介、そして本格的に宴会モードに!

対岸の高層マンション冬に入る  修一
立冬やこの際マスクやめちまえ  ぼくる
ピアス刺す耳朶の硬さや今朝の冬  智雪
鴨川のゆるき流れや冬立ちぬ  裕
其々に捧ぐグラスや冬に入る  茶輪子
珈琲にシナモン振つて冬に入る  秋波
立冬や夜の口笛は尾を引いて  秀子
冬に入り俄にこころ晴れ渡り  始祖鳥
立冬の酒肆に賑はふ絆かな  朱河


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参加してくださったみなさんには一枚ずつ、心をこめて直筆の色紙をプレゼントしました。

京都までわざわざお越しいただき、「丘ふみクラブ」の終刊をお祝いしてくださったみなさん、そして、記念の「立冬」の句を送ってくださったみなさん、本当にありがとうございました。

永い間、ありがとうございました。
そしてこれからは「一文字句会」でよろしくお付き合いください。

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下り来る比叡の冷気冬に入る  清一

ドライブインの豚まん旨き冬来たる
冬立つや覆面パトカー色は白  修一

楊貴妃の白き能面冬に入る  しゃが

指先のかすかなしびれ今朝の冬  水音

自動扉冬の入ぞと風通し   入鈴

まつ白なセーター羽織る今朝の冬  まさこ

葱豆腐辛口地酒冬来る  ぼくる

御仕舞ひは初めの扉冬立ちぬ  香久夜

骨格に肉を巻きつけ冬に入る  遊歩

金色の免許書き換へ冬に入る  資料官

パーティーの皿のどつかと冬に入る   紅椿

炒り卵ほんのり甘く冬に入る  ラスカル

瓶牛乳の紙蓋開くる冬に入る  スライトリマッド

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■杉山久子
ほんの少しの期間であるが、メール句会に参加させていただいた「丘ふみ遊句倶楽部」17年に及ぶ活動を終えられた。

葱男(中島雅幸)さんを始め、メンバーの皆さんの和気あいあいと心から俳句を楽しんで来られた「気」が伝わってくる。
この場での活動は終えられたが、またみなさんの作句活動は続いてゆくだろう。

どうぞご健吟を。

連衆・自選18句より
木の実踏んでふんで銀河を近くする  砂太
笹鳴やミルクこぼしたような空     紅椿
新茶汲む百年はさう遠くない      まさこ
母の日やここに私のゐる不思議    遊歩
死ぬ人の手の柔らかし花曇       秀子
こんなはずじゃなかった黒猫の背に霙  入鈴
月が日を食べをり夏の蝶過る     スライトリマッド
野分あと手紙をひらくように空     ラスカル
浮いて来い人は生まれて一度きり   朱河
バスキアの髑髏歯ぎしり冬の雷    しゃが
昭和史の中ほどに生れ柿を干す   雪絵
托鉢の僧立ち去りて春の風    子白
火星への移住計画目刺し焼く   清一
盛夏かな雲の彼方の幼き日   始祖鳥
つばめ来て肥後の石橋水放つ  資料官
筆洗に一滴の青夏祓       智雪
小春日や猫の正座を拝見す   修一
秋麗やチーズ辞典にボナパルト  茶輪子
ピンポン台立夏立夏と弾む音    メゴチ
スパイクの針の感触夏休み     五六二三斎
饅頭に寺の刻印小鳥来る      裕
道草に付き合つてゐる春日傘   ぼくる
吉報はまだかスマホに春の雪   香久夜
肩の子のさらに手伸ばし秋の空   秋波
折り返すための頂上雲の峰     十志夫
不愛想なアスパラガスを塩茹です   水音
億年を氷のままの水哀し        葱男

■隠岐灌木さんが「心曳かれた句」を寄せてくださいました。
せっかくですので、ご本人の許可を得て、記載させて頂きます。灌木さんは「湯豆腐句会」などでもご活躍でした。(紅椿)

心曳かれた句。
絵日記の二ページ使ひ西瓜割  紅椿
秋の声切り絵のやうに暮るる街  まさこ
月光を入れて内省的な部屋  秀子
老い得ては二鉢ほどの日々草 入鈴
風船を頭突きしてゐる反抗期  ラスカル
黒服の女五人のビアホール  朱河
空虚さを埋める刺青や狐花  しゃが
ごつつんこしては笑ふ子日脚伸ぶ 雪絵
秋深し火の用心に犬吠える  子白
うつし世の闇を吸ひたる雪明り  清一
かすむ日や金融街のキッチンカー 資料官
黄泉の国見てきたやうな黒揚羽 智雪
これからの幸を数へる柚湯かな メゴチ
白壁の街の音消す寒の雨  裕
江戸暑し彫し師刷り師の道具箱 香久夜
小さき手があのねと開き天道虫 秋波
混沌をまるく呑み込む恵方巻  十志夫
月光の降る音のする砂時計 水音
人形を抱かずにをれぬほどの雪  葱男

■鈴木茂雄
「丘ふみ游俳倶楽部 終刊記念句集」(2021・秋)

この句会にラスカルの名前で参加している金子敦さんからご恵送いただきました。ラスカルちゃん、いつもありがとう。

目次を見ると懐かしい名前が数名載っている。かつてインターネット句会「きっこのハイヒール」で一緒に遊んだ句座の仲間達だ。休会になって久しいが、この「丘ふみ句会」も200号で終わるとのこと。さびしくなると思う一方、またそれぞれが新たな場を得る機会でもあるのだと思い直す。この終刊記念句集には連衆27人の「自選18句と短文」が並ぶ。国語教科書に採択された金子敦さんの作品「新緑の光を弾く譜面台」が生まれたのもこの句会からだった。「自由投区」も読み応えのあるエッセイ集。なかでも紅椿さんの「思い出さん、こんにちは♪」の「出棺の金襴緞子花吹雪」の句、中山奈々さんの「缶バッジ」の「女流って呼んだらコロス」という言葉、葱男さんの異色の金子敦論がこころに響いた。

島へ来て園児たちまち蝶となる 砂太
木の実踏んで踏んで銀河を近くする

花は葉に馴染んできたる抱つこ紐 紅椿
笹鳴やミルクこぼしたやうな空

心太するするすると嘘をつく まさこ
新茶汲む百年はさう遠くない

母の日やここに私のゐる不思議 遊歩
熱帯夜わたくしといふ核ボタン

春待つや紙石?は詩のにほひ 秀子
死ぬ人の手の柔らかし花曇 

こんなはずじゃなかった黒猫の背に霙 入鈴
菫挿す牛乳びんのやうな恋

月が日を食べをり夏の蝶過る スライトリマッド
アフガンの緑はるかに星冴ゆる

昼寝覚こんなところに消しゴムが ラスカル
野分あと手紙をひらくやうに空

しばらくは雛の視線の在りし部屋 朱河
サリンジャー閉ぢて溢るるソーダ水

バスキアの髑髏歯ぎしり冬の雷 しゃが
ぽつぽつと陽だまりを食ふ冬の山羊

掬はれて路面電車に乗る金魚 雪絵
昭和史の中ほどに生れ柿を干す

托鉢の僧立ち去りて春の風 子白
法隆寺釈迦釈迦釈迦と蝉の声

天井に風船一つ無人駅 清一
火星への移住計画目刺し焼く

スーパーの売れぬ西瓜を黙殺す 始祖鳥
咲ききって思い残さぬ椿かな

夏草やスイッチバックの汽車喘ぐ 資料官
総武線祭りの上を走りけり

十薬の結界めきて父母無き家 智雪
筆洗に一滴の青夏祓

かたつむり明るき雨を進みけり 修一
かけつこの曲遠くより穴惑ひ

おはじきのマーブル模様蝶生る 茶輪子
在宅の頬づゑ勤務弥生尽

ピンポン台立夏立夏と弾む音 メゴチ
正体は誰も知らない雪だるま

広告の少ない電車神無月  五六ニ三斎
スパイクの針の感触夏休み

定年や机の下の捨団扇 裕
新酒注ぐ柔道耳の漢かな

さへづりの空へ干さるる産衣かな ぼくる
道草に付き合ってゐる春日傘

吉報はまだかスマホに春の雪 香久夜
吾子のごと水仙起こす掌 

手の皺に溜息ひとつ雛の夜 秋波
鬼百合や龍這ふごとく登り窯

折り返すための頂上雲の峰 十志夫
コーナーでまはす右の手天高し

無愛想なアスパラガスを塩茹です 水音
恋文のフォントを選ぶ春隣

億年を氷のままの水哀し 葱男
仏像の胎に仏像山眠る (葱男さんの作品には回文俳句が5句、隠し絵のように入っています)


■武藤隆司

釈迦牟尼は美男供物の桃ひとつ   砂太
「美男」と「桃」が良く俳句の中に融合されて、ひとつとなって独特の句を形作っているということに 感心した。一読、眠狂四郎のイメージが頭の中を横切って行って、その次に現れたのが立川流という言 葉であった。やはり、「桃」がイメージされるところのものが、その桃の香りを四方八方に放って、自 在にイメージを振りまいてくれる句になったというべきであろう。

返り花つぼみのままに果てにけり  紅椿
はて、蕾のままで終わったら返り花とは言わないのじゃないだろうかと言う疑問に取りつかれて、この句 が気になってしょうがない。気になる句は、それだけの魅力が内包されているからである。しかし、時な らぬ時に咲くと言うことが、本来の時期とは違う時期に咲くと言うことが、幸せなのであろうか。そうい う大いなる疑問も投げかけられているところが、この句の魅力に違いない。きっとそうだ。

短夜のふくらんでゆく時計音    まさこ
短夜と言う季語には、というか、季語はすべてがそうだろうが、日本人が育ててきたものである。夏の 夜を惜しむこころが、この季語にはある。そこで、ふくらんでゆく時計音とは、逢瀬を惜しむ時間とし て、設定されているのではないかと、更に、逢瀬のみではなく深々と闇があった昔の豊潤な夏の夜のひ と時がここに描かれている、そんな気がする。

妻やはは子や孫のこと芋の露    遊歩
芋の露というとすぐに「芋の露連山影を正しうす」と来る。蛇笏の句は、芋の露から盆地を囲む連山へ と句の姿が広がって行っている、そのことによって、更に芋の露の輝きが増している感覚に捕らわれる 句になっているが、遊歩さんの句は、そうではなくて、内在している心の中へと芋の露が沁み透ってゆ くような感覚を覚えてしまう。同じ芋の露でも、働きが全然違うところが面白い。

月光を入れて内省的な部屋     秀子
人生の襞が詠み込まれている句は、好きなのです。ピカソの青の時代でも描いているような、油絵の 感覚がこの句にはある。「内省的な」という言葉が、そういう想いにさせるのだろうか。 月光が窓から鋭角的に差し込んできている。そこに主人公が正座していたら、まるで独房だが、もし かして、足をだらりと投げ出しているのではないか。打ちひしがれたように、いずれ、内省と言う言 葉を使って、成功している句である。

菫挿す牛乳びんのやうな恋    入鈴
今も、毎年春がやってくるけれど、この句が表現している春は、生涯で一度きりしかない春だ。一番の 咲き始めは、私が住んでいるところは葵菫だが、この句の菫もまた咲き始めの、初物の菫であるような 気がする。牛乳びんもコーヒー牛乳などではなく、生絞り牛乳のような濃厚な牛乳が入っていた瓶に違 いない。牛乳の代わりに今では、水道水が菫のために入っているが、永遠に腐ることなく水も菫も息づ いているような気がする。

仲良しの龍と少年ソーダ水    スライトリマッド
人は、自分の中にいろいろなものを飼っている。この句の少年の場合は、この表現によれば龍を飼って いることになるが、果たして、この少年に自分が龍を飼っているという自覚があるだろうか、多分これ は、作者にしか見えない事象というか現象に違いない。であるからこそ、この季語のソーダ水が生きて くるのではないか。何時の日か、少年はソーダ水を飲みながら、そう言えば、少年の日に自分は龍を飼 っていたことがあると想い出す日が来るだろう。そう言う意味で、この少年は作者である。

野分あと手紙をひらくやうに空  ラスカル
地球の天気とは一体何なんだろうかと一瞬思うことがある。いつも思うのは、でこぼこがないように均 されていく現象なのではないかと思って、思索はそこで留まって、動かない。そこから考えれば、野分 の後には、真っ新なものがあるはずで、確かに、私達はそういうものを目撃する。まさに、自然からの メッセージに違いない。「手紙をひらくやうに空」と非凡過ぎる表現が相応しい情景を私たちは目撃す ることになるのである。

浮いて来い人は生まれて一度きり 朱河
「浮いて来い」は江戸の頃の命名であるらしい。今は、セルロイドとかで出来ている風呂場で子供が 遊んでいる玩具を想像するが、江戸の頃は、果たしてなんで出来ていたのだろうか、素材は知れない が、中には、浮いてこないのもあるので、「浮いて来い」との命名となったとの記憶がある。そうい うことを考えると、この句が鮮明に浮き出してくるからとても不思議だ、季語の力を最大限に引き出 した句である。

山眠る孤村の星の無尽蔵     しゃが
どこかに星を製造する工場があって、その工場から無尽蔵に星が生まれてくるという話があった気が したが、気のせいだろうか。孤村というのは、近隣の村から離れたさびしい村という意味であるし、 季語が「山眠る」であってみれば、こここそ、星の製造工場に相応しい場所ではなかろうか、と思い、 作者の状況設定の上手さに、感心をした。

ごつつんこしては笑ふ子日脚伸ぶ 雪絵
俳句には、色んな味わいがあるけれど、この方の句には、手触りを特に感じた。句にリアリティーが 満ちていて、骨法があるというか、筋が一本きちんとあるという感じである。言ってみれば、何時の 時代も色あせることのない句であるように思う。一読して分かってしまうので、深みがないようにも 思われるけれども、そうではなくて、一句の底に流れている愛情に揺るぎのないものを感じる。

幾年を断捨離すれば春うらら   子白
家の義理の兄貴のところが断捨離をして、たまに家を訪ねてみれば、誠にすっきりしたものである。 すぐに断捨離なぞ出来ないだろうが、しておかなければいけないものの一つの様にも思う。私が死ん だら、全部が捨てられる訳で、そこは多分容赦がないだろう。残しておく方が悪いので、人の迷惑も 良いところである。まさにこの季語「春うらら」が物語っている。

遠雷や湖底に眠る縄文土器    清一
琵琶湖の湖底で発見された縄文遺跡のことであろう。悠久の歴史をほんの一瞬のみ見せてくれる遠雷 が、殊の外、よく効いていている。湖底であればこそ保存されてきたであろう年月をタイムカプセル として、その縄文の知られざる豊穣な暮らしぶりに想いを馳せることのできる俳句に出会えたことに 深く感謝したい。

風花やさまよう残夢なおあわれ  始祖鳥
残夢とは「うとうとと見ている夢。目が覚めてもなお夢心地でいること。」とある。この残夢には、 見果てぬ夢も含まれているだろうが、老人になってからというもの、この句にあるような夢を見る ことが多くなった。起きると忘れてはいるが、さて、そう言う夢に想いを馳せて、それを「あわれ」 と見たところがやはり俳諧。この風花は、岩手山が生んだ風花が啄木の勤めた小学校へと舞う風花の やうにも思えた。

つばめ帰る開聞岳の先は海    資料官
三十代の頃に友人と三人で九州の旅行したことがあり、その折に、五合目ぐらいまでは登った記憶 がある。開聞岳の裾野が海へと続いているイメージがあり、とにかく美しい山のように思われ、今 でも、あの時登っておけば良かったと後悔している。開聞岳を置いて、海を置いて、真っ青な秋の 空を帰ってゆく燕が描かれてをり、誠に、美しすぎる景と言わざるを得ない。

空狭き糺の森や百千鳥      智雪
糺の森は、昔は、山背原野と一体で、縄文の頃よりの歴史のある杜とある。前に吟行したことがあり、 マンションの建設問題があったが、どうなったのか知らないが、まさに数少ない財産であろうことは 間違いがない。「空狭き」が森の豊かさを表現して、「百千鳥」が詠いあげる喜びに満ちた句で、糺 の森がこれからもそう言う杜であって欲しいと、願うばかりである。

ふるさとや橋に寝ころび流れ星  修一
実体験でなければ描くことが出来ないリアリティーがあると思った。家々に専用の橋がある場合があ るが、この句の場合は、そういうこじんまりした橋ではないだろう。しっかりした公共の橋に違いな い。どういう想いで、車も通るであろう橋に寝ころんだのか、そこに青春の一ページがある。そこに 誰でもが経験する青春のひとつの想いが凝縮されて迫ってくるところがこの句の持ち味ではないか。

牡蠣天やふくらはぎとも乳房とも 茶輪子
通常は牡蠣フライで、牡蠣天はスーパーなどではあまりお目にかからない。しかし、牡蠣そのものを だらりと下げると、確かに「ふくらはぎ」という形象は、的を得ているように思われる。触った柔ら かさが「乳房」であり、食感もまたそんな気がするし、ミルクスープ仕立ても良く合いそうである。 それから言うとここは「牡蠣天」でなければいけないように思われる。

   牧草は釧路の夏のオーデコロン  メゴチ
句が持つおおらかさに、つと、万葉集東歌を思い起こした。「オーデコロン」と言う艶あるものも、 想起させるもののひとつで、北海道の短い夏をたっぷりと謳歌したような思いにさせられる。牧草 の上で戯れるふたりを想像してしまうのも私だけではないだろう。そう言う大らかさがとても良い。

雲一つなき青空の春愁      五六二三斎
これほど徹底した春愁というものを今までに見たことがなかったので、十八句の中からすぐさまに 選句が出来た。春愁は、それがどのような内容なのかと言うことは、全く問題にならない。春愁と 言う言葉をいかに浮き出させるか、それによって、春愁を表現するという荒業に成功したとても稀 な句ではないか。

秋白しつんつん尖る八ヶ岳    裕
すぐに思い起こすのが、芭蕉の「石山の石より白し秋の風」で、秋を白いと感じたのは、中国から 来た白秋・素秋があるので、芭蕉の発想ではないが、この「秋白し」がこの句に実に良く効いてい ると思った。見る方向によって山の形は変わるので、「つんつん尖る」が作者の立ち位置でどこか は知らないが、赤岳のみが夕日に染まっている情景を描いて、生きてくる「秋白し」なのだとそう いう位置から作者は見ていると私は確信した。

さへづりの空へ干さるる産衣かな ぼくる
この作者の句には、どの句にもあたたかい愛を感じさせる句が多い。どの句を取り上げても良いの だが、やはり、巻頭に高らかに詠っているこの句を取り上げた。生誕の歓びを天上の神々と共に喜 び合っている様が見事に描かれて、産衣の鶴亀松竹が大空に舞っている様子が見て取れる。同時に、 作者が歩んでこられた人生までが、感じられる句になり得ているところがこの句の持ち味でもある だろう。

ゴンドラに迫る白馬の大雪渓   香久夜
随分と臨場感を持って、それこそ、ぐいぐい、迫ってくる。大雪渓であればの迫力がある。それは それでいいのだが、まてよ、白馬の大雪渓にはゴンドラはない。どこのゴンドラから見た景色であ ろうか、八方からは遠い気がする。岩岳のゴンドラは、乗ったことはないが、白馬の正面の山だか ら、どうだろう。栂池なら晴れている日は望めるのではないか。まるで、眼下に大雪渓を置いたよ うな句だが、多分、栂池から遠目に見た句に違いないと納得した。そこに俳句の醍醐味がある。

鬼百合や龍這ふごとく登り窯   秋波
鬼百合の生える山間に、龍のごとくに長い、山肌を這って天へと達するような登り窯は、一体どこの 誰のものであろうか。そう言えば、記憶を手繰れば、備前の森陶岳が53メートルと85メートルの 大窯を作って、古備前を再興したことを思い起こした。そうだ、あれよりでかい登り窯はないはずだ。 この龍の口から吐き出す陶器は、果たしてどのような味わいのものなのであろうか。鬼百合の季語が なにかを暗示しているように思われてならない。

蒲の穂をゆらすポンポン船の水脈 十志夫
どこの川であろうか、葛飾か、土手で寅さんが座っている。男はつらいよのオープニングを見る ような気がした。とすると江戸川であろうか。私がそのように思うのであるから、この句が孕ん でいる下町の庶民の暮しがしみじみと思い浮かんでくるのではないか。この句が持っている計り 知れないほどのぬくみがポンポンと、この句を読む人へと伝播してゆく、そういう句であるよう に思われる。

メロンパンを登るやうなり春の山 水音
私が山登りに持っていくパンは、メロンパンが多い。メロンパンは美味しいし、甘いから体力の 回復を図れるし、何よりも食べやすい。しかし、メロンパンを登るという発想はいくらメロンパ ンが好きでも、出てこない。そこが、この句の非凡なところである。メロンパンを食卓に置いて じっと、眺めて見よう。春の山と言われて初めて、吾が膝を打つように、「なるほど」と納得す る。それ以外にないのに、どうして気が付かなかったのだろうかと思い至るのである。

青龍を孵して涼し五十鈴川    葱男
回文は四句ですか、一番好きなのは、「白鳥の羽根のその音は祝詞らし」で、回文そのものが目 出度いらしいが、そのなかでもこの句は特に目出度い。そしてまた目出度いのが、この句です。 青龍は、風水によれば、流水、「孵して涼し」が実に効いております。青龍は東方の色。そして 春の色。終刊記念号には、なにか未来が暗示されているはずです。それが、この句ではないかと 思いました。五十鈴川から始まる新たな歴史が暗示されているのではないでしょうか。

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カナリア・金子敦論=葱男あたたかき17音・石井清吾「水運ぶ船」西鉄福岡市内線の思い出=資料官ラクナ梗塞・闘病記=葱男虹魚さん(土屋竜一君)・追悼=葱男*ドン急修学旅行列車 東へ=喋九厘*博多・西公園句会=葱男*かはほり・丘ふみ合同句会=葱男*俳句の著作権*北海道ツアー/十勝・富良野・浦臼篇*北海道ツアー/帯広篇*2017・写真俳句大賞*「砂太先生を囲む会」*第8回・田中裕明賞 「フラワーズ・カンフー」小津夜景*金子敦「音符」*賀茂川吟行句会*150号発刊・記念句集*玻璃の展覧*梅雨明けや母いそいそと父のもと=資料官*利普苑るなさん・追悼*2016年4月・鎌倉吟行*2015〜2016 雪・雪・雪*2016・写真俳句大賞*冬のはじまりの手しごと市*地面下句会*平成二十六年俳諧国之概略*杉山久子・「春の柩」*大森健司・「あるべきものが、、、」*利普苑るな・第一句集「舵」*「筥崎宮・蚤の市」吟行句会*楠木しんいち「まほろば」*銀座吟行句会*Subikiawa食器店*ジャポニスム*金髪の烏の歌*Mac崩壊の一部始終*香田なをさんの俳句*能古島吟行句会*Calling you*白鴨忌*葬送*風悟さんの絶筆*小田玲子・「表の木」*初昔・追悼句*大濠公園/吟行・句会/2012,11,11金子敦「乗船券」丘ふみ俳句:丘ふみ俳句:韜晦精神派(久郎兎篇)丘ふみ俳句:協調精神派(前鰤篇)丘ふみ俳句:行楽精神派(メゴチ篇)丘ふみ俳句:ユ−モア精神派(喋九厘篇)丘ふみ俳句:俳精神派(五六二三斎篇)丘ふみ俳句:俳精神派(香久夜・資料官篇)丘ふみ俳句:俳精神派(水音篇)丘ふみ俳句:詩精神派(秋波・雪絵篇)丘ふみ俳句:工芸精神派(君不去・夏海)丘ふみ俳句:実験精神派(白髪鴨・ひら百合・入鈴・スマ篇)丘ふみ俳句:砂太篇俳句とエチカ現代カタカナ俳句大震災を詠む「遊戯の家」金原まさ子さらば八月のうた「ハミング」月野ぽぽな「花心」畑 洋子1Q84〜1X84「アングル」小久保佳世子ラスカルさんのメルヘン俳句「神楽岡」徳永真弓「瞬く」森賀まり『1Q84』にまつわる出来事「街」と今井聖「夜の雲」浅井慎平澄子/晶子論「雪月」満田春日 「現代俳句の海図」を読む:正木ゆう子篇 櫂未知子篇田中裕明篇片山由美子篇「伊月集」夏井いつき「あちこち草紙」土肥あき子「冬の智慧」齋藤愼爾「命の一句」石寒太「粛祭返歌」柿本多映「身世打鈴」カン・キドンソネット:葱男俳句の幻想丘ふみ倶楽部/お誕生日句と花