香田なをさんの俳句〜ピンクピンク世は平らかや桃笑ふ〜=葱男

昨年5月、清水哲男さんの「ZouX]328号の巻頭に発表された香田なをさんの8句を紹介します。

「ぺコロスの母に」

胃は五百五十匁や暮の春
四寸のまつすぐな傷藤の房
蛇の衣睡眠導入剤効かず
土恋し作勤衣のやうな入院着
退院ののちの有耶無耶薄暑光
明易の照る照る坊主の作り方
花は葉に「ぺコロスの母に会いに行く」
母の日の小さく冷たき手を包む

「ぺコロスの母に会いに行く」というのは漫画家の岡野雄一さんのヒット作品で、老人介護問題をあつかった心温まるストーリーとキャラクターが全国読者の人気を集め、2013年にアニメ化もされて、大変評判になりました。
20年前に旦那様を亡くされたあとはずっと母娘のふたり暮らしをつづけて来られたなをさんですが、昨年5月、自らも大きな胃の手術を経験されました。今現在ご本人は元気にリハビリの生活を送られていますが、お母さまの介護に専念できるようになるまではもう少し時間がかかるようです。

私が初めてなおさんに出会ったのは2004年、宗匠に誘われて俳句を始めて、まだ1年にもならない頃でした。個展でお世話になった江古田のギャラリーのオーナーから、同じ俳句の趣味を持つもの同士ということで紹介され、話も楽しくて、とても美人でチャーミングな女性でしたのですぐに仲良くさせていただくようになりました。

同好の志だとは言えば聞こえはいいものの、当時すでに7年の句暦を持つ彼女からすれば、そのころの私の句はそれはそれはひどいものでした。俳句の作法、文法、骨法など何も分らないくせに言いたいことは山ほどあるので、それを俳句の短い17音の中に全部詰め込むようなことばかりしていたように思います、いわゆる「言挙げ」というやつです。
彼女は今考えてみる子供がいないということもあったのでしょう、人の面倒見の良い、ボランティア精神にあふれる、とても母性愛の強い女性でした。まだ「やかな」のいろはも分らぬ、それでいていっぱしの文学家気取りの、まったく鼻持ちならない生意気な俳句初心者の私にとても辛抱強く、また親切に「俳句の初歩」を一歩から教えてくれたのでした。

宗匠からは俳句の奥深さと文学性を学びましたが、なをさんからは俳句の面白さ、楽しさ、そして自由な表現方法を教えてもらったように思います。今でもよく覚えているのは彼女が俳句について語った最初の言葉で、それはこのようなとても印象的なものでした。曰く「俳句には『それがどうした句』と、『なんのこっちや句』のふたつしかない」ということでした。

今月の彼女の「丘ふみ」投句を例に見てみましょう。

●朧の夜回転木馬まで歩く
これが彼女の言うところの『それがどうした句』です。つまり一句一章の読み下しの句。

●ロボットのあをざめてゐる半仙戯
これがつまり『なんのこっちや句』、二句一章のの取り合わせの句という訳です。

俳句って本当におもしろいもんだなあ〜、と感心したことをよく覚えています。それからも彼女は私にいろんな面白い俳人達の存在を教えてくれました。中原道夫、池田澄子、坪内稔典、清水哲男、例えば辻征夫の「貨物船句集」、寺田良治の「ぷらんくとん」、土肥あき子の「あちこち草紙」、ラスカルさんの句友の後閑達雄さんの「卵」なども彼女から薦められて初めて知った現代俳人です。

新世代の若い俳人たちの斬新な感覚の句に大いに共感をした私でしたが、それ以上に興味深いかったのは、なをさん御当人の柔らかな触感のとても女性らしい俳句でした。世はまさに「黛まどか」のへップバーン全盛。彼女を筆頭に、夏井いつきや大高翔など、若くて美しい女性達がリアルな日常生活の中で、仕事や家事や恋の句を自在に詠んで、俳壇に新風を吹き込んでいる時代でもありました。
私はひそかになをさんの句を「能天気、悩殺俳句」と命名して、すっかりなを句のファンになってしまいました。
少しそのころの彼女の俳句を紹介してみましょう。

●さくらさくらひとりぼっちはきらいです
●あやふやな彼と吾のあはい春の暮
●やはらかき唇の甘さよ春哀し
●ふうわりとあなたがわらふ夏隣り
●憂ひなどないことにする夏日傘
●罪といふ字は消去して月氷る
●日向ぼこ得度のことなど考へる
●美しきもの朝のひかり寒卵

初めてなをさんと出会ってからもう10年の月日が流れました。その間、私の俳句もなをさんの句も少しづつ変わっていったように思います。
彼女は田中裕明さんの愛弟子の若き才能溢れる俳人「満田春日」さん主宰の「はるもにあ」に属し、直接彼女から指導をうけるようになり、写生と詩情を重んずる正統派の俳句を深めてゆきました。私は同じく田中裕明さんの奥様でもある「森賀まり」さんの「大阪百鳥」に片足をつっこみながらも、前衛俳句をめざす二六斎宗匠の汎文学的な俳句革新にも惹かれていて、未だに暗中模索の旅を続けています。
昔、私が好きだった彼女独自の能天気で男を悩殺するような句は、今ではお遊びのブログ〈なをの部屋〉の中で時折見受けられる程度で、結社に投稿された句とは趣が異なっているようです。けれどもその違いは単なるTPO、礼儀や作法の違いであって、私には全く同じ基調音として、女らしい柔らかな言葉の通底音として感じられるのです。

ブログ〈なをの部屋〉より抜粋
●貫くは羊羹がよし去年今年
●ものの芽や笑ふ準備は出来てゐる
●日向ぼこ我も子どものひとりなる
●顔ぢゆうをタンポポにして笑ひたる

〈はるもにあ〉アンソロジーより抜粋
●さへづりの下で発熱してゐたる
●春疾風睫の重き農耕馬
●辞書でひく魑魅魍魎や萩の風
●鳥雲にここはかつての古本屋

昨年、とても大きな苦難と試練の時を乗り越え、何ごとも無かったようなふんわりとした面持ちで再びこの世界に舞い戻って来た彼女の歌を、これからも楽しみにして、じっくりと耳を傾けてゆきたいと思っています。

●昼寝覚カナリア色の世に戻る
●世の中は捨てたもんぢやあ無き四葩
●生きてゆくアイスクリーム舐めながら
香田なを /2013年夏