小田玲子・「表の木」=葱男

小田玲子さんは「百鳥」の先輩で平成11年の夏に同結社に入会し、3年後には同人に、6年後には幹部同人に推挙された逸材である。私などは「百鳥」に入会してもう10年近くなるが、まだ全く「同人」に推挙される気配もない。
同じ昭和27年生まれの玲子さんだから同じ時代を生きてきただろうに、どこがそんなにも違うのか、それは当然ながら彼女の飛び抜けた才能、言い換えれば人間の資質に他ならない。
私はただの、気が小さくて怠惰な普通の人間である。「人間」であることの証拠には、私は少しはましな「文学的なるもの」を創造したいとなどと考えている。「文学」と言うものに漠然とした憧れがある。ところが玲子さんはどうかと言えば、「文学」云々どころか、まずはじめに彼女は「人間」という範疇からは少し離れた存在なのである。彼女の生きている場所は私達が住んでいるところとは少し違ったより神格的な空間である。彼女は伊勢神宮で半年間修業をしてその資格を手に入れた、歴とした「神主様」なのだ。
私と彼女の決定的な違いがここにある、つまり彼女は「人間」というよりもやや「神」に近い。したがってその「俳句」は「文学」というよりもおのずから「祝詞」のような気配があるのだ。

彼女の俳句は個人史的なカテゴリーから生まれたものではない。風景詠も人事詠もすべて、彼女の詠むことがらは「万人」のものである。だから、彼女の「俳句」には「いつ=When」「どこで=Where」「だれが=Who」「なぜ=Why」「なにを=What」といった5Wはあまり重要ではないし、必要でもない。ただ「いかに=HOW」だけがそこに忽然と表れる。それはまさに現実の「世界」が生きて其処に「表れた」ような感覚である。

●乗り継いで鶯餅は膝の上
何処に行くのか、誰をおとずれようとしているのかは重要なことではない。ただその人物はわざわざ遠くまで、電車やバスを乗り継いでまでそこに、つまり「その人」に会いにゆこうとしている。「鶯餅」はとても大事そうに彼または彼女の膝の上に抱えられている。それは「鶯餅」がこれから会うであろう人と大切な時間を共有するための神聖な品者であるのだ。と、これだけの内容がすべての読者に共有されることがらである。作者はむしろ玲子さんであっても、そうでなくてもかまわない。それは「みことのり」のような、万人に発せられた公的な言葉であるかのようだ。

●しゃぼん玉吹いてもうすぐ兄になる
だれにとって、どういう関係の男の子なのかは問題ではない、その子供(おそらく)の母親は出産をひかえて大きなお腹をしていることだろう。彼はその母の大きなお腹を思いながら、あるいはそんなことも忘れて、ただなんとなくうきうきした気分の中で「しゃぼん玉」を吹いているのだ。そんな男の子を見ている眼差しは、あるいは当の母親かもしれないし、親戚の叔母さんかもかもしれないし、近所のおばちゃんかもしれない。ただ、その「眼差し」が優しいものであることがここでは大切な事柄なのだ。

●滑り台桃の花からつぎつぎと
園児たち個個人の名前は全部省略される

●花の上に暮しの窓のありにけり
「暮し」の内容はまったく説明されていないのに、私達はその「家族」の有り様になぜか癒されている。その「家族」がいったいどんな家族であるのか、まったく分らないのにもかかわらず。

●葵祭見下ろす医師と患者かな
この句の情景の中でも、全くと言っていいほど状況の説明はない。ただあるのは「葵祭」だけである。この際、患者の容態もほとんど重要な要素になっていない。その患者の病状が軽いものであるとしても、もし仮に相当に重たいものであったとしても、医師と患者のふたりがふたりして見下ろす京都の町並みにはとても穏やかな空気が流れている。

●青蔦や上級生と手をつなぐ
●日焼けの子席を譲りてはにかみぬ
●千年の土間の凹凸晩夏光
●青田風最後の客を下ろしけり
●寝返りし子の手花火のにほひかな
●早稲の香や永平寺まで乗り合わす
何をそれ以上説明することがあるだろうか。

●運動会終り兎を抱いてゐる
状況を描くことが心情を描くことよりもなお深く哀しいのはなぜなのか。

●芋版の残りの薯を焼いてをり
●その中に友の顔ある第九かな
●春著着ていつもの海を見てゐたり
●寒海鼠水ごと掴み売られたる
●水仙に跼みて同じ風の中
●春ショールピアノをすべり落ちにけり
●筍の縦半分を貰ひけり
●水鉄砲もの言ふ口を狙ひけり
●登山杖出身校を指しにけり
●帰省子にインドの小石もらひけり
●地蔵会の菓子打つ雨となりにけり
●冬仕度犬を表の木につなぎ

「をり」「かな」「たり」「たる」「けり」「けり」「けり」、玲子さんはなんのためらいもなくあらゆることがらを言い切ることができる。それは彼女が個性を超越した「イタコ」のような存在だからだろう。彼女の身体を通して発せられる言葉は彼女個人のものではなく、全人格的な「他者=自然=神」の言葉である。そこには個人的な感慨はない、それは文学ではなく、祝詞、神詞のようなもの、つまり「ご宣託」である。文学には趣味嗜好や相性が存在するが、祝詞は万人に万能な効き目がある。

●落葉焚一人が跳んで見せにけり
●校門の見えて氷柱を抛りけり
●獅子舞の低く構へて始まりぬ
●早春のグラブ叩いて馴らしをり
●折鶴を取りて着席卒業す
●無花果やもなかの箱にきつちりと
●をさなごを椅子ごと運ぶ立夏かな
●にげる子を団扇で鋏むまた逃げる
●天道虫堪えきれずに飛びにけり
●新涼や紙飛行機に身をかはす
●生身魂リズムに乗りて登場す
●三人で座る木椅子や冬萌ゆる
●胸に子をあたためてをり初山河
●水仙を束ねて老いの立ちあがる

これらの句は「誰が詠んでもかまわない」句である。敢て極端に言うなら「誰にでも詠める」句である。池田澄子が池田澄子にしか詠めないような句を詠み、中原道夫が中原道夫にしか詠めない句を詠ずるのとは全く異なるものである。一体どこの誰が「誰のものでもない」句を詠めるというのか?

私はずっと、自分らしい言葉、自分にしか表せない世界を言葉にしようと試みてきた、それが「俳句」それが「文学」だと思っていた。 しかし、玲子さんの圧倒的な「現実=真実」の前には、小賢しい「虚構の美」など芥子粒のごとくつまらない、小さな小さな世界にしかすぎない。
玲子さんは高知の出身で、酒席を共にするときはいつも豪快に酒を呑む。酔えばまた一層華やかにこの世界中を愉しんでいるように見える。汲めども汲めども尽きぬ生命力が滾々と発現する。そんな時、玲子さんは存在は神話の中の女神のようになっている。
田中裕明は発病のとき、「爽やかに俳句の神に愛されて」という一句をものにした。彼が大きな代償と引き換えに見い出した神を、あるいは玲子さんは、軽々とした生活の中ですでに垣間見ているのかもしれない。いずれにせよ、彼女が「俳句の神」に存分に愛されていることは間違いのないことであろう。

「表の木」、絶対完全推挙! 是非、ご一読を!