*「現代俳句の海図」を読む:正木ゆう子篇 

小川軽舟さんの第二評論集「現代俳句の海図」を興味深く読んだ。
帯には「彼らはどこから来て、どこへ行こうとするのか?」とある。
彼らとは、昭和二十六年から三十六年生まれの、今もっともビビットな俳人10人の事である。
歳の順に並べると、昭和26年生まれの中原道夫から始まり、27/正木ゆう子、片山由美子、28/三村純也、29/長谷川櫂、31/小澤實、33/石田郷子、34/田中裕明、35/櫂未知子、36/岸本尚毅、の十名である。
小川軽舟自身は昭和36年生まれ、25才で藤田湘子の「鷹」に入会し、湘子の逝去により平成17年に「鷹」の主宰を継承する。
好きな軽舟の句をランダムに選んでみると

●竹皮の鮓一本や初芝居
●三河屋に隣るさぬきや春の月
●楠若葉団地全棟全戸老ゆ
●男にも唇ありぬ氷水
●牛冷すホース一本暴れをり
●火を点けて顔驚きぬ秋の暮
●夕日なきゆふぐれ白し落葉焚
●かもしかの睫毛冰れり空木岳

一物仕立ての句にはモダンな諧謔、ダンディズム、粋の美学、ノーブルな心象風景が感じられる。
●ソーダ水方程式を濡らしけり
●灯を消せば二階が重しちちろ鳴く
●灯火親し英語話せる火星人
●天体の渡る曲線林檎置く
●夢見ざる眠りまつくら神の旅
●古暦北極星も沈みたく
●名山に正面ありぬ干蒲団

一方、二句一章の取り合わせは意表を衝くような突飛な発想はなく、穏やかですぐに近づいていける優しい距離、空間が見える。
「現代俳句の海図」で小川軽舟は、上記十人の俳人のそれぞれの句から、それぞれ50句を選んでいる。
私は軽舟の選んだそれぞれの50句からさらに好き勝手に葱選をして楽しんだ。
その結果、私の心に響いた句数のベストテンはこういう順番になった。
1 正木ゆう子(30)、2 中原道夫(23)、3 櫂未知子(22)、4 田中裕明(19)、5 片山由美子、長谷川櫂(16)。 以下、7 石田郷子(11)、8 小澤實、岸本尚毅(7)、10 三村純也(3)。
以後、この順番で我等と同世代の俳人の句を(5位の、片山、長谷川ぐらいまで)鑑賞してみようと思う。
まずは、「NHK俳句」でもお馴染み、我等と同級の昭和27年生まれ、美人でかわゆい「正木ゆう子」ちゃんから始めます。

*葱男の“男”が強く惹かれる正木の句
●サイネリア咲くかしら咲くかしら水をやる
(まづ、サ音がたたみかけるようにして3回つづけて謳われる。 「咲く」とは「裂く」「割く」と同じく、「固い殻を破って中から新しくものが芽吹く」という意味を伝える発音である。万物の生誕の瞬間に立ち会うべく彼女は自己の表現にも水を与える。)

●春愁に巻くふさふさの尾が欲しき
(ここでもS音の働きがよく一句に鮮度を与えている。 人間にも昔、尾っぽが生えていたということは、骨の形状からも明らかだそうだが、肉体の不思議さというものにも正木の感性は敏感に働く。)

●髪洗ふ草のふかさをさぐるごと
(またまたS音がくり返される。 MASAKIのSAである。 S音は彼女の歌のキーポイントかもしれない。それは同時に彼女の「生=性」のキーポイントでもあるだろう。 自分の髪を一握の草のように客観視する目線は、おそらく多くの女性にも共有のものではないか。みずからの肉体を「もの」のように捉えることが化粧であり、オシャレである。)

●潮引く力を闇に雛祭
(「力を闇に〜」・・・何であろうか? 月に呼応して揺れ動く女性の闇の領域を「雛」は飾り、祝い、寿ぐ。)

●オートバイ内股で締め春満月
(オートバイは男性のエロスの象徴、エクウスである。 それを内股で締め、春が満月だとすれば何ものかを懐妊せざるをえない。 産み落とされるものは彼女の歌である。)

●秋風の馬上つかまるところなし
(またしてもエクウスの登場である。「つかまるところがない」のは、しかしながら男女の恋愛関係だけではないだろう。 こころもとないのは自分の「生命」それ自体である。)

●牡蠣すするわが塩味もこれくらゐ
●やがてわが真中を通る雪解川
(こんな感覚をこんな言葉でさらりと言いのけてしまう女性とは、なんと恐ろしく、そして魅力的な生き物であろうか。)

●春の月水の音して上りけり
●たれかれのなつかしきそらまめの旬
●揚雲雀空のまん中はここよここよ
●双腕はさびしき岬百合を抱く
●いつの生(よ)か鯨でありし寂しかりし
●かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す
正木を主宰に揚げて、できることなら弟子として飼い殺されたいものである。