*ラスカルさんのメルヘン俳句

〜下萌やなんでも洗ふアライグマ〜

俳人・金子敦さんの名前をはじめて知ったのは、私が所属する俳句結社「はるもにあ」に彼が客人として招かれたことによる。
その時の彼の少年時代を綴った自伝的なエッセイを読んで、「こんなにも純粋無垢で脆弱な子供がいるものだろうか・・・。」と強く感じたのを覚えている。
それほどに幼少の頃の金子敦君は体も精神もかぼそく、今にも壊れてしまいそうな泣き虫の男の子だったようである。

去年の秋、ネット句会の友人が京都西陣界隈の町家を散策する吟行を企画し、京都に住んでいる私が急遽、お世話役を仰せつかった。 後で分ったことだがそのネット句会の代表が金子さんだった。
吟行当日、彼は姿を見せなかったが、欠席投句で句会に参加した。

私の自宅で開かれた句会での高得点句のひとつは、ここには出席していない金子さんのこんな句であった。

●工房の隅々にまで秋気澄む

まことに「見て来たような嘘を言い」である。

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金子敦【俳歴】
1985年 作句開始
1987年 「門」入会
1989年 「門」新人賞受賞、同人に推される
1996年 第一句集『猫』上梓
1997年 「門」同人賞受賞
      第11回俳壇賞受賞
2002年 「門」を退会し、「新樹」に入会
2003年 「新樹」同人に推される
2004年 第二句集『砂糖壺』上梓
2008年 第三句集『冬夕焼』上梓
2009年 「新樹」を退会し、「出航」に入会

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金子敦さんは1959年生まれの50才。今、私がもっとも強く惹かれている新進気鋭の若手俳人である。
彼のネット句会での俳号は「ラスカル」、アニメキャラクターの例のアライグマだ。
思うに、彼の句に接するとき、ほとんどすべての読者は自然と優しい気持ちになり、まるで子供の頃に戻ったかように彼のファンタジックな俳句ワールドで自由きままに遊ぶことができるだろう。
それは誰もが昔、住んでいた「お伽の國」の俳句であり、ノスタルジーとメルヘンのいっぱい詰まった「絵本のような」俳句である。

彼のホームページのプロフィールから自己紹介をしてもらうことにしよう。

■誕生日:1959年11月29日
■星座:射手座
■血液型:AB型
■性格:AB型特有の二重人格(笑)
■趣味:ボーリング、カラオケ、猫グッズ収集
■特技:俳句、書道
■好きな食べ物:シュークリーム・卵焼き・さくらんぼ
■嫌いな食べ物:ネギ、シイタケ、レバ−

ありゃりゃ!(筆者)

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●猫の尾のしなやかに月打ちにけり
※明るくてまんまるな月を背景に、一匹の野良猫が塀の上を闊歩しています。しなやかに、甘やかに、ファンタスティックな金子ワールドの扉が今、開きます。

●揺るる思ひかたちにすればシクラメン
※そう言われれば、シクラメンの花は「心」という字の形にも見えてくるから不思議です。

●砂糖壷の中に小さき春の山
※甘くて、白くて、輝いていて、優しく美しい抒情が小さな壷の中にこんもりと。

●猫が飲む水のさざなみ鳥雲に
※小さきものから大きなものへ、それは子供が大人になる時間でもあります。

●夏蜜柑ごろりと海へ傾きぬ
※近景から遠景への視点の転換が見事です。

●裸木となり金色の鳥を待つ
※何故でしょう、金子さんの俳句にはいつも清新なる空気が横溢しています。葉を落とした木々には冬の光が燦々と降り注ぎ、まるで6枚の羽を広げた天使セラフィムのように煌めいています。

●雛の間につながつてゐる糸電話
※糸電話でお話をするお相手とは一体、どこのお嬢さんなんでしょう。

●夕焼の中へボールを取りにゆく
※ああ、懐かしき少年時代。

●さくらんぼくすぐるやうに洗ひけり
※優しい!

●夕焼のはみ出してゐる水たまり
※美しい!!

●夕立に睫毛の先を打たれけり
※可愛い!!!

●朽ち果てし流木に散るさくらかな
※湖北の海津大崎の桜を思い起こしました。

●大いなる花野の果ての無人駅
※「駅」からの目線ではなく、「花野」からの目線が素晴らしい。捕えるアングルによって、情景はこんなにも詩的に変容するものでしょうか。

●かき氷ひかりをこぼしつつ運ぶ
※店でアルバイトしているのは、とても若く、溌溂とした少女なのでしょう。純粋で生命力に溢れる青春讃歌がここにあります。

●夏休みマーブルチョコの赤青黄
※上原ゆかりちゃんは今頃どこでどうしているのだろう?

●クレヨンの紙剥いてゐる冬座敷
※まだ西南大学の学生だったころの財津和雄さんの曲に「ええとこの子のバラード」という歌がありました。クレヨンの紙を剥いているの子のおじいちゃんは、ヘリンボンの緑のスーツを着て、いつも銀縁の眼鏡をかけているかもしれません。

●机より腕時計垂れ昼寝覚
※サルバドール・ダリのワンダーランドを彷佛させる句ですね!フィゲラスのダリ美術館に入館する子供達は、みんな口の上にクルンと巻いた大きな髭をマジックで描いてもらいます。

●夕虹やまだ濡れてゐる母の墓
※墓石に水をかける。花を活け、お線香を立ててから墓前に静かに蹲る。時間は止まり、天国の母が今、作者の胸の中に甦ります。いくたびもいくたびも母を憶い、母を恋い。

●蜂蜜の白濁したる神の留守
※季語が効いています。「時間」という概念をこれほど率直に、イメージ豊かに、適切に表現した句をほかに知りません。

●冬帽子脱いで福耳あらはるる
※耳の大きな子供は、その存在自体で何か他の可愛い小動物のように思えます。

●眼鏡置くごとくに山の眠りけり
※比喩の巧みさ。この眼鏡はおそらく「老眼鏡」ではないかな。

●じやんけんの鋏は切れず日向ぼこ
※悪戯っぽさ、茶目っ気を失わずにいることは長い人生でもとても大切なことのように思えます。それは”人”を”生きる”ことの「コツ」のようなものでありましょう。

●冬薔薇の花芯より曲流れ出す
※音楽室のような、あるいは洋館の応接間のような静謐で透明感のあるたたずまい。西洋音楽の流れるそんな部屋にはルネ・ラリックの蜉蝣の花器が似合いそうです。

●花束のセロハンの音雪催
※かさり、こそりとかすかな音が聞こえます。乾いた病室の窓に降り掛かる粉雪の音でしょうか。

●冬銀河より流れ着く小瓶かな
※唱歌の一節を思い出します。旅心を誘う、郷愁のスタンダードナンバーです。

●メビウスの輪の中に入る落葉かな
※おごらないインテリジェンスと自在なイマジネーションを感じさせる句。詩情は575、77、575、77と永遠に続いています。

●時計よりサンタクロース飛び出しぬ
※そんな愉快な鳩時計が実際にあれば大人も子供も大はしゃぎ。北欧の器用で長身な時計職人なら、実際に作ることができるかもしれません。

またひとり、俳句の師匠に出会った思いがする。
田中裕明さんはもう亡くなってこの世界には存在しない。
けれども、(まだ御会いしたことはないけれども)金子敦さんは、この現象世界の同じ住人である。
金子さんのような俳人が今の俳壇、文學界に存在していると思うだけで、私は少し幸せな気持ちになる。

金子さんの句に出会って、私の「片輪もの」のような俳句が今後どんな風に変わってゆくのか、自分でもちょっと楽しみである。
今はネット句会やメールや手紙を通してのみの付き合いだが、、決してあわてずに、少しずつ少しずつ彼の世界を覗き込んでみようと思っている。
アライグマはなんでもかんでも見さかいなく洗う、おかしな動物である。
もしかしたら、疲れた人の心も、その可愛い手できれいに洗ってくれるかもしれない。

キユーピーのまばたきもせで春を待つ  葱男