*伊月集:夏井いつき

〜雛納め大好きな娘に通せんぼ〜

夏井さんは、昭和32年生まれの50才。 俳句集団「いつき組」の組長であり、坪内稔典さんの「船団」にも所属する、今が旬の現代俳句の旗手というべき存在である。
「伊月集」はその第一句集で、彼女が30代までの新鮮な句がおさめられている。
今回はその中から印象に残った春の句をいくつか鑑賞してみました。(※葱男鑑賞)

●まつさをな異国の蝶をあずかりぬ
※あずけた男(?)のことを詠んでいるのか、その男はまつさおで異国の匂いがするのだろうか。まつさをな男とはどんな男だろう?憂愁をおびて純粋な魂を持つ男だろうか。
●キリストのごとくに痩せて春の魚
※「春の魚」と言われてすぐに思いおこすのは「いかなご」や「白魚」のようなほっそりとして、骨格が透けて見えるような、そんな魚である。 生まれて来てすぐに食われてしまうのは少し可哀想な、悲しくて無垢な魚である。 そんな魚をキリストに喩えて、命の受難を受け止める作者の若い精神が愛おしい。
●ヒヤシンス手話もぴあのも漂へり
※手話の手と指の動き、ピアノを弾く時のその動きを「漂う」と言って、自己表現や、人に何かを伝える事の熱と不確かさを「風信子」の花に閉じ込める。信じる力は幼い子供に備わっている最高の宝物だ。生まれたばかりの赤ん坊が自分の非力を知らず、他人を信じられないとしたら、どうしてその一日を生きる事ができるだろう。
●春の日の根のやうに触れあうてゐる
※春には草木の根もよく伸びるのだろうか、「根が触れあう」とはお互いが精神の深いところで共感しあう、という意味が込められている。「絡み合う」ことも「触れ合ひ」と言いうるような、そんな幼い青春の出来事。
●春眠てふひかりの繭にうづくまる
※春光を布団にして青芝に寝転ぶ、いい男に腕枕なんかしてもらっているやもしれず。
●ことによく匂うてをるは春の熊
※生命力が発散する匂いは生物にとって大変に魅力的なもの。香水の原料などは考えてみれば、それらはすべて生命の発情の匂いだと言っていいのではないだろうか。
●てふてふを殺す薬を買ひにゆく
※昆虫採集のための道具のようなものかもしれない。「てふてふ」と、なんだかとても頼り無い命ではあっても、それを「殺す」となると、少女のこころにはかすかな痛みが走るのだ。
●からつぽの春の古墳の二人かな ※古墳の中には何かが入っていると思うのが自然だが、二人にとってはそれも「からっぽ」。それとも「春」がからっぽなんだろうか?それとも「二人」がからっぽなのか? いずれにしても春も古墳も二人も、瑞々しい力に満ち満ちている「からっぽ」には違いない。
●春夕焼塔きりくづす遊びかな
※「塔」が象徴しているものを探しても意味のないこと。なんであってもそれは「遊び」であり、春は「夕暮れ」て、そして、春は終わります。 -----------------------------168071508944249 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="oka-negio-15.html" Content-Type: text/html oka-negio-15.html

*あちこち草紙

〜水温む鯨が海を選んだ日〜

第一句集「鯨が海を選んだ日」で坪内稔典や清水哲男といった現代俳句の先鋭達を虜にした「土肥あき子」さんの新しい本,「あちこち草紙」(未知谷)が上梓,出版された。
土肥あき子さんの句と文が素晴らしく、森田あずみさんの猫の絵がとても楽しい。

あき子さんの俳句をまとめてじっくりと読むのは初めてだったが、一語一語、すみずみにまで行き渡った感性と知性は池田澄子さん以来の驚きだった。また、森田あずみさんの絵は、猫の一瞬の動きを実に的確に切り取っていて、その時々の表情は、彼等の内面をありのままに映してとても愛らしい。

物語は土肥さんが15年間飼っていた猫の一周忌から始まり、新しい子猫との出逢いを経て、全編、様々な猫達との交流が描かれている。
猫達との心暖まる逸話は、単なる猫観察を大きく超えて、動物と人間と自然が織りなす日本の四季の風景がそこに重ねられていく。

この本はふたりの才能ある女性の手によって編まれた、美しい挿し絵入りの絵本、句文集、短編小説であると同時に、ファンタジーを失いかけているかつての子供達に贈られた、素敵な大人の童話である。
今回はそのあちこち草紙の中から彼女の句を10句選び,今まさに旬の,清新な現代女流俳句の魅力を探ってみようと思います。
いかんせん,男性群はここでもまた,指をくわえて傍観するしか道はないのだ。

1 炎にもしづかな流れ菫咲く

2 ダンスして朧月夜を使ひきる

3 トンネルの彼方に針穴ほどの夏

4 長雨や金魚玉にも水平線

5 しばらくは同じ蛍を見てをりぬ

6 地球まん丸滝壷といふ笑窪

7 観覧車より夕焼のありつたけ

8 地軸やや傾き秋となる不思議

9 蛇口より雫ふくらむ聖夜かな

10寒月の光を溜めるぼんのくぼ

1番,炎は命の灯,菫は生命の流れ,現象はふたつにしてひとつ。
2番,月夜を使いきる,とは。遠く観賞するものを実感として手許に引き寄せる力。
3番,針の穴ほどの微少な空間に「夏」というこの上もなく大きな景色を見せる魔法。
4番,これまた極小の中に極大が現われる。
5番,その「しばらく」の一語の中に,男と女が織りなす複雑怪奇な人間模様をすべて表出してみせた。
6番,3,5番に同じく,偉大なる自然にも弱小なる人間にも等しく寄り添える女性精神の神秘。
7番,「ありったけ」とすべてを相手に明け渡し,委ねることのできる強さとかしこさ。
8番,科学も生活も分け隔てずに平行に受け入れて,「不思議」もよし,とする天性。
9番,愛がマジカルを生み,フィクションが創造される。
10番,肉体が自然のうちに生きづいている官能の生命体としての女。

そして「水温む鯨が海を選んだ日」,氏は五・七・五の短詩形式をもってして,あっさりと自然界の謎を解いてしまった。
まさに魔法のアッコちゃん,この一句は天賦の才能が詠んだ不世出の空想句となるに違いない。