*「現代俳句の海図」を読む:櫂未知子篇

〜花うぐひ愛は汽水に満ち満ちて〜


櫂未知子は1960年生まれ、87年より短歌を作り始めるが、90年には「港(大牧広主宰)」に入会し、96年、句集「貴族」で第2回中新田俳句大賞受賞、98年、中原道夫の「銀化」創刊に参加。
俳人としては遅いデビューであり、血統もない、いわゆる一匹狼的な存在だと言ってもよいかもしれない。
勿論、才能の人である櫂未知子は、デビューがどんな形であれ、俳句作品がどんな事柄をテーマにしたとしてもその才能はいかんなく発揮されたであろうが、とりあえず、彼女の「貴族」「蒙古斑」「櫂未知子集」に見られる俳句の姿を敢えて象徴的に言い表わすとするなら「性愛の俳句」または「肉体の俳句」とでも表現するのがふさわしいだろう。
同じ年頃(1962年生まれ)の人気俳人、黛まどかが「恋愛の俳句」を詠むために自己表現を開始したとするなら、ふたりの女流俳人の比較をしてみるのも面白い試みかも知れない。

【貴族】
●シャワー浴ぶくちびる汚れたる昼は
(くちびるが汚れるような真昼の性愛行為のあと、教会の日曜学校で情操教育を受けたであろう彼女には少なかず、そこから自縛を解き放つための自由意志と、逆のベクトルを示す罪悪感がともにあっただろう。自己表現の根源的発露はそのような自己変革への欲求を起因とするところかもしれない。)

●毛糸編む女をやめてからひさし
(この「女」が、直接自分を指していう、単なる「自虐」ではないだろうが、たとえば自分の愛する実母や身近な親しい女性を象徴的に表している言葉だとは想像できる。愛憎ともにあり。)

●雪野へと続く個室に父は伏す
(暗喩としての「雪野」が父の孤独を象徴している。娘は父を尊敬していないのかもしれないが、憐れんで、愛して、涙しているのである。反面教師としてのストイックな父の姿は哀れでも、「歪んだ美」を孕んでいる。)

●母親になり損ねたな雪催
(子供を作ることへのおだやかな拒否の姿勢を自らがあわれんでいるような句だ。「雪催」という季語は自虐的な感情を癒すための自己保存本能なのかもしれない。)

●猟銃を鹿は静かに見据ゑけり
(熱情と冷静さを備えた鹿こそ、我=未知子の投影だろう。)

●ぎりぎりの裸でゐる時も貴族
(句集の題名にもなった彼女の心の「貴族」のかたちが宣言、自己表明されている。人間として、女として、その他もろもろの立場にあるものとして、彼女の基軸にあるものは「私が私として成立するための矜持」に外ならない。)

●シースルーエレベーター昇る時は金魚
(何ごとかを成し遂げたあとの充足感をともなって、男は、女は魚になることができる。「シースルーエレベーター」は上昇しつつある快楽の比喩にほかならない。)

●地吹雪の先には誇り高き海
(激しいもの、大きくて深いものの暗喩はどんな世界を指し示しているだろうか?)

●同情に傷付きし日の雪こと
(ここでも癒しのシンボルとして「雪」が登場してくるが、それは彼女が北海道余市に生まれ育ったことと関係しているのかもしれない。)

【蒙古斑】 ●春は曙そろそろ帰ってくれないか
(う〜〜ん、若い男ならいいけど、中年なら傷つきます! っていうか、「枕草子」ぐらい常識的に理解している男が相手の恋愛なのだろう。 じゃないと洒落にならない。)

●啓蟄をかがやきまさるわが三角州(デルタ)
(自尊心とも自虐とも、勇気とも真実とも。人間は肉でしょ、気持ちいっぱいあるでしょ〈藤原新也〉)

●白梅や父に未完の日暮あり
(「日暮」がなんともかなしい。父に対する愛憎ともにここに極まれり。)

●バロックの鏡こなごな信長忌
(異性である男に対するある種の軽蔑的感情が潜んでいるように、性に対する「融和」より「対立」が彼女の基軸にあるのかもしれない。)

●うまれつき外連のこころ雲の峰
(みずからを「外連」と規定するもの、それは自分の精神がけっして高尚なものではなく、俗受けを狙った意図的な演出をも自分のスキルであると肯定していうように、それが生きる強い意志でもあるように思える。)

●シャワーゆたかに私の暗黒大陸
(自尊と慈愛と少しの諧謔。あるべき女の姿としては美しい小島より暗黒大陸なのだ。)

●いきいきと死んでいるなり水中花
(客観的に自分の性愛的シーンを鑑賞する女は、何か悲しい。)

●几帳面な玉蜀黍だと思わないか (玉蜀黍が男性の象徴であることだけは違いなさそう。「几帳面」云々は自分も男も性愛の奴隷にすぎないという諧謔か、それとも同志愛なのか。)

●佐渡ケ島ほどに布団を離しけり
●少年に咬みあと残す枯野かな
●ストーブを蹴飛ばさぬやう愛し合ふ
(大人の女の愛であり、性である。)

●雪は白、雪は白だと諦める
(ここに「、」という読点が付けられている意味は何だろう? 極端に言うと、たとえば美しき若さ男を否定できない苛立ちのようなもの?)

●雪まみれにもなる笑ってくれるなら
(どちらが主人でどちらが下僕なのか? すべてはゲームであって本気の愛である。)

【櫂未知子集】
●わたくしは昼顔こんなにもひらく
(「昼顔」ならば必然的にルイス・ブニュエル監督の作品の娼婦を想起せざるをえない。上流階級の婦人達だけが携える「矜持」も必須条件である。)

●火事かしらあそこも地獄なのかしら
(こちらも、ここも地獄なのである。こちらも火事場なのである。あくまでも彼女は、のっぴきならぬ一行詩の世界に身を置く女流俳人として成立して佇っている。)