*葬送=葱男

〜行く春や草草のこと忘れざる〜

■2013年3月21日(木)
「書」の師匠、馬渕幽明先生の通夜。

ジャニス・イアン、キャロル・キング、プラターズ、無宗教の葬儀は懐かしい曲が滔々と流れるなか、余計なものは何もなく、ただ花と書だけがずらりと並んだ美しいものだった。
闘病ですっかり頬の肉が落ちた先生の死に顔は、生々しい、人間臭いものが全くなくて、蓬髪の端正な顔立ちが際立った一塊の芸術作品のように見えた。

先生が愛した象形文字の数々。
「明」「女」「酒」「雲」「遊」etc.

初学のころ、先生は「明」という文字の「日」の形象は「窓」であると、仰っていた。
漢語辞典によると、窓から月光がさしこみあかるい意を表す字もあったが、のちに「明=日=太陽」に統一された、とある。
先生の雅号「幽明」の「明」は月光のほうである。

「香典」は辞退とのことだったので、先生の好きな日本酒をお供えしてきた。
「佐々木酒造」の「京の花咲爺」というお酒。
今年の花見は先生のことを想いながら、この酒を飲むことにしよう。

●春の夢書の師の髭を継ぐつもり
●円窓を酔わせて眺む春の月  

■3月23日(土)
今日はひさしぶりに全日休みをとって、充電。
まず、私のフェルトの先生(奥さん)の先生(倉谷禮子さん)の旦那様(同志社大学元教授、竹内成明さん)が先日、お亡くなりになったので、先生の先生を慰めるべく、倉谷教室の生徒達有志で成明さんの仏壇にお線香をあげにゆく。

成明さんは亡くなる1ヶ月前から自宅療養をされて、最期は家族みんなが集まった日、ご馳走を食べ、大好きなビールも「美味しい、美味しい」と飲んだあと、翌朝にはご自分のお部屋で眠るように亡くなられたそうである。
「自宅で最期を迎えられたというのはとても幸せなことだ」と、誰かが簡単に言うとしたら、現実はそう簡単なものではない。
確かに先生は末期の癌で、ホスピス治療に入っていて、本人の同意を得て延命治療などもしないことを家族全員で決めていたようであるが、それでも容態が急変して救急車を呼ぶことになれば、結局は病院に運ばれ、病院のベッドの上で亡くなるというのが普通のケースだろう。
ところがその日成明先生は、久しぶりに全国から家に集まったいた家族全員とともに、とても楽しそうに食事して、大好きなビールも飲むことができたのである。その夜、いつものように穏やかな笑顔で布団に入るとき、先生は奥さん(倉谷さん)にっこりと笑いかけながらこう言ったそうである。「もういい、、、、じゃ、バイバイね!」、そして静かに眠ったそうである。
翌日、気がつくと先生の酸素吸入の管が外れていて、体はまだ暖かかったものの、意識はもうなかったという。

藤原新也は、ベナレスの川岸で印を結んで死んでゆくインドの修行僧たちを見て、「人間は死の瞬間は自分で選び取るものだ」と言っている。
「死は自分で選び取るものである、その勇気をいまのうちに養っておけ」とも。成明先生は自分で「もう、死んでも良い」と思って自ら「死」を選んだのだと思う。

■午後
お線香を上げたあと、教室のみんなでランチして、そのあと、法然院で開かれている友人(染谷みち子さん)の個展を見に行く。
染谷さんとは2005年に一緒に桜舞散る・同行二人展」をしたこともあるぐらいの間柄だ。

今回は「あるがままに」というタイトルで独自の曼荼羅パッチワークの世界をまた一歩、確実に深く探求したものであった。
どこまでも自分独自の世界へ入り込んでゆく彼女の「あるがままの」生き様をみたように思った。



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