*「命の一句」 石寒太

〜一水をもて光らしむ雪の肌〜


はじめに彼の思いを伝える一文をここに書き写します。
『「雪月花のときもっとも君を憶ふ」といった白居易の詩句。 人間は、自然を友とし、座をつくり、詩を賛美する。 いま、人々のいのちは、自然とともにある。』

石寒太は「命」をテーマに佳い編集をしたと思います。
私は彼の選んだ各俳人の命の句に対する、葱風「命の鑑賞」を試みます。

●結婚は夢の続きやひな祭り  夏目雅子
※本来、女の子にとって楽しいはずの「ひな祭り」、言葉の中にすこし悲しみが潜んでいるのは何故なのか? それはお嫁さんになれない女の子の悲しさが其処に含まれているからである。 夏目雅子はようやく「お嫁さん」になることができた。 彼(伊集院静)との句会で詠んだこの一句には「ひまわりのような妖精女優」と呼ばれた雅子の純粋な喜びだけが表現されたのだろうか? いつも太陽の方だけを向き、いつしか盲いてしまうひまわりの悲劇を夢の続きに予想してしまうのは、彼等の結末を知っている所以からかもしれない。

●いなづまやたらひにあかき赤ん坊  黒田杏子
※雷と稲との性交が「稲妻」の意味だそうだ。この雷光が稲を実らせる、という信仰から秋の季語になったのである。 「あかき赤ん坊」は光に打たれて赤いのかもしれない。打たれたあとが黒ずんでお尻に残れば、それが蒙古斑である。

●湯豆腐やいのちのはてのうすあかり  久保田万太郎
※妻に自殺され、息子に先立たれた老人は最晩年、愛人にも先立たれてこの句を詠んだ。  歯を失った老人が、湯豆腐を啜っている。その「温み」と「官能」を味わいながら、年老いた男は幽かな命の火を燃やしつづける。

●咳をしても一人  尾崎放哉
※放哉、終の栖、小豆島の「南郷庵」での作。 ひらがなを変換していて不思議な事実に気が付いた。 「ひとり」は「独り」ではなく「一人」なのだ。 彼は「一人」ではあったがただ孤独ではなかったんじゃないか? 句に甘さがないのはそれゆえに、である。

●おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒  江國 滋
※まず『癌め』という句集のタイトルに驚かされる。 癌になったら、こんなふうに言いたいと思うが、できるだろうか。 できなくても、病床には旨い吟醸酒は欠かさないようにしよう。 酔生で夢死ならば本願である。

●万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男
※この句が成って「万緑」が季語に定着した。 一度、乳歯から永久歯に生え変わればもう二回目はない。 鮫のように次から次からどんどん歯が生え変わるならどんなにか人生楽しいだろう。 いかんせん、老いは「歯」から始まってゆく。 しかし、例外もある。 うちのお爺ちゃんは40代の時、2〜3本抜かなければならない歯があったので、「えーい! 面倒!」とばかりに全部が全部、歯を抜いて、総入れ歯にしてしまった。 昔の医者も大胆なことをするもんである。 お爺ちゃんは90才を超えた今でも元気、元気! 介護認定の人が来る日だけその「入れ歯」をはずして、ちょっと髪をかきむしるのである。

●蛍の夜老い放題に老いんとす  飯島晴子
*なんといっても「老い放題」の措辞が凄い! 「飲み放題」や「食べ放題」とはスケールも度胸も違う。 女は強し! されどそのこころざしをを蛍の夜に決心するところが女性らしさを湛えている。 やはりいくつになっても女性は可愛い存在だと思っている。 これが「嵐の夜」だったとすれば、さすがに引いてしまっただろうが・・・。

●鶏頭の十四五本もありぬべし  正岡子規
※あまりにも有名な句なのだが、私はこれまで座五の「ありぬべし」をうる覚えしていて、この句の本意を掴んでいなかった。 「十四五本もありにけり」と「十四五本もありぬべし」では大きく意味が違ってくる。 「ありにけり」だと純粋客観写生、「ありぬべし」だと主観写生である。「ありぬべし」にはあきらかに自己主張と願望がある。 俳句の世界では普通、自己を表さないほうが佳い、とされている。(結社、主宰によって異なるものの、おおかたのところはそう指導している。) 子規は「鶏頭」に何を、また誰を見たのだろうか? この句の本意は子規が「十四五人は居てほしい。」という思いを「鶏頭」に託したところにある。 私はそれを「才気。才能のある人」というふうに解釈したい。 「俳諧の世界を、その発句を独立させる事によって、『文芸』から『文学』へと昇華させる運動をその14〜5人で担っていってほしい。」 そんな願いがこの一句には詰まっているように私には思える。

●或る闇は虫の形をして哭けり  河原枇杷男
※彼の言葉から。『詩人とは、本来存在の言葉の実存のおいて永遠の原典のなかに書きこまれている、深秘の言葉の解読者である。』  かつてロダンはこう言った。「作品はその石の中にすでに埋まっている、私の仕事は鑿と鎚でそれを彫り起こすことだけである。」と。 森羅万象を観察するとは、其処に隠れている物の本質を浮き彫りにする行為に違いない。芸術作品はいつも写生的ではなく、象徴的なものであるだろう。 日本の水墨画に見られる極端な省略や大きな空間には、むき出しにされた物の本質だけが一筆の墨の濃淡の中にきっちり収まっている。

●谺して山ほととぎすほしいまま  杉田久女
※久女はこの句を霊山・英彦山(福岡・大分県)で詠んだ。 「ほととぎす」に込められた思いは大きい。 四ッ谷龍は久女についてこう書いている。 『久女の句は光と闇から構成されるのではなく、光と光によって構成されているという印象を与える。読者に対して、気を休めることなく句の隅々にまで神経を集中させることを強いるような緊張感が彼女の句にはつきまとう。』
「ほととぎす」「花衣」で一世を風靡したにもかかわらず、かの大虚子が何故、久女に対して「ほととぎす」破門を決意させたのか、いまだに謎である。その後、行き場を失った久女は精神を病み、55才という若さで福岡の筑紫保養院に没する。 「山ほととぎすほしいまま」という下りを虚子はどう読んだのだろうか?

●春の山屍を埋めて空しかり  高浜虚子
※虚子が最後の句会で作った句、言わば絶唱の句。 まるで、先の段、久女の精神を追い詰め、死に追いやった自らに対する自嘲の句とも読める。石寒太はこの句について「陰惨な雰囲気は微塵もなく、むしろ透明感すらある。」と書いているが、果たしてそうだろうか? 私には「春の山」と「英彦山」、「久女」と「屍」の文字が符牒して見えてしまうのだが、それはあまりにもうがった見方だろうか? どちにせよ今ではすべてが霧の中である。

●月天心貧しき町を通りけり  与謝蕪村
※「月天心」を詠むには必ず、しっかりとした構図を思い描くことが重要になる。 蕪村は月の真下に「貧しき町」を持って来て、私は「まつすぐ跳ねるマサイ族」を置いた。構図は同じである。蕪村も私も絵を描き、構図の世界に生きているからかもしれない。

●ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ  桂 信子
※信子にはほかにもこんなに色っぽい句がある。
ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす
おのづからくづるる膝や餅やけば
さくら散り檻の豹よりかるい吐息
さぐりあつ埋火ひとつ母寝し後
すすき野に肌あつきわれ昏れむとす
ひとひとりこころにありて除夜を過ぐ
ひと待てば聖夜の玻璃に意地もなし
やはらかき身を月光の中に容れ
りんご掌にこの情念を如何にせむ
りんご食みいちづなる身をいとおしむ
逢ひし衣を脱ぐや秋風にも匂ふ
闇のなか髪ふり乱す雛もあれ

きりがないのでこのくらいにしておきます。

●光堂より一筋の雪解水  有馬朗人
※芭蕉の句、「五月雨の降残してや光堂」が喚起されます。 「光」「一」「雪」「水」といった基本的な文字が深い印象をもたらします。 この四文字を即興で詠んでみるならば、「雪一閃水は光となりにけり」「一水をもて光らしむ雪の肌」

●美しき緑走れり夏料理  星野立子
※料理はまづ「目」で食すものである。続いて、嗅覚、味覚、触覚、聴覚が働く。 美しいものは夏の季節と同じで、「夏料理」も瞬く間に胃袋へと過ぎ去ってしまう。

●水に入るごとくに蚊帳をくぐりけり  三好達治
※蚊帳と同じように、なぜか「水」には深い安心感が備わっている。それは「胎水」「羊水」、または「生物の起源としての海」「永遠に循環するもの」にたいする愛着かもしれない。

●しんしんと肺碧きまで海の旅  篠原鳳作
※この句が「無季」であることにはとっさには気が付かない。 ならば、それが「夏」なのか「冬」なのかと問われれば、どちらとも答えられない不思議な一句である。まるでマグリットの騙し絵のようだ。 ちなみに私が一番好きな無季句を紹介しよう。 「折り鶴は紙に戻りて眠りけり  高橋修宏 」

●金剛の露ひとつぶや石の上  川端茅舎
※「露」が「金剛」となるためには「光」が必要である。 ここにも「水」と「光」の交錯する世界が広がっている。

●うしろすがたのしぐれてゆくか  種田山頭火
※この句には「自嘲」という前書があるそうである。 そんなことをわざわざ断るなら、山頭火は自分の句の半分に同じ前書を付けなければならないだろう。 しかるに何故この句に、という興味がある。 芭蕉から始まる「しぐれ」の系譜というものがあるのだそうで、できれば私もその系列に属したいと考えている。
「時雨忌のうしろに光見つけたり 葱男 」

●雪の日の浴身一指一趾愛し  橋本多佳子
※「愛し」は「かなし」と読む。句集「命終」所収の、最後の自己愛惜の句。 また、私の好みの女流俳人が出てきてしまった。
雪はげし抱かれて息のつまりしこと
月光にいのち死にゆくひとと寝る
息あらき雄鹿が立つは切なけれ
雪はげし夫の手のほか知らず死ぬ
夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟

  ●太郎水漬き次郎草生し茄子の馬  川崎展宏
※「海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば草生す屍」 こんなに残酷な光景がなぜ美しい詩に思えるのだろう、と考えたとき、その光景を見ているこちら目線の存在に気がつく。 もしこの光景を当時の米兵が詠むとしたら、これほど詩情に満ちたセンテンスが生まれるだろうか? 答えは否、である。

●戦争が廊下の奥に立っていた  渡辺白泉
※白泉は新興俳句運動の旗手。昭和14年から「京大俳句」に参加。新興俳句の雑誌「天香」に作品を発表し、当局からの弾圧を受け憲兵に逮捕された。 「廊下の奥に立っていた」のは数人の「憲兵」そのものかもしれない。

●天皇の白髪のこそ夏の月  宇多喜代子
※現代俳句作家で、今の天皇を詠んだ句を初めて見たような気がする。 白髪と夏の月がよく響きあって、少しかなしく、すこし嬉しい句である。 戦後の63年、現在の天皇陛下と美智子さまは「日本」の気品の象徴であった。 「俳句の品格」なる新書が出版されるなら、この、宇多喜代子の句はきっと、欠かす事のできない一句となるだろう。