*大濠公園/吟行・句会/2012,11,11=葱男


〜浮御堂昔日の夢しぐれけり〜

■前夜

前夜は白髪鴨さんがクルーをつとめるヨットで船泊まり。
深夜の小戸のヨットハーバーは若い管理人ひとり居るだけで、ハウスも埠頭もひっそりとしている。白髪鴨さんの話によると、昔のヨットマンは試合の前後、よく船泊まりをしてその感触を愉しんだものらしい。今はすっかり様変わりして、用もないのに船に泊まるのは珍しいそうだ。
2年ほど前まで、友人のヨットに乗せてもらって、毎夏のように琵琶湖の船上パーティーを楽しんだ経験はあるが、ヨット泊というのは初体験で本当に素敵だった。

男ふたりだけでさんざん話し散らし、飲み散らした挙句、二部屋に分かれたキャビンで、寝袋と毛布を借りてゆったりと眠った。
夜中に2回ほど小便に起き、小雨が煙るなか、ウィンドブレーカーを羽織ってデッキから海に長い放尿をする。少し波に揺れて、スリリングな放尿だが、無事成し終えた時の達成感がまた楽しい。

年一回の「同窓会博多帰省」、この船泊まりを恒例にしたいぐらいである。

*1 *


■慕情

小笹小学校、平尾中学、筑紫丘高校、九州大学と進んだ私にとって、博多は第二のふるさとであり、(武田鉄也のセリフではないが)私の青春そのものである。
その青春の背景にはいくども「大濠公園」は登場する。

大阪に就職をして2年目、私は映画を撮るために会社を辞職した。
と言うよりも、映画作りの資金集めの目的で1年間だけ、会社勤めをしたのだった。淀屋橋に事務所がある、小さな業界紙だった。就職の目的が全く不純だったので、自分でも「ひどいなあ〜」と思うぐらい無能な営業マンだった。現場に直行、直帰しながら自由な時間を作り、1年で200本の映画を観た。愚かな青春だったとしか言い様がない。その、馬鹿げた労働で盗み取ったような50万円の金で私は「大濠公園」を舞台にして1本の8ミリ映画を作った。「センチメンタル・ジャーニーにさよなら」という25分間の陳腐な映画である。キース・ジャレットのジャズピアノが流れるオープニングだけがめちゃくちゃカッコ良かった。ラストシーンにつながる場面、私は「大濠公園」を一周してただ走り続ける。カメラは前から横から手持ちの手ぶれショットで、その当時流行って居た「深作欣二」スタイルを真似た。ラストは昔の恋人を今の旦那から奪って、ふたりが手を繋いで走って逃げるシーン、再びオープニングのキースのピアノがかぶさってきて、最後は「明日に向かって撃て」と同じストップモーション。いや、じつに下らない、そして愛おしい青春映画であった。

勿論、物語だけではなく、実際の恋愛の背景にも「大濠公園」は登場した。中道を、北から歩いてくる恋人、南からゆっくりと歩いていって、少しづつ縮まる距離を十分に愉しんで、ちょうど石橋の上で抱き合い、手を繋いで浮見堂まで行って、初めてのキスをする。
そんな演出家めいた恋愛をしたこともあった。遠い昔の思い出である。


■吟行

吟行は12時に地下鉄「大濠公園」駅に集合。総勢10名で思い思いに公園内を散策、1時半にふたたび駅に集合して藤崎の句会場へと向かう段取り。

当日の大濠公園はところどころ大きな雲がかかって小雨も降るが、たまに雲間から陽が射し込んでだり、青空が覗いたりと、変化に富んで野趣のある天候に恵まれた。

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■句会(全39投句入選27句)

天 はにかみを水面にちらす小春かな=香久夜

○五、久△葱、阿、メ、資、白=9点
(久:うふふの心境。はにかみの小ささ、小春の小が微妙に心をくすぐるようで。 葱:アベックの女性のほうの「はにかみ」でしょうね、^^;。 阿:これは言わずと知れた坂田三吉と恋女房小春の世界でしょう。大濠の水面を眺めながら通天閣が浮かびます。 白:水面に落ちる落ち葉の様子を恥らいながら舞う様に見立てているのだろうか。あるいはその木の方の姿なのか。それとも作者のはにかみを言っているのか。そのあたりの曖昧さがあるのだが、いずれにしても感情が主体となっている点に好感が持てる。)

天 冬鳥に餌を投ぐ王の心地して=砂太

○水、葱、雪、香△久=9点
(水:自然界まで支配できるような王の絶対的権力。中国を支配する皇帝のイメージでいただきました。「王の心地」が良いと思いました。 葱:まず、句柄の大きさに惹かれる。やっぱり「王」の一文字が効いている。 雪:私も同じような情景を詠みましたが、詠み手自身の気持ちを表わしていて、しかも王の心地、と言い切るところがおもしろいと思いました。 香:情景を思い浮かべると、本当に王様のよう。おもしろい表現、これぞ俳句。 久:王を出してきたのが、想像を一気に広げさせますね。 白:これも砂太先生の句と分かってしまった上での評になるが、王の心地とは何だろう。これが仏の心地ならどうだっただろう。)

人 けふのひを一雨となして新松子=九十九苑子

○葱、喋△メ、雪、資=7点
(葱:「字面」が美しい、ひらがな〈「日」→「ひ」〉と漢字のリズム。「雨」は一期一会を「新松子」はその出会いの美しさを詠んでいる、上等な挨拶句として点盛りしました。 雪:まさに今日のこの時折降る雨の一日を、しっとりと詠んだ句だと思いました。やさしい感じ。 白:句のまとまりや語感はすっきりとしているものの、どうも意味がわからない。私の歳時記では季語は晩秋のもののよう。一見美人だが、何かがそれを損なっている。)

【入選】

●犬が好き人も好きです懐手=砂太
△阿、九、五、喋、久、資=6点
(阿:こだわらない世界が、すうーっと心に入ってきました。 久:口語体であることで、頂きました。犬を連れている人、それを見ている人、いろんな情景を浮かべさせます。 白:とてもぬくもりのある句だと思う。感情移入がとても素直で好感が持てる。懐手もぬくもりを誘う。好きな句だが、他の句との比較で残念ながら選外。)

●冬の天胸乳(むなぢ)凛々しく彫られけり=白髪鴨
○葱、砂△水、香=6点
(葱:最後は「をり」か「けり」か? 私はたとえ時制が異なったとしても「けり」がいい。「をり」だと少しだけ「俗」に流れる気がする。「胸乳=むなぢ」とふりがながほしいところ。 水:彫像の形、質感と冬の天に表される季節感が良く合っていると思いました。 香:胸乳?男性の胸にも使われるのですか?雲にミケランジェロなどの彫刻を思い浮かべました。それを連想させるところが豊かな感覚ですね。)

●亡き友に追い越されけり冬の沼=五六二三斎
○葱△水、白、香=5点
(葱:この句「追い越され」ですよね、気がつきませんでした。亡き友とこの場所を歩き、或いは走ったことがあったのでしょう。「沼」が黄泉を匂わせます、「湖」では採らなかった。 水:「冬の沼」が良くはまっていると思いました。 白:傍らを追い越していった若者に昔日の友の面影を感じた…そこに生命の大きなさわやかさを感じる。ただ下句の季語が惜しい。 香:多分、ジョギングの人を見て、昔のことを思い出されたのでしょう。寂しさが伝わってきます。沼ということばしか収まらなかったのでしょう。でも、池などより、音の響きも句の雰囲気に合うとおもいました。)

●都鳥鵜も立ち入りてオセロかな=久郎兎
○砂△九、五、喋=5点
(白:この句はみんなの句評を少し聞いてしまったので理解できたが、この句のままでは私は理解できなかったと思う。白黒の対比がやや希薄な気がする。)

●枯柳濠の夕日の余りをり=香久夜
○阿△砂、久=4点
(阿:ちょうど59歳最後の日だったので、気持ちにぴったりだった。 久:きれいにまとまっているので、頂きましたが、どうしても「余りをり」が、しっくりしないのです。夏を思い出させるから。枯柳の季節だと夕日を奪い去るくらいの表現がほしいです。 葱:☆「余りをり」の措辞がいいですね。 白:「余りをり」が素敵です。私の勝手な解釈だが、夕日の金色が空間容量をはるかに超えて溢れかえっている様を連想する。それを細く遮って黒い影を落とす枯れ柳のシルエットがこの絵のポイントになっているのだろう。ただ少し詩の強度に欠ける気がする…。)

●荒津にも西湖の姿冬椿=九十九苑子
○資△水、メ=4点
(水:大濠公園の池ではいつも中国を感じます。 その感覚のままの句だったのでいただきました。 椿の赤が印象的です。 白:これも句評を少し聞いてしまったので、原始の感想とは少しかけ離れてしまう。発想は面白かったので、もっと時空を超えてくる西湖の姿が欲しかった。何かひとつの単語の工夫で、この句のスケールは超絶しそうな気がする。)

●大濠の釣瓶落と並走す=資料官
○砂△メ、五=4点

●からす真似はばたく少女時雨やむ=白髪鴨
○葱△喋、香=4点
(葱:「からす」がいい。これがもし「白鳥」みたいな綺麗な鳥なら「少女」の天心が出ない。 香:子供は何でも真似しますね。時雨やむ と はばたく少女 に、未来、夢を感じました。)

●伸びやかな十一月の鷺の首=水音
○砂△葱、白=4点
(葱:「十一月」が長〜くていいなあ。 白:「一月の川一月の谷の中」「一新の白線にほひたつ二月」…片や飯田龍太、片や水音。ともに暦月を季語にした秀句です。私も十一月をテーマに作ってみましたがどうもうまくいかなかった。この句も「伸びやかな十一月」まではよかった。さてこの句を完成させるのはどんな言葉〈パロール〉だろう。)

●浮御堂昔日の夢しぐれけり=葱男
△水、雪、香=3点
(雪:大濠公園に行けば必ず立ち寄る浮見堂。その時々でいろんな思い出がありまた、色々な夢を持っていたと思いますが、もうそれもこの年齢では叶わぬ夢になったのかなぁ、とちょっとマイナーな気分にかられます。 水:句会でお話しましたが私は大濠公園のボートハウスのレストランで結婚披露宴をしました。今は、、、しぐれてます、、 よねぇ。 香:、、しぐれけり 、、句会の前日、明日福岡の天気は雨では??とドキリ。自分は、晴れたイメージばかりを持って、夕日の句を詠んでいたのです。あー、沈没したーと、思っていました。当日歩いてこその しぐれ句 に敬意を表します。)

●被写体は写真家であり冬紅葉=水音
△砂、喋、白=3点
(白:「世界は、それが何を意味するかわれわれが知る前に、意味し始める。シニフィエは、知られることなく与えられる」〈レヴィ=ストロース〉 シニフィエはシニフィアンを規定することもある。最高の被写体は、最高の写真家に他ならない。ただし誰がシャッターを切るのか…。)

●風見鶏北に吹かるる冬紅葉=雪絵
△砂、久、資=3点
(久:吹かれれば、が正しいとのことですが、るる、にはせず、ば、が季節や心の変わり目、を表していると思いますので、なんとか、ば、で表現できたらと考えます。)

●陽だまりの一期一会か枯葉道=阿吽
○メ△雪=3点
(メ:陽だまりの枯葉道を見ていたら昨日の同窓会のことを思い出し、いつまた会えるかわからないけど暖かい気持ちになれたことをうまく表現しているなあと感じました。 雪:枯葉の舞う季節だけれど、不思議な縁で集まったここ、この場所はまるで陽だまりのようだった、と解釈しました。)

●小春日や百周年の幼稚園=資料官
△阿、五=2点
(阿:時間の連なりが面白かった。過去と未来が陽の光の中できりりと溶け合っていた。 白:百周年の幼稚園ってあるんだ。1912年は明治45年=大正元年だった。それはともかく、主体が幼稚園だとただの写真になってしまいそう。下句を「園児たち」など、人を主体にすえればこの句の幅も広がったような気がするあっ、日曜日に園児たちはいないか…。)

●落葉を脇に従がふ松回廊=久郎兎
○九=2点

●走る人歩く人みな落葉踏む=雪絵
△砂、△九=2点

●冬霽るるほらドゥオ−モの天井画=葱男
○白=2点
(白:どこのドゥオーモなのだろう。天井画といえば天地創造、復活、最後の審判…。半球の空に描かれた一瞬の天井画のスケールの大きさ。そして「ほら」という語り口。ただ大きさだけでなく、そこに人間がいることを感じさせるこの一言が、この句の強度を高めている。そこには宗教性はなく純粋な美的感動がある。それも一瞬と永遠を同時に包括した感動が…。)

●投ぐる餌に鳥の喧噪冬の湖=雪絵
△砂=1点
(白:「鳥の喧騒」だけでは少し平凡なスケッチのようです。ここで鳥が「何か別のもの」になっていれば、視点に哲学が鼎立されていたかもしれない。)

●初しぐれ婚礼終えて浮見堂=水音
(白:初時雨の婚礼は幸せだったのでしょうか? それとも悲しかったのでしょうか? 作者自身の感情も見えてきていない。何かの感情移入、勝手な解釈でもほしかった一句。)

●ももひきを履く歳になったか明日還暦=阿吽
△九=1点
(葱:面白い、推敲できれば諧謔の句、俳諧味の句になります。 白:中西くんの句だと分かっているのをあえて承知して言えば、ももひきという季語はす ごく難しい。自分のももひきしか普通は見えない。従って自分のことを語らなければならない。そこに自己満足以上の詩の強度が必要になる。中西君個人の詠嘆としては理解できても句のシンパシーには十分ではない。)

●木の葉散るただ中にあり石狐=水音
△雪=1点
(雪:この情景を見ているのですっと浮かんできて、きれいだなと思いました。プラタナスの大きな枯れ葉でした。 白:閑静な絵ができあがっている。ただし外から目線で。さらに一歩踏み込んで内から目線で詠むともっと面白くなる情景だという気がする。〈連想句/落葉をいくつ数えた石狐〉)

●冬ベンチ内緒話の精華女子=喋九厘
△阿=1点
(阿:なぜ大濠公園で精華女子なのか、そこが秘密めいて聞き耳を立ててみたい世界です。実は住吉に住んでいたので小さいころから精華女子は僕にとっては一番近い女の園でした。 葱:「可愛さ」に、つい採りたくなる句。 白:冬ベンチの内緒話というひとつの限られた空間を作り出したところに面白さがある。ただ、精華女子という限定がシンパシーを損ねてしまう。下句にもうひとつの工夫が欲しかった。)

●百号の祝ひにつどふ小春空=九十九苑子
△砂=1点

●濠端に鴨の堂々巡りかな=香久夜
△五=1点

【無選】

●大濠のランナーの息や冬仕度
(白:ランナーの息に冬仕度を重ねる感性は面白い。でも上句にいまひとつ工夫があれば…。大濠であることは句の要素ではない。)

●大濠の水満々と冬の雲
(白:水をたたえる池と冬の雲の対比が、いささか曖昧な感がする。池の大きさ、空の大きさ…もちろん空の方が大きいことは当たり前、でも作者は池の大きさにも同様に趣を感じているように思える。シャッターを切る前にもう一歩前に出ていれば全く別の絵が描けたのでは…。〈連想句/冬の雲濠の端よりあふれをり〉)

●除夜の鐘聞いて思案の旅の駅
(葱:不思議な句で気になります。「除夜の鐘」は大晦日と相場が決まっていますが、あるいは「そら耳」なのか、「旅の駅」が地下鉄「大濠公園駅」だとしれば、何か過去が甦ったのかな?)

●にほどりやきのふのさけのまだのこる
(白:残った酒気を洗い流したい気持ちを、やたらに水に潜るにほどりの仕草に織り込んだのだろうか。洗い流したいものがもっと別のものなら、もっと句も光ったかもしれない。)

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■講評

砂太先生の添削と全体講評から。

●からす真似はばたく少女時雨やむ→●からす真似てはばたく少女時雨やむ =白髪鴨
(※このままだと、「三句切れ」になってしまう。上五が六になるのはそれほどリズムを壊さないので、意味や文法にも気をくばってください。)

●投ぐる餌に鳥の喧噪冬の湖=雪絵
(※「喧噪」に推敲の余地あり。 少し強い。)

●ももひきを履く歳になったか明日還暦=阿吽
(※「なったか」は不要、推敲すれば面白い句になります。たとえば「明日還暦ももひきを履く歳に成る」)

●冬の天胸乳凛々しく彫られけり=白髪鴨
(※「けり」だと、たった今彫られたという意味あいになるので、時制を考えると「をり」がいい。こういう場合は「胸乳」に「むなぢ」と誤読を避けるためにもフリガナをしたほうが良い。)

●走る人歩く人みな落葉踏む→●走る人歩く人みな落葉蹴る=雪絵
(※「蹴る」で躍動感を!)

●風見鶏北に吹かれば冬紅葉→●風見鶏北に吹かるる冬紅葉=雪絵
(※「吹かれば」は文法的に間違い。「吹かれれば」は「吹かるる」んのどちらかです。意味は少し違ってくるかもしれませんが、リズムとして「吹かるる」のほうが良いでしょう。)

●亡き友に追い込されけり冬の沼→●亡き友に追い越されけり冬の沼=五六二三斎
(※これは単純な書き間違い。「吟行」ではよくあること。吟行では「推敲」の時間が少ないので、間違いも多いし、技術的なものより、モティーフの面白さで高得点になることが多い。結果的に実力者の「水音」さんや「雪絵」さんが苦戦するのも「吟行」の愉しさ。言い換えれば、「吟行」には「下見」が大事だという側面があります。)


■後記(葱男)

今回、全くの俳句、吟行初体験の『阿吽』(中西和久)さんが参加してくれました。
さすがに日本演劇界屈指の表現者である彼は、わずか1時間弱の間に10句ほどの作句をしていたそうです。
われわれは少し欲が出て、ましな句が思い浮かぶとそれをすぐに推敲して吟行の時間を奪われがちですが、初心者の阿吽さんに学ぶところ大でした。
よく先輩方に言われるのは出句数の倍は作りたい、その中から半分、良いと思う句をととのえる、ということです。

「俳句」は10年経たないと初心者、とよく言われます。
私が一番好きな田中裕明さんは、毎週「岸田尚毅」や「四ッ谷龍」と「百句会」なるものを開き、1年で4800句、詠んでいたそうです。
つねづね「40000句」詠んでからが俳句、だと言っていたそうで、そうなると、我々は月6句をたかだか9年詠んだだけ。
6×12×9=648句
寿命をあと20年と仮に設定してみると、40000句詠むには
(40000ー648)÷20÷12≒164
月に164句詠まなければ「俳人」になれない、ということになります。

それは無理!!
「俳句」の芽ぐみを十分に味わえれば、「俳人」になれずともいいじゃないか、初学のままでいいじゃないか、それが部長の私の「俳句観」であります。^^;


鴨の池のの字にめぐる小雨中
冬晴れや草間弥生のパンプキン
酔ひざめの小雨たまはる浮寝鳥
にほどりやきのふのさけのまだのこる
しぐるるや昔日の夢浮見堂

冬霽るるほらドゥオ−モの天井画

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