*丘ふみ俳句:砂太篇=葱男


永らへて故郷二つや秋彼岸  砂太


今月から100号に向けての企画がスタートします。
「丘ふみ」創刊から今月号までの全句の中から、それぞれの会員の句を10句選んで私なりの感想を述べていきたいと思います。
はてさてこのさきどんな展開になることやら、乞う御期待!
第1回目は老いてますます盛んな我等が恩師、永遠の体育教師「白川砂太」先生の俳句です。

●能古古窯火の香残りて夕焼くる
●月天心車座に影なかりけり
●息をのむ程の月出る終の里
●鮟鱇の獣の如く吊るさるる
●猿使ひ日向を恋ふて移りけり
●幾千の薔薇や男も泣きまする
●素潜りの足が空打つ夏の磯
●朱欒黄に能古の静かな休漁日
●フランスへ行きたし夜の恋猫よ
●干潮の極みや夏の小漁港  (葱選10句)

「俳句の心」というものがあるとして、例えばそれをこんなふうに5つのカテゴリーに呼び分けてみる。
■実験精神=良い意味での前衛俳句と言ってもいいだろう。俳人で例をあげるならば金子兜太、池田澄子、夏石番矢などがそれにあたる。
■工芸精神=知識、経験、テクニックを駆使して俳句のデザイン化を計ろうとするもの。俳人では草田男ぐらいから始まって鷹羽狩行、田中裕明、中原道夫等がそれに当たるかもしれない。
■詩精神=俳句という詩型の中にポエジーを探究し、詩情や脳内感情を文字に視覚化しようとするもの。波郷や湘子から繋がって、現代俳人では我が師匠の森賀まりさんや、正木ゆう子、それから黛まどか、夏井いつき、大鷹翔奈どのいまどきのへっプバーン系女流俳人の目指すところもそんな世界だろう。
■俳句精神=いわゆる「俳味」、言い換えると禅の心や茶の心にも通じるような一種の仙境、あるいは「俳句聖域」に住むもの。飯田龍太や有馬朗人、大峯あきら等、そうそうたる巨人をはじめとして「同人」という信者を多くしたがえた、俳句結社の宗匠達がそれに当たるだろう。
そして最後に
■滑稽精神=江戸流の俳諧味を得意として、江戸の文化が集大成した「粋」という美を具現化するものである。 もしかしたら、俳人芭蕉は画狂人北斎なのかもしれない。久保田万太郎や文人俳句の面々、現代では小林稔典さんにも「粋」を感じることがある。

日本人の美意識は「縄文」のアニミズムから起り、平安の「雅」、戦国の「詫び、寂び」、江戸の「粋」を経て、今、「妙」の領域に入ったと言われる。絶妙、奇妙、神妙、微妙、訳のわからない「妙」の美しさ=「妙味」という美意識が現代社会を覆っている。

長くなってしまったが、砂太先生の俳句である。
「詩精神」の俳句が多い「丘ふみ」の中で、ひときわ「高峰」に聳え立つのが砂太先生の俳句だ。
人間の存在そのものに「俳味」「滑稽味」がある。

10選以外にも
●梅を訪ふ女人の深き後襟
●駒を責むる青年の夏匂ひけり
●鮟鱇や終を襤褸と捌かるる
●能古古窯沖に静かな冬がある
●廃校の朽ちし百葉箱に冬
●片方でかくすふぐりや猿の舞
●一合に酔ふて豆撒く漢なり
●追山笠や尻美しき男かな
●通されし雛の部屋の真紅
●杖で突く薄氷にある空の青
●壁も屋根も解かれて冬のがらんどう
●解かれゆく家を見てゐる日向ぼこ
●二分咲きの梅園と言ふ静けさに
●夕焼に触るるカヌーが沖をゆく
●原爆忌地球いくつも火を焚けり

読後の爽快感と深い安堵感、そして、人間存在の「哀感」そのものが砂太先生の俳句である。